二章 * 意味 3
どう生きたかで、聖域の扉の完成度は大きく変わる。
それはリオンに漠然とした不安を与えた。
「大丈夫? 私は……私になってから」
『お前の場合、そもそも開いていなかった。消滅していたと言ってもいい』
「どういうこと?」
『理屈はよくわからんが聖域の扉とはなかなかに矛盾した存在でな。ある一定の小ささのまま次の聖域の扉に引き継がれるとすぐさま修復が始まるはずだが、そうならないこともある。自己防衛のようなものかもしれん、狭間に出来る穴を支える聖域の扉にある程度の《過去の記憶》が備わり、聖域の扉自身が本来もつ力を【覚醒】させたり新しい力を【創造】したりとふさわしい精神と肉体に成長するまでは穴が完全に閉ざされ消滅同然になることがある。……珍しいことではない、過去にも何度かそういうことはあったからな。まあ、一度消滅すると次いつ開くのかは誰にもわからなくてな、数百年開かなかったこともある。それでも、いつかは開くのだから長い時間を生きる我らにはそれほど問題ではない』
「そう、なんだ。」
少しだけほっとしたのかリオンは表情をゆるめた。
『そして、遂に小さいながらも再び狭間に穴が出現し、穢れを負っていない私は、もちろんルシアもお前の中を通りこの世界にやってきた。まぁ、《オアシス》が、穢れに体を侵食されるのを拒み聖域へ戻るため開きかけていた扉を強引に通ったおかげで、扉は再び閉じかけて朽ち果てそうになっているが』
「え? それじゃ、凄くまずいんじゃ。だって、穢れを負っている聖獣はもっといるのに……。彼らが安心して通れるようになるまでは修復され続けないとダメでしょ?」
『だからこうして私が来たのだ。《選定》のためにな』
「そうだ、それだ。そもそも選定とはどういうことなんだ?」
セリードが難しい表情をしている。どうやら気になっていた言葉らしい。
「リオンは自分の中に気配を感じたのはマリオ団長のところの団員たちと話しているときだったと。そしてこう言ったな、信頼するに値しない、と。誰の事を言っているんだ?」
『強い負を感じた』
「あのメンバーの中でということか?」
『それだけではない。どこらかともなくあの時、リオンのそばにいた人間たちに負が漂っていた。今この状態ならばリオンは修復にかなりの時間を要することになる。聖域の扉としての力は不安定が続くだろう。成長自体影響を受ける可能性もある。本来主に精神体が行う修復だが、それに問題があればそれを補うのが器である肉体だ。肉体は門番の様なもので、ある程度負のものをそれなりにはねのけるのだが、今の扉があまりにも脆く、器に留まるべき力も修復に使われている状態だ』
「つまり、今のリオンは負を払うことができない?」
『そういうことだ、だから選定するのだ。周りにいる者たちを。リオンに負の感情を持つものかどうか、残すべきものと排除すべきものをな』
セリードがピクリと眉をあげた。
「排除? ……どの程度のことを指しているのか聞いても?」
『排除は排除、それに程度などありはしない』
「殺しはごめんだ」
リオンは息を詰まらせセリードと名前のない聖獣とを見比べた。
『ほう、人殺しをするお前が言うか、それを?』
聖獣がニヤリとした表情をセリードにしてみせた。それに怯むことも動揺することもなく、セリードが感情の読めない冷めた顔をしている。
「騎士というものは便利な道具でな。騎士一人が血を流し命を落とすことで数百数千の命を救うこともある。そのかわり、騎士一人で奪う命も多い……が、戦う力のない人々に変わって国土や生活を守るためだ。偽善と言われてそれで結構、それこそこの世界の摂理だとオレは思っているけどね。オレたちのような存在あってのこの国だろうし。犠牲なく正義は成立しない、だがその犠牲は限りなく少ないことが理想だ、むやみやたらに命を奪うようでは騎士ではない。オレはそれを守っているつもりだ、例え人殺しと言われてもプライドと信念が揺るがない程度にね。……だから、殺しはごめんだと言うんだ、リオンは騎士ではない、人の死を背負う道具ではない。それが密接に繋がりを持つ聖獣であるお前の言う排除というものならばリオンにとって聖域の扉としての役目以上のことを背負わせることになるんじゃないのか? オレはそれは違うと思うし望まない。これ以上、リオンが背負うものが増えるのは聖獣としても不都合なんじゃないのか? 苦悩するぶんだけ、リオンの足は鈍る。聖域の扉というその穴が修復されにくくなるのはお前たちの望むことではないだろ。オレとしては、リオンの負荷を少しでもなくしてやりたい。出来ることはないのか? 聖域の扉ではないオレたち普通の人間に」
セリードの言葉はリオンの意識の奥底から、《過去の記憶》を引き寄せる。
『なるほど。面白い、そうか不思議な運命は、お前は生まれもつのではないのか』
「なに?」
『拾ってしまったのではない、自らその手でいとも簡単に拾い上げたか。なんと面白い男か。ふははは、それにこの私が気付くとは。ならばお前にその運命の意味を教えるのはこの私だ。セリードよ』
《過去の記憶》が流れ込む。
リオンが《過去の記憶》に意識を全て奪われている時間はこの世界でほんの一瞬だ。
しかしその一瞬の間に何が起こるかなんて誰にも予想は出来ない。
『この私に名を与えよ、セリード。おまえと私の契約だ、お前が私に名を与えることで後の聖域の扉たちの《過去の記憶》となり、力となるのだ、それは長い時間の中でわずな記憶に過ぎないとしてもいずれまた訪れる混沌の時代では必ずや必要となる記憶として残ることになる。そして、私はお前の生ある限りこの力を授けよう。《選定する者》の力を。私と共に選定するのだ、そしてお前はその信念とプライドで人を生かすも殺すも自由にするがいい。さあ、名を与えよ。その瞬間、私とお前は力を共有するのだ《選定する者》として』
「名前を……。」
過去に存在した《選定》の力を与えられた者。
その時代、大陸は混迷を極め、たくさんの人々が魔物の餌食となった。
聖域の扉は朽ち果てる寸前、もはや聖獣たちはこの世界から去ることが叶わず穢れを撒き散らすのを見守るだけだった。
その時代が時を刻み、《選定する者》が聖域の扉を守り続けて生を全うする頃、ようやく聖域の扉はわずかながらもその役目を果たせるまでに修復され、穢れを纏う聖獣のごく一部が聖域に戻ることが出来るようになった。
魔物は少しずつ、緩やかではあるが数を減らし人々は平穏を取り戻してゆく。
長い時をかけ、その混沌とした時代を事実がねじ曲げられ都合よく忘れ去られる程に。
排除という言葉に生涯囚われ、聖域の扉のために手を血で染め続けた男の苦悩した姿を見た人々の記憶もいつしか、伝承されることが薄れ、そして途絶えてしまう。
根底にある問題から目を反らした人間たちは、その場しのぎの平和に酔いしれる、再び過ちを犯す種を残したまま。
(『選定する者』の、辛い生涯。その能力は、聖獣との契約で与えられて……私が干渉できない契約なんだ……これは、阻止しないと)
「名前、か……。ならば」
『与えよ、私に名を』
黒髪はアルファロスの血を色濃く受け継いだ証である。
初めて公爵の爵位を受けた初代アルファロス。
その家に生まれた者たち男女問わず圧倒的な戦闘技術と戦術でティルバの国土を現在の面積まで拡大させた功績者として名を残した。
その血は現代まで色濃く残り、現在は特に男たちに顕著に現れている。突出した身体能力も、優れた戦闘技術も、それを最大限に活かす天性の勘の良さも度々騎士団団長や副長を輩出する要因である。
そしてなぜかその血がここ数代かなり強く出て、ジェスター、サイラス、そして、セリード、は見事な黒髪と強力な力を受け継いでいる。しかしサイラスは騎士にならなかった。
理由はただひとつ。
ミオが予見ではなく【先見の力】を発現させて断言した。
―――サイラスは知を、セリードは力を。
アルファロス初代公爵がそうしたように、知と力を互いに役目として分けることはアルファロスの血を正しく後世に残す種となる。
特にセリード、あなたのその力は初代公爵がそう決断した理由と同じ。
彼には弟がいたの、双子の弟たちよ。圧倒的な力をもつ兄すら越える力を持っていて、双子は兄に代わり戦場に立ち続けたの。初代公爵は剣を持たない戦いを、双子は剣を握る戦いを。あなたはサイラスに同じ決断をさせるその力に匹敵する。ただひとつ、大きな違いはあなたは双子として生まれてくることはなかった。だから一人で背負うことになるけれど。そこに困難はないわ、不思議だわ、何故かしら―――
暫くして面白おかしくサイラスが言い出した。
『もしかしてオレたちに弟が出来るのかな?
だとしたら名前は何になるんだろう?』
何故かサイラスは暫くの間、そのことを本当になるかのように楽しんでいた。本気でその時のためにと名前を考えていた。なぜなら、初代公爵は双子が生まれたとき両親と共に一緒に考えた、という記録が残っているからである。けれど現在その存在はいない。
ミオがみた未来。何故かぼやけて見えなかった。当然だ、聖獣の存在がそこにはあったのだから。




