悪役令嬢ヨル・ソマリア被害者の会
「俺はッ! 悔しい!!」
第二王子が叫ぶと、うんうん、マジ悔しいと円卓を囲んだ面々が頷いた。
その顔ぶれは貴族から平民、人間から竜族まで多種多様な、しかし顔立ちが整っているただ一点に置いて共通した男性たちだった。彼らはこの集まりを代表する弁論家だ。
ひしめくはステージの円卓から講堂の外まで、どこを見渡しても人、人、人。皆が王子の言葉に耳を傾けていた。その熱気の凄まじいこと。
今日ここに集まった1000人の老若男女は、公爵令嬢ヨル・ソマリアよる心理的被害を受けた者たちだった。
最前列では彼女の元侍女が涙を流し、2階の観覧席では隣国の姫が手すりを握りしめた。講堂の外では犬が高らかに鳴き、シャンデリアの傍で数多の精霊がくるくると回った。窓枠にぶら下がった孤児が野次を飛ばせば、町の大工も肩を組んで、パン屋の腕に抱かれた赤子も一緒に泣いた。
「ヨル・ソマリアに報いを! 俺たちが受けた分と相応の報いを!」
「ヨル・ソマリアを連れ戻せ! ヨル・ソマリアを決して放すな!」
「ヨル・ソマリアを逃がしてはいけない! 地の果てまで追いかけろ!」
誰も悲観にくれていた。
今この場に彼女がいないこと。これだけの人が集まったことを、よりにもよって彼女に見せられないこと。自分たちはこのまま泣き寝入りするしかないのかということに涙していた。
「ヨル・ソマリアに、どうか報いを!」
女神に祝福されたかのような晴天の下、興奮は伝播して最高潮に達する。声が重なり、熱が上がる。女神の腕に抱かれているような、妙な正義感に裏打ちされた興奮は留まることを知らない。
彼女からの被害は甚大なものであった。それこそ国が立ち行かなくなるくらいに。国中の人間をすべて惑わした彼女は、まさに傾国だった。
王子は魔道拡声器を熱く握る。机に拳を打ち付け、我が身の切実たる思いを滔滔と語った。
それはさながら未成年の主張。
「俺がヨル・ソマリアと出会ったのはッー! 9歳の、ティーパーティーでのことだったッー!」
「おおおおおおおおおお!」
「彼女が出会い頭に言った一言を今でも、覚えているゥー!」
「なーにィ!」
「スゥ······『ヘタレわんこ、第二王子弟属性キタコレ』ェエー!!」
「おおおおおおおおおおおおおお!」
いいぞいいぞ、と会場中から拍手が飛び交い、円卓の面々は「そんなこともあったよな」「懐かしい」「あの女は変わらんな」「えっお前もあんな感じだったの?」と、少し誇らしげに鼻の下を擦っている。
いやはや全く、流石暴虐令嬢ヨル・ソマリア。おもしれー女だぜ。
王子が目頭を押さえる動作をした。
「······本来なら俺たちはッー! 今も!! まだ!! 婚約者である筈だったッー!」
「おおおおおおおおおお!」
王子は泣いている。
この後に続く言葉を、国中のみんなが知っている。
「婚約破棄、されてしまったァー!!!!!」
「おおおおおおおおおおおおおお! おおおおおおおおおお!」
「どうしよぉーーーーーーーーー!」
「おおおおおおおおおおおおおお!」
みんな知っていても、何度聞いても涙そそる話である。あの、ヨル・ソマリアから縁を切られた!?
最前列でべっしゃべしゃに泣いていたヨル・ソマリアの侍女は、よく今まで自死を選ばずにいれたとスタンディングオベーションで王子を称えた。
王子がドンドコ地団駄を踏めば、会場のみんなもドンドン、ドンドコと地団駄を踏んだ。1000人規模の奇妙な踊りだった。
「俺たちはッー! 悔しい!!」
「おおおお!」
「ヨル・ソマリアの紛失は、俺たちの命に関わるッ!」
「おおおお!」
「彼女がいなくなったおかげで、彼女名義の商会が暴落ッ! 彼女を慕っていた聖女が床に伏せッ! 我が国の優秀な外交官たる彼女の兄君が、家督を辞意ッ! 精霊王は、今後一切我々に力を貸さないことを宣言し、各地は異常気象に見舞われているッ!」
「おおおお!」
「彼女のガチ恋ファンであった我が国の王妃がッ『ヨルたんもいない国に尽くしたくない』とまで仰っている!」
「おおおおおおおおおおおおおお!」
ヨル・ソマリアに見放された民は実に不幸だ。
ヨル・ソマリアは天才だった。
奇特な知識、洗練された振る舞い、機転、度量、類稀なる精霊術の才能に、国の経済の中枢となるほどに研ぎ澄まされた商才。この国の科学をたった1人で100年先まで押し進めた功績者である。
そしてよく笑い、よく泣き、歌い踊る。銀髪の可憐な乙女は、何よりの『人に愛される才能』でこの国の全てを魅了した。
彼女の損失は、国の未来に関わる大事件である。
「何せッ! だって! 何といったって! 彼女がいないただそれだけで、俺らは何の為に労働しなくちゃいけないのか分からないし! 推しの為じゃない労働はマジクソだし!! 政務つまらんし! 稼いだ金を貢ぐ先がいないし、これはもう我々の実質的な死である!!」
「おおおおおおおおおお!」
主に、精神安定面での大事件である。
彼女がいないただそれだけで、国の行く末よりも、経済よりも学問より何よりも、まず精神安定面で多大な損失が生まれる。
「おーん!」
「おおおおおおおおおおーん! おおおおーん!!」
王子がワッと泣き崩れると、講堂全体が悲しみに包まれた。
最早葬式場である。
宰相の息子がゴン泣きし、学園の保険医が「労働マジクソ分かる」と瞳孔ガンギマリで笑い、竜族の長が「どうする? 処す? こんな世界ほろぼす?」とキョロキョロしている。
嗚咽でだめになった王子に代わり、花屋の少年がマイクを持って叫ぶ。
「俺はッー! 彼女に出会う前の自分を、ひとつも想像できないし、彼女がいないこれからの生活も、受け入れることはできないー!」
「おおおおおおおおおおおおおお!」
彼に続き、円卓に座っていた者が代わる代わる立ち上がった。
「スゥ······今ー! 私の見えない場所で、彼女が難なく息を吸って吐いてるのだと思うと、スゥ、俺は息をすることもままならないのにィー! 彼女はそうでもないと思うと、スゥ、気が狂いそうだッー!」
「おおおおおおおお!」
「ヨルがいないとメシマズだー! ごはんも5食しか喉を通らないし、夜は9時間しか寝れませーんッ!」
「おおおおおおおお!」
「僕だってッー! こんなことになるくらいなら! もっと手を繋いどけば良かったって思ってるぅ! 僕は彼女が言うほどツンデレじゃなーいッ!!!!!」
「おおおおおおおお!」
ヨル・ソマリアは暴虐な女だった。人の言葉を弄ぶだけ弄んで、老若男女、あまたの人間を惹き付けておいて、1人であっさり雲隠れした酷い女だ。
彼女による甚大な心理的被害を負った者が、今ここに、1000人以上いる。
王子がふらふらとマイクを握った。
「俺は······彼女が旅立つ直前に言った言葉を、覚えている······ッ!!」
「······」
全員が固唾を飲んで見守った。
王子はスゥっと息を吸い、勢いよく吐き捨てた。
「『だって、私、悪役令嬢なんだから、物語終了間際には退場しなきゃでしょ』だッー!!!!!!!」
「おおおおおおおおおおおおおお! おおおおおおおおおお!」
「こんなことってあるかッー!」
「おおおおおおおおおおおおおお! おおおおおおおおおお!」
「『私を愛してる人は、誰もいないでしょ』だとよォー!!!!!」
「おおおおおおおおおおおおおお!」
「おーん!!!」
それを言われた彼女の家族は卒倒し、彼女の侍女は5日ほど放心状態に陥った。
侍女は最前列で王子を称えながら、親御さん見てますか、あなた様の息子はこんなにも立派に育ちました······と王子の勇姿に感慨を抱いていた。
事の一連は既に噂やら新聞やらで出回っていたが、やはり何度聞いても酷い話だった。
彼女はあろうことか、国中の人間に慕われ、極上のイケメンを傍に侍らせていながら、自分は愛されていないと言ったのだ。
「おーん、おんおんおん!!!!」
たぶん、全米が泣いた。自分たちの愛が伝わっていないのが悲しくて。自分たちが貰ったこの幸せを、彼女に報いてやりたかったのに。
「俺はッー! 悔しいんだッー!」
「くやしーーい!」
王子に続いて声が上がる。
「俺たちはッー! 俺たちの愛を信じなかった、ヨル・ソマリアを許さない!」
「ゆるさなーーい!」
「彼女がどこに逃げようとも追い詰めてッー! 必ずや、彼女を溺愛とろとろ総愛されイケメン逆ハーレム漬けにすることをッー!」
「することをッーー?」
一瞬の静寂の後、会場が湧き上がった。
「誓いまーすッ!!!!!」
「おおおおおおおおおおおおおお! おおおおおおおおおお! おおおおおおおおおおおおおお! おおおおおおおおおお! おおおおおおおおおお!」
ヤべーことになった、とヨル・ソマリアは講堂を見下ろした。
事件現場に戻る犯人じゃないが、試しに自分が荒らした国に帰ってみれば、人の姿はどこにもなく、何やら王都の中心部で雄叫びが上がっているではないか。超怖い。
ぎゅうぎゅう詰めになった1000人が王子を中心に泣き狂い、終いには「ヨル・ソマリアが好んだ愛と勇気の歌!」などと叫んで、某餡パン英雄のテーマソングを聖歌が如く熱唱してくる。
ここが地獄か?
混雑で死人が出ないよう女神がこっそり見守ってはいるけど、ともすれば興奮で死人が出そうな、狂気ある光景だった。
(こりゃヤバい)
第二王子は『ヨル・ソマリア被害者の会』を称してカルト集団作ってるし、王様や第一王子は政務ほったらかして自分を追跡しているし、ここに集まっていない、特に冒険者の男共は各地に飛んでやはり自分を探している。
ヨル・ソマリアを匿ってくれている精霊たちは人間を嘲笑うかのようにくるくる踊っているし、女神は「人間おもろ!」「乙女ゲー悪役令嬢転生サイコーか?」と高みの見物を決めている。ツッコミ不在の危機。
ヨル・ソマリアは、丁度この国の聖女が、ヒロインにあるまじき形相で呪術にハマっていたのを見きたばかりだった。神殿の扉をそっ閉じしたばかりだったため、精霊のように嘲笑的にも、女神のように楽観的にもなれなかった。
何故こうも自分の周りの人間は気が狂ってしまうのか。
(かーえろ······)
冷や汗をたらたらに流して、ヨル・ソマリアはさっさと退散することに決めた。
精霊の力を借りて、光学迷彩で空を飛んでいる今、ヨル・ソマリアを邪魔する者なんて、どこにいるも筈がなく──。
──······ポン。
「どこ行くの? ヨル」
「あばばばばばばばばばばばば」
(いたッー!!!)
肩に置かれた手にヨル・ソマリアは恐怖した。
悪役令嬢の義理のお兄様、精霊の愛され子で、脅迫と支配に長けた狡猾シスコンストーカー「あばばばば」気が付けば背後で包丁持って立っているタイプの「あばばばばばばば」一途粘着質ヤンデレである。
「静かにして」
「ひぃ!」
彼は「他の男と共有なんて無理」と言い、ヨル・ソマリアを拉致監禁。精霊の森で2人は死ぬまで仲良くハッピーに暮らしましたとさ。
「ひぃ!」
終
制作・著作
━━━━━
㋬㋖㋕