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アルを見送り、カイトは来た道を戻っていた。少し広くなった回廊に寂寥としつつ、その表情は満足気だった。
そんな彼の行く先に、恰幅の良い白髪の年配男性が一人、立っていた。カイトは一度立ち止まると、老人に軽く会釈をし感謝の想いを伝える。
「ありがとうございました。彼女の見送りを交代させてもらって」
そう告げると、老人は整った顎髭をいじりながら応えた。
「いや、いいんだよ。誰でも我が子の晴れ舞台は見たいものだ」
「そう言って頂けると、私も提案してよかったと思います。でもまさか、タルシェさんのお孫さんとご一緒になるとは思わなかったもので」
カイトが敬意を払うのは至極当然のことだった。
タルシェと呼ばれた人物は、カイトと同じ四大天使である以前に、力天使というもう一つの顔を持っていた。
四大天使が大天使の統括者だとすれば、力天使は戦いにて大天使基、上位互換階級の天使達の統括者に値する。
「別に、わしが案内役だったとしても、釘を刺すつもりも毛頭なかったから安心せい。
四大天使に志願したのも、若い子達の成長が見たかっただけじゃ」
タルシェはにかっと笑うと、カイトの隣に立ち共に歩き出した。
「確かに、彼女をよく思わない者も少数とは言えないだろう。小天使の頃は、よく同級生と流血沙汰の騒ぎを起こしていたとか」
「……擁護する言葉も見つかりません」
カイトは、ただ一言静かにそう告げた。タルシェが、アルが過去に犯した問題行為をどれくらい把握しているかは知らないが、思い返すだけでもカイトの肩身はどんどん狭くなる一方だった。
「いやいや、実を言うとそのことはあまり気にしていない。心配しているのは、こちらの身内の方よ。
あの子は父親に似て、少し気が強いところがある。寧ろ、君のところの子が少し気がかりだ」
血縁者の話になると、タルシェの顔が神妙になる。アルが隊長を務める隊に彼の血縁者がいるらしく、その者が彼女に危害を加えないかと気にしているのだ。
どうしたものか、と考え込む一人の親に、カイトは至って冷静に応えた。
「それなら、心配には及びませんよ」
平然と言ってのけるカイトに、タルシェは目を丸くした。その視線を横目に、彼は過去に思い耽るのだった。
*****
一方。
飛び込んだ扉の先は、眩い光に包み込まれていた。
終わりの見えない真っ白な空間には、道標さえ見当たらない。加えて、この部屋に入ってからというもの、アルの体を謎の浮遊感が支配していた。まるで、部屋ではなく、自分自身がどこか別の場所へ移動している。そんな空気を掴むような感覚である。
戸惑いの中、空間はさらに明るさを増していく。やがて、アルは耐え切れずに目を閉じた。
瞼越しでも刺さる光に、漸く陰が落ちた頃。
アルは、両足が地面の上に接触していることに気が付いた。このときほど、重力が心地よく自身の生を実感させてくれるときはない。
ほっと胸を撫で下ろしながら、ゆっくりと瞼を開いた。
「ここは……」
アルが辿り着いた場所は、小さな礼拝堂だった。
背後には、カイトが開けた扉と、同じタイプの扉が閉じた状態で立っていた。
その手前で、アルは礼拝堂の全体を見渡した。石造りの内装はとてもシンプルで、部屋には奥に祭壇とステンドグラスがあるのみだった。
ここはもう祈りの場には使われていないのかもしれない。
彼女がそう感じたのは、祈るための席が一つもなかったからである。祭壇から出口までの椅子は全て撤去され、目を凝らせば埃の屑が舞うのが見えた。
こんな閉鎖的な空間の中では、これから戦場へ向かう戦士の祈りも、己が崇拝する方へは届かないだろう。
閑散とした雰囲気に寂しさを漂わせ、アルは祭壇の前の段差に座り込むオレンジ髪の少年に目が止まった。そして、その者を囲むようにして同年代くらいの少年と二人の少女が立っている。
彼らがエンジェルだと、アルは直感的に察した。
「………」
計四人の少年少女の視線が、一斉にアルに注がれている。
警戒、緊張、疑念。そんな感情を含んだ眼差しに、思わず、逃げ出したくなる気持ちを押し殺す。
落ち着け私。こういう時は冷静に、落ち着いて、カイトのように紳士に振る舞うんだ。うん、大丈夫。たぶん……。…………
気付かれないように静かに深呼吸をし、少年達に歩み始めた。
入り口から彼らのところまでの距離はそう遠くはない。だが、いざ進み始めると、永遠のような沈黙と長さに、走り終わった後の、血の気が引いていく感覚に眩暈さえ覚えた。
しばらくして、位置としては最前列のところまで来たアルを、エンジェル達は顔色ひとつ変えることなく見つめていた。
相手から話しかけてくれればまだ楽だったものの、結局、会話はないまま足を止める。
緊張が半数以上を占める中、一人一人、自分が護る者の顔を覚えていく。それがアルの背中を押した。
「今日から皆さんの隊長を務めさせて頂くアルです。まずは小天使、卒業おめでとう。
もう話は聞いていると思いますが、これから、皆さんには私と一緒にアザレス第一防衛ライン支援部隊として戦ってもらいます。大変なことや命に関わることが沢山起きると思う、ます。でも、」
「あんた、 “仲間殺し”だろ?」
自分が皆を護る。そう締めくくろうとした矢先、段差に腰かけた少年の無情な問いかけに言葉を詰まらせた。
沈黙のまま、声の方に視線を送ると、まだ幼さの残る顔が驚いた様子のアルを見て笑っていた。
「……だとしたら?」
アルは、否定とも肯定とも取れる返しをした。ざわりと、エンジェル達の中で動揺の様子が見え隠れする。
とはいえ、彼女は決して対抗心からいたずらに返答したわけではなかった。純粋に少年の言う、『仲間殺し』に思い当たる節があったのだ。
ほかのエンジェル達が落ち着かない中、鼻で笑いながら当の少年は立ち上がった。
「やっぱりな。父ちゃんが言ってたんだよ。今回の大天使合格者にヤバいやつがいるって。
もしかして、オレ様達も殺されちゃう感じですか?」
顔以外を鎧に包み、鉄靴を鳴らして少年はアルを見上げた。
少年の軽薄な態度とは対照的に、彼の身に付ける鎧は、彼女が今まで見てきた中でも例を見ないほど高貴で、まさに聖騎士そのものである。
「ちょっとシオンさん! いくらなんでも言い過ぎですよ。隊長さん困ってるじゃないですか」
同胞の失礼な態度に、突如、少年の横に立っていた少女が声を大にした。
「謝って下さい」
顎下まで伸びた栗色の髪を揺らして、少年に詰め寄る。
シオンと呼ばれる少年は、怒りを露わにする仲間の心情が理解できないのか、戸惑いながらも納得がいかない旨を訴えた。
「はあ? なんで? 本当のことだし、謝る意味がわかんねえ。
お前だって仲間殺し、って話したときビビってたじゃんかよ」
「そ、それは……」
彼の二言目の発言から、明らかに少女が弱腰になる。グローブをはめた両手が胸の前で謎の動きを始め、言い返す言葉を探っている。
アルのために反論しようとする少女を見守るも、図星には違いなかった。一向に発言しないのは、当の本人を目の当たりにしているからだろう。口を開く度に、アルの方を一瞥しては口を噤む。それを繰り返す回数、アルの気持ちはどんどん沈んでいった。
すると、無言の二人に、ついに少年の方が痺れを切らした。大きく溜息を吐き、振り向くアルに山吹色の瞳が刺さる。
「ってか、反応薄すぎてつまんねえ。仲間殺して感情もなくなってんじゃねえの? あははっ」
期待外れといった態度でそう告げると、再び段差に腰を落とした。少年の身勝手な言動には、流石にほかのエンジェル達も手を焼いていた。
「だから座るな。待機場所とはいえ、神聖な場所だぞ」
眼鏡をかけたもう一人の少年が注意するも、本人は聞く耳を持たない様子でいる。その眼はアルをじっと睨みつけ、こちらが挑発に乗るのを待っているかのようだった。
気付かないふりをしつつ、完全に話の腰を折られたアルは、ここからどうまとめようかと考えていた。まさか、彼等の仲もさほど良くないことは、アルにとっては想定外だった。そのため、ならば……、と思い立って口を開く。
「えっ———と、取り敢えず……、自己紹介、お願いしてもいいです、か?」
鎧の少年に向けられていた皆の視線が、再びアルに移る。
「名前だけでも知らないと、この先、不便だと思うし」
そう付け加え、出来る限りの作り笑顔で彼等を迎え入れた。
そして、先程の少女が「すみません」と申し訳なさそうに頭を下げたのを筆頭に、それぞれの挨拶が始まった。
「私は、チサ・パスへリアっていいます。よ、よろしくお願いします」
緊張気味とはいえ鎧の少年を叱っていた印象とは裏腹に、おっとりとした顔立ちで、若草色の垂れ目が彼女をほかの天使よりも幼く見せた。丈の短いブレザーを着、その下には革鎧を身に付けている。やや短めのスカートに、その細い腰には鎖と繋がれた二つの短剣がくくりつけてあった。
チサが自己紹介を終えると、次にその隣にいた紫がかった黒髪を伸ばした少女が顔を上げた。
「私はミラ・ノタアナ。よろしくお願いします」
ここまで一言も喋らなかった彼女は、エンジェルの中では一番身長の高い持ち主である。チサと比べれば、とても大人びた雰囲気があった。
淡水色の瞳を宿し、透き通った肌を隠すように長いローブとスカートを履いていた。その手には、彼女背丈よりも大きな杖が握られ、先端部分には青白い水晶のようなものが嵌め込まれている。
「僕はマーク・エスペラールです。これからよろしくお願いします。アル隊長」
早口に挨拶を済ませると、マークという少年は自身の眼鏡をカチッと掛け直した。
レンズ越しの藍色の瞳は誰よりも真っ直ぐで、アルとはまた別の気構えを感じられた。
少し跳ねた灰色の髪を肩まで下ろし、肩から踝まで伸びた白いマントが体の輪郭を隠している。
一通り全員の名前を知ることができ、アルは満足そうに顔を上下に振った。
「……で?」
そう問いかけながら、アルはまだ挨拶の済んでいない者に尋ねた。
他の者の視線も重なり、少年は小さく舌打ちをしてまた立ち上がる。
「シオンだ。言っとくが、あんたが隊長だなんてオレ様は認めねえかんな。すぐにそこから蹴落としてやる。それまで、びくびく眠れねえ日々でも送ってろよ。
せいぜい間違えて部下の俺達の誰かを殺さないように。……あっ、あんたが隊長の時点でもう危険か」
一頻り嘲笑すると、彼はアルに握手を求めてきた。
「これからよろしくお願いしますよ。仲間殺しの隊長さん」
クスリと、誰かの笑い声がアルの耳に入った。
幻聴だったか、しかし、疑えばここにいる全員がこの少年と似たような想いを自身に抱いている気がした。
完全になめられている。
自然とそこに苛立ちや悲しみ、怒りなどの負の感情は湧き上がらなかった。
これが今の自分の評価。相応しいと思えてしまうほど、アルの自身への価値は低いものだった。
握手を求める手を見つめ、アルは心の中で目を閉じる。
…………約束したんだ。もう、私の仲間は誰も死なせないって……。
私は、私のやり方でいかせてもらうよ、カイト。
覚悟を決め、差し伸べられた手にアルは腕を伸ばした。
「というと?」
タルシェは思わず聞き返した。なぜそう言い切れるのか、一個人として純粋に気になったのだ。
「確かに、彼女は自分を酷く卑下する傾向があります。ですが、それは彼女の過去に対する懺悔であり、誓いでもあります」
やがて、二人は回廊の曲がり角に差し掛かった。
最後にもう一度、カイトは扉の方へ振り返る。遠くに見える扉を名残惜しそうに見つめ、再び語り出した。
「親なし。まだ小天使だった彼女にとって、その言葉はあの日を思い出す呪いの言葉だった。周りは、そんな彼女を放ってはおかなかった。それが嫌で、そんなこと言わせないように、ついに、彼女は手を出すようになった……。
それから、他人が少しでも彼女の信念を曲げようとするものなら、誰であろうと、正面から受けて立ちますよ、アルは。それが、彼女が問題児と呼ばれた所以ですから」
そう告げる彼の横顔は、悪戯っぽい笑みを零していた。
「ああ、よろしく……」
アルは真っ直ぐな瞳で、シオンの手を握り返した。見下すシオンの表情に、苦痛の文字が浮かび上がるほど、強く。
「———ッ?!」
突然の痛みに、思わず膝を付くシオン。その頭上で、アルは淡々と話し始めた。
「呼び方はこの際どうだっていい。それが一番呼びやすいなら勝手に呼んでくれ。私はめげないから」
彼女の手を振り解くことが出来ず、睨み返してきたシオンにアルは上体を落とす。そして、彼の額に人差し指を押し付けた。
「ここからは戦場だ。大変なことや命に関わることだって沢山起きる。でも、そっちがどれだけ死に急ごうと、私はお前らを見捨てない覚悟でここにいることは覚えていてほしい……。
立派な天使になるまで、私が “加護”してやる! だから、」
そこまで言うと、握る手を緩めた。
「改めてまして、これからよろしくお願いします。
“ クソガキ”」
ここまで読んで下さりありがとうございました。
次回も楽しみにして頂けたら幸いです。