第6話「陰陽道学びます」その壱・・・推定読了時間約6分
湿っぽい祠に佇む、皇と、陰陽頭である陣内。そして、黒い狩衣を纏った男がいた。
地面には、幅、直径三メートル程の丸い泉がある。その中心には、陰陽の文様が彫られた丸い大きな岩場が顔を出す。勾玉の凹凸を繋ぎ合わせたかのような文様だ。
泉から岩場までの距離は、余裕で跨げる位はあり、その泉を囲うように、祠の天井から、注連縄が一周している。
そして、如何にも神聖な雰囲気が漂う。
そう、ここが、篩の泉である。
祠の四隅には、青い炎で辺りを照らす式神の女が鎮座している。
その光に照らされる三人が、難しそうな表情で会話をしていた。
これから行われる儀式が神聖なモノである証として、三人共に、黒く長い烏帽子を被りながら……。
「俺は賛成し兼ねるね。ズブの素人に陰陽道を学ばせるなんてッ」と男がかなりの剣幕で言った。
端正な顔に、整えられた顎鬚が目立つ。
村雨 祥生――現在の怪伐隊の、新しい指揮官だ。
「しかも、怪伐隊に入りたいだなんて、あり得ないね。我々も舐められたもんだ」と吐き捨てる。
陰陽頭、陣内が重い口を開く。
「村雨よ、まずは皇の話を聞こうではないか」
二人の視線が皇に注がれる。
皇は、いつも通りの微笑を絶やさずに話し出した。
「怪伐隊に入りたいのは、あくまで彼の希望ではありますが、私もそんな甘いモノではないと思っております」
「だったら何だ、気でも狂ったか。それとも、それなりの素質があるとでも言いたいのか」
「いえ」と祥生の言葉を軽く否定した。
村雨は訝し気な表情を見せる。
「恐らく、彼の法力は一般人レベルだと、私は考えます」
「だったら何故」と問いかける村雨を遮り、陣内が「あの鬼と関わりがあるが故か……」と皇に問う。
「ご明察です。ですが、とりあえずは、この泉での結果を見てから続きを話すとしますか」
そう言い終えると同時に、祠の扉が開いた。
重い鉄扉を左右に押し広げ、不安げに立ち尽くす桃眞に、「入りなさい」と陣内が命じた。
「はい……」
そう言い、ゆっくりと進む桃眞を見て、村雨は「こいつ、神聖な儀式になんたる格好だ」と堪えながらも小さく言葉を吐いた。
恐らく、この篩の泉に、黒いジャージ姿で入ったのは桃眞が初めてだろう。
「おわ、また光が浮いてる」と驚いた表情の桃眞に、呆れ顔を見せる村雨。
桃眞には、炎を持つ式神の姿が見えていない。
「泉の中の陰陽の間に立ちなさい」と次の指示を与える陣内に、「陰陽の間って、あの変な岩のとこですか」と訊ねる。
「テメェッ、変なとは何だッ」と村雨が堪え切れずに怒鳴った。
「す、すいません」
桃眞は泉を跨ぎ、陰陽の紋様の中心に立つ。
それを見届けると、皇と村雨が人差し指と中指を唇に当て、低い声で術を唱え始めた。
二人の低い声が祠に反響し、全身に微弱な振動を伝える。
陣内は、桃眞に近づくと「目を閉じ、心を静めなさい」と指示した。
目を瞑る桃眞。
「何も考えず、頭と心を無にしなさい」
「……はい……」
「今、君は何を感じる。恐怖か、希望、悲しみ、喜び。君を支配している感情を教えてくれ」
静かに問う陣内。
桃眞はゆっくりと口を開いた。
「周りのお経がうるさくて……集中できません」
「……………………」言葉がでない陣内。
咳払いをして気を取り直し、陣内は再び問い始めた。
「恐怖を感じるか」
「……それよりも、不安ですかね」
「そうか。では喜びを感じるか」
「それよりも、不安ですかね」
「そうか、きぼ「だから、不安ですね」」
「………………そうか」
桃眞の精神状態を確認してから、陣内は、懐から金色の小刀を取り出した。
指先に念を送り、複雑な文様が彫られた刀身を弾く。
そして、その小刀を泉の水面にそっと差し入れた。
刀身の振動が水面に伝搬し、泉全体が波打ち始める。
それと同時に、泉が白い光を発し出した。
桃眞が立つ岩場の文様の溝に、泉の光る水が流れ込み、文様自体も光る。
「うわ、すげぇ」と思わず声に出す桃眞。
それから暫くの間、白い光を放ち、次第に治まっていった。
寮の食堂で朝食を取っていた慎之介。
木製の長い食卓でトレーに乗っている和定食を食べていた。
一度に百人は入る事ができる和風建築で、陰陽寮の玄関から、入ってすぐ右側にある。
床は光沢のある木製で、寮生は、素足、もしくは、靴下で入場している。
橙色の暖簾を潜ると、天井も高く、見晴らしいの良い大空間で食事を楽しむ事ができる。
朝食は、和定食と、一応、モーニングと呼ばれている洋食を選ぶこともできる。トーストやスクランブルエッグの事だ。
それぞれが、欲しいメニューの列に並び、厨房前の受付にて、メニュー一式が並べられているトレーを取るスタイルである。
慎之介の向かい側の席には、暗い表情の櫻子が、朝定食を一口も食べずに俯いている。
淡いピンク色の狩衣を纏う櫻子が、「死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい」と、ぶつぶつと同じ言葉を繰り返しているのを尻目に、だし巻き卵を齧り、白米を口に運ぶ慎之介。
「死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい」
慎之介は味噌汁を飲み、冷奴を口に運ぶ。
そして沢庵をポリポリと噛み締めていた。
すると、ようやく櫻子が顔を上げ、「アンタ、あたしが目の前で、何百回も死にたいって言ってるのに、よく涼しい顔して優雅な食事ができるわね」と恨み節をぶつけた。
慎之介は、静かに湯飲みのお茶をすすり、そっとトレーに置くと、「ご馳走様でした」と手を合わせた。
立ち上がろうとする慎之介に、「アンタ、マジで?」と櫻子が問いかける。
「何が」
「普通、どうしたの。とか言わない?」
「言わない」とキッパリと言う。
「私の、この清らかで汚れを知らない乙女の素肌が、汚れた野獣共の眼前に晒されたのよッ」と、櫻子は、全ての指をモゾモゾと動かしながら、身悶える。
「ほら、聞かなくても勝手に言うだろお前は。だから、いちいち聞くのは面倒なんだ。それに、清らかで汚れを知らない乙女の素肌? そんなモノ心当たりがないな」と鼻で笑う。
慎之介が、今度こそ立ち上がろうとした時、「おっす、慎之介」と、和定食のトレーを持った桃眞が現れた。
「何、立とうとしてんだよ。付き合えよ」と、慎之介の肩を抑え、席に付かせた。
勘弁してくれよと言った表情で、ため息をつく慎之介。
「ここ広いし、誰も知り合い居ないし。相手してくれよ」と、言いながら櫻子と視線がぶつかる。
「あッ」「あッ」と、声が重なった。
「変態暴力女ッ」
「変態覗き魔ッ」とまたも声が重なる。
「誰が変態覗き魔だッ」
「誰が変態暴力女よッ」と更に声が重なる。
間に挟まれた慎之介が、耐えきれずに天を仰いだ
「半裸の状態で廊下を駆けずり回って、男子寮で暴れるとか。変態以外の何なんだよ」と、桃眞が言った途端、櫻子が、食卓に突っ伏した。
慎之介は、罰が悪そうな顔をして、桃眞に「いま、それ、一番言っちゃマズいやつ」と小声で伝える。
「えっ、何で」と問いかける桃眞の前で、櫻子の『死にたいコール』が再び始まった。
「あ、あぁ……」と察した桃眞は、そっと、慎之介の横に腰を下ろした。
「ところで、篩の泉の結果はどうだったんだ」と、慎之介は、味噌汁に口を付けていた桃眞に訊ねる。
「あぁ。取り敢えず、漏刻ってのを学ぶみたいだ」
「漏刻か、そりゃ気の毒に」と意味深な言葉を吐く。
「え、漏刻ってダメなの」と聞いた桃眞に、「漏刻は、一番、陰陽師の素質無しって事だ」と答える。
「まじで?」と顔がひきつる桃眞。
「お前、泉は何色になった」
「泉?」
「何色って、色なんてあるのか? 白く光ってたけど」
その言葉に、慎之介は眉をひそめた。
「白だと」
同時に、死にたいコールを続けていた櫻子が顔を上げた。
「白って、まさか、何の色にも変わらなかったの」と訊ねる。
「あぁ……」
桃眞のたじろぐ姿を他所に、慎之介と櫻子は顔を見合わせた。
陰陽頭の部屋で、正座をする陣内と皇と村雨。
難しそうな表情で顎をずっと触っている陣内に、痺れを切らせた村雨が口を開いた。
「陰陽頭、説明して貰えませんか、あれは何かの間違いでしょ。白い光は始めて見ました」
陣内に代わりに、皇が答える。
「先程の話の続きをしましょう。私が何故、彼を陰陽寮に招き入れたのか」
村雨は、唾をゴクリと飲み込んだ。
「恐らく、これまでの歴史上、篩の泉が白く光ったのは今回が始めてでしょう。村雨さん、白く光る泉が示す事は何かご存知ですね」
「あぁ、勿論だ。法力がゼロ……つまり空っぽだ。だが、そんなの……」
「有り得ない……」と陣内が続けた。
そして、皇は言葉を続けた。
「普通の一般人。つまり、外界の人間でも微弱な法力はあります。その際の泉の色は黄色。つまり、白色と言うことはそれ以下だと言うことです」ときっぱりと言った。
つづく