第134話 屋外訓練再開
翌朝、ようやく雨が上がっていた。
地面はぬかるんでいるものの、これでようやく外で活動できるというものだ。
「アリスお嬢様はこちらです」
外に出ようとする俺を、サウラがしっかりと捕まえてくる。
この日も俺は午前中は座学をさせられるのだ。なんでも今日は、ランドルフ領についての話らしい。
俺は一応肩書上はランドルフ男爵だからな。そのせいでフェイダン公爵夫人になったとしても、このランドルフ男爵領を統治しなければならないというわけだ。そのための勉強をやらされるのである。正直言って、元々がただの村人だった俺に、領地経営とかできると思っているのかよ……。
そもそも、10代で領地経営に携わった件は聞いた事がない。いや、俺が元平民だから知らないだけかも知れないが、少なくとも公爵令嬢になってからも聞いた覚えはない。
みんながぬかるんだ敷地で鍛錬している中で、俺は一人で勉強をさせられていた。ちくしょう、体が動かしたいぜ!
「よそ見はいけませんよ、アリスお嬢様」
「あたっ!」
サウラは本の背中で俺の頭を小突く。しかも角だったのでものすごく痛い。
不満な表情で頭を撫でつつ、サウラをじっと睨むように見る。しかし、サウラがこの程度の俺の睨みに動じるわけがなかった。
「ちゃんとお昼からは皆さんとの訓練が予定されていますから、今はしっかりと勉強に集中して下さい。あなたの立場はかなり複雑なんですからね」
サウラもどことなく不満げな表情を浮かべていた。
一体何に対しての不満なのだろうか。この時の俺に知るすべは何もなかった。
とにかく不機嫌を向けられては困るので、仕方なく勉強に集中する俺だった。
「ふわあ~、終わりました……」
朝の座学がようやく終わり、俺は思いきり背伸びをして解放感を味わう。
この日の勉強はずっと領地経営学で、今居るランドルフ領の特徴や名産、町や村の名前や位置などなどを叩き込まれた。その上で、領地を経営するにはうんたらかんたらとまるで呪文のようにいろんな言葉を聞かされたのだった。
はっきりいって、一介の村人だった俺には難しすぎた。今年で貴族生活が5年になるとはいっても難しかった。根っからの貴族とは下地が違い過ぎるもんな。
ようやく勉強から解放される安堵からほっとした表情をしてしまう。そして、少し体を伸ばそうとして椅子から降りたところで、扉が開いて思いもしない人物の登場に驚いた。
「サウラ、アリスへの教育はどうだ?」
ドラゴニルだった。
俺の事を伴侶とか吹聴しまわっているせいか、やたらと俺の事を気に掛けてくるドラゴニル。今日も領地をそっちのけでランドルフ領に居座っているのだ。いくら部下優秀だからといっても、一体いつまでここに居るつもりなのだろうか。
「ひと通り、領地経営についてはお教え致しました。ですが、さすがに1日で詰め込むには厳しかったかと存じます」
「ふむ、そうか」
ドラゴニルはそうとだけ言うと、ずかずかと俺の方へと近付いてきた。
「さあ、お昼にしようではないか。午後はブレアとニールも交えて、我が直に指導してくれようぞ」
「やめて下さい。また先日のように大雨を降らせるおつもりですか!?」
さすがに俺はすぐにツッコミを入れてしまう。
「心配するな。我をそこいらの間抜けと同じにしてくれるなよ?」
だが、ドラゴニルは自信たっぷりに俺に言葉を返してくる。それ、本当に信じていいんだよな?
疑いの目を向ける俺に、ドラゴニルはニカッと笑ってそのまま部屋を出て行ってしまった。
あまりのできごとに、俺は呆然としながらサウラの顔を見る。すると、サウラは目を閉じて、首を左右に振っていた。……ダメなやつだ、これは。
思わず額に手を当てながらため息を吐いてしまう。もう諦めて、俺はサウラと一緒に食堂へと向かったのだった。
食事中はドラゴニルもすごくおとなしくしていた。ただ、食べ方が豪快だったがな。普段から身内だけの食事ではかなり豪快な食べ方をしているが、あれは多分さっきのやり取りを気にしている感じだった。
その中で俺は、令嬢らしく実にお淑やかに食事を済ませておいた。作法とかはもろに表に出て評価につながるからな。こっちはほぼ完璧なんだよ、勉強とは違ってな。
食事を終えると、今度は学園の制服に着替える。さすがにまだぬかるみの残る地面なので、ドレスで動くわけにはいかないからな。下手に汚すとサウラやレサからどんな事を言われるか分かったものじゃねえ。ただでさえ3日前にびしょ濡れにしただけでも怒られたんだからな……。
大きくため息ひとつを吐いて、俺は外へと出て行く。
カッと日の光が照り付けて、かなり眩しい。
対照的に地面は、歩くとぬちゃぬちゃという音を立てている。雨で相当緩み切っているようだ。
足を取られないようにしながら気を付けて歩く俺の目の前に、よく知った顔の二人が立っていた。
「ようやく出てきましたわね、アリスさん」
「まったく、一人だけ室内とは羨ましいな」
ブレアとニールだった。
「そうは申しましても、サウラさんに延々と勉強を教わる身にもなってもらいたいものです。領地経営とかよく分かりませんわよ」
俺が手を上げながら呆れたように言うと、二人もなんとなく事情を察したようだった。
「おう、揃っているな」
俺たちがろくに言葉を交わさないうちに、ドラゴニルが出てきてしまった。
まったく、このメンバーが揃って今までにろくな事があっただろうか。今回もなんだか嫌な予感が走る俺だった。