二章 * 喧嘩 1
【闇色】と呼ばれる聖獣。
出会った聖獣エールがその闇色だった。
フィオラと闇色の聖獣が会話する光景。
そしてもう少しで辿り着きそうになった過去。
リオンは、それらを邪魔する存在に一瞬苛立ちを覚えたものの、フィオラから告げられた名前に苛立ちが勝手に凄まじい速さで抜け落ちて、
(あー、イラッとしてごめんなさい)
と、一人心の中で謝罪した。
かなり焦って心配して探していたのがわかる表情だった。フィオラと二人でいるところを目視出来た瞬間、セリードとジルが安堵のため息をついて、怒ることもなくリオンとフィオラを探していたんだと言ってくれたことにリオンは感謝した。きっとお小言の一言でも言いたかっただろう。それでもリオンの行動に制限をかけたくないとセリードが常日頃思っていることは彼の言動を見ていれば分かることで、この時も彼は彼女を責める言葉を一言も発しなかった。
思い立ったら即行動に移してしまう自分の性格に、リオンは流石に反省することになった。
そして街中に戻ってみると、すでに時刻は夜九時を過ぎていて、心配されて当然だと再び反省、いや猛省することになった。
それでも大騒ぎにならずセリードとジルの二人だけが動いたのはティナのおかげだ。二人の動きを察知したうえで、何か考えがあってのことで、『魔導師達へ森に侵入する何者かを止めるよう指示を受けたことが関係しているのだろうから様子を見よう』とセリードを説得し、騒ぎ立てるのは良くないと、探すのは少し待ってあげるようにとセリードを止めてくれていたらしい。
ティナの大人であり第三者的立場としての冷静さや判断力に感謝しつつ、そんな彼女の元に御礼と謝罪に行き、マリオから短く簡潔に説教を食らったその足で宿に戻ろうと、自分の泊まる宿に歩いているとそこへバノンが駆け寄ってきた。
「あ、バノンさん」
「バッカ!! お前どこいってたんだよ?!」
「な、なんですか! 急に!」
「喧嘩、喧嘩!! 一番厄介な喧嘩!!」
「喧嘩?! 誰が?!」
「セリードとフィオラだよ! お前何とかしろよ、あの二人の面倒はお前が見ろ!!」
マリオたちの騎士団は、魔物に荒らされた地区のそばで、市長が用意していた大きな宿に宿泊が決まっていた。バノン、ジルの騎士団とリオンたちは少し離れた、一番海岸線に近い地区ののんびりとした雰囲気の、ビスの中心にあたる街並みから離れたところに決まっていた。
その宿と宿のちょっと離れた道のりを、今日の夜から気を引き締めていかないと、自分の中の行動にもっと責任を持たないと、などと考えなが歩いていたリオンが今バノンに手を引かれて半分引きずられながら走っている。
「なんで喧嘩に?!」
「しらねぇっつうの。こっちが聞きてえ」
「さっきのこと謝りましたよ?!」
「なんとかしてくれよ?!」
「私無理ですよ!!」
「あの二人お前の以外の誰が止められんだよ、なんとかしろ! ガチであいつら喧嘩になったら宿全壊するからな!」
(そんな喧嘩止めるの絶対やだ……)
と、心から真剣に思ったことを口に出す前に宿についてしまい、リオンが嫌そうに顔をしかめる。
おかしなことに、気がついた。怒鳴るどころか、大きな声さえ聞こえない。そしてバノンがとある部屋のドアを勢いよく開けた。
(うわぁ、すごい嫌。これはこれで最高に嫌ですけど?)
二人の登場に、セリードとフィオラがチラッと横目で確認だけした。セリードは椅子に座って足を組み、そこから離れたところにフィオラが立って壁に寄りかかり足を交差させ、腕組みをしている。
「セリード様に指図される覚えはないですって前にも言ったはずなのに、忘れました?」
「指図してるんじゃない、周りの空気や状況に合わせてくれとお願いしてるんだ。お前だけが特別扱いされていい理由はない」
「合わせてばかりいられないこと位わかりませんか? 皆でぞろぞろ連なって付いて歩いてリオンの力を観覧しろとでも? 冗談でしょ、そんなの」
「だから二人で森に入ったと? 万が一のことも考えずに?」
「その万が一のことを誰よりもリオンが理解してますよ。リオン一人なら魔物に襲われないんですから。私が一緒に行くことを許したのは私なら一人で魔物から逃げる手段を持ち合わせてるからですよ、リオンはそういったことちゃんと理解してます、その上で私の同行をゆるしてくれたんですから。セリード様はそれくらい分かってますよね? 自分だって二人でどこかに行ってましたよね? それは他に聞かれたらどう説明する気なのか教えてください」
「……はぁ、ああ言えばこう言う」
セリードがぶっきらぼうな言い方をするのをはじめて見て、不謹慎にも少し驚き珍しいものを見れたと心で思った瞬間だった。
「は?」
フィオラが、そりゃもうイラついた声を出した。明らかに、喧嘩腰の声だ。
「言い返せないなら説教なんかやめてくれます? 私は悪いことをしたと思ってないし、リオンの護衛という役目も果たしたつもりですから。リオンの行動を制限したくないんですよ、こっちの都合でしょう? 護衛がどうとか。元はリオンはビート、ジェナと三人で旅してたし解決してきた。それを私たちが代わっただけ、国とか騎士団とか関係なくリオンは動くの。誰が支援しようとそれは変わらないんじゃないんですか?」
「フィオラ、ストップ」
リオンがたまらず大きな声で今にも取っ組み合いの喧嘩でもしそうなフィオラを制した。
「ありがとう、その気持ちが私を動かす力になってる。でも、喧嘩は嫌かな」
「リオン、でも」
「それと、セリード様。心配かけてごめんなさい、これからは気を付けます。……いつも、誰よりも私を理解しようとしてくれてるのに、支えてくれてるのに、守ってくれているのにそれを裏切ってしまいました。ホントにごめんなさい」
セリードは無表情で、少しの間リオンを見ていたが視線をそらすと立ち上がり、リオンとジルが立っている入り口を二人を無視して間をすり抜けるように出ていってしまった。
「追いかけたら?」
「え?」
「リオンしかなだめられないと思うわよ」
リオンの制止を受けて冷静さを取り戻したのだろう、表情の緩んだフィオラがその顔に今度は苦笑を滲ませていた。
どこへ行くのか。リオンがついてきていると気づいていて彼は確実に彼女の歩くペースに合わせてゆっくり歩いている。賑やかな街中ではなく、人が一人もいない、魔物に荒らされた地区に向かっているらしい。いま歩いているすぐ近くでは守護隊が絶えず巡回し、そのうち交代の時間でやって来たマリオの姿も確認できた。声を掛けてこないのはセリードが一緒だと分かっているからだろう。そんなことをリオンが推測していると、セリードはその地区を手前で横にそれ、空き家が連なる寂しい路地に入った。
「リオン」
「はい?!」
急に振り向いた彼はずかずかとリオンに向かって来ると、いきなり彼女の肩を掴む。
「もう少し!!」
「はい?!」
「頼むから、自分を大事にしてくれ!!」
その意味が分からなくて、肩を掴む手がいつも優しく頭を撫ででくれたりするのとは全く違う力強さで、ただ言葉を失って彼の目を見てリオンは驚く。この人も感情を表に出すのだと、抑えられない怒りを持つのだと、それを見せつけられて。
いつも優しくて、穏やかで、心のどこかでリオンは、この人はそういう人なのだと決めつけていたのかもしれない。都合よくいつでも自分にはそういう人でいてくれるのだと。
「どうしてついてくる?! こんなところに女一人で!! 人間だって襲うことはある、それを自覚しなきゃダメだろ!」
「あ……」
「リオンは、自分のことに無頓着過ぎる。やることがたくさんある、考えたいことがたくさんある、それは分かってる。でも自分の事をちゃんと大事にしなきゃ何も始まらない、何かあって後悔しても遅い、戦う術を持たないって自覚を持っているならちゃんと考えなきゃならない。オレだけじゃない、少なくとも今ここで行動を共にしているメンバーはリオンの存在の大切さを知っている、それがたとえ利用価値があるからという理由だとしても大切にしたい気持ちに変わりはない。……フィオラの言うとおりだ、オレだってふらりと消えて、ジルたちを心配させた、確かに説教する立場じゃないかもしれない。でも、それでも、もう少し考えてくれ。自分が女だってこと、ちゃんと自覚をもってくれ。守られていい立場ってこと、理解してくれ……」
肩をつかんだまま、ぐっと腕を伸ばし、顔を見られないようにセリードは腰を折り、深々と礼をするように前屈みになった。
「リオンに何かあったら、オレはどうしたらいいんだ」
絞り出すような、そんな声だった。その声に、心臓が締め付けられるような、痛みがないその不思議な感覚に、リオンはほんの少しだけ戸惑うことになった。