俺が謝罪する!
ーーとある謝罪会見の話…なのだが…
百人くらいはいるだろうか。会場にはスーツを着た記者がパイプ椅子に座って待機している。会場の後ろ側には三脚に乗ったテレビカメラがいくつも並んでおり、中にはそのカメラに向かってレポーターがマイクを持って何かを話している様子も見られる。
この日はとある一大企業の謝罪会見が行われる。多くの報道機関がこぞって会見の様子を捉えようとしていた。
会場の一番前にはこれから謝罪する企業の関係者が座る席が用意されている。その脇の扉から二人の人物が顔を出して会場を覗いていた。
「結構来てるな。」扉の奥に見えるたくさんの記者たちに驚く専務。
「かなり来てますね。」常務も驚いた様子だ。
「世間に広く知れ渡ってる企業だ。そりゃたくさん集まる。」扉の脇のソファーに座った副社長が言った。
「副社長、本当にあなたが行くんですか?」心配そうな常務。
「会長も社長も急病なんだ。」
会社のトップ二人が“急病”で謝罪会見を欠席、というのだが…
「会長が病気で無理なのは本当ですが、社長は…」
「もういいんだ。」常務を遮る副社長。「犠牲は少ない方が良い。」
「副社長…」
副社長は既に覚悟を決めている。自分がこの一大企業の不祥事の始末を一手に引き受ける、と。この会見を側で見守ることしかできない部下たちはやるせない気持ちしかない。
「やあやあ、君たち。」
なれなれしい声が聞こえてきた。
「社長…」
その場にいた副社長、専務、常務の三人は唖然とした。
「副社長、上手くやってくださいね。」不敵な笑みを副社長に向ける社長。
「社長、あなたは行かないのですか?」専務が鋭い目を向ける。
「じゃぁ!」けん制するように一段、大きな声をあげる社長。「君が行くか?」
専務は何も答えられない。
「私は別に誰でも良いんだが…」
「社長、全て私にお任せください。」
「頼みますよ。」
社長が副社長の両肩をがっちり掴んで言った。本来なら鼓舞するための行為だが、側で見ていた専務も常務も全くそんなふうには思えなかった。
「準備出来ました。」会場内から壇上の準備をしていた課長が出て来た。
ついに来たか…これから会見に臨む副社長やそれを見守ることになる専務、常務に緊張が走る。一方で、社長はまるで他人事のように窓外を眺めていた。
「いや~すごいっすねぇ~」
そう言いながら出て来たのは課長と共に壇上の準備をしていた係長。
「ちょいちょい、ちょっとノリが軽いぞ。」課長が係長を注意する。
「すいません。でも、記者がこんなにたくさんいて…」
「まあまあ、それは俺も驚いたから。」
「しかも、あの記者たちの中に“本橋アイサ”もいましたよ。」
係長がそう発した途端、その場にいた全員が一斉に係長の方に振り向いた。
「あっ、なんかすみません。」まずい雰囲気を感じ取ったのか係長が頭を下げた。
「もう、これから謝罪会見をやるんだから…」
課長が係長を諭そうとしたその時、専務が口を開いた。
「本橋アイサがいるのか?」
課長と係長が専務の方を向く。
「は、はい…」係長が答える。
「あっ、まあまあこういうこともあるだろうな。」腕を組む専務。
「本橋アイサって、確かニュース番組でレポーターもやってる美人女優ですよね?」常務が口を開く。
「ああ、たまに会見にも行ってるしな。」腕を組んだままの専務。
「そろそろ時間になります。」腕時計を見た課長が言った。
「よし、行って来る。」扉に向かって歩き出す副社長。
「待て。」それを止める声が聞こえた。「やはり、私が行こうか?」声を発したのは手を後ろで組みながら窓からの景色を眺めていた社長だった。
「「「は?」」」その場にいた全員が社長の背中を見る。
「私が壇上で謝罪をしようかと言っているんだ。」
副社長も会場へ向かう足を止め、固まっている。
「どうされたんですか? 社長。」課長も驚いた表情をしている。
さっきまで副社長に圧をかけ、自分が社長であるにも関わらず他人事のように振る舞い、副社長に全てを押し付けようとしていた社長の発言や態度とはまるで違う。
「なんですか急に? さっきまで他人事みたいにしてたくせに…」常務も困惑している。
「この会社の社長は私だぁーっ!」窓に向けていた顔を振り向かせた。
突然の社長の豹変に常務はどこか腑に落ちない。
「どういうことですか?」
「気が変わったんだよ。」
「どこに急に気が変わる要素があったんですか。直近でも本橋アイサがなんちゃらっていう話しか出てないじゃないですか。」
「“本橋アイサ”と言うな。」常務を制す社長。「とにかく、行くぞ。」会場に向かって急ぎ足で歩く社長。
「待ってください!」突然、専務が声を挙げた。「私も行かせてください。」
「は!?」驚く常務。
「私も…謝罪します。」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってください! へ!?何!? 何ですか急に、二人そろって…」たじろぐ常務。
「良いだろう。」社長が専務の志願を承諾する。
「は!? いやいやいや訳わかんないですよ!」
「常務! 落ち着け。」専務が言う。
「いや、アンタだよ!」
「何が言いたいんだ。」社長が常務に目を向ける。
「えっと、社長はさっきまで完全に副社長に今回の件を押し付けようとしてたのに急に掌を返して自分が謝罪するって言うから驚いてるんです。それに専務も副社長が謝罪しに行くってなった時に付いて行かなかったのに社長が謝罪するってなったら行くって言ったんで気になってるんです。」
「人間、急に気が変わる時だってある。」優しいトーンで社長が言う。
「きっかけがわからないんですよ。副社長が行こうとした時の最後の会話、本橋アイサって人の話ですよ。」
「「“本橋アイサ”と言うな。」」社長と専務の声が被る。
「どういうことだよ。」常務が呆れる。
「あの~」係長が口を開く。「もしかして本橋アイサが見たいんじゃないですか?」
「ちょっ! 君!」課長が係長を制す。
係長の言葉で物事の革新に近づいた気がした常務は目を見開き社長と専務を見る。
「「そぉんな訳ないでしょうよぉ~~~」」笑顔でまた声が被る社長と専務。
「あのね係長、私は社長だよ? 会社に何かあったら責任は私にあるんだよ? なんで副社長に謝ら背中やいけないのよぉ~。いや~悪かったね副社長。」固まっていた副社長の肩に腕を回す。
「僕だって会社の一員なんだから~。しかも専務。か・ん・ぶ。私だって…責任…かんじちゃうよぉ~。」
「あんた本橋アイサに一番反応してたよな?」専務に詰め寄る常務。
「とにかく! 謝罪しにいくぞぉ!」拳を突き上げる社長。
「オーー!」専務も呼応する。
「なんだこのバカ幹部。」呆れる常務。
「あれ?」会場の中の様子を伺っていた係長。「本橋アイサが…いない?」
それを聞いた社長と専務からさっきまで放たれていた覇気が無くなった。
「へ?」戦慄したような社長。
「さっきまであそこの席にいたんだけどな~?」
「おぉい! どういうことだよ!」それを聞いた社長は思わず会場を覗こうとする。
「あ~! ダメダメダメ!」それを止めようとする常務と課長。
「離せぇ! 本橋アイサはどこだー!」叫ぶ社長。
「ちょっと聞こえる! 聞こえる!」社長の口を抑える常務。
「今、社長が顔出したら終わりますよ!」課長が必死で止める。
「社長、ここは私が。」専務がドアの向こうを覗く。「アイサちゃんはどこにいたんだ?」
「アイサちゃん??」目を見開く常務。
「本当に真ん中あたりにいたんだけどな~。グレーのスーツの記者と女性記者の間に…」説明する係長。「あっ!」
「どうした!」会場内を見回しながら係長に聞く専務。
「一番前に移動してます。」
その一言で社長と専務の目が変わる。
「社長、いってきます。」壇上に上がろうとする専務。
「おいおい待て待て待て!」常務と課長を突破し、専務を掴んで引き戻す社長。「なに勝手に行こうとしてるんだよ!」
「社長、アイサちゃんが目の前にいるんですよ?」社長を至近距離で睨みつける専務。
「お前…アイサちゃんを独り占めにする気か!?」社長も血相を変える。
「あ、ボロ出た。」二人の会話を聞いて呟く常務。
「会社は私のものだ。会社の会見は社長である私一人で行う!」専務と睨み合う社長。
「社長、あなたさっき私に『じゃぁ、君が行くか?』と聞きましたよね? つまりそれは私が一人で会見をしても良いということですよね?」不敵な笑みで睨み返す専務。
「その後、君は何も答えなかった。沈黙は同意と同じだろう?」嬉々として睨み返す社長。
「社長あなた…」
「もう降伏したらどうだ?」
社長と専務の押問答が続く中、副社長の携帯電話に着信が入った。
「はい副社長です。はい!?」
副社長の驚く声に押問答をしていた二人も振り向く。
「会長、自ら謝罪される!?」
なんと電話の相手は病気の治療の為に入院中である会長からだった。
「スピーカーにするんだ。」小声で指示する社長。
副社長はスピーカーボタンを押し、その場にいる全員に会長の声が聞こえるようにする。
「その体で大丈夫なのですか?」
〈私はこの会社の会長でありトップだ。私が謝罪することの何が悪い。〉
「しかし…」
〈いいんだ。開始時刻を延長しろ。〉
電話の周りにいた者たちは会長の強い決意に息を飲む。
〈ところで今、会見のテレビ中継を見ていたんだが…〉続ける会長。〈会見場の一番前の席にいる女は本橋アイサか?〉
さっきとは違う意味で息を飲む副社長たち。
「あ、そのよ…」副社長が言っている途中で社長が携帯を取り上げる。
「いえいえいえ違います! そんな訳がありませんよ会長! 謝罪会見はこの私にお任せください!」
口を開いたまま呆然とする常務と副社長。すると今度は専務が動き出した。
「会長! 私も行きます! 専務です!」社長の腕を掴み、握られている携帯電話を自分の口に近付ける。
「あーっ! お前、ふざけんな!」専務を突き離そうとする社長。
それを見ていた副社長は動き出した。
「もう時間が無い。行ってきます。君たちは二人と…私の携帯を頼む。」
社長と専務と自分の携帯の事を常務ら任せて壇上に向かおうとする副社長。
「あーっ! 待て待て!」「お待ちくださーい!」
それを阻止しようとする社長と専務。
「もう誰でも良いでしょ! この際!」常務が二人を止めながら叫ぶ。
常務と課長が副社長を阻止する社長と専務を副社長から引き離そうとしていると、通路の奥から声が聞こえた。
「副社長!」全員が声の主に振り向く。
「き、君は!」副社長が驚く。
現れたのは今日、ここには来ない予定だった部長だった。部長はこちらに向かって駆け足でやってくる。
「何故、君がここに!」
「あの不祥事は私がやったんです!」
「は!?」「何!?」「えーっ!」唐突な自白に驚く幹部たち。
「だから…私が一人で謝罪しまーーーす!」部長は会場の中に駆け込み、一気に壇上に上がる。
「だぁーーーっ!」絶叫する専務。
「おい! お前ぇ!」社長も行こうとするが課長に掴まれ進めない。
部長は長机の上に置かれたマイクを持ち、叫んだ。
「みなさん! 当社で部長を務めております者です! この不祥事は私の不始末によるものです! 世間の皆さま! 関係者の皆さま! 本当に申し訳ありませんでしたぁぁぁぁぁーーーっ‼」
無数のフラッシュが一気に部長に向けて放たれる。
「「だぁぁぁぁぁーーーっ‼」」その場に崩れ落ちる社長と専務。
「辞めてやるわこの会社!」常務はこの惨状を見てそう叫んだ。
ーー終わり