二章 * 喧嘩 3
「あの人はいつもああいう口調なんだ、気にしなくていいから」
「分かってます、マリオ団長が私を警戒するのは当然です。むしろ今は思ったほどじゃなかったので感謝してるくらいです」
「やさしいなぁ、全く」
騎士団が入ったことで市内は少し気が緩みすぎなのではないかと思うほど、賑やかに見える。
酒場は大騒ぎするものもいるし、至る所で夜でも立ち話をする者達がいて、リオンはその妙な高揚感に戸惑いと不安を覚えてセリードに怒られたことの意味をはっきりと認識した。
「ホントですね」
「うん?」
「一人で歩く場所ではなさそう」
「だろ? これからは気をつけて。フィオラがいてもね」
「どうしてですか?」
「たとえ面倒なやつらに絡まれたとしても魔導師だからって、むやみに魔法で人を攻撃しちゃダメだ。ましてやフィオラはミオの代理を務めることも今後出てくる、それだけフィオラは将来を期待されているし、何よりその行動はミオに直結する。フィオラが不祥事を起こせばそれはミオの監督責任、ミオまでその資質を問われる。そろそろフィオラもそういう自覚をしてもらいたいけど、なかなかね。経験あるのみ、なんだろうけど騎士嫌いのあいつをオレが説得するのは至難の業だから自分で気づいてもらうしかないな」
「すごいですね、そういうこと考えてるなんて。勉強になります、あと、やっぱり私は気を付けます」
「うん、外を歩くときは必ず声をかけて。そのためにオレは来てるんだから。一人でも安全な場所はもちろん邪魔したりしないよ、四六時中一緒になんて無茶は言わない。ただ、居場所の把握はさせてもらえればこっちも安心だから」
「はい、これからはそうします」
「よし、じゃあごはん。もう宿の食堂は出てこないからその辺で食べようか。何がいい?」
「美味しいものならなんでも」
「よし、がっつり系でもいい?」
「がっつり系、いいですねぇ」
賑やかな街中に溶け込むように、互いの声が明るくて、わだかまりが残らなくて良かったと胸を撫で下ろす二人。
怒ること、怒られること。ただの他人なら見ないフリでいい、無視でいいことを怒る、怒られるその意味を何となく心のどこかで特別な感情に触れているからと期待が過ったことは、言葉にして確認はしない。
『今はそれでいい』と、そんな柔らかな言葉が二人の中で互いに伝わることなく消えた夜。
意見の違いで喧嘩は当然だと思っているし、ましてや騎士団の団長ともなればプライドもある、一度喧嘩となれば互いに退かないのは仕方ないことだろう。
それでも互いに折り合いをつけて、暗黙の了解で、衝突しないようにするのが大人だし、団長ともなればそういうことは出来て当たり前でなければならないだろう。
ジルとしてはバノンとマリオの衝突は仕方ないと割りきりつつも、やはりマリオ側の否が僅かに重く感じている。
マリオという男はジルが団長になった時から掴み所のないちょっと扱いにくいという認識がある。それは多分、孤立して自分の周りに他を寄せ付けない潔癖さのような、他人に理解される必要はないと決めつけて壁を作っているような態度がそう見せているのだろう。
「何ですか? 珍しいですね、オレを訪ねてくるなんて。悪い知らせですか?」
ジルは丁寧に出迎えながらも皮肉目いた言葉を滲ませマリオに笑顔を向ける。マリオは無表情で勧められた椅子にも腰かけず、立ったまま扉を閉じただけでそこから動ごこうとはしない。
「メルティオス公爵から資金提供を受けたというのは本当か」
「早いですねどこから?」
「いいから答えろ」
「フェアじゃないですよ、その情報はどこからですか?」
「本当かどうか」
「そちらが知っていてこちらは情報を貰えない。あなたはそれが通用するほど信頼されてる自信があるんですか?」
マリオの言葉を遮ってジルは急に不快そうに顔を歪めた。
「オレはあなたを信用しきれないんですよ。あなたもそうでしょう、他人を信用せず壁を作るのが得意のようだし。だからどこか信頼をおける所だけから情報を貰っている、オレもですが。……領有院の諜報員と会っていましたね? こちらに報告なしで。遠征先が同じ合同での活動が任務の我々騎士団に来ていることすら伝えない理由はなんですか? まさか、その情報を持ってきた訳ではないでしょうね。諜報員は原則王家と議会の決定事項を持ってくる時だけしか動かないはずです。それがどうして、あなたの騎士団にだけ? どういう意味ですか? 個人が動かしているとしたら、それはそれなりの地位にいる人物に限られます」
「もういい、黙れ」
今度はマリオが遮った。 それをジルは堂々と鼻で笑う。
「話せと脅してみたり、黙れと言ってみたり、何しに来たんです。喧嘩を売りに来たわけではないですよね? そんなに知りたいですか、いいですよ。……オレとバノンはレオン公爵から資金提供を受けました。その手続きは全て公爵に、お任せしていてオレたちが王都を出発してから進めるとのことでしたので、よくわかりませんが。気前のいいことで手続きが終わっていないのに現金を渡されましたよ」
「王宮がそれで混乱したらしいぞ」
「でしょうね。あの『沈黙の公爵』が動いたんですから。もっと荒れるでしょうね」
「派閥を作るつもりか? 何がしたい」
「そんなものに、興味はありません。というか……そちらこそ何かあったんですか?」
マリオはすぐ側の棚にあった粗末な花瓶を手にするとそれをジルの顔を掠めるようにして投げつけ、花瓶がジルの後ろの窓近くの壁に当たり粉々になって床に散らばった。
「余計なことをするな」
マリオはジルを睨み付ける。
「今の王宮が荒れているのは百も承知、それでも何とかバランスが取れている。それをこのタイミングでかき回して何になる? ブラインを牽制するつもりだろう、分かっている。だがお前たち下の世代が手出しするような事じゃない。余計なことはするな。正義面はすぐにでもやめろ、リオンの存在がこれから重要になってくるからといって調子に乗るなよ」
「乗っていません、オレはオレなりに考えて動いています。そんな暇はありません。これ以上話しても険悪になるだけですよ、お引き取りください、マリオ団長」
「……いいな、今の王宮に首を突っ込むな。マトモな騎士団団長でいたければな」
それだけを、吐き捨てるように言ってマリオは出ていった。
少しずつ、今すべきこととは違う面倒なことが離れているところで起きていることを悟って、ジルは粉々に砕けた花瓶を片付けながらため息をついた。
「参ったよ、まさか自分から来るとは」
わざと困った顔をしたジルをセリードは面白そうに肩を震わせ笑いながらグラスの酒を一口飲んだ。
「予想通りだな、あの公爵が動くのはうちの父が動くのとは訳が違う、情報で財を成した家だ、レオン公爵が動くということは情報を集める必要がある事が起きるんじゃないかと思うしな。今頃王宮で戦々恐々としてる奴等も多いだろう」
「まあな。しかし……まさかとは思っていたが、ここまで反応してくると面白いな」
「あの公爵は自分の手の内を決して見せないからブラインとその息のかかるメンバーは今頃戦々恐々どころじゃないな、パニックを起こしてるかも。父が本格的に議員として動くとなるとブラインの地位は自然と危うくなる。父は議員でいるだけでいい、周りがブラインから離れて父の周りに。そこで公爵も動けば」
「加速度的に、王宮は荒れるだろうな」
「ああ。マリオ団長がどうして首を突っ込むなと言ったのか真意は図れないが……あの人はあの人なりに意図してブラインに近い位置にいるんだろう。金で吊られてるように見せておいて、案外利用しているのはマリオ団長なのかもしれないな」
セリードはほくそ笑み、グラスを見つめる。
「お前、悪い顔してるなぁ」
ジルにしみじみと笑いながらそう言われたことが心外だったらしい。彼は急に不機嫌そうに顔を変化させて睨み付ける。
「どういうことだ?」
「楽しそうじゃないか、人が失脚するのが面白いか?」
面白くなさそうにふんっと息を鼻で吐き、セリードはグラスをテーブルに強めの音を立てて置いた。
「別に面白いとは思っていない。ただ、善人も悪人も自分の力量を越えてしまえば失態を犯して周りに迷惑を撒き散らす、今の王宮はそういう危険を孕んだヤツが多いから、潰れるなら纏めて潰れて貰いたいだけだ。どんな理由にせよ王宮が一掃されれば都合がいいだろ、王宮がおかしなことになっているのは事実だから」
「そういうことにしておくよ」
「は?」
「お前のよくする人受けのいい笑顔より、ついさっきの顔がお前の本当の気がするがね。リオンが言ってたな、計算高くて周囲を思うように動かせると満足そうに薄い笑みを浮かべることがあるってな」
「なんでそんな話しになってるんだ」
「機密事項だ」
「……納得しがたい」
ジルは面白そうにセリードを眺める。
「悪いことではないさ、お前だって自分がどういう男か分かっていてあの顔をするんだろ?」
「誉められてるとは思えない」
セリードがいつになく感情を出してふてぶてしく言い放つのを見て、ジルは吹き出し笑ってしまう。
「ははは!! リオンは、割りと気に入っているらしいぞ? 人受けのいい笑顔がたまにエセ臭くてそういう時は面白いって思ってるんだろうなぁって。そういうお前の方がお前らしくていいみたいだ。誉められてるぞ、リオンには」
セリードは真顔になりしばし言葉を失うといきなり項垂れテーブルに突っ伏した。
「それ、うれしくないな……。なんだよ、悪い顔って……エセ臭いって。オレ、リオンの中のイメージってどれだけ黒いんだよ」
思いの外長くなってしまった二章でした。
次回から三章突入です。
最初の幕は王都での出来事を予定してます。
三章はちょいちょい王都で起きている事を挟むことになりそうですが、主人公にも色々起こる章になる、はずです。