第二話「新米大天使の苦労」
前回までのあらすじ
天使に加担した罪で処刑されたハデルの父。幼くして最愛の者を亡くした彼女は、しかし、その罪状を信じられずにいた。
「私がここに来たのは、父さんの“真実”を知るため」
戦場の前線でそう決意するハデルの前に、一人の天使が立ちはだかる。
その天使もまた、ここに来るまでの道中、とある覚悟を誓っていた。
木材の焦げる臭いが異様に鼻についた。
赤黒い炎は、月明かりを飲み込む勢いで夜空高く昇る。風に靡くカーテンのようにゆらゆらと焔が揺れる度、少女の琥珀色の瞳もまた震えていた。
熱が、衝撃が、辛うじて少女の意識を保たせている。
どうして、どうして、どうして……
もうかなり長い間、焼き崩れていく一軒の家屋を前に、少女はそこに佇んでいた。
背後の雑木林が、火の手を恐れてやけにざわめいている。
足元には籠が転がり、木の実が周囲に散乱していた。おそらく、木の実狩りに夢中になり、気付いたら日が沈んでしまったのだろう。時折、乱れた呼吸が聞こえてくるのは、この森の中を駆け抜けてきた証だ。
そして、夢であれと何度も渇望する、帰る場所の成れ果てていく光景への無意味な抵抗だった。
どうして……?
******
「どうして、いい匂いはするの?」
テーブルに並ぶ豪勢な料理を挟んで、少女はブロンドの長髪を傾げて母親に尋ねた。
愛娘の問いかけに、母親はエプロンを外しながら応える。
「それはね、アルのために美味しくなあれ、美味しくなあれ。って思いながら作るからよ」
「私は美味しいの?」
くすりと笑う母親の目を盗んで、料理に伸びた幼子特有の膨らみのある手が叩かれる。
「ママね、アルとパパのために料理を作ろうとすると、美味しく作ってあげなきゃって思うの」
「私のおかげ?」
なぜそこで自分の名前が出たのか理解できず、少女は真っ直ぐな瞳で見つめ返した。
「ええ、いつもママの料理を美味しくしてくれてありがとう」
突然の感謝の言葉に、少女はまるで自分が偉い人になったように錯覚した。誇らしく、満更でもなさそうに頬を赤らめる。
そこで、ふとあることに気が付いた。
「でも、パパが作るご飯あんまりおいしくない……」
そう言うと、母親の隣で、食器の用意をしていた父親の肩が大きく跳ねた。
振り返れば、これまで父親の手料理からいい香りを嗅いだことがない。いい匂いがする日もあるが、味について思い出せば、どれも眉を捻るものばかりだった。
母親の仮説が正しければ、それは自分を想っていないことだと、少女は胸の辺りが重くなるのを感じた。
「そうね~、パパはお料理が下手だからね~」
「……パパは、アルのこときらいなの?」
潤んだ瞳で問えば、父親は食器をテーブルに並べながら優しい声で告げた。
「大好きだよ、もちろん。パパは、料理じゃなくてお仕事してるから、それでママもアルも美味しいものが食べられるんだぞ」
「あら、誰のおかげで美味しいものが食べられてるですって?」
「ママとパパがいるから!」
つまり二人がいることで、自分はお腹いっぱいに美味しいものが食べられるのだと、そういう結論に至った。
自信満々に応える少女を、両親は微笑ましく笑い合った。
そして、いつも通り三人揃っての晩餐に、舌鼓を打って席に付く。
それが少女にとって当たり前の日々であり、幸せだった。
******
視界全土に赤とオレンジ。
これほどまでに巨大な火を、少女は見たことがなかった。
火とは、寒さから自分達を退けてくれるものであり、母親の料理を手助けしてくれるもので。常に少女の家庭を、裕福にしてくれるものだと信じて疑わなかった。
黒煙は凄まじい唸りを立てて、着実に少女の家を蝕んでいく。
もう一歩、先に進めば溶けてしまいそうな熱に、助けを求めることも、声を上げることも、恐怖に支配されておぼつかない。
私の家。
私と、ママとパパの家。私の、ママとパパ………。
これが罰だとするならば、原因はなんなのか?
帰りが遅くなってしまったからか。怒られることよりも、自分の成果を褒めてもらいたいという欲か。それとも………。
心当たりを片っ端から思い浮かべては、心の中で謝罪する。だが、今さら後悔に頭を下げても後の祭りだった。
「どうして」
見上げた先の変わらぬ惨劇が、霞みがかった少女の瞳に焼きついていく。
どうして、どうして、どうして……
朱く染まる空の下、少女の切羽詰まった問いだけが孤影していた。
…………。
答えてくれるものは、しかし、誰もいなかった。
「どうして、殺そうとするの?」
いかないで、と伸ばす幼子の手をすり抜けて、二つの命が事切れた。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
次回も読んでくれたら幸いです。