令和5年7月第2週
7月3日(月曜)
日本自動車販売協会連合会の発表では、今年1月から6月までの上半期に国内で販売された新車は245万600台。過去10年で最も少ない台数に落ち込んだ昨年同時期に比して36万台余、率にして17.4%の増加。内訳では普通車や貨物自動車、乗合自動車等が去年より21.7%増えて156万4335台、軽自動車は10.7%増えて88万6265台。「新型コロナの影響による減産から回復し、半導体の供給不足が和らいでいる」事が背景に存在すると見られ、業界団体は「生産の持ち直しに加え、各社が新型を相次いで投入した事も販売を回復させた」ものの「半導体不足の解消までには至っておらず、新車販売の回復が今後も順調に続くかは見通せない状況だ」との見解を表明。
COVID感染拡大を受けて、2020年の活動期から日本職業野球では「本人や家族等が感染した疑い有り」「発熱等で体調不良となった」等の状況で1軍の出場選手登録を抹消された場合は「通常の10日間を待たずに再び登録が可能となる」特例を設けて来たが、本日に開催された実行委員会で日本野球機構、及び12球団は「此の特例を今季限りで終了する」旨を決定。同じく特例として設けて来た「出場登録選手数」や「控席入りの選手数」、「外国人選手登録数の拡大」に就いては今後に来季以降の対応を決定するが「今後の感染症流行に備え、従前の特例を踏まえた新たな制度を検討して行く」との事。
7月4日(火曜)
中国、露西亜、香佐富斯坦、吉爾吉斯、塔吉克斯坦、月即別、印度、巴基斯担、伊朗の9か国による国家連合、上海協力機構(Shanghai Cooperation Organization; SCO)、中国語では上海合作組織の首脳会議が、本日に回線接続形式で開催。露西亜の大統領、Vladimir Putin氏の出席は、露国内で武装反乱が起きてから初の国際会議参加となった。
会議の冒頭で印度首相のNarendra Damodardas Modi氏が「印度は議長国として、多方面に渡って上海協力機構の協力関係を強めようと絶え間無い努力を続けて来た」と述べ、此の枠組みを発展させて行く意気込みを示した。閉幕後に同国外務省が行った会見に曰く「此迄、傍観者として参加して来た伊朗の正式加盟が承認され、白露西亜も加盟に向けた文書に調印した」との事。伊朗は「核開発を巡ってと激しく対立」、白露西亜は「露西亜と同盟関係」等の情勢に於いて、中露としては「欧米への対抗軸として上海協力機構の枠組みを拡大させたい」思惑有りと見られるも、我が国を含む三国との日米豪印戦略対話(Quadrilateral Security Dialogue; QUAD)にも参加する印度は欧米との関係も維持しつつ所謂、全方位外交で様々な枠組みに参加し、国際社会で存在感を高めたい模様。
一方、Putin大統領は回線接続で参加した首脳会議で「我々に対して混合戦争が仕掛けられ、不当で前例の無い規模の制裁が科されている」が「露西亜は外部からの圧力と制裁、挑発に対して、自信を持って対応して行く」と発言。露国の民間軍事会社、Wagner groupの代表、Yevgeny Prigozhin氏が起こした武装反乱にも触れつつ「露国民は此迄以上に団結して」居り、「武装反乱の試みに社会全体が共同戦線を張り、結束と高い責任を示した」と強調。「露西亜指導部の行動を支持してくれた上海協力機構の各国に感謝する」と述べ、自国が混乱も孤立もしていない旨を内外に主張した模様。
更に同日、Putin氏は露連邦内の達吉斯坦共和国から「8歳の女の子」を莫斯科に招待。先週に同地を訪問した「Putin大統領」に会えなかった事を悔しがって泣いたと云う少女は、改めて眼前に現れた大統領に「笑顔で駆け寄り抱きつき」、大統領は「抱えていた花束を女の子に手渡した」後で「モスクワは気に入った?」等と話し掛け、頭に接吻。更に書斎から財務大臣に電話を掛けると、受話器の向こうで財務大臣は「達吉斯坦の為に50億留を用意しました」と即答するも、50億留を日本円に直せば約80億円に相当。実の所は達吉斯坦で昨年9月、烏克蘭侵攻に伴う動員に対して強い反発が生じて居たらしく、達吉斯坦に於いて再び大統領支持を強めるべく「先週の影武者訪問から此の少女招待に至る一連の動き」が計画された可能性大。
7月5日(水曜)
コロナ禍で売上が大きく減少した中小企業の資金繰りを支援する為、2020年3月に政府が設けた制度。実質無利子で無担保の所謂「ゼロゼロ融資」の申請は去年9月に終了したが、融資総額は凡そ43兆円に上った模様。融資を受けた企業の返済は今月から本格化する見込みなれども、ゼロゼロ融資に関しては「収益の改善の見通し等が無くとも融資を受ける事が可能故に、安易な借り入れから過剰債務に為り兼ねない」との指摘が有り、「資金繰りに苦しむ企業が増え、倒産件数が急増する」事も懸念されている。実際に民間の調査会社、帝国Databankの伝える所では、今年5月迄の5ヶ月間に於ける倒産件数は3224件で前年同時期より29%増えたが、このうちゼロゼロ融資を受けた後に倒産した企業は236件を計上した由。
日本医師会の常任理事、釜萢敏氏が、記者会見でCOVID感染状況に就いて言及。「五類への変更後、一貫して全国で徐々に増えているのは変わらない」が「殆どの県で、5月よりも6月の方が報告数が増え」「沖縄県の感染者の増加が非常に著しい」と語った後、従前は「一時下がって、最も低い所になって、もう一度上がる状態がずっと持続している場合」には「新しい波と考えて来た」。故に現状は「第九波と云う状況になっている」と「判断する事が妥当ではないか」と指摘したが、極めて常識的判断と思われる。
7月6日(木曜)
世界保健機関(World Health Organization; WHO)に拠ると、6月5日から7月2日に至る28日間で、世界中から88万5000人以上の新規症例と4900人以上の死亡が報告された由。WHOの統括する五つの地域の全てが症例数と死亡者数の減少を報告しているものの、阿弗利加からは比較的小さな変動なれども症例数は減少しているが死亡者数は増加しているとの報告あり。7月2日の時点で世界中で報告された確定奨励は7億6700万人以上、死亡は690万人以上だが、世界的に検査と報告は減少。28日間のうちに最低1件の症例を報告したのは国と地域は234のうち131、56%に過ぎず、正確な感染率は不明。
本日に東京都がCOVID感染状況に関する経過観察項目を発表。定点把握の対象になっている都内419の医療機関のうち、415箇所から受けた報告に拠ると、感染者数は7月2日迄の1週間で総計2841人で、1医療機関当たりでは6.85人。前週6.22人の1.1倍で、専門家からは「緩やかに増加して」いるが「特に重症化危険性の高い60歳以上の患者が増えて」居り「今後の動向に十分な注意が必要だ」と指摘。また今週3日時点での入院患者数は前週より58人増えて、1089人を数えた由。
COVID罹患で療養中の一昨年8月に板橋区の自宅で肺炎で死亡した北端明氏に関し、兵庫県に住む遺族が区に対して損害賠償を求める訴訟を起こす模様。弁護士は「北端氏は独居にして基礎疾患を有し、自宅療養中に体調が悪化」「血中の酸素飽和度を測ると70%と低値で区に報告するも救急搬送等の対応は執られず、後に亡くなった」の経過で、「区の対応に過失有り」と遺族側は主張。約5800万円の損害賠償を求める訴えを近日中に東京地方裁判所に起こす予定だが、COVID自宅療養中の死亡に関して行政の責任を問う裁判は初との事。記者会見した妹は「兄は必死にSOSを出していたのに区は受け取らなかった」が「区からの説明も殆ど無い」、「裁判を通して真実を知りたい」と述べるも、板橋区は「個人情報に関わる可能性が有り論評出来ない」との事。
一昨年3月に「東大阪市、大阪府立中河内救命救急中心で医師とCOVID患者が人工呼吸器の装着方法を巡ってももめた後、装着されていた人工呼吸器が約2分間停止された」件に関し、「当時の看護記録から人工呼吸器を止めたという内容が削除されていた」旨の報道有り。削除されていたのは、当時の経緯について「本人と相談し呼吸器一旦中断するも頻呼吸呈したため呼吸器開始」と記された部分を含む2箇所との事だが、「人工呼吸器を止めた医師とは別のこの患者の主治医」が「みずからの判断」に基づいて削除を指示。病院は一昨年12月付で当該医師を訓戒処分にしたとの事だが、自身の責任でも無い記載を何故に削除したのやら、状況は判然としない。
7月7日(金曜)
厚生労働省が発表した「7月2日迄の1週間に全国の医療機関、凡そ5000箇所から報告されたCOVID患者数は、前週から5492人増えて3万5747人。また1医療機関当たりの平均の患者数は7.24人で前週の1.18倍となり、前週から増加が続くのは13週連続。都道府県別では、多い順に沖縄県が48.39人、鹿児島県が13.48人、千葉県が9.89人、宮崎県が9.66人、熊本県が9.58人となり、、46都道府県で前週より増加。全国で7月2日までの1週間に新たに入院した者は5320人で、前週と比べて569人の増加。東京都に感染対策を助言する東京iCDC(Tokyo Center for Infectious Disease Control and Prevention)(東京感染症対策センター)の所長で東北医科薬科大学の特任教授を務める賀来満夫氏は、現在の感染状況を「沖縄では急速な感染拡大が起きて、冬の第八(はっ波を超える大きな波となり、医療の逼迫が起きている」と見る。「全国的にも緩やかな感染拡大が続き」、東京では「若い世代での感染が中心になっている」が「此れが高齢者にも広がれば、医療が逼迫する事も考えられる」との事。
五類移行後としては6月16日以来、本日で2回目の開催となる第123回新型コロナウイルス感染症対策諮問委員会。所謂、専門家会合の分析でも、新規患者数は全国的には4月上旬以降、緩やかな増加傾向で、5類移行後も七週連続で増加が続いているとの事。46都道府県で前週より増え、特に沖縄県で感染が拡大。新規入院者数や重症者数も増加傾向で、同県では入院者数の増加や病院内での集団感染発生で医療への負荷が増大。検出されるSARS-CoV2の種類はオミクロン株のうちのXBB系統が大部分を占め、中でも印度等で拡大し、免疫を逃れ易い可能性が指摘されているXBB.1.16の割合が増加傾向とされた。会合後の会見で座長の脇田隆字氏は「九州や西日本でも増加が続いているので、注視する必要が有る」との懸念を語る反面、「今の状況が第何波となるか」の議論はして居らず「いずれ感染拡大が落ち着いた時」に初めて「波が如何だったのか」を評価すると語った模様。後藤新型コロナ対策担当大臣も閣議後会見で「全国的に少しずつ感染が拡大しているが、数字の伸び方はまださほど大きいという認識は持っていない」。「政府として今の段階で新しい流行の波が発生しているとは特に認識していない」と発言。
厚生労働省は、自治体に提出された死亡診断書等に記された「最も死亡に影響を与えた病気」や「死亡の原因となった病気の経過に影響を及ぼした病気」がCOVIDだった事例を分析する新たな試算方法を導入。本日に初めて今年4月分の結果を公表した所に拠ると、死亡診断書等で「最も死亡に影響を与えた病気」の欄にCOVIDの記載が有った者は550人。「死亡の原因となった病気の経過に影響を及ぼした病気」としてCOVIDが記載されていた者を加えると1406人となったが、厚生労働省が同じ手法で過去に遡って試算した結果、「人口動態統計で把握して来た死者数の増減と略同じ傾向」だったらしく、今の所は有意な死者数増加は無いとされた模様。五類移行後、5月分の調査結果は今月下旬から来月上旬に公表される予定。治験段階では有効性が示されて居り、厚生労働省は「今年9月から5歳以上を対象に行われる予定の追加接種」で「XBB.1.5を含むXBB.1系統に対応するワクチンを使う方針を示している模様。
7月8日(土曜)
春秋航空/Spring Airlinesは世界的大流行の影響で北海道と中国の上海/Shanghaiを結ぶ便を運休していたが、需要の回復が見込めるとして、新千歳・上海便の運航を火曜日と土曜日に各1往復で再開。本日正午過ぎに新千歳空港へ最初の便が到着したが、中国本土と道内を結ぶ直行便の運航は2020年3月以来。降り立った凡そ130人の乗客を空港関係者が横断幕を掲げて歓迎したが、先月に新千歳空港から入国した外国人は8万6000人余と2019年同月に比して55%止まり。今回の運航再開が旅客数の増加に繋がる事が期待される由。
Johnny Kitagawa/喜多川 擴氏に依る性加害問題に関し、今度は「別れのブルース」「東京ブギウギ」「銀座カンカン娘」等の流行歌で知られる国民栄誉賞受賞の作曲家、服部良一氏の次男にして、長兄も作曲家の故人、服部克久氏と云う家庭に生まれ育ち、自身も劇団黒テントで創立以来、活動を続ける俳優で音楽家の服部吉次氏が「小学生の時に受けたジャニー氏からの性被害」を日刊ゲンダイに告白。
吉次氏の証言に曰く、1950年に良一氏が歌手の笠置シヅ子氏と米国巡業を行い、羅府を訪れた際の公演会場が高野山真言宗直営の高野山ホール。当時の高野山真言宗米国別院の第3代主監がジャニー喜多川の父、喜多川諦道氏。「息子のジャニーは当時19歳」で「姉のメリーと共にコンサート会場を駆け回り」、「大人顔負けの接待役を発揮」して良一氏や笠置氏の歓心を買い、同年6月に朝鮮戦争勃発。米国民として徴兵された喜多川氏が新宿区の服部家を訪問する形で再会。戦争から生還して日本に戻った喜多川氏は、除隊して米大使館軍事顧問団に勤め始め、再び服部家に接近。
代々木の進駐軍宿舎に起居する喜多川氏は基地内売店で購入したと思しき「ハーシーのチョコレートやハンバーガー、フライドポテト、アイスクリーム」を持参。当時の日本では入手困難な手土産に加えて、「一緒に遊んでくれる」「優しいお兄さん」を慕っていた吉次氏なれども、家族包みの交際が続く中で小学2年生、未だ8歳だった吉次氏の部屋に喜多川氏が宿泊。「肩揉んであげる」と言う喜多川氏の言葉に従うと「手が虫みたいに体中をはいまわる」「そのうち、下半身をまさぐってきて」「パンツをめくって股間のあたりに手を入れてくる」だけでは終わらず。吉次氏が翌朝に何も知らぬ姉へ顛末を話した所、「汚らわしい」と「すごい剣幕で」言われて罪悪感を覚えるも両親には相談出来ず、「彼は毎週土曜日に来て」「私と一緒に寝て同じ行為を繰り返す」事が「1年で30回くらい」に及んだ。喜多川氏は自らの運営する「ジャニーズ少年野球団」を米車のクライスラーに乗せて服部家に連れて来る事も有ったが、同時期に「ジャニーの車で『少年野球団』のメンバー3人」と喜多川氏が気に入った吉次氏の友人も交えた「総勢6人で父の軽井沢の別荘に1泊旅行」した際は「大人はジャニーだけ」で、「一晩で5人の間を渡り歩くなんて彼にしてみれば夢の饗宴だった」と思われる等の生々しい証言が並ぶ。
吉次氏が成人に近づく中で喜多川氏の性的嗜好からは外れ、自身への被害が終わった後も記憶は消えず、また良一氏の葬儀には喜多川氏も参列。「喪主である兄の代わりに葬儀を取り仕切っていた」吉次氏に喜多川氏が「明日の本葬も大変だろう」と申し出て、喜多川氏所有のマンション。所謂「ジャニーズの合宿所の最上階に、吉次氏の妻子と共に宿泊。「トイレ、和室、プレールーム、風呂場等すべての部屋にテレビがある広大な部屋」だったが、吉次氏は喜多川氏の所業を妻に打ち明けていたらしく、「こんなことしてくれる」のは12歳の息子に「食指を動かしてるのよ」と警戒した妻は、「葬儀の時も片時も」息子から目を離さなかった」との事。喜多川氏に関し、吉次氏は「マメで気が付くし、気くばりの人」だが「ステージに立つ夢を抱きながらジャニーズ事務所の門戸を叩いた少年たちの心と体を傷つけむさぼるように快楽にふけった罪は許せない」。「日系2世として朝鮮戦争に従軍して」「アメリカでの日本人差別も経験」した喜多川氏も、或いは「PTSDに苦しみ、それは性加害という形で発現されたのかもしれない」が、「彼はPTSDを再生産し、幾何級数的に増殖するシステムを構築してしまった」。「その現実が見えた今、彼の罪深さは計り知れないと思います」等と纏めている。
良一氏の長男、吉次氏の兄に当たる服部勝久氏は既に故人だが、「服部家とジャニー氏の交流」に就いては「ジャニー氏は良一氏の葬儀で親族席に座り、愛用のピアノまで譲り受けた等の挿話を生前に語っている模様。NHKは今年10月から、笠置シヅ子氏をモデルにした連続テレビ小説『ブギウギ』を放送予定。「良一氏を模した羽鳥善一なる登場人物を元ジャニーズ事務所所属の草彅剛氏が演じる」との情報が解禁された次の日に、吉次氏の記事が配信されたのは偶然では無かろうが、数十年に渡って恩人の息子も含む少年達を毒牙に掛け続けて来た喜多川なる人物の所業に関しては矢張り「例え死屍に鞭打つ形となろうとも徹底的に解明、糾弾されて然るべき」と考える。
7月9日(日曜)
音楽製作者の松尾潔氏はMISIAや宇多田ヒカルの御目見得や平井堅、CHEMISTRY、SMAP、JUJUの活動に関わり、EXILEの“Ti Amo”で第50回日本レコード大賞、天童よしみの「帰郷」で第55回日本作詩大賞を獲得。昨今は故ジャニー喜多川氏による性加害問題に就いてTwitter投稿や日刊ゲンダイの連載、RKBラジオ出演で言及。「まずは記者会見を。企業の不祥事は数あれど、文書と自社動画だけで謝罪を済ませた例はどれくらいあるのか」「多くの識者が指摘するように、再発防止特別チーム会見では委嘱事項や独立性に関する開示がないのが残念」等と業界の内部から問題提起を繰り返して来た松尾氏が、今週1日にTwitterへ「15年間在籍したスマイルカンパニーとのマネージメント契約が中途で終了になりました」。「私がメディアでジャニーズ事務所と藤島ジュリー景子社長に言及したのが理由で」在り、「私をスマイルに誘ってくださった山下達郎さんも会社方針に賛成とのこと」で「残念です」。「今までのサポートに感謝します。バイバイ!」と投稿。
1978年に山下氏の管理を目的に設立されたスマイルカンパニーは現在、山下氏に加えて妻の竹内まりや氏、放送作家の鈴木おさむ氏、漫画家のヤマザキマリ氏等が所属。元社長の小杉理宇造氏は嘗てジャニーズ事務所の顧問。ジャニーズ・エンタテイメントの代表取締役社長を務める等と同事務所との関係が深く、2002年に音楽業界情報サイトの取材に「僕はジャニーさん、メリーさんという人間が大好き」「この人たちが僕を必要としている限りはお役に立ちたい」と語り、理宇造氏が社長を引退して子息の小杉周水氏に代替わりした後も山下氏や竹内氏に加え、周水社長も作詞家、作曲家としてジャニーズ事務所所属の芸能人に多数の楽曲を提供する等と両社の密接な関係は続いているものと見られる。
斯様な状況下で本日、齢70の山下達郎氏が、TOKYO FMの「サンデー・ソングブック」に出演。「此の度、私の事務所と松尾潔が契約終了となり、私の名を挙げた事で、電網や週刊誌で色々書かれて居ります」と語り出した山下氏は「先ず以て、私の事務所と松尾氏と」は「彼から顧問料をいただく形での業務提携」で在り「雇用関係に在った訳では無い」。故に契約終了と言えども「解雇には当たりません」。松尾氏は「事務所の社長の判断に委ねる形で」行われたが「松尾氏と私は直接何も話をして」居ないし、「私が社長に対して、契約を終了するよう促した訳でも」無い。
松尾氏が「ジャニー喜多川氏の性加害問題に対して憶測に基づく一方的な批判をした」事が「契約終了の一因」だとは山下氏も認めるが「理由は決してそれだけでは」無く、「他にも色々有る」が「今日、此の場で」の言及は「差し控えたい」。「私がジャニーズ事務所への忖度が有って」「今回の意見も其れに基づいて関与してるのでは」と電網や週刊誌で「根拠の無い憶測」をされる事に氏は我慢がならないらしく、「今の世の中は憖(なまじ」、黙っていると言った者勝ち」で「どんどん、どんどん嘘の情報が拡散」してしまうが故に、氏が自ら「思う所を正直に、率直に」語る「必要性を感じた次第」との事。性加害問題が「今、話題となっている」事自体は氏も認識しているものの「今回の一連の報道が始まる迄は漠然とした噂」に過ぎず、「私自身は1999年の裁判のことすら聞かされておりませんでした」と主張。当時「ジャニーズの業務を兼務して」居た「私のビジネスパートナー」とは時期的に小杉理宇造氏を指すのだろうが、「マネジャーでもある彼」が「一タレントである私にそのような内情を伝える」事は無かった由。更に氏は「性加害が本当に在ったとすれば」「其れは勿論、許し難い事」で「第三者委員会等での、事実関係の調査というのは必須」と考えるが、「飽くまで一作曲家、楽曲の提供者」で「音楽業界の片隅にいる」に過ぎない山下氏にとって「ジャニーズ事務所の内部事情等」は「全く預かり知らぬ」事。
性加害に就いては「私が知る術が全く有りません」と素っ気なく切り捨てた後、「中学生だった1960年代に初代ジャニーズの楽曲と出会って」喜多川氏の存在を知り、1970年代に「私の音楽を偶然に聞いたジャニーさんに褒めて頂いた」縁から「『ハイティーン・ブギ』と云う作品が生まれ」、以降も楽曲提供を続けて「私自身も作品の幅を大きく広げ」て成長。「KinKi Kidsとの出会い」から『硝子の少年』が生まれ、昨年の『Amazing Love』に至るも「彼らとの絆はずっと続いて」居るが「芸能というのは人間が作るもの」で「人間同士の意思疎通が必須」。「人間同士の密な関係が構築できなければ、良い作品など生まれ」ないが、「然うした数々の才能」を輩出した「ジャニーさんの功績に対する尊敬の念は今も変わっていません」。「私の人生にとって一番大切な事は御縁と御恩」等と喜多川氏、及び事務所の芸能人を称賛。「私が一個人一音楽家としてジャニーさんへの御恩を忘れない」事や「ジャニーさんのプロデューサーとしての才能を認める」事と「社会的、倫理的な意味での性加害を容認する」事は「全くの別問題」で「作品に罪はありませんし、タレントさんたちも同様」。「アイドル達の芸事に対する直向きな努力を間近で見てきた」ので「彼らに敬意を持って接したいというだけ」等と氏は主張。「彼らの才能を引き出し、良い楽曲を共に作る」事が「私の本分」と思っているが、「このような私の姿勢」を「忖度、或いは長い物に巻かれている」と解する者に対しては「屹度(きっと」、然う云う方々には私の音楽は不要でしょう」との捨て台詞も飛び出した模様。
山下氏の話が自身の想いを率直に述べたもので在ろう事は理解出来るが、90年代の文春記事に関しては目を背けて来たに過ぎない。Kauan岡本氏に始まり高齢の服部吉次氏迄もが苦痛に耐えて行った証言に対し、未だに「性加害が本当に在ったとすれば」と婉曲ながら疑いの視線を向ける猜疑心の強さには辟易する。「芸事に対する直向きな努力を間近で見てきた」と山下氏は言うが、彼の視界には自身や喜多川氏と成功を分け合った少年達しか入って居らず、喜多川氏の毒牙に掛かって夢を諦め、或いは性的要求を拒んだ為に幾ら努力しても認められなかった者達の存在に対しては冷酷。結局の所、山下氏は「裏で何をして居ようが、美味しい仕事を持って来てくれる御得意様とは仲良くし続ける」と云う自身の処世術を、美辞麗句を以て言い換えたに過ぎず、少なくとも私の心には全く響かなかった。
とは言え、山下氏や小杉氏が老獪な人物なれば、松尾氏の発言を不快に感じても此の時期の契約終了は避け、余熱が冷めた後に行動するのが上策だった筈。日本屈指のsinger-songwriterにしてcity popの旗手として世界に知られる山下達郎氏が、此の問題に言及した事。而も性加害者を擁護する発言に終始した事が国内外での議論を呼ぶは必定。「事件を風化させず、問題追及を終わらせない」との観点から考えると、此度の山下氏発言の意義は極めて大きい。