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アフターカタストロフ -リメイク版-  作者: 優
第一章 天魔境戦争 -前編-
16/17

-1-

 ハデルは一人、歩いてきた道を引き返していた。静か過ぎる帰路に、先程までの喧騒がまるで遠い過去のように感じる。

 思い返せば、鎧の天使を生かす代わりに自身を見逃してほしい。とは罷り通らないことを口にしたと、己の交渉術に自嘲した。

 それが成功したのも、あの大天使(アーク)が情に熱く、悪魔討伐よりも自身の部下を優先したお陰である。


『貴女たちの目的はなんだ? どうして戦争をする?』


『この戦いの後に、何を求めている?』


 ふと、彼女の言葉が脳裏をよぎった。

 この戦争のすべてを憎み、その元凶が魔族だと決めつけるような問いかけと眼差し。一度は抱いた僅かな感謝の念が、前言撤回と言わんばかりに怒りへ塗り替わる。

 率直に、ハデルは戦いに興味がない。

 側近との実践を交えた鍛錬の中でさえ、一度も胸の高鳴りを感じたことはなかった。

 だから、ザクロのような血の気の多い輩の考えが理解できない。そんな愚か者らの行いで、自身を含めた他の魔族の品性まで疑われるのだ。

 そして、今回のことでハデルはあることを危険視し始めていた。それは、彼と似た思想を持つものが天界側にもいるということである。

 腕試し、地位、願望、誇り、誓い……。己の私利私欲を満たすために、誰もが、誰かを悪役に仕立てている。


 お前達こそ、この戦争の先で何を求めている?


 その答えも、父親の真実と共に分かる日が来るのだろうか……。そう荒ぶる感情に整理をつけながら、今は乗り合わせた飛行魔獣を目指して歩き続ける。

 進む足音が、余計に聞こえたような気がするまで。

 殺意はない。それどころか、全くといって気配すらない。『音』だけが、一定の間隔で後ろからついてきているのだ。

 意を決し、後ろに振り返る。そこには、誰もいなかった。

 眼だけを動かし周囲を見回してみるも、これといって目に入るものもなし。代わりに、ハデルはこの場所全体に違和感を覚え始めた。


 ーー魔獣の死体が一つもない。


 思い返せば、ここはザクロと通った際に大量の魔獣の死骸があった場所である。それが、蟻地獄でも起きた後のように血液の一滴さえ目視できない。

 異質なものを垣間見ているようで、彼女は再び歩く速度に拍車をかけて進み出した。

 道を間違えたかとも考えたが、すぐに見覚えのある崖が前方に聳え立っていた。地面には、降りてきた際に崩れたであろう石屑が散見される。

 一刻も早くこの気味の悪さから抜け出したい。そんな一心から、ハデルはコートの背中の隙間から、大きな竜のような黒い翼を露わにした。

 一羽ばたきは力強く、ハデルの肉体は数秒で崖の頂上に到達する。

 地面に足がつくと、空気が軽くなったのを肌で感じた。

 左右の羽を丁寧に折り畳んでいくと、そっと自身の右翼に触れた。唯一、父親譲りの漆黒の翼。彼女にとってそれは、自分と最愛のものを繋ぐ形見の存在になっていた。


 ここまで来たわよ、父さん。


 一撫での後、視線を例の塔へと流す。まだ、あそこに辿り着けるビジョンはハデルにはない。だが、魔界から一歩も出られなかった幼少期を思えば、着実に近付いている。


 これでまた、貴方の真相に近くことができる……。


 あとは、このまま帰還することで任務は無事完了する。そして、次回から正式に戦争への参加が認められるのだ。


「あれえ、あれあれー? おっかしいわね。まだ本参加じゃない悪魔がいるんだけど、どういうことかしらあ?」


 出端をくじくほど高い声と共に、先程とは異なる足音が二つ。ハデルは自身を鼓舞することに夢中で、待ち構えていた二人の存在に気が付けなかった。

 前方から、向日葵色の髪を左右に黒い蔓で結んだ眼帯の少女。そして、その背後に側近らしい黒いローブを纏った女性が、ハデルに近付いて来る。

 少女の方は、少し大きめの蒼黒の軍服に袖を通し、右肩から前部にかけて複数の飾緒が吊るされている。可憐な容姿とは相反し、その証が彼女の高い地位を表していた。


「しかもっ、誰かと思えば、かの大魔王直属の配下『十柱(とばしら)』、兼統括の一人娘。ハデルお嬢様じゃあないかしら。……確か、まだ参戦してないって聞いてたんだけど」


 ツインテール少女の言い回しに、見るからにハデルの顔色にばつの悪さが浮かび上がる。


「ーーねえ、どうして()()()にいたのか。説明してくれない? この魔獣軍総指揮者ナツェッタ・フィン=スターニスに」


 少女の森よりも深い緑色の隻眼が、その顔が見たかったの、と確信のある怪しい笑みでハデルを捉えた。





 ナツェッタと名乗る少女の、推定年齢からは想像もつかない能弁な言葉遣い。加えて、目の前の遥か高見の相手にも物怖じしない態度には貴賓さえ感じられる。

 なぜそこまで大人びているのか、それは少女の肩幅よりも伸びた耳に隠されているのだろう。


「ことと次第によれば、上に報告しなくちゃいけない決まりなのよねえ。そうなればどうなるのか……」


 命令すら守れない奴は戦場にはいらない。そんな訴えを瞳に宿して。

 ナツェッタの口ぶりから、ハデルが背後の地に足を踏み入れていたことは把握されている。問題は、()()()()知られているかだ。

 ハデルは分かっていた。次の自身の発言が、今後の父親の手がかりに大きく左右してくることを。それだけはどうしても阻止しなければならない事柄である。そして、経験上、下手な嘘は逆効果になる。

 そんな彼女の立場を、相手もよく理解していた。

 だからこそ、ナツェッタの嗜虐的な笑みはさらに深みを増すのだった。


「あと十……、九、八、七ーー」


 考える隙を与えないためか、それとも気が短いのか。ナツェッタは愉快そうに数字を数え始めた。


「……六、五、四ーー」


 ハデルは心底うんざりしていた。自分はただ、死んだ父親の理由を知りたいだけなのに。こうも邪魔が入るものなのかと。愚痴の一つや二つは吐き出したいと、無意識に鋭い目つきでナツェッタを見つめていた。

 とはいえ、この程度の威圧で気後れする相手でもないことをハデルもよく知っている。


「……三、二、一」


 制限時間終了の合図が起きる矢先、ハデルは端的に証言した。


「ザクロがやらかした」


 嘘はついていない。あくまで私は無理やりあの場に連れていかれた、と。

 探るように互いの容姿を瞳に映しながら、両者ともに考えを曲げる気はないらしい。

 静かな攻防の末、突如、ナツェッタは笑い声を上げた。


「そう、やっぱりあの寄生虫イッたのね。……くふっ、あはははははっ! それってつまり、自分で喧嘩売っといて挙句に負けたってことでしょ? ぷふっ、いい気味、ざまあ……!」


 腹部を両手で押さえ、肩が小刻みに揺れる。明らかに、これまでの感情とは異なるものが渦を巻いていた。笑い転げそうになる自身の身体を抑えつけながら、喜びと蔑みの言葉を繰り返す。その光景が異様に映りながらも、ハデルはすぐに納得してしまった。

 ここは下層と比べれば安全地帯にいるものの、まだ戦地である。それでも少女が大声を上げていられるのは、二人の周辺に転がるすでに絶命した無数の天使の遺体が物語っていた。おそらく、返り討ちに合ったであろう。天使達の身体には刃物で切り付けられた傷から、まるで獣に食いちぎられたような痕跡が散見された。


「ーーははははははあ……っ……はああぁぁぁ…………、ーー言い訳はそれだけ?」


「ええ」


 惨状を見た見ないによっては、少女の言葉の重みがまるで異なって聞こえてくる。それに対して、ハデルは爽快なまでの肯定で答えた。ここで戸惑うようでは、それこそナツェッタの思う壺だ。

 彼女の態度で決心したのか、手入れの行き届いたツインテールを軽く払い、ナツェッタは判決を言い渡した。


「ーー合格。いいわ、このことは黙っといてあげる。アタシも、貴女の父親のことについては興味があるし……。貸し一つってことで、ね。ハデル」


 そこには、先程までの横暴な少女は消え、一人の盟友に目元を綻ばせる姿があった。その様子に、ハデルも薄っすらと笑みを浮かべた。

 こうなってしまえば、業務上の立場は関係ない。遮った道を譲りながら、隣り合わせで友人同士らしい小話を始めた。

 先程までのやり取りは両者にとって挨拶のようなものである。ハデルの父親の件を知っていることから、二人の間には心からの信頼関係があるのだろう。


「いつから見ていたの?」


「あの寄生虫が種も残らなそうになってたところから。……なにも、あんなリスク犯す必要なかったんじゃないの? あいつ相手なら、氷漬けにでもして引き返せばよかった。ほかの魔族に見られでもしたら、三日後の第四階層で行われる招集で不利よ。欲が出たわね」


 ナツェッタからの忠告に、ハデルは目を細めぐうの音も出ない様子だった。魔界に戻るまでが戦争への参加権限であると考えていた。だが、ナツェッタの存在があるように、無事帰還したとしても遠征上の規約に反する行動が見つかった際、それは失われる。それは少女のような地位のものからの報告だけ、とは限らず一般魔族も含まれている。嫉妬、妬み、悪ふざけ……。様々な感情を含んだ密告が通ったり、通らなかったり。

 もしかすれば、あの場を誰かに見られていたのでは……。と嫌な予感に苛まれていると、


「ところで、早速借りを返してほしいんだけど……」


 追い打ちをかけるように、ナツェッタが深刻な声色で告げた。苦渋な面立ちで少女を見下ろすと、目をきらきらと輝かせているではないか。


「あの大天使アーク、アタシがもらっていい? 再生持ちなんて、丁度壊れない玩具がほしかったのよねえ」


 今度は見た目通りの愛らしさで、おもちゃを強請る子供ように振る舞う。

 内容こそ嗚咽を催すものだが、当の本人は大天使アークを手にした瞬間を想像しうっとりとしている。 何を言い出すのかと思えばと、呆然とするハデルと、その間にそれまで黙っていたもう一人の側近の女性が割って入った。


「やめておいた方がよろしいかと。見たでしょう、『適合者』です」


 彼女の容姿を一言で表すならば、影だ。白黒の世界から出てきた住人のように、そこには女性の輪郭をした立体的なシルエットがあるだけ。唯一彼女を人型の形で留めてさせているのは、身に着けたローブのみ。頭部は涅色の大理石のような破片が中心にあるだけで、その周囲を常に黒い渦がゆらゆらと漂っている。落ち着いた声色がどこからしているのか、目線も鼻や耳などの器官も同様に見当たらない。

 そんな人物にも、ナツェッタは変わらず横柄な態度で接していた。それどころか、気分を害されたらしく不貞腐れた様子で唇を尖らせる。


「たかがトラウマ克服した力くらいでなに? 生半可な気持ちで精霊と契約なんかして。……ねえ、ハデル」


「あっちの事情は知らない」


「ふんっ、どいつもこいつも無頓着なんだから。……ところで、それってアタシの方が劣ってるって言いたいの? ヘマタイト」


 ナツェッタの隻眼が、今度は自身の側近に向けられる。その殺意にも似た視線は少女一人からだけではなく。奥地から、背後から横から頭上からと、ヘマタイトは複数の眼光を、四方八方から同時に注がれていた。

 表情の読めない彼女から、今の心境を読み取るのは至難の業だ。そんな状況下でも、ヘマタイトは常に落ち着きのある佇まいで言葉の真意を述べた。


「そうではありません。純粋に、相性が悪いと言っているのです。見るからに『炎の適合者』。さぞ、貴女が使役している魔獣達も嫌がることでしょう。それは、貴女御自身も分かっているはずだと、私は思っていたのですが……」


 誤解が解けたのか、ヘマタイトに向けられていた気配が一つだけになる。


「はっ、分かってるわよそんなこと。ただ、あの子達も生きてるの。生きるってことは食べること。玩具も食費もタダじゃないわ」


「好奇心旺盛なのはいいことですが、程々にしておかないといつか殺されますよ。その性根に」


「あんたこそ、護衛のくせにいつも一言余計なのよ。煙に変わるくらいなら、アタシのベビーちゃんの腹の足しになってよ」


 小競り合いを見せる両者に、ハデルはこれ以上付き合う理由はないと判断した。お咎めなしと分かれば、いつまでもここにいる意味がない。二人の間を無関心に通り過ぎると、我に返ったようにナツェッタに呼び止められる。


「ちょ、話はまだ終わってないわよハデルっ」


「ぜんぶ好きにして。私は帰る」


 静止の声を無視して、遺体の横を通り過ぎていく。その一体が、僅かに動いた。

 「悪魔が……」そう怒りをハデルに吐き捨てるが、気にも留めなかった。

 天使の潰された四肢では、身をよじることで精いっぱいだ。そんな瀕死のものを嬲る趣味はハデルにはない。鮮血に濡れた眼も、悪魔の行進を阻む力はなく、代わりに、もう一方の存在を呼び寄せた。


「あーら、まだ息のある天使がいたの」


 ナツェッタが仕留め損ねた獲物の前に立つ。すると、天使の態度は打って変わり苦悶の表情を露わにした。


「偵察部隊に派遣された時点で詰みだったわね。ここじゃ、応援が来ても到着する前にあなたは助からない。魔界への道を私たちの後を追って見つけようとしてるらしいけど。……ざーんねんだったわね! 悔しい? 子供の見た目だからって油断した? あんたらの先祖はこんなに甘くはなかったわよ……」


 愉悦に浸りながら、ナツェッタは眼帯の下が熱くなるのを感じる。

 少女の考えとは裏腹に、天使が言葉に詰まっているのは別の理由があった。


「な”、……な”んで、っ———!」


 喉に血を詰まらせながらも、掠れた声で必死に訴えようとする天使の眼にはナツェッタの長く伸びた耳が映っている。


「な”ん、で、っ……我々を裏切っ、た……っ。エルフとは、……協和協定を、結、ん”で——!」


 終始困惑する天使を、遥かに巨大な影が覆った。只ならぬ悪寒が天使の身を震わせ、辛うじて振り返れば、青白いたてがみを蓄えた狼の姿。

 その大きさは、先程まで前線を蹂躙していた魔獣とは比べ物にならないほどである。

 口元には大粒の涎を流し、地面に這いつくばる天使を地面ごと抉って丸のみにした。

 短い悲鳴の後、抵抗の末に抜け落ちた羽根が数枚ナツェッタに振ってくる。

 その一枚を拾い上げ、少女は思うところがあるように告白した。


「協和協定? そんなの知らないわね。……だってアタシ、ダークエルフだから」


 掬いあげた羽根から手を離すと地面にはらりと落ちる。それを恨みを込めて踏みつけ、捻り潰した。

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