-5-
「あ、あの、そろそろ引き返しませんか? 部隊から、結構離れてますし」
チサの不安そうな声に、一同は足を止めた。
荒野のど真ん中、気が付けばアル達がいた場所から随分と離れてしまっている。
チサに同意見というように、その前を歩いていたマークとミラが振り返った。
「それもそうですね。流石に、停戦したとはいえ気は抜けません」
実は、彼らはそれぞれの部隊の責任者が、アレスに呼び出された訳に検討がついていた。というのも、ここに来る途中。アレスが説明してくれたこともあるが、戦場での一連の流れは小天使時代の授業でも一通り学んでいた。
魔獣との抗戦の終わりが、その日の戦いの終わりを告げる。とある、一部を除いて。
「それで、何ですか相談って? 誰にも聞かれたくないというから、ここまで来てしまいしたけど」
マークはそう言うと、ここまで先導してきた人物へ顔を向き直した。
初めは、仲間たちのいる待機場所から抜け出すことに不本意だった。
だが、相談したいことがある。ここでは言えないから……。そう思い詰めた様子で告げるシオンに、彼らは重い腰を上げた。
幸いにも、簡単に抜け出すことができた。おそらく、彼らも今回の戦いが終わったこと察知し、気が緩んでいたのだろう。
ここまでして相談したいこととはなにか。三人の視線が、一斉にシオンの背中に集中する。それに答えるように、シオンはゆっくりと兜を下ろし素顔を露わにした。
「なあ、お前ら」
そうして振り向いた少年の表情は、なぜか強張っていた。
取り繕うような笑みの横で、僅かに頬が硬直している。彼の異様さを感じ始めたときには、もうすべてが遅かった。
「悪魔、見たくねえ?」
その単語に、全員の表情がみるみる凝結していく。
「あんた、もしかしてそれ目的で私達をここまで連れてきたんじゃないでしょうね?」
聞き間違いかと疑ったシオンの発言に、ミラの怒りが滲む声がすべてを物語る。
悪魔と遭遇するために、自分たちはここまで連れて来られたのだ。
シオンの強行に、一人、チサは理解が追い付かない様子だった。困り顔で彼らを交互に見る。
その斜め横で、マークが脇目も降らずにシオンの肩を掴んだ。
「悪魔を見つけたらすぐ逃げろと、アレスさんから言われたばかりだぞ。
……まさか、悪魔を、魔獣の一種かなんかだと考えているわけじゃないだろ?」
そう捲し立てると、マークはアレスから忠告された『悪魔と遭遇したら逃げろ』の本当の意味を語り出した。
「奴らが魔獣と違って、単独や少数で行動するのは、気性が荒すぎて団体行動に向かないからだ。それでも、悪魔が魔獣よりも危険視されているのは、単純に個体それぞれが強すぎるんです。悪魔の力量は外見じゃ判断できません。
得体がしれないから、我々は基本、五人一組で行動するんじゃないですか」
だが、マークが最も危険視しているのはそこではなかった。
「中でも、十柱の血族にでも遭遇したら……」
その単語に、シオンを含めその場の全員が身を震わす。
今から戻ればまだ、部隊から離れたことにも言い訳が立つ。そんな思いから、マークは彼の説得を試みた。
マークにとって、彼は同じく貴族の育ちの家系であり友人だ。ほかの二人とも、日が浅いとはいえ、一つのチームとして協力しそれなりの信頼関係は出来ているはずだ。だから、血迷った判断だと、身を引いてくれると思った。
だが、突き伏せようとするマークに、彼はあっけらかんとした態度で告げる。
「だからだよ」
「……はあぁ?」
仲間の命が危険に晒されても構わない、と言っているようなものだ。
今の友の考えを、理解できない。
思わず、彼の肩を掴む手が震える。その手を、シオンはゆっくり退かした。
「なあ、マーク。お前は見返したくねえのかよ。お前の実力を認めねえ家族にさ」
シオンからの問いかけに、マークは思わず押し黙る。
マークが戦場で見せた新約聖導書の完全詠唱。アレスでさえ驚くその技で、実際にマークは魔獣の群れを撃ち落としてみせた。
その事実が、彼の実力を驕らせた。
「それとこれとは……」
マークの声色に、明らかに迷いが見え始める。
お互いの境遇を知っているからこそ、シオンは何を言えば相手に刺さるかを理解していた。
すると、今度はシオンが彼の肩を強く掴み、真っ直ぐな瞳で心境を語る。
「オレ様は、お前と違って早く手柄を立てたいんだよ。そのために、どうすればいいか……」
マークを見つめる視線には、アルと通ずるものが感じられた。一度決めたら絶対に曲げない強い意志。
マークにだけは分かってしまった。その瞳の奥に、焦りが見え隠れしているのを。
「俺たちで悪魔を狩ればいいんだよ」
「……っ………」
危険な思想だと、素直に伝えるべきだ。しかし、マークにはそれができなかった。自身も胸の内で、それを望んでいる。
そのためにどう動くべきか。一番戦場で手っ取り早く手柄を立てるにはどうすればいいのか。
「ぼくは、………」
ミラは、頼みの綱のマークが釣られたことを察知する。俯くマークの隣で、次にシオンは彼女と目を合わせた。
「先に言っておくけど、絶対に行かせないわよ。私だけ帰っても、あの隊長、追いかけてきそうだもん」
ミラは杖を前に構えた。無理やりにでも連れて帰るつもりらしい。
男二人を睨みつけ、杖を握る手に力が入る。
臨戦態勢の彼女に、シオンはマークから手を離した。そして、武装をするわけでもなく、落ち着いた態度で彼女に歩み寄る。
「なあ、ミラ。お前も知りたくねえのかよ」
「なにも。私は早く帰って本が読みたいの」
チサを庇うように一歩後退りながらも、決してシオンから目を離さない。相手の出方を探っていると、その口から予想外のことが挙げられた。
「記憶を奪う悪魔に関する本なんて、どこにもないぜ」
普段、冷静沈着なミラの目が見る見る丸くなっていく。
「……何で、それを?」
彼女が動揺を隠せない内に、シオンは目の前まで近づいていた。
「思い出したくねえのか? 自分の記憶」
「……」
「………」
「…………。……っ、…………見るだけよ」
苦悩の末、ミラは杖を下ろす。命に関わることは百も承知である。だが、それ以上に、シオンの誘いは彼女を突き動かす理由を持っていた。
「……え、…………もしかして、続行って感じですか? ……ほんとに? え、ええ………??」
一人納得のいかないチサだったが、彼らを止めることも、一人で帰る勇気もなかった。
そうして歩き出し、彼らはついに遭遇する。
にやりと、シオンの口角が上がる。自身の私利私欲の達成対象を眼下に捉えて。
「いたぜ、悪魔だ」
少年の腕が吹き飛ぶまで、残り二十三分。
堅い地面を踏み鳴らし、アルは一人、荒野を駆けた。
どこだ? どこにいる……?!
シオン、マーク、ミラ、チサ。待機場所にいないことに勘付くと、アルは誰にも何も告げずに飛び出していた。
一刻も早く見つけなければと、自身でも驚くくらい慌てている。
今からでも、引き返してアレスさんに状況を伝えるべきか? そう脳裏を過るが、彼女もまた部隊が見えなくなるほど遠くまで来ていた。
ここはまだ戦場の中心部。
まだ魔獣の残党が残っているかもしれない。もしかすると、悪魔が……。
額と背筋に嫌な汗が滲む。護ると決めた対象が、目の届かないところに行ってしまったのだ。
数分前まで浮かれていた自分を殴ってやりたい。そんな自分の失態を挽回するように、アルは地面を一心不乱に踏み鳴らした。
間に合わなかったときのことが脳裏を過り、振り払うように唇を嚙み締める。
それでもチラついてしまう、最悪の展開。
ふと、礼拝堂で初めてシオン達と出会ったときのことが想起される。
『あんた、仲間殺しだろ?』
あの時の言葉が、未だに彼女の胸中に爪を立てていた。
そう問われた時、否定できなかった。
『仲間殺し』と呼ばれるようになった原因を、彼女は受け入れていたからだ。
私が殺したも同然なのだ。と、自身を罵倒するかの如く、耳元で雨音が聞こえ始める。
あの日の辛酸な記憶が、幻聴と共に甦った。
********
立派な大天使になる。
アスタから半ば強引に張られた勝負に、アルは初めこそ否定的だった。しかし、それからの少年との何気ない日々が、彼女自身を満更でもなくさせた。
そして、アルは大天使になった。称号として、四枚目の翼を背中に授かって。
喜びを分かち合おうと、隣に顔を向ける。だが、そこに彼の姿はなかった。
思えば、後悔ばかりの人生を歩んできた。
いつも目の前にあるのは、二つのみの選択肢で。私はその度に、外れの道を引いてきた。
あの日、木の実を取りに出なければ。
あの時、自分も炎の中に飛び込んでおけば。
あの日の違えた行動が、お前の夢を終わらせることもなかったのに……。
雨の音が徐々に大きくなり、記憶の深層部を浮き彫りにさせる。
事故だったというものもいる。でも、私が殺したのだ。私の誤った選択が。
あいつを殺したんだ。
大粒の雫が、大樹の隙間を縫って幼きアルの身体に降り注ぐ。
篠突く雨が降りしきる森林で、アスタは彼女の腕の中で冷たくなっていた。
まだ生きていると、必死で彼の体を抱き締め温めた。だが、それは今にも飛び出しそうなほど鼓動する、自身の心の臓の音であった。
大天使昇格最終試験での事故だった。アスタの亡骸は遺族の元へ送られ、逆上した親族にこう叫ばれた。
「『仲間殺し』」
彼女がそう呼ばれるようになった所以である。
********
「っ……!」
砂埃を立てて、アルは足を止めた。
視線の最奥に四人と、……二匹。
そこらかは考えるよりも、先に体が動いていた。
こちらに気付いた魔族の頭部を掴むと、アルは力任せに地面に叩きつける。
「のこり、一匹……」
私が、護るんだ……。
覚悟を決めた者の闘志は揺るぐことなく、もう一体の悪魔に立ち塞がった。
――そして、時は今に戻る。
彼女に襲いかかった無数の触手は、その身体を貫き、赤い鮮血を滴らせた。
その光景に、チサ達の顔色が見る見る青ざめていく。
我々を助けに来た存在が、目の前で串刺しになっているのだ。
悪魔と戦い勝利すること。
それが彼ら、天使達にとって一番の名誉である。それを強く意識していたのはマークだった。
しかし、魔族によって見るも無残な姿にされたアルを見て、名誉など名ばかりであると知った。
完全なる戦意の損失。今の彼らを支配しているのは、これからどうなるのかという恐怖だろう。
元々、悪魔を見つけ、シオンが上空から奇襲をかける手筈となっていた。それが失敗した時点。そもそも行動を起こすべきではなかった。その決断を、マークは最後まで下せなかった。
その結果が、今の惨状だ。
「…………」
だが、彼にはまだ不確かな曙光があった。じっと動かなくなったアルを見つめるマークの眼差しは、まだ生きていた。
全身を触手に射抜かれたアル。その背後で、けたたましい笑い声が上がると、勢いよく怒号が飛んだ。
「よくも、よくもヨくもよクもヨくモよくモォオオッッ……!!」
血走った目玉がぎょろぎょろと荒ぶり、怒りの度合いを表す。
それは、先程アルがザクロの顔を潰した際に飛び出た、彼の右目だった。付け加えるなら、それが彼の本体である。
「何十、何百っていう種に俺は今まで寄生してきた。そんな事を繰り返し続け、俺はやっと巡り合えたんだ。最高のカラダに」
とても気に入っていたのだろう。本体のザクロは、入れ物だった壊れた肉体を見て、どうしようもないほど憤慨した。
「ああアッッ! せっかク気に入ってたカラダだったのによォオ…! これでまた最初からやり直シダ!」
興奮を抑えきれない様子で、ザクロは彼女に刺した触手を一層深くねじ込ませる。
「まあいい、作戦変更だ。代わりにあんたのカラダを貰うことにするぜ。なあに、死にはしねえよ。俺が丁寧に扱ってやる。痛いのは一瞬さ。すぐにイかせてやるよ……」
そう告げ、ザクロがアルの体を乗っ取ろうとしたとき。一瞬、火花らしきものが走った。
刹那、彼の体を火炎が襲った。
「っっ?!!」
思わず、伸ばした触手を引っ込める。しかし、アルを刺していた箇所からも火柱が自身に伸びていた。
この程度ならと、渋々、アルと自分を繋げていた触手を切り離す。
ザクロは内心焦っていた。なぜなら、彼の真の体にとって火は天敵なのだ。
「チッ!」
なぜいきなり炎が? という疑問もあったが、それ以上に彼女から距離を取るのことが先だった。
その様子を、ハデルのセレストブルーの瞳が捉えていた。
状況からしても、炎の発生原因はあの大天使によるものだろう。
静かにハデルは、守られるように炎に包まれる大天使について考察していく。
やがて、大天使に突き刺さったままの触手がぼろぼろと燃え尽き始める。それでも致命傷は免れないと思った矢先。無数にあった傷跡がすべて塞がっていく光景に驚愕した。
こいつ、まさか———!
アルの拘束が解け、体に自由が戻る。
くるりとザクロに方向転換すると、距離を取ろうとする触手に両手を伸ばした。
がしっと捕らえると、彼の頭を潰した時よりも強く力を込める。
そこからは一瞬だった。発火した炎は一気にザクロの本体を火だるまにした。
「ギヤ"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"……!!!」
ザクロの断末魔が、アザレスに響き渡った。
そんな中、アルは初めてアスタの墓参りに行った時のことを思い出していた。
埋葬された彼の墓の前で、大天使になったアルは一人佇んでいた。
本当ならば、彼がここにいるはずだったのに。
悔やんでも悔やみきれない彼女の頬を、大粒の涙が伝う。こんな姿、見せたくないと、零れないように何度も手で拭う。
『…ごめん。ごめんね………っ……。………私が弱かったからっ……、まもれなかった。
もっと、……もっと強くなるから……っ。そしたら、っ……みんな、護れるかな?
護るから……。もう、失わないで、済むよね?
私は、もうーー』
亡き友との誓いが、今の彼女の在り方を作り上げた。
そして、この瞬間こそが、その誓いを果たすとき。
「死、か……。死ねるなら、死んで詫びたいさ。でも……」
触手から手を離すと、そこからザクロの身体が崩れていく。
「死ねないんだよ、この体は」
魔族と比べれば、天使の肉体は脆い。
それを憐れんだ彼らの創造主である神は、女神に力を貸すようにお願いをした。その結果、天使達には生まれながらに一人、一人の女神の加護が備わって生まれてくるようになった。
毒や幻覚などを受けない加護、仲間を勝利へ導く加護……。様々な女神が手を貸し、その効力は女神の数だけ存在する。
「この加護が、私をいつまでも死なせてくれない」
そんな中、アルに宿った加護は。
「ヴィーナスの加護」
ぼそりと、マークが呟いた。
その加護の能力は、異常なまでの再生能力。四肢が無くなろうと、頭を吹き飛ばされようと、心臓を潰されようとも。数分後には、何事もなかったように生き返ってしまう。
はじめてこの加護が観測されたとき、あまりの異様さに同族でさえ嫌悪感を抱くものも少なくはなかった。
最も、疎まれた加護である。
「さあ、これで」
魔族を糧に、勢いよく燃え盛る炎を宿して、アルはハデルにもう一度同じ言葉を投げかけた。
「残り一匹だ」
もう二度と、零してなるものか。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
第二話、これにて完です。
続きも楽しみに待って頂けましたら幸いです。