三章 * もう一人の光 2
緊張し、強ばっているのが伝わるだけでなく、本来の性質として人前を苦手としていることはミオ以外の彼女とこの館ですれ違ったり挨拶を交わしたりした全員がすぐに分かった。
どことなくその見た目は儚さのようなものも兼ね備え、常識ある人間なら彼女のことを利用する気にはなれない、純粋さを醸し出している。可愛らしい顔立ちでなおその醸し出す雰囲気を増長しているようにも見える。
アリーシャ・ノルエイは偶然にもリオンと同じ二十三歳、北方の出身だった。リオンは西側、アリーシャは東側になるが。まさか何か接点があったのでは? と念のためそれとなくリオンの話をしてみたがさすがに知ってはいなかった。
「二人きり、少し話をしたいのだけど」
ミオの言葉に動揺を見せたのは彼女だけでなく彼女を連れて館を訪れた王宮勤めの二人の文官だった。彼らは確実にブラインの息のかかった領有院所属なうえに、入ってきた瞬間からミオを不快にさせた。館の中をじろじろ観察し、アリーシャに誰も近づけさせないと言わんばかりに使用人がお茶を勧めようとしただけで使用人が淹れたお茶など飲めないと失礼な発言をしたらしい。それをアクレスに諌められ急に態度を軟化させヘラヘラ笑って媚びへつらっていたと使用人たちが怒りを露にしていた。
「ダメなのかしら、ならばお帰り頂くわ」
「えっ、あの、我々が同席してはいけないですか? これでも我々はブライン領有院最高議長直々に彼女の付き添いを命じられています、無責任に彼女を一人にするわけにはいきませんなぁ、どうでしょう? ここは最高議長のお顔をたてるつもりで」
最高議長が自分達の直属の上司だから、なのかどうかいまいちはっきりしないものの、文官は自慢げに笑顔である。
それを冷ややかに見ているのはミオの周りにいる者たちだ。
文官に、こんなにおバカな人いたんだ……
そんな声が聞こえて来そうな顔だ。
「私はあなた達をこの館に呼んでいないの、ましてやそちらから会って欲しいと言われて何故私のお願いが聞き入れてもらえないのかしら。なんの権限があって、この屋敷での行動をあなた方が口出ししてくるのかわからないわね」
「いや、決してそういうわけでは」
「この屋敷での言動は全てにおいて私が優先。たとえ公爵でも、まして国王陛下でも私が否といえばそれに従います。あなた方はそうではないのね、あなたたちはどういう立場なの? 文官にそれほどの権力があるとは思えないけれど。不満なのであればアリーシャを連れお帰りなさい、改めて日取りを決めましょう。ただし、今日のことは国王陛下にも報告はされていますからなぜそんなことになったのかという経緯の説明はあなた方がしなさい。私は関与しません」
「し、失礼いたしました!! 発言は撤回させてください! どうか、どうか!」
自分の言葉が、首を締めるどころではない問題に発展する可能性があったことに気づかされた文官は青ざめ慌てて謝罪する。
「ならば別室でお待ちなさい、あなた方は必要ありません」
同席はアクレス、フィオラのように将来を期待されている女魔導師のナイルの二人だけが許された。ミオは特別隠すような話をするわけではなかったけれど、アリーシャが本心で話してくれるには文官は妨げになると見えたし、彼女の性格を鑑みて出来る限り少人数が望ましいと、二人が選ばれた。
「固くならずにね、怖かったでしょ?」
「え?」
「訳もわからず、突然議会に呼ばれた……あなたは、ただ、誰かの役に立ちたかった、だから自分の知識を周りの人々に話した。それが、王宮の一部の者達に届いて、今ここにいる。まるで救世主のように扱われ……立ち尽くすしか出来なかったでしょう。注目を浴びたかったわけじゃない、人の役に立てるなら影で静かに存在することでも十分今のあなたなら満足しただろうし、喜びを感じたのでしょうね」
「どうして……」
「聖女の力というのはこういう時便利なものなのよ。あなたの心は純粋で私にとても伝わったわ。安心しなさい、ここでは誰あなたの心を無視したりしないから」
ミオが微笑んだ。これはミオの本心だ。
きっと議会でのあの熱気を想像出来なかっただろう。若い女の身で突然公衆の面前に出された彼女は、ただ立ち尽くし、成す術なくその異様な空気から逃れる事を許させず、視線を全て集めていた。
不安な気持ちを察することなく無視した大人たちの視線は、アリーシャを孤独にさせた。
ミオが感じ取った彼女の不安から生まれた孤独は、放置するにはあまりにも危険な何かを感じさせたこともミオが会おうと思った理由である。
アリーシャは途端に顔を歪ませ、目に涙を溜めて唇を震わせた。しばらく言葉を発することが出来ず、うつむいて、涙が落ちてしまわないよう何度も指でぬぐった。
「す、すみませんっ……」
「いいのよ。まずはお茶を飲みましょうか、落ち着くわよ」
「はい」
彼女の性格は女官にお茶を出されて、お菓子を目の前に置かれて『ありがとう』と言う言葉が掠れてしまったり、噛んでしまったりすることからも伝わってくるものだ。
(気弱というか、自信がないというか)
アクレスは冷静に彼女を観察する。人当たりは良さそうだし、性格もフィオラのように直ぐに人に食って掛かる厄介さもなければ、リオンのように好奇心旺盛過ぎて後先考えず首を突っ込んでしまう面倒さもなさそうだ。おそらく男受けは良いだろうし女たちとも仲良くなれるだろう。
人前が苦手でも、周囲のちょっとした支えや手助けがあれば十分集団に馴染めるくらいには問題はなさそうだ。ただ、表に出たがらない、苦手とする性格は、それだけ対人関係の経験の浅さを予測させた。自分にとって都合よく、優しくしてくれる人を安易に信じてしまう不安を抱えている。
つまりそれは、誰と仲良くなるかで彼女の存在意義を大きく変えてしまう可能性が出てくるのだ。
どういう経緯でブラインが彼女をここまで連れてきたのかは聞いてみないとわからないが、少なくともこの時点ですでに問題だ。ブラインが彼女の周りをある程度自分の目が届く者たちて固めているだろうから。
その証拠があの文官二人だ、あの浅はかな言動から見るにアリーシャに付けられたあの二人は彼女の補佐や相談役ではなく、監視役だ。
(さて、どうしたものか)
アクレスは、おどおどしながら何とか笑顔で過ごそうとするアリーシャから目を反らし、カップを手にして見つめた。
「私の曾祖父が、本になっている記録や日記以外に残されていた資料をずっと整理、研究していたそうです」
他愛もない会話を少しして、落ち着いた彼女はミオの質問にようやく答えられるようになっていた。
「そんな資料があったなんて」
「日記と記録を纏めるに当たって日々書き貯めていた殴り書きのような、いわゆるメモや下書きが殆どで、内容も重複してるものが多かったそうです。月日がたちすぎていたので、大半がボロボロになっていたし、字も滲んで読めなくなっていたり。そのなかに魔物について一時期研究しようとしていたのか、色々書かれていたのを見つけたと聞いています。ただ、それらを改めて整理するだけで相当苦労したらしいですが」
「それでも、魔物について随分知識があるようだから、それなりに解読できたということかしら?」
「日記と記録を合わせても全体の二十分の一にも届きませんが、私たちが住む町が魔物の被害から免れているのもそのお陰だと自信をもって言える程度には、魔物への有効的な対策になる知識はあると思います」
「あなたの住んでいた町は、長い間被害はないの?」
「はい。曾祖父が亡くなってからは祖父が引き継いで、町の人たちと協力して試行錯誤して、魔物の倒し方と遠ざけ方を編み出そうとしたのが始まりだそうですが、それが父の代には成果が現れて、ここ十数年は魔物に襲われて亡くなる人は出ていません」
「そう、では……聖獣について、他になにか書かれていたことは? 日記や観察記録には載らなかったことなどもある?」
「聖獣のことは記録と日記がむしろ分りやすく書かれていると思います。目新しい内容はなかったようで、曾祖父も魔物対策にのめり込むようになってからは開きもしなかったと祖父から聞いたことがあります、聖獣については、正直私も詳しくありません」
「そう……」
アリーシャはなぜ、聖獣のことについて聞かれたのか分からなかったようだが、話は直ぐに戻されて、気に止めることはなかった。
そして、話が進むにつれ、分かって来たことがある。
「子孫を調べていた、ですって?」
「はい、ブライン様は日記と記録を読んで魔物について僅かに書かれていたことを知って、もしかしたら魔物の事も先祖本人では無くても誰かが興味を持って研究したんじゃないかと思い付いたそうです」
「いつ頃から、と聞いていたり?」
「確か……。本当に最近です、一ヶ月前くらいではないかと。魔物の急増を危惧してあらゆる手段を講じたかったそうです。先祖の出生地は私たちの町だと公になっていましたし、私たちも特に隠すこともありませんでしたから直ぐに見つけられたと話していました」
「そう……」
どこか、憂いを含んだ頷きをしたミオを、アリーシャが首を傾げて不思議そうに眺めていた。