第125話 2年目の前期野外実習
ニールに完敗したのが悔しかったのか、野外実習が行われる日まで、ブレアは一人で自主練習に励んでいた。普段は俺たちと一緒にしているというのに、この時ばかりはすべてを断って一人でひたすら剣を振るっていたのだ。相当なショックだったようだな。
だけど、あのニールに対して悔しい思いをしているのはブレアだけじゃない。俺だってそうだし、セリスたちだって相当に信じられない顔をしていた。
そのくらいには、ニールの実力は同年代としては並外れたものとなっていたんだ。いくらドラゴンの血を引く一族でも、あそこまでの力を発揮する事はないらしい。それこそ、ニールを鍛え上げたドラゴニルくらいしか記憶にないと言われてもおかしくない話なのだ。
とはいえ、ブレアの気持ちは分からなくはないので、俺たちは相談してそっとしておく事にしておいた。
それから数日して、今年も夏の野外実習の日がやって来た。今回は去年の湖とは違う場所に出向くらしい。一体どこに行くというのだろうな。
さすがに騎士の養成学園という事で、遠征装備も本格的だ。フリードたち教官の話によれば、実際の騎士の行軍と大差ないものなんだそうだ。かなり重いもんだな……。
それにしても、去年の経験がある俺たちならまだしも、今年入りたての1年連中まで同じ内容とはな……。貴族の坊ちゃんたちには厳しすぎるんじゃねえのか?
俺の心配は実際に起こってしまったのだが、移動中に帰ろうとしようものなら一人で帰らされることになる。剣の腕も未熟な状態の貴族が一人で帰れるわけもなく、やむなく実習に残るという選択を取るしかなかった。結局渋々同行となった学生からは、ひたすら恨み節のような言葉が漏れ続けていた。
徒歩3日ほどを掛けてやって来たのは、なんと俺に所有権が回されたランドルフ子爵領改め、ランドルフ男爵領だった。
という事は、ここには当然のようにあの男が居るわけである。
「がーはっはっはっはっ、よく来たな」
……出たよ、ドラゴニル。
相変わらずうるさくてでかい笑い声だ。おかげで遠くにいてもよく分かるぜ。
「ドラゴニル、うるさすぎるんだよ」
文句を言うのはジークだ。さすがに同時期に騎士団に所属したとあってか、ずいぶんと砕けた言い方をしている。
「王都の中じゃねえから、騎士団の頃みたいに話させてもらうぞ。構わねえな?」
「ふん、我はそんな些細な事にはこだわらぬ。好きにするとよいぞ」
さすがドラゴニルだな。寛容というか適当というか、うん……。
「ドラゴニル公爵、こたびの野外実習のために場所を提供して頂いた事はありがたく存じます」
「なに、ここは我の領地ではなく、そこのアリスの領地だ。アリスが幼いがために、今は我が代わりに管理をしてはいるがな。お礼なら我に管理を任せてくれたアリスに言うのだな」
びしっと言い切るドラゴニルである。だが、フリードは俺に頭を下げる事を渋っているようだ。
俺の身分は公爵令嬢で男爵の爵位を持つが、元々はしがない村人だからな。そりゃ、生粋の貴族たるフリードが頭を下げたがらないってもんだぜ。
領地内を移動していると、旧ランドルフ邸の周りにはたくさんの小屋が建っていた。どうやらここが今回の野外実習の中心地になるようだ。何棟も建っているところを見ると、ずいぶんと前からこの話は進んでいたようだ。まったく、知らない間にいろいろやってくれてるもんだな……。
「アリス、お前はこっちだ」
実習の中心地にやって来ると同時に、俺はドラゴニルに拉致られてしまった。
「ちょっと、アリスさん。ドラゴニル様、一体何をするおつもりで?!」
「なに、野外実習には影響させぬよ。ただ、こいつには他にもやってもらわねばならん事があるからな。フリードたちにも話はつけてあるし、期間中は借りていくぞ」
「ちょっと、ちょっとお父様?!」
俺もブレアも訳が分からないうちに、ドラゴニルに引きずられて俺は屋敷の中に連れて行かれてしまった。一体何のつもりだよ!
ブレアたちから引き離され、屋敷の中に連れ込まれた俺は、領主の執務室へと連れてこられた。
一体何が始まるのだろうかと身構えていると、家令のドレイクがやって来た。久しぶりに見たな。
「旦那様、お持ちしました」
「うむ、わざわざすまんな。そこに置いておいてくれ」
「はっ」
ドレイクは大量の本を置いていくと、そのまま部屋を出て行った。
「ここに来てもらったのは他でもない。アリスには公爵夫人、そして、領主としての仕事を覚えてもらおうと思ったのだ。ランドルフの奴が暴れたせいで、ちょうどここが空席になったのは好都合だったぞ」
「はあっ?!」
突然の発言に、俺は顔を歪ませてドラゴニルに抗議する。
「よさぬか。可愛い顔が台無しだぞ」
「……」
思わぬドラゴニルからの言葉で、俺は思わず黙り込んでしまった。そんな言葉を言うんじゃねえよ……。
それにしても、可愛いとか言われて照れるとか、俺は本格的に女になっちまったなと自覚させられてしまう。
複雑な胸中ではあるが、ドラゴニルからの容赦ない教育が今まさに始まろうとしていたのだった。はたして俺は耐えきれるのだろうか。不安たっぷりの野外実習が始まりを告げたのだった。