二章 * 喧嘩 2
―――純粋なる怒りだった。守る側の気持ちも知ってほしいと。
大事にしてほしいなんて半分は後付けの言い訳だった。ただ、守りたいと思っていることを知って欲しかった。
怖いと思われてもいい、少し関係がギクシャクしてもいい、それでも側で守ると決めた思いを理解して欲しかった。―――
(オレは、いつから、こんなことを思うようになったんだ)
―――こんな風に怒られたのは久しぶりで、自分がいかに非力なのかを思い出した。
思い出して、こんな風に誰かに弱い自分を守ってもらえる幸運を忘れていたことはやっぱりどこかに慢心があったのだと自覚する。
女としての弱さを教えられて、申し訳ないという気持ちの中になぜか嬉しさが込み上げた理由は、わからない。―――
(この人の優しさに、私はいつから甘えていたんだろう)
「ごめん」
「ごめんなさい」
同時に謝罪の言葉を口にしていて、セリードが肩から手を離し、体を起こす。リオンは、困ったような微妙な顔をしている。
「あの、どうしてセリード様があやまるんですか? ごめんなさい、私がもう少しちゃんと」
「いや、ごめん。言い過ぎた。リオンの焦りとか、悩みを理解しているつもりだった、でもそれよりもっと悩んでいたことを理解してやれてなかった」
「違います、私が悪いんです。前にビートにも同じように怒られて。後先考えない行動はやめろって何度も」
「大人げなかった、もっと言い方があったはずなのに」
「嬉しいですよ!!」
「えっ?」
「あ、怒られて嬉しいって変ですよね、でも、嬉しいです、そんな風に心配してもらえて。自分のこと考える余裕がなくて、周りが見えなくなって、いつもビートやジェナに心配かけて。でも最近はその事を忘れてました。……心配してくれる人がいる幸運を大事にしろってビートの言葉、思い出せました」
「……そう」
セリードがとても穏やかにホッとした顔をして、その顔をいつも見ているはずなのに何だか急に恥ずかしくなってリオンは、勢いよく背を向けて歩き出す。
(あ、あの顔ちょっと反則!!)
「帰ります、迷惑ばかりかけていられませんからね」
「ひとりで?」
「はい!!」
「……リオン、今のやり取りは一体」
「あ」
体が硬直するようにリオンは、立ち止まる。後ろから聞こえるわざとらしい大きなため息と足音が隣に並んだ。
「その性格というか感覚というか。変わるまで時間かかりそうだ、いや、変わるのか?」
「す、すみません。どうも条件反射で体が先に……」
「やれやれ、しばらくはオレとフィオラの喧嘩が続きそうだな」
「え?! なんでですか!!」
「基本オレとフィオラは相性悪い。今日のような喧嘩するよ今のままだと。同じことで同じようにする喧嘩って永遠に続くから」
「……夫婦みたいですね」
「フィオラとなんて勘弁して、あり得ない。次それ言ったらアルファロス家のチョコレートあげないから」
「今の私にとってそれ以上の脅迫は存在しませんよ……二度と言いません」
ふわりと互いに笑顔になって、並んで歩く。他愛もない会話が心地よく歩く速度を遅くさせた。路地を抜けると松明の明かりが一気に飛び込んできて、そこが荒廃した居住地区だということを思い出す。
「マリオ団長だ、少し寄っていいかな」
「はい」
マリオを含めた彼の騎士団の三分の一のメンバーが守護隊数名と共に二人から見えるずっと奥、森と街の境目を示す低い木々が連なっていたはずの、今はなぎ倒されて森の暗闇が不気味に広がる境界線辺りにいるのが見えた。
瓦礫や散らばったままの木々の破片や家財道具が寄せ集められて出来た道なき道を進み、二人はマリオの元へ行くと彼はこんな時間にと短い説教付きながらも追い返すこともなく迎え入れてくれた。
「どうですか? 今のところ」
「けっこう覚悟してたんだがな、音すら聞こえねえ。毎晩必ずうろついて呻き声や暴れる音が聞こえるって話だが……」
「いますよ、すぐそこに。ここの主とも言える存在が。こっち見てますよ?」
あまりにも普通の、なんの緊張感もためらいもない言い方をした。
一瞬セリードとマリオは目が点になってぽかんとしたが、リオンの側、男二人はパッと表情を切り替え真顔で森の中を凝視する。
「え? どこ? 見えないけど」
「オレも見えねえぞ、おい、どこだ?」
「見えませんよ、闇に溶け込んでます。彼らのあの黒い色は【闇色】、私たちが見ている黒色ではないそうです。光のないところで彼らが息を潜めてじっとしているとそれはただの闇と同じ、いないのと一緒です。こちらの様子を伺って通りすぎるだけなのかそれとも怒りや恐怖をぶつけてくるのかじっと見ているんです。飢えた理性のない魔物と違って……彼らは人間をよく見ているのだと、思います」
「だから、わざわざ手を出すなってことか」
「はい。魔物に教われて死ぬことなく変化してしまった人たちや動物、彼らが撒き散らした魔物は残念ながら理性はありません、討伐以外に数を減らす手段はないんですが……。魔物を生み出す元となる彼らや聖獣と距離を保ち、互いに互いの領域を侵さない、まずはそれがとても重要なんです。彼らの意思一つで、凶暴化して数も増えるし、沈静化して数も減る。その意思は私達次第だと思ってます」
「お前みたいに」
「はい?」
「そんな事を教えてくれるやつは一人もいなかった。正しいかどうかは、これから見させてもらうがな。……馬鹿馬鹿しいと思ってくれていいぞ、オレも他のやつも、世の中の殆どのやつがなにも知らないまま、人間を正義だと思ってる。正義でなきゃ、ダメだろ。お前の言葉を聞いてると魔物と人間は対等だって聞こえるんだ、自然の摂理とか御大層な理由を付けたご都合主義にな」
「マリオ団長」
セリードは彼がリオンを傷つける事をいう気がしたのだろう、制そうとしたが、それを分かっていてマリオがセリードの声に被るように少し威圧的に言葉をなげかける。
「いいから聞け、一般論を言っている」
一般論。
マリオが投げ掛けてきた言葉に、リオンとセリードは目が覚めたようなそんな気分になった。
リオンの言動に合わせて動くことが当たり前になっていたセリードは余計にそんな気分だったに違いない。
「お前の知識やリオンへの信頼抜きの気持ちだぞ。お前のその態度も価値観もまだ世の中じゃ正義じゃなく異端だ、間違いなくな」
セリードはリオンを見たけれど、案外彼女は真っ直ぐマリオを見ていてしかも落ちついている。その事に安堵しつつも、やっぱり一瞬唇を噛んだように見えて、マリオの態度に腹をたてながらもそれを表には出さないようにして、ため息をついて誤魔化した。
セリードが言い返していいことなど、今のマリオの言葉の中にはない。
確かにその通りなのだ。
リオンの知識は異端のもの。
それは、身近で見て聞いているはずのセリードも立場が違っていたらそう感じていたかもしれないような、今までの常識から外れたことなのだから。
「だからなリオン、オレはオレのやり方でやることもあるし、お前の意見が全てとは思ったりしない。ただな、お前の意見一つで部下や家族を守れるって言うなら試してみる価値はある。お前の邪魔は、しないさ。そのかわり、おまえもオレがやると決めたことの邪魔はするなよ。お互い、譲歩し合うことで見つかる解決策だって存在するはずだ。互いに折り合いつけて、落とし処見つけて、共闘する道だ。若いお前にはやりにくいだろうが、そういうやり方を覚えて損はないだろうしな」
「分かってます、そこまで私は自分に影響力があるとは思っていませんから。それに、共闘、ですか……いいと思います。私の知識は偏ったものだし、沢山の意見は私にとってもきっと必要な知識になるはずですから」
リオンは、静な表情できっぱりと言い切った。
いつも前のめりでがむしゃらに何かを探し求めてきた。
何をしているのか分からなくなったこともある。
支えてくれる人、理解してくれる人、その人たちに感謝しながら、貪欲に今でも何かを探し求めて、これからも探し求める。
周りが見えなくなったその時に、こんな風に軌道修正をしてくれる、他の道もあるのだと教えてくれる人が信用出来るか出来ないかは別としても、そんな人がいてくれるこの環境を大事にしなければ、とそんな事を思いながらそんな環境に辿り着く道を用意して守ってくれる隣の男へ感謝しなければと改めてリオンは強く思った。