諭吉が諭吉でなくなる!
遅ればせながら新紙幣発行(予定)のニュースを知りまして……なにが衝撃ってやっぱり一万円札ですよね。
諭吉が!
あの諭吉が諭吉でなくなる……!?
いやまあ、諭吉は変わらず諭吉なのですが、私たち日本人にとって共通認識とも言える諭吉=一万円という等式が崩れてしまうんですね、予定通りなら2024年に。
これはやっぱり衝撃ですよ、価値観が揺らぐといいますか。
なにせずっと諭吉は一万円だったんです、少なくとも私の認識上では。
生意気にも幼少から作家の真似事のように作文用紙に妄想を書き連ねては黒歴史を量産していた私のような人間にとっては、表現上の利便性という点でも今回のニュースにはぐらりと来たものです。
コメディだったりあるいはそうでなくてもコミカルな表現の際には『諭吉が飛んで行った』と散財を嘆くようなシーンって、誰しもが何かしらの作品で目にしてきてると思います。かくいう私は具体的にどの作品か、というと困ったことにただのひとつも思い浮かばないのですが、けれど記憶には確かに燦然とそういう場面が輝いているんですよね。諭吉紙幣に羽が生えてパタパタと財布から浮かび上がっていくような感じのアレですアレ。
ちょっと話は変わるんですがお金を呼ぶ際に一万円札は当然諭吉ですけど千円札や五千円札は人名で呼ぶようなイメージは余りありませんね。それもまた福沢諭吉という偉人を相手に異様にフランクというか不遜というか、まあやっぱり最高額紙幣に対するある種の敬意が捻れて表れた形なのだろうとは思いますが、そういった点もまた諭吉の特別感をより強くさせる……と勝手に思ってます。
もし千円や五千円も名前で呼ぶなら英世とか一葉などと呼称することになるんでしょうがこれはちょっと言いづらい。「英世が三枚」やら「一葉が一枚」なんて日常的に使うのは無理がある気がします。
なのでこの二人なら呼びやすさ重視で野口と樋口が妥当なんでしょうけどそれだと下の名前で気安く呼ばれてる諭吉との些細ながらも明確なズレが……やっぱり諭吉は偉大だなとこういった部分でも改めて感心させられるというもので。
ここまで書いて今更になって自分が何を書こうとしているのかよく分からなくなってきましたが、とにかく話を戻すと、やっぱり諭吉は諭吉のままでいてほしいなあ、というとても個人的な、しかもすこぶるどうでもいい主張に落ち着きました。
馴染みというのは大事ですし何より一万円札はやっぱり諭吉がハマりまくってると感じます。とはいえ変更するというならするのでしょうし、それはもう変えられない流れなんでしょう、こんなところで愚痴に近いような意味不明な文章を垂れ流している私には抗いようもない社会の変化です。
ならば当然その変化を受け入れるしかないんですが、この場合次なる一万円札の表現はじゃあどうするんだということになりますよね。
ならない?
私はなるんです(鉄の意志)
常識的にこれまでの諭吉の役割をそのまま新札に変換するなら、一万円札を今度からは渋沢ないしは栄一と呼ばなくてはならないんですよね……うーん、やっぱりまったくもってしっくりこない。「一葉が一枚」よりもしっくりきませんよ、「栄一が一枚」は。
そりゃあ変わりたてに(というかまだ変わってもいないのに)すぐしっくりくるはずもないですし、そもそも浅学な私なので渋沢栄一氏のことを存じ上げてないということも大きく影響しているのでしょうが……。
それ以前にやはり、諭吉が強すぎると思うんです。五千円札に「虎の子の」という修辞を用いるのを目にすることもありますが本当に虎の子と言い表すべき最高額紙幣の一万円札にはそれすら使われず「諭吉」ですからね。
諭吉に修辞は必要ないといいますか単に諭吉と言うだけで過不足なく大金感が出ているといいますか……ここまで諭吉諭吉書きすぎて軽くゲシュタルト崩壊が起きかけていますので急ぎ結論。
2024年の変更までにどーか「諭吉はそのままにしよう、だって諭吉だし」とどこかの偉い誰か様が思ってくださりますよーに!
無力な私はそればかりを願うものであります。
ちなみに渋沢栄一をググると当たり前ながら凄い人物なのがわかりました、日本資本主義の父などと呼ばれているそうです……いやー参りましたね。
それでも諭吉がいいやい、などと駄々をこねる自分にとても参りました。
あと千円札と五千円札の変更については特に思うことはないです。むしろ絵柄が変わるのが若干楽しみなくらいで。
私はやっぱり諭吉=一万円という式に首ったけのようです。
よければ投稿している別作品も読んでいただけたら嬉しいです。
『怪物少女、邁進す 〜魔法のある世界で腕力最強無双〜』https://ncode.syosetu.com/n8265fk/
この下にリンク貼ってますのでそこからどうぞ!