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第6回 あたまの問題。

「たぶん、有史以来、自身の手で殺傷をした麒麟などいない」

「殺せ!」

 至近の距離で上擦った声がした。

「やはり偽者だった! 台輔などではない!」

 案作が叫んでいる。……(以下略)

  (『十二国記 白銀の墟 玄の月 4巻』より 小野不由美著 新潮文庫 令和元年刊)

 

 いやあ、『十二国記』いいねえ……という話をしたいのではなく。

 カギカッコ問題です。

 行頭のカギカッコ、一マスあけるのかどうか。

 

 「開けるんじゃねえ! 読みにくいわ!」

 「でも、学校でそう習ったし」


 ……はい。

 たいていの小説では、一マス空けてません。

 でも、学校の『原稿用紙の書き方』なんてサイトを見ると、意見は半々。わかれます。

 ちなみに。

 小学校時代=昭和のだんごは一マス空ける派です。だって、そうやって習ったし(笑)

 というか。

 そもそも、作文の書き方と小説は違うんだってば。

 小学校の時を思い出してください。


「たぶん、有史以来、自身の手で殺傷をした麒麟などいない」


 の文章は……。


_「たぶん、有史以来、自身の手で殺傷をした麒麟などいない。」


 というように、一マス空けて、カギカッコ内に「。」もいれてたんじゃないですかね。(空きスペースを表すために「_」を利用)


 ということで、調べてみました。

 どっちが正解なんじゃ?


 答えは、どっちも。

 サイト次第なんだよ。空ける、空けないって。

 空けるってサイトもありました。空けないってサイトもありました。

 これが小論文の書き方になると、改行すらなくって。

 どれが正解なんだよぉぉぉっ!

 って、どれも正解ってことか?

 出版社で校正とか、コンテストの選考委員をされてる方にお聞きしてみたいですね。

 

 さらに調べてみました。(空きマスを表現するのに「_」を利用してます)

 

_そしてもう、リディアも、アルヴィンも失わずにすむのだ。ドラゴンの卵が消滅するとともに、リディアが飲んだ卵のオニキスは力を失ったはずだ。

「あんまり、見つめないで」

_熱く見つめていたら、彼女はそう言った。

「髪の毛、切られちゃったもの……。それに、おでこにも傷が」

_よく見ると、髪をきられたときに……(以下略)

 (『伯爵と妖精 白い丘に赤い月満ちて』より 谷瑞恵著 コバルト文庫 平成25年刊)

  

 一マス、空けてませんね。ムム。

 『十二国記』と同じです。

 ということは、これが小説界の正解なのか!?

 だけど。


_「しかし、山奥でへたな絵を描きちらしているより、はるかにましだろう」

_へたな絵、といわれたとたんに、ナルサスの表情が不機嫌になった。

_「このダリューンが何と申したかは想像がつきます。信用なさってはいけませんぞ、殿下、こいつはわが国に比類する者もない勇者で、ものの道理もよくわきまえておりますが、芸術を理解する心を持ちません。まことになげかわしいことで」

_ダリューンが抗議しかけたが、ナルサスは片手をあげてそれを制した。

     (『アルスラーン戦記 王都炎上』より 田中芳樹著 角川文庫 昭和61年刊)

 

 あれ?

 一マス空けてる?

 なのに。


「手を出すな! こいつは親父の仇だ、あたしが倒す!」

_アルフリードだった。馬上のナルサスを見あげる眼光が、真剣そのものだ。ナルサスは馬をしずめながら少女を見かえした。

「仇というなら、この男をおぬしにゆずってやってもよいが、おぬし、剣を持ってないではないか」

「だから、あんたの剣をお貸しよ」

_当然のような表情で、ずうずうしく、馬上のナルサスに手をさしだす……(以下略)

    (『アルスラーン戦記 王子二人』より 田中芳樹著 光文社文庫 平成24年刊)


 同じ作品なのに、出版社が変わったら、一マス下げてない……。

 ザッと確認したところ、角川版『アルスラーン戦記』は、五巻(平成3年再版)まで一マス空けてました。

 ということは、この時代までの刊行物は全部下げてるのか?

 調べたいけど、それまでに刊行された書籍を持ってなかったので(再版はナシね)、確認できませんでした。古い文学作品は持ってるんだけど、全部、平成以降の再版だったんだよね。

 そして、もっとも驚いたのが、これ。


――(略)残月の光をたよりに林中の草地を通っていったと木、果して一匹の猛虎が叢の中から躍り出た。虎は、あわや袁傪に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を翻して、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟くのが聞こえた。(中略) 驚懼の中にも、彼は咄嗟に思いあたって、叫んだ。「その声は、我が友、李徴子ではないか?」袁傪は李徴と同年に進士の第に登り、友人の少かった李徴にとっては、最も親しい友であった。……(以下略)

        (『山月記』より 中島敦著 新潮文庫 平成12年再版 昭和44初版)


 おいおいおいおい。

 一マスどころか、改行すらねえ。

 段落は? 段落どこ行った?

 ビックリしたわ。


 で。

 で、だ。

 色々考えたんだけど、最終的に思ったことは、「一マス空ける、空けない、どっちでもいいんじゃね!?」ってこと。

 空けたきゃ空けりゃあいいじゃん。空けたくなければ、それでもいい。

 空けてる作品を小説とは思わない――。

 そんな意見を読んだことがありますが、そうするとなにか? 私の持ってる角川版『アル戦』は小説ではないと?

 現在の出版物はすべて空けない表記になってるようですが、だからといって、空けたものをそこまで批判しなくてもいいんじゃないかな。このあたりの部分も出版関係者さまに伺ってみたいですね。一マス空いてたら、そんな作品は一次選考すら通らない駄作なのかと。

 個人的には、もっと別のところ、例えば作品の内容とかに意識を向けて欲しいんですけど。一マス問題なんて、些細なことじゃない?

 

 それよりも、気になるのが……。

 って、書きたかったけど、文章が増えすぎるので、以下次回っ!!

 引用文章入力するの、スゲーしんどい。

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