第141話 出発を前に
学園長室に集まった俺たちの間に、重苦しい空気が漂っている。誰も何も言えない状態なので、本当に重苦しいものだ。
その空気をぶち破ったのは、やっぱりドラゴニルだった。
「お前たち、今回の野外実習の行き先は聞いたな?」
ドラゴニルの問い掛けに、俺たちは無言で頷く。
「実は、今回の実習の場所としてその場所を選んだのは、訳があるのだよ」
続けて学園長が口を開く。だが、その声色は重かった。
その様子を見た俺は、学園長からドラゴニルの方へと視線を移す。俺から視線を向けられても、ドラゴニルにはまったく動じる様子はない。
思わずごくりと息を飲んでしまう。
「実はな、村に駐屯させているケイルから連絡があった」
ドラゴニルから静かに告げられた言葉で、俺はすぐにピンときてしまう。
俺が男だった時にあった、魔物の襲撃の件だった。
「……魔物の数が増えているのですね?」
「ああ、そうだ」
俺が躊躇しながら確認を取ると、ドラゴニルから間髪入れずに答えが返ってきた。やはり、16歳の時に発生した魔物氾濫が起きようとしているのだ。
「先程聞きましたが、その村はアリスさんの出身地なのですわよね?」
「そうだ。だからこそ、我も守らねばならぬというわけだ。運命の伴侶たる者に悲しい思いをさせるわけにはいかぬからな」
ブレアの問い掛けにも、ドラゴニルは真剣な表情で答えている。この一件はドラゴニルにとっても重要だという事なのだろう。
「だったら、俺たちまで向かわせる理由ってのは何なのですか? ドラゴニル様の騎士たちだけで十分ではないのですか?」
ドラゴニル相手なので、丁寧な言葉遣いで質問をぶつけるニール。この指摘は確かにもっともと言えよう。なにせ、領地内での話なのだ。規模次第ではあるが、ドラゴニルがここに来ている以上、外部に声を掛けるような状況ではないはずだ。俺も疑問視をしてしまう。
すると、ドラゴニルは真面目な面持ちを崩さず、俺たちに説明してくる。
「幸い、まだ魔物の数が少ない。騎士になれば将来的には魔物の相手もする事があろう。だからこそ、今のうちに経験を積ませてやりたいというわけだ。それに、今のうちの減らしておけば、2年後の状況も変わるだろうしな」
説明を終えると、俺の方を見てにかっと笑うドラゴニルだ。どうやら、俺が以前話した魔物の襲撃の事を覚えていたようだった。
だが、ドラゴニルの表情とは対照的に、ブレアとニールの表情は重苦しかった。
それもそうだろう。ブレアは一応魔物との戦闘経験はあるものの、去年の夏の野外実習くらいだ。俺の知る範囲では二人には魔物との交戦経験はないに等しかった。
二人の中にはそういう意味での不安があるのだろう。
「何を重苦しい顔をしておるのだ。我と同じドラゴンの血を継ぐ者だぞ? 魔物の相手くらいでびびっておっては困るな」
ドラゴニルが呆れ気味に反応している。こいつは相変わらず悩みらしい悩みがないな。
俺が睨むような顔をしていると、それに気が付いたドラゴニルは得意げに笑っているだけだった。なんか殴りたくなるな。だが、今は真剣な話をしているので、それはとりあえず堪えておいた。
「とりあえずだ、今回の実習の場所は決まっておる。明日には出発だからしっかり備えておけ。ちなみにだが、我も同行するからな?」
「はあ?!」
ドラゴニルがとんでもない事を言うものだから、俺は思わず変な声を出してしまった。
「当たり前だろうが。我の領地の話ぞ?」
意外だったせいか、ドラゴニルが眉を歪めながら俺の事を見ている。なんか変な反応をしただろうか。
「コーレイン侯爵。これでは先が思いやられそうだぞ」
「ははははっ、あくまでも学園の教育の一環だけに、領主まで来るとは思わなかったのだろう。あまり責めてやるな、ドラゴニル」
「むぅ、コーレイン侯爵がそう言うのなら、そういう事にしておいてやろう」
学園長に言われて、ドラゴニルは不満ながらにも納得したようだった。
「とりあえず伝えられる事はこれだけだ。本格的な魔物との戦闘が予想されるから、しっかりと備えておくのだぞ?」
「はい、分かりました」
話が終わるとドラゴニルは学園長室から出て行く。その際に俺の肩にポンと手を置いて、珍しく笑顔を見せていた。俺を気遣ってくれたのだろうか。
「まったく、昔っから不器用な男だな、ドラゴニルは」
ドラゴニルを見送った学園長がおかしそうに笑っている。そのくらいには珍しい姿だったのかもしれない。
近くでずっと見てきたが、我が強すぎて他人を気遣うという事が確かに少なかった。だからこそ、笑う学園長の気持ちが理解できた。
何とも言えない空気が漂う中、話が終わったという事で解散となったのだった。
何にしても明日からはいよいよ2年生の締めとなる野外実習が始まる。
目的地はフェイダン公爵領内にある俺の生まれ故郷の村だ。
まだ男だった頃の俺が16歳の時に、魔物の襲撃によって大打撃を受けた村。あの時の事は、いまだ持って俺は引きずっていた。そのくらいに忘れられない出来事なのである。
(もう、あの時のような悲劇は繰り返さない。絶対に村を守ってみせるんだ)
騎士の養成学園の野外実習に臨むにあたって、俺は心の中で強く決意を固めるのだった。