犯罪共同体
「不必要だ」
前田のその言葉に彼は不機嫌になったようだった。
灰皿を片手に立ち尽くして、彼は前田を見上げ不服そうに眉を寄せる。今まさにその手で犯した罪など忘れたように、いつも通りの顔をしていた。
けれど、それでも罪を隠すことはするべきだと理解しているらしい。
だから、不服な顔をする。
「どうして隠ぺいしない」
彼――東は言った。
前田は笑う。
「不必要だ」
同じ言葉を繰り返し、前田はゆっくりと東がもつ灰皿を取り上げた。
ハンカチで赤い汚れをふき取って、東を見つめる。
「どうせ隠してもすぐばれる。警察はそんなに甘くない」
「バレルのが前提か」
「もともと予定になかったことだから、仕方ないだろう」
「……だったらどうしてヤレといったんだ」
またもや不服そうに東が言う。
前田と東はまだまだ新しいコンビだ。前田がサポートして、東が実行する。二人して現場にいるのは、ちょっとした不手際だった。
本来ならこの場で事を起こすことは避けたかったのに、前田が「ヤレ」と言ったから東は実行に移したのだ。
それを隠すべきだという東の主張は当然で、しかし前田は飄々とそれを拒否して笑う。東が不服な顔をするのは当然だった。
「こちらが何もしなくても、”掃除屋”がくる手はずになっている」
「それを先に言え」
ぶっきらぼうに東は言葉を返すと、ゆっくりと足元に転がるソレに目をやった。
「で? はじめてヤッた感想は?」
前田が聞いた。
東はため息を吐き出す。
「別に、普通だ」
「うそつけ」
「……思ったより、つらくない」
「そうか」
「それにはじめてじゃない」
前田が言葉に詰まる。
だがそれも一瞬で、すぐに前田はなんでもない顔をした。
「そうか」
そう返す。
前田は再び灰皿をハンカチで拭く。すでに汚れが取れた灰皿を念入りに。
東には、それがひどく落ち着かない様子にも見えた。冷静沈着な彼が取り乱しているのがわかって、無意識に目を細める。
汚れた手袋を外して、東は前田の肩をたたいた。
「隠さないなら、もう行くだろ」
「ああ」
前田は灰皿を鞄に入れて、踵を返す。
床に散らばったタバコの吸い殻を踏みつぶして、歩き出した。
『カット!!』
そこで、締めの合図が落とさた。
「ぷはぁ」
息を吐いたのは東――の役に入りきっていた東条だ。
一方小さくため息をついたのは、前田の役を演じていた田山。
周囲が騒がしくなって、メイクが寄ってきて顔の化粧を直す。それを無言で受けている田山に監督が近づいた。
「田山さん、さっきのところ。”前田”はもう少し淡々と冷酷な感じにしたいので、二度目の犯罪を”東”がほのめかしても、”前田”は驚かないと思うんだけど……」
言われて田山は笑う。
「でも彼はこの時には東のことをかなり甘ちゃんだと思ってますから、意外に思っても不思議ではないですよね」
「ああ、だね。そうか、そういう見方もできるね」
監督が納得したようにうなずく。
そこに同じく化粧を直したばかりの東条が歩み寄った。
「でもすこし動揺してるようにも感じたので、取り直してもいいんじゃないっすかね」
「それもそうなんだよね……」
「じゃあそうしましょうか」
「うん。ごめんね二人とも」
「いえ」
「全然いいっすよ」
東条も田山も朗らかに笑って監督が椅子に戻るのを見届けると、再びセットに戻る。
犯罪者側に焦点を当てたこのドラマの撮影は、まだ始まったばかりだ。
”前田”と”東”がやがて名コンビとなっていく様子が描かれるとともに、それに立ち向かう女刑事の物語でもある。
このあとヒロインを刑事と知らずに出会ってしまった”東”が、自分の行いに疑問を持ち、それでも犯罪を続ける決意をするという、ある意味お茶の間を騒がせるシーンを予定していた。
そこに行く前に、いったん”前田”のシーンを撮りきる必要がある。なにせ”東”役の東条と違って、”前田”役の田山はかなりの人気俳優で、引っ張りだこだからだ。
「田山さんもう少し距離感つめたほうがいいっすかね」
「いや、まだ二人は組んだばかりだから、今の距離感でいいと思う。……悪いな、取り直しになってしまって」
「短いシーンだからいいっすよ」
若い東条の軽い言葉に、田山は微笑んだ。それからバッグの中から取り出され、元の位置に置かれた灰皿を見遣る。
ガラスの重々しい灰皿。ヘビースモーカーの田山の部屋にも似たようなのがある。しかしそれは――。
「似てますね。あれと」
びくりと、田山が震えた。
おずおずと振り返れば、にっこりと笑う東条がいた。
「なんのことだい?」
なんてこともないように田山が笑う。
「いいえ、なんでもないっす」
東条はやはりにこにこと笑いながら、田山の隣を通り越して所定の位置に戻る。
それを視線で追いかけて田山は息を吐き出した。
「実際、どうだったのかな。初めては」
なんとなく田山がそう言うと、東条が尚も笑って振り返った。
「思ったよりつらくないっすね」
「……」
「だから安心していいっすよ。二度目も変わらないっす」
鈍色に光る眼で、東条が言った。
「だからいつでも呼んでください。もし、また」
――殺したい相手がいたら。
楽しそうに笑う東条に、田山は背筋に氷塊が滑り落ちるような感じがした。
――俺は、とんでもないやつに……。
これはドラマじゃない。
ドラマじゃないんだ。
田山は目をそらした。
「不必要だ」
でもきっと、警察はそんなに甘くない。と田山は頭でわかっていて、答えた。