二章 * 意味 2
「もしかして、それ」
「おい、まさか…」
『増えているだろう?異常なほど。お前たちが魔物と呼ぶものの大半は、【穢れ】を負った聖獣からこぼれ落ちるほんの小さな憎悪の欠片がこの世界の物質を取り込み、成長して形を得たものだ。穢れはな、魔物の素といっていい。あれは魔物と同じなんでも食らう。生あるものをなんでも取り込み、どんどん成長し、強くなる。憎しみや悲しみ、怨みや苦しみはどんな感情よりも膨れやすいゆえ、その増殖能力はこの世界の理には当てはまらず異常だ』
リオンは両手で口をふさぎセリードも真一文字に口を閉じると鼻で大きく息を吐いた。
ここで初めて、魔物の発生がどういうものなのか分かったのである。
今までは謎だった魔物の発生場所と発生条件。
今の話で考えれば発生場所はほぼ特定不可能だ。聖獣の中でもシンのように一ヶ所に定住することはとても稀で、気に入って長くいることはあってもそこが絶対的な生活場所ということではないのだ。
そして発生条件も人間にはどうすることも出来ない。
【穢れ】というものを負っている時点で聖獣からその穢れがこぼれ落ちる。そして魔物がそうであるように、その穢れそのものが悪食だ。なんでも糧としてしまう。この大地に生命が存在するかぎり、穢れや魔物に糧を提供し続けることになるのだから。
『聖域の扉と穢れは切っても切れない関係でな。一番の不都合はリオンに向けられる負のものだ。聖域の扉の宿命とも言える。我々との繋がりや特別な力は、いかなる時代でも欲望や嫉妬を引き寄せる。向けられた負の感情によって扉は傷つき狭まり朽ちて壊れて行く。扉が壊れ穴が閉じればこの世界に取り残された我々は自らの穢れを取り除ける聖域に帰れぬままこの世界に穢れを撒き散らすだけの存在に。』
「では。今は通ることが出来るようになったということか?」
わずかに思案したセリードの問いに、聖獣は明確に首を横に振って否を示した。
『簡単なことではない。リオンの前の聖域の扉は与えられた生を全うできなかった』
「え? 私の前の?」
『生を全うし、聖域の扉としての役目を最後まで果たして初めて聖域の扉は正常に保たれ次に引き継がれる。…しかし、《シルビス》はそれが出来なかった』
「それって、どういうこと?」
『調べてみるがいい、《シルビス・フローツ》について。お前なら、容易いだろう?』
セリードを見て、聖獣がいい放つ。
『お前、あの一族なのだろ? そしてジェスター・アルファロス、あの男の息子だ。』
「「ええっ?!」」
リオンとセリードは同時に大声を出すと聖獣はニヤリとほくそ笑んだように見えた。
『知ってるぞ、大層な影響力を持つそうだな?あの、シンの力と姿に怯まず立ち向かい生き残れただけのことはある。お前もその血を引いているらしい、似てるな、色々と』
意味深な表現をした気がした。セリードは困惑したのか、眉間にシワを寄せる。
『《シルビス》を知ることはお前たちにとって重要なことだ、我々聖獣のことばかり追いかけても答えは出ないのだ、リオン』
「ねえ、どうして教えてくれないの」
切実な、訴えるようなリオンの声だった。
「いつもそう。《過去の記憶》もどうして。大変なのよ、今ゆっくりなんてしてられない」
『大変だから、どうした?』
「え?」
『お前はこの世界の人間だ、聖域の住人ではない。万能の生命ではないんだよ。おまえは聖域の扉である。それは特別なことだ。だが、特別とは万能を指す言葉ではない。人の命は短すぎ限りがある、我々の力を超えることもできず手に入れることもできない。お前たちの身体、つまり器は我々からしたらあまりにも弱い。そしてお前自身が不安定でまだ未熟。……万能の生命体になりたいか? 全てを知りつくし、全てを手にいれたいか? リオン。もしそれが叶えば最も完成された聖域の扉になれる。だが、そのかわりにこの世界を捨て我らと聖域の中で生き続けなくてはならないぞ。この世界を捨てるのだ、なに一つ成し遂げることなく、ただ見守るのだよこの世界の終わりさえも。それでいいか? そもそも人間であるお前は我らと同じ記憶の量とそれを処理する能力がない。無理をすれば必ず全てがお前自身の体に負荷となって押し寄せる。それを解決するにはその肉体を捨て、我らの聖域に精神体のみで存在することだ。聖域の扉ならば我らの世界でたとえ精神体となっても自我が保たれよう。しかし、それはもはや人間とは呼べまいな。それはお前の望む姿ではないはずだが?』
「そん、な」
呆然とリオンは立ち尽くす。
『この世界に万能は存在しない。あってはならない。それがこの世界の理であって、数多くの聖獣が想いを寄せる世界。我らとて万能ではない、穢れを魔物として撒き散らし、己の穢れを己では消せないのがその証。自ら道を求めよリオン。全ては歩いた道の分だけお前に力と知恵を与えるだろう』
「リオン。」
うつむいたリオンを心配そうにセリードが見つめて頭を撫でた。
気持ちが追い付かないのだろう。
突然現れた聖獣との会話だけでも混乱する心に、知りたいという欲求を挫く容赦ない現実すらリオンには実感がない。何を言われても当事者であるリオンには客観的に話を聞く余裕などない、それでも必死に自分の事を、未知の世界を知るために、傾いだ心を必至に立て直し、リオンは顔を上げる。
「チョコレート」
「うん?」
「食べれなくなっちゃう。アルファロス家のチョコレート。聖域の住人なんて、私にはその時点で無理ですね?」
悲しさとか、無念さ、惨めさを滲ませる無理した笑顔。
セリードはそんな無理した笑顔を優しく受け止める。
「ああ、そうだな。」
名前のない、この世界を初めて訪れた《選定》というものをする《名無し》の聖獣。
そもそも全てに名前が存在すると思っていた。
全ての存在が同じ力を持っているのだ思っていた。
惨めで情けない心はセリードの撫でてくれる優しい手が薄めてくれて、その心と入れ替わるようにリオンの中には疑問が生じはじめた。
「ねえ、あなたは、何を教えてくれるの?」
リオンの心の変化を読み取ったのか、その聖獣はニコリと笑みを浮かべるような表情をした。
『我が役目は選定。それがどういうことなのか、聖域の扉とどう関係しているのか。聞きたいか?』
「教えて。知りたいわ」
そして聖獣は語りだす。
『さっきも言った、聖域の扉はこの世界の負の感情を含む穢れによって傷つき朽ちてゆく。この世界の器、つまりは肉体だが、聖域の扉は常に少なからず負に晒されて生きている。器と精神が一つのものとして存在する人間として生まれるせいで、肉体だろうが精神だろうが負を受ければそれは聖域の扉に直結してしまう。我々のように器と精神を分離しておくことが普通のことではないからな。そして……ある程度の大きさ、安定的で丈夫な扉が出来るまで人の一生を使うほど年月がかかるのは負を受けるたび修復を繰り返すためだ。修復は聖域の扉が無意識に行うが、修復は時間を必要とするものでな、どうしても人間の一生程度の時間では限りがある。聖域の扉の修復度は、その人の一生がどういうものだったかが大きく影響する。聖域の扉が死んだ瞬間に扉がどれだけ修復されているかで、次の聖域の扉が生まれてくる間隔は大きく変わる。受ける負が少なく生を全うした場合違いはこちらの世界に存在する時間というものでみれば数百年、聖域の扉がいなくとも状態がよければそれだけ保てる。ただ万能な物ではないゆえ、経年劣化と言えばいいか? 穢れに触れずとも不安定な空間の狭間にある扉は朽ちていくため、ある一定の小ささまでなってしまうと聖域の扉に相応しい人物が選ばれこの世界に誕生し、扉を引き継ぐことになる』
「だとしたら……《シルビス》とリオンの間隔は?」
『三十七年』
「短いな? 一体、なにが……」
『それはお前たちが己の力で知るべきこと。我らが与える知識とは別の、知恵や教訓を得るためにも必要なことであろう。扉が傷つき朽ちてゆくのに二つの原因がある。一つは我々が穢れを負った状態で扉を通るたびにつけてしまうのも。もう一つは聖域の扉である人間が生きている間に受ける負の感情。《シルビス》はそのどちらもが極端に多かった。そして彼女は若くして亡くなったがその原因も生きている間に受ける負、つまりはよからぬ感情からのせいだ』
「ちょっと待って、だとしたら私の中にあるっていう今の聖域の扉はどうなっているの?」
『ひどい有り様だ、大きな穢れを持つものは聖域を覗き込むことすら出来ない。《シルビス》が引き継いだ時点でいいとは言えぬ状態でな。……それがどんどん悪化し、そして《シルビス》が若くして亡くなったのだ』
「それを、リオンが引き継いでいるのか?」
『そういうことだ』




