第7話「時を駆ける青年」その壱・・・推定読了時間約6分
みなさん2021年
あけおめです。
今年も頑張って執筆しますので、応援よろしくお願い致します。
鉤爪で引っ掻いたかの様な、弧を描いた月が、寝静まる寝殿造りの屋敷の上に浮かんでいた。大きく真っ黒な雲の隙間を、顔を出しては隠れ、また現れを繰り返す。
ザーザーと風になびく草の音が、忍び寄ろうとする者の足音さえ、消してしまいそうである。
ここは、平安京。
大内裏の少し外れにある屋敷。
大内裏とは、帝――つまりは天皇が住まう場所、及び、平安京の政治に関わる各機関を、四方を塀と門で囲った場所である。
平安京の中枢とも言えよう。
その静まり返った屋敷で、女童の奇声が、闇夜の静寂を切り裂いた。
庭園の真向かいにある、障子張りの引き戸。
そこに映る灯りが、チラチラと人影に遮られている。
「キィィーーャヤッ」
歳は六つ程であろうか、薄紅色の単を纏うその表情は、この世のモノでは無かった。
黒い網目状の血管が、首元から乱雑に伸びる枯れ枝のように頭部へと走り、目は充血し腫れ上がっている。舌は黒く変色し、垂れ落ちる唾液もまた墨汁のようだ。
白い単に黒い烏帽子を被った祖父と、使用人の女が恐怖に震えながら母屋の隅で蹲っている。
「急急如律令ッ、急急如律令ッ?……え、えっと、急急如律令ッ」と、震える手で女童を床に押さえつけるは、烏帽子に白い狩衣を纏う阿形 桃眞。
袖から取り出した呪符に念を込めて、額に押し付けるが、全く効果は無い。
「クソッ……クソッ……」と、目に涙を浮かべながら、暴れるその女童に馬乗りになっている。悔し涙だ。
子供の声とは思えない様な、太く低い呻き声をあげる女童に対し、「俺が必ず助けてやるからなッ。だから負けるなッ。頑張れッ……」と声を掛ける。
桃眞の首元から顔を覗かせる鏡の首飾りが、行灯の橙色の光を反射していた。
一体、桃眞が何故、平安京にいるのか?
何故、この様な事態に遭遇しているのか?
時を戻そう……。
――26時間前。
時代は、令和。
陰陽寮の男子寮。
慎之介の足元に、膝から崩れ落ちて寝転んだ桃眞。
黒いジャージから白い狩衣へと着替えている。
「もー無理。もー無理。疲れたぁ」と、うつ伏せのまま、溜まりに溜まった疲れを吐露した。
慎之介は、烏帽子を外すと、『猿田』と書かれた和箪笥の大きめの開き戸を開け、消臭剤を噴射し、仕舞い込んだ。
桃眞の存在を気にも止めない慎之介の足首を掴む。
そのまま他の寮生の間を引き摺られる桃眞。
駄々をこねる子供のようだ。
「離せよ」と、流石に苛立ったのか、慎之介が口を開いた。
「嫌だ……」と、顔を畳に擦りつけながら桃眞が喋る。
「何で?」
「だって、理由を聞いてくれないもん……」
苦悶の表情で天井を仰いだ慎之介。
「櫻子がもう一人増えたみたいだ……」と、溜息をつき、諦めたかのように「で……何?」と訊ねる。
桃眞は、体をくるりと反転させると仰向きになり、ニヤつく。
「聞きたい?」
「いや、お前が聞いてくれって言ったんだろ」
「いや、お前が聞きたいって言ったんだろ」と桃眞がオウム返しをしてからかう。
目を瞑った慎之介。深呼吸を一回した。
目を開き、手を振り解くと、その足で桃眞の顔を踏みつけた。
「で。何が疲れたんだッ。言ってみろよこの野郎」
「グゥオ……グゥオメンナサイ……」
足を退ける慎之介。
「取り敢えず、これから晩飯だから、食堂で聞いてやる」
「はい……」
「あと、それと。ここ、二年の男子寮部屋で、お前は一階の一年の男子寮部屋だから。あんまり気軽に入るんじゃない」
「はい……」
夕食にもなると、食堂は満員だった。
朝食と昼食は、学年や授業内容によって、時間が不規則な為、立ち替わり入れ替わりだが、夕食は、ほとんどが同じ時間となるからだ。
百人は軽く収まる食堂に、空席を探すのが一苦労である。
夕食は、朝食とは違い、自分で好きなモノを皿に取る、バイキングスタイルとなっており、和洋折衷だ。
食堂の突き当たり、厨房の前に楕円形の長尺テーブルが設置され、その上に沢山のメニューが並べられていた。
そこで食事をとる者達は、狩衣であったり、Tシャツであったりと、自由な雰囲気ではある。
狩衣の者は、夕食の後にも授業や課題がある者が多く、フリーな者ほど、ラフな格好の割合が高い。
ちなみに、女子は、用事がある者以外は、殆どが普段着となっている。
桃眞と慎之介は、烏帽子は付けていないが、狩衣姿だ。
食堂に入ると、初めて見るその人の多さに、桃眞が驚く。
「おぉ、めっちゃいるじゃん。こんなに居たんだ」とキョロキョロと食堂内を見渡す。
そして、その男女の比率に違和感を覚える。
「なぁ、女子って以外と少ないんだな。陰陽師って女子に不人気なのか?」
「いや、去年まで陰陽寮は女人禁制だった。今年から女子の受け入れを開始したんだ」
「マジで? 女性差別じゃん」
「そう、浩美さんの提案でな。もう令和だし、平安時代から続く仕来りも、新時代に合わせるべきなんじゃないかって。で、今年から20名の受け入れを始めたんだ」
「さすが、皇さんだな。あの人、顔が不気味だけど、良い事言いそうだもんな」
そう桃眞が言った時、背後から「不気味系美男子トーナメントがあれば、受賞しているかも知れませんね」と声が聞こえた。
「何だそれ。ジュノンボーイだけに、邪ノンボーイかよ」と笑いながら振り返ると、目の前に皇がいた。
聞かれてしまったと固まる桃眞。
血の気が引く感覚が全身を支配する。
青ざめ、口が閉まらない。
知らぬ存ぜぬと言った表情で、慎之介は皿を取り、料理をよそい始める。
「い、いらっしゃったんですね……」と振り返り挨拶すると、「えぇ、いつもこの時間には食堂に来ますから」と皇が答える。
桃眞と慎之介と、皇が並んで料理を皿に盛る。
「桃眞さん」と急に皇が声を掛ける。
「はい」
「邪ノンボーイは、笑えないですね。寒い寒い。ジュノンボーイに謝ってください」と、微笑を絶やさずに言うが、それがまた怖さを増長させている。
「さ、寒いすか」
「寒いです」
丁度、目の前の席が空いていたので、三人が座る。
桃眞と慎之介が並び、向かい側に皇だ。
遠くの席で、櫻子が女子達とスマートフォンで楽しそうに写真撮影をしている。
寺沢 漣樹も、野郎達と不敵な笑みを浮かべながら談笑している。
見渡す限りの寮生や、その中に混じる先生達も、楽しそうに食事をとっている。
照り焼きハンバーグを箸で割り、口に運ぶ慎之介。
ムシャムシャと咀嚼しながら「浩美さん。こいつ、初日でヘバってたみたいです」と告げる。
「あら、そんなに疲れましたか」と、鯖の味噌煮の背骨を、丁寧に箸で抜き取る皇。
「初日からキツイすよ。別室で八時間も座学とか……しかもマンツーマンでさ。頭が割れそうっす」と、苦悶の表情を見せつけた。
「仕方ないですね。あなたは、同じ一年生よりも、二ヶ月も授業が遅れているんです。追い付く為にはこのペースで頑張らないと、夏休みも、一人で授業にしますか?」と、今度は腹骨を器用に抜き取る。
「勘弁です。てか、夏休みってあるんですね」
「えぇ、寮で過ごすもよし、多くの生徒は実家に帰りますけどね」
その言葉に「実家かぁ……」と物思いにふける桃眞。
桃眞にとって実家に帰る事は、また現実と向き合わなければならない。
両親の死の記憶が、また色濃く鮮明に脳裏に蘇る。
「そう言えば、今日、授業で『安倍晴明』について習いました」
桃眞が、白米を口に入れた。
「平安時代、最強の陰陽師。安倍晴明ですね」
「そんなに凄いんですか。その、安倍晴明って」
「当時のカリスマだからな」と、慎之介が言った。
次いで、皇が口を開く。
「幼少の頃から、並外れた法力をその身に纏い、占星術は都一と言われておりました。また、その法力で邪を祓い、時には鬼神まで操ったとか……と言う伝説です」
「へぇ、スゲェ」
「図書寮に幾つか文献が残っていますが、どれも人間離れした力の持ち主。やはり、白狐の子供と呼ばれるだけの事はありますね」
「なんすかそれ」
「ただの伝説です。女に化けた白狐と、陰陽師の間に生まれた子だとか。にしても、その噂に負けないほどに、妖艶で美しく、不思議な魅力があり、まるで、雲を掴むかのような人だったとか」と、皇もまんざらでもなく、安倍晴明のファンだと伺える。
食事が終わると、男子寮に向かう二人。
回廊から、渡り廊下へと抜ける。
「慎之介、まだその服きてるけど、何かあるのか」
「あぁ、式神の研究をしてるんだよ。そういうお前は?」と慎之介が問う。
桃眞も、白い狩衣を纏っている。
「あれだよ。漏刻に分類分けされただろ? 俺。何か今からその授業があるって言うから、漏刻の間に行くんだ」
「漏刻なぁ……」と心配そうに声に出した慎之介に、「え、何だよ」と訊ねる。
慎之介は、桃眞の肩をポンと叩くと「寝るなよ」と言い残し、足早に寮へと入って行った。
つづく