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腥風が砂塵を掬い、ハデル達のすぐ近くを横切った。
自身の靡く長髪には目もくれず、じっと四人の天使達を見つめる。
相手の表情が僅かに認識できる距離間。彼等もまた、前方の魔族二人から目を離そうとはしなかった。
「…………」
緊迫とした空気が立ち込める中、ハデルの横でクスクスと笑いを堪えるザクロの声が響く。
この状況を唯一、楽しんでいるのは彼だけだろう。
なぜなら、彼等こそが、ザクロが望んでいた相手であり、ハデルが最も接触を恐れた存在。『天使』であった。
天使達の背中に生えた翼は美しく神秘的で、ハデルは敵であることも忘れ目を奪われた。それでも彼女の理性を保たせていたのは、その手に握られた物騒な武器の数々である。
こちらに構えられた剣や弓などの凶器が、互いの関係性を表していた。
憧れは手の届かぬものと知ると、ハデルはなんとかこの場から切り抜ける方法を模索することにした。
しかし、いくら周囲を見渡せど、一面は木々一つない岩肌の更地。加えて、隣で昂っている同胞に、身を隠すよう説得させる術も思い浮かびはしなかった。
「……(ほんと、最悪……)」
完全に行き詰った現状に、ハデルは深い溜息を漏らした。
双方が出方を窺う中、天使の方から第一声が上がった。
「今回の攻防戦は終了しました。
早急にお帰り頂ければ、これ以上、こちらから危害を加えるつもりはありません」
ここからの打開策を考えていたハデルにとって、その天使の提案は耳を疑うものだった。
声を掛けてきたのは、ハデルから見て左手側。書物を片手に、眼鏡をかけたローブ姿の少年だった。
「見たとろこ、お二方は悪魔とお見受けします。違いますか?」
ローブの隙間から分厚い書物をちらつかせて、少年は探るようにハデル達に問いかける。
「……違うと言ったら、どうするつもり? 私達を見逃してくれたりするのかしら」
「そうですね……、その解釈で合っています」
少年はそう答えると、書物をローブの中に落とし込んだ。まるで敵意はないとでもいうように、その後、頭を軽く下げると次のように付け加えた。
「先程のこちらの無礼については謝罪させてください。悪魔は好戦的だと教わったもので、彼は僕たちを守ろうとして先陣を切ったんです」
少年の語る「彼」とは、ハデル達に最初の攻撃を仕掛けてきた鎧の天使ことである。
謝罪する少年の態度とは裏腹に、鎧の天使を含め、右手側に立つ少女二人には同様の態度は感じられなかった。寧ろ、視線は攻撃的なもので、仲間内での温度差にハデルは違和感を覚えつつあった。
「僕たちは何も見なかった。今回の攻防戦は、悪魔と接触もすることなく終了した。いかがですか?」
そこまで言うと、少年は口を閉じ相手の返答を待った。
「………」
とはいえ、ハデル自身も戦闘を避けたいことに違いはなかった。
違和感を感じつつも、埒が明かないと思ったハデルは少年の案に乗ることにした。
考えがまとまり、敵の交渉に乗る旨を伝えようとハデルは一歩前に出る。
「わかったわ。それで、い、い……?」
言い終わるよりも先に、ハデルと少年の間にザクロが立ち塞がった。
交渉人の少年が眉を顰める中、ハデルは完全に彼の存在を失念していた。
「いやいやあ、そういうことでしたか。天使様ってのはとても仲間想いなんですね。ご忠告丁寧にありがとうございます」
彼はそこまで言うと、今度はハデルを指差して続けた。
「すみませんねえ。彼女、とてもシャイっつーか照れ屋さん? 緊張してるとどうも」
「あんたは黙ってて……」
湧き上がる憤りを最小限に抑えた声量で詰め寄ると、、ザクロはこちらに人差し指を立ててきた。
「まあまあ」
『ここは俺に任せろ』とでも言いたそうに、彼は決め顔で訴えてきた。
「………」
ハデルが口を閉じるのを確認すると、スイッチが入ったように天使達の方へ向き直る。
「ええーっと、……なにが言いたいかといいますとね。俺ら、別に皆さんとやり合うために来たんじゃないんですよ」
嘘だ。反射的にハデルは脳内で意義を唱えた。彼の目的が天使との遭遇、元い戦闘であることは確信している。こうして二人の間に立ち塞がったのも、提案に反対するつもりで出てきたと思ったが。
何を考えている? 男の考えが読めず、ハデルは例えようのない不安に駆られていた。
「実はここだけの話。俺達、デートのつもりで来たんですよ……」
辺りが静寂に包み込まれる中、
「………………は?」
と、ハデルから素っ頓狂な声が漏れた。
おそらく、その場にいた全員の緊張が散漫になっただろう。
神妙な面持ちだった天使達も、これには口をあんぐりと開けて呆気に取られていた。
「魔界じゃあ中々、二人っきりで静かになれるところがなくてねえ。
攻防戦が終わった後だし、ここなら存分にハネムーンを満喫出来ると思ったんだけどなー。まさか、よりにもよって天使様に見つかってしまうとは……!」
周りに漂う微妙な空気など気にもせず、ザクロは顔に片手を添えて嘆くふりをする。
すると、呆れている三人の天使の一番右で、ただ一人、彼に同情の視線を送る少女がいた。
「……そ、そうだったんですか? これは大変失礼を……」
勇気を出して発したであろうその言葉は、すぐに「いや違うでしょ?!」とその隣に立つ長髪の少女に否定された。
やはり、ザクロの発言が嘘であることは、彼等も瞬時に察していたらしい。
痛恨だったのはこのやり取りで、提案を持ちかけてきた少年の表情に疑いの色が滲み出てしまったことだ。
そして、気の抜けた短髪の少女の発言を叱った後、長髪の少女がハデルを見た。
「……仮にそうだとして、彼女さんは乗り気じゃなさそうに見えますけど?」
すぐにザクロがハデルに顔を向けてきた。
どうやら、この魔族はまだ自分の嘘がバレていないと思い込んでいるらしい。
男を見るハデルの表情は、これ以上ないほど呆れ、軽蔑を含んだ視線を注いでいた。
ハデルを見つめた後、再び顔を元に戻した彼は肩をがっくりと落とした。
「なんだよ、ったく……」
残念そうに吐き捨てると、落とした肩を上げてゆっくりと顔を天使達に向けた。
「せっかく、後ろから一匹くらい刺してやろうと思ったのによお?」
そこには、魔獣の死体を見て喜んでいたときのザクロがいた。
落ち込んでいた男の口からは考えられない告白に、天使達の本能が警報を鳴らす。
「”早急にお帰り頂ければ、こちらから危害を加えるつもりはありません。”だ?
冗談じゃねえ。俺は大反対だぜ」
苛立ちの含んだ彼の本心は、明らかにハデルも含まれていた。無意識に目を逸らしながら、動向を見守った。
先程までの親しみ深さから一変。本性を現したザクロの態度には、交渉を持ちかけた少年も確信したことだろう。
「……交渉の余地は、ないということでしょうか?」
「ああ、その解釈で合ってます、よ。あんたらでもお遊びくらいにはなるだろ」
「っ……」
少年の顔が歪んだ。おそらく、彼もハデルと同様、戦闘は避けたい考えだったのだろう。
ついに、少年は何も言えなくなってしまった。
その様子を窺って、ザクロの機嫌がますます良くなる。
少年の様子に、二人の少女にも不安の色が濃くなった。ただ、一人を除いて。
戦闘を始めようと、ザクロが彼等に歩みを進める。すると、彼等の方からも、こちらに一歩踏み出す者がいた。
「もういいだろ、マーク。お前の作戦は失敗だそうだ……」
その片手には、ハデル達に奇襲をかけたあの大剣が握られていた。
天使の中でも、一際異彩を放つ鎧の天使である。
「ここからは、俺様の指示に従ってもらうぜ」
鎧の天使は大剣を片手で軽々と持ち上げると、ハデル達に狙いを定めた。
甲冑越しからでも分かる殺気と、自信に満ちた立ち振る舞い。このとき、ハデルは天使にもザクロのようなものがいるのだと感じた。ならば、そんな奴が易々と自分の力試しの相手を見逃すはずがない。
鎧の天使に翻弄されてか、眼鏡の少年も覚悟を決め、一度ローブに閉まった書物を取り出した。隣の少女達もそれぞれに弓と水晶が埋め込まれた杖を強く握り締める。
「ケヒっ、いいねえ……。嬲り甲斐がありそうだ」
「私、知らないからね」
一人、臨戦態勢に入るザクロをおいて、ハデル自身は戦闘に参加しない意志を伝えた。それを聞くと、ザクロはぬるりと顔だけを彼女に向けた。
「いいのか? 後でやっぱり、とか言うなよ」
「じゃあ、早く終わらせることね。私は気が短いわよ」
「ケっ、わかりましたよ。お姫様」
ハデルの嫌味の詰まった言葉を最後に、ザクロは天使達の方へ歩いて行った。
徐々に距離が遠くなっていくザクロの背中を眺めながら、ハデルは、再び父親との記憶の回想に精神を沈めるのだった。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
次回の更新は12月30日(金)を予定しております。