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一章 * アルファロス邸宅 3



 地を這うような、低く重苦しく引きずるような雄叫び。それは地鳴りのように、体の芯まで響いた。


 ミオは身を屈め両手で耳を塞ぎ、そんな彼女を側に控えていたアクレスが支える。セリードも一瞬ではあるが体を強張らせて耳を塞いでしまうほどの、体を突き抜けるような内蔵まで到達する爆音の雄叫びが部屋中のありとあらゆるものをガタガタと揺らす。

「どうなっている?! 雄叫び?!」

「これが、ジェスター様を二十三年も苦しめた正体で、あの日の出来事の元凶さ」


 不思議な気分だった。周りの困惑と騒ぎがどこか遠くの出来事のようにジェスターには聞こえている。彼がそう感じるほど冷静でいられるのは目を閉じている暗闇のなかに、何かぼんやりと淡い光を放つ霧のようなものがユラユラと揺らめきながら集まり始め形になろうとしているからだ。

「これは‥‥?」

「見えますか? それが、痛みを与えていた存在です。形は少しずつはっきりしてきます。これはほんの一部、精神のかけらなので少し歪んで見えるかもしれません。でも、わかりますか?」

「原因?‥‥まさか、これが? これは、そんな‥‥私があの日対峙したのは」

 ユラリ、ユラリと目の前のものは水面に映るように歪んで見える。けれど確かにジェスターが見ているものは自分の人生を激変させたものとは明らかに違う、違いすぎた。

「こんなに、美しいものではなかった」

「それが本当の姿なんです」

 そして《それ》はジェスターに向かって初めてその本当の姿を現した。


『ジェスターよ』


 ぼんやりと淡く揺らめきながら輝きを帯びる。揺らめく霧は次第に霧散していくが、その中にいるものは所々歪んで見えるもののほとんど形が整って、真っ直ぐジェスターを見つめる。

 犬か狼か、そんな姿をしている。しかしジェスターは今まで見たことがないその姿に困惑するだけだ。


 『おまえのすべてをこれまで見てきた』


 純白でありながら銀色のまばゆい光をあらゆる方向に放つ体毛。風格ある太く長い尾を揺らすたび銀粉のような輝きが全身からキラキラと舞い上がり美しく(はかな)く溶けるように消えてゆく。


『確かにお前は私の敵ではなかった』


 正面からジェスターをとらえる瞳は青や紫に絶えず変化しながら磨かれた宝石のように艶やかに輝く。


『しかし人が犯した罪は人が背負い償うものであり、お前が私に剣をむけたのも事実。

お前にとってあの時の私はただの化け物にしか見えていなかったのだから。

 お前たちが生き延びたのは憎むべきものではなかったからであり、自分の命を惜しまず誰か一人を救うために犠牲に出来る揺るぎない信念があたっから、そして生きる理由を私が与えたからだ。

 お前たちの仲間の命が奪われたのは、現実を真実を見ようとせずただ恐怖に支配されたからだと知るがいい。

 恐怖に支配された人間の脆さを忘れるな。

 そしてあの日奪われたものと刻まれた苦痛は私に向けられた人々の愚かさの代償であるとしかと覚えておくがよい。

 我らと精神を共有する娘、リオンに免じお前をいまから解放する。

 しかし忘れるな。

 お前を苦しめ続けた私はほんの一欠片であり、この世から消え去ることはこの大地が滅びるまであり得ないということを。

 人の過ちから生まれる闇に終わりはない』


 そしてその美しい姿は再び発生しはじめた霧のなかに溶けるように滲むように霞んでゆく。


『忘れるな。

 我々はお前を解放するだけで人の過ちを許したわけではない。

 そして。

 ジェスターよ。

 お前が二度と我らに剣を向けぬことを願う。

我々がたとえどんな姿であろうとも。

そしてこの先を見定めよ。

 リオンがこの先を指し示す。

 あれはお前たち人間に必要な知識を、そして生き残る術を与えてくれる。

 しかし、非常に不安定であり生涯己の弱さに悩むだろう。

 お前の経験と知識で、リオンを支えることを私は望む』


 霧が一点に収縮し光が集まり輝きが強まった瞬間、それは弾け飛びジェスターは再び闇に包まれた。


 突然雄叫びと振動が収まりビートとジェナははぁっと息をつき、セリードとミオ、そしてアクレスは部屋の中を見渡したり目をパチパチさせたり忙しい。

「《シン》ありがとう」

 リオンの言葉を合図にジェスターは目をゆっくりと開く。相変わらず右目の視力は失われたまま、けれど確かな大きな変化。

「もう、大丈夫ですね?」

 彼を長い間人知れず苦しめてきたあの苦痛は嘘のように消えていた。残ったのは急に痛みが消え去ってぽっかりとそこだけ何もないような違和感だけ。そしてあれだけ冷えきっていたその部分に血液が巡り体温が戻っていくように人としての当たり前の温かな感覚。リオンの指が離れるとジェスターは自分の指で確かめるように右目だけを閉じてそっとなでる。

「《あれ》が去ったから、ということか?」

 ポツリと、呟くような問いにリオンは笑顔で頷いてそれを見たジェスターも少しだけ間をおいて穏やかに微笑みを向け、手を下ろす。


「あっ!!!」

 甲高いミオの驚愕するような声に全員が彼女に目を向けた。

「力が!!」

 両手のひらを見つめるミオの周りにつむじ風のような空気の流れが突然発生しビートとジェナがのけ反って驚く。

「戻ったのか?」

「ええ! あら、ごめんなさい」

「うん、抑えてくれ」

 緊張感漂っていた空気を一瞬で破壊したのは広い部屋の中を吹き荒れる、どんどん威力を増す風。

「うわ?! 凄い! なになになに!!」

 必死で髪の毛を手で押さえるリオンの側で落ち着いた表情のジェスターがリオンめがけて飛んできた銀のトレーをパシッと掴む。

「困ったわ。しばらく抑えつけられていたせいか力が溢れちゃって」

 ミオはのんきにそう言ってにっこり。

「しばらく辛抱してくれる?」

「何とかしろ!!!」

 ミオの呑気さはどこから来るのかわからないが、美しい客間はガシャーン! バキバキ!! という有り得ない音をあちこちから響かせて見るも無惨に破壊されて行く。

「ああ、壺が飛んだ」

 見るからに高級そうな壺が飛ぶのをみてちょっと面白そうにジェスターが呟くのを何でそんなに落ち着いてるのだろうと、疑問に思う暇もなくリオンは飛んできた刺繍の美しいクッションを鷲掴みでとらえると両手でボスっと頭に被せるように乗せる。

「ま、そのうち収まるから」

「ええっ?!」

「別室にお茶を用意させよう、そちらで話をきかせてくれ。そして改めて礼をさせてくれないか? ここでは礼などとても」

「あ!! ちょっとジェスター様?!」

「セリード、落ち着いたら皆を南の客間に案内してくれるか」

「父上!! うそだろ?! この状況で! 逃げないでくれるかな!!」

「私は用意するものがある、ミオのことはお前が任されているんだから始末はお前がしてくれ」

「てかなんで公爵は平気なんだよ?!」

 ビートが叫ぶとアクレスが答えてくれた。

「なぜか絶体当たらないそうですよ! 理由は本人もわからないそうですが!」

 荒れ狂う室内の中で飛んでいるものが全く当たらないジェスターが1人出ていってしまったのを、ミオ以外が騒ぎなから恨めしそうに見送る。


 その後チェストやテーブル、椅子にソファーに絨毯、ガラスの割れた窓枠までも部屋中を転がりまわり、シンっと静まり返るまで数分を要した。

「もう大丈夫よ」

 何とか扉の向こうの廊下に逃げ出していた五人にミオは声をかけたけれど、セリードは呆れた顔で頭をかき、アクレスは苦笑い。リオン達はというと三人で抱き合ってあからさまに顔を「ホントに大丈夫?」と疑念全開にしてじいっとみていた。


 事情が全くわからず戸惑いつつも、アルファロス家の優秀な使用人たちが駆けつけて、ミオの起こした嵐の後始末にセリードが簡単に指示を出して統制のとれた無駄のない片付けが始まると、改めて案内をするよと促されセリードが歩き出しそれに皆でついて歩き始めてすぐだった。

「なぜ急に私に力が戻ったのか聞いても?」

 ミオの問いにリオンは頷いてみせた。

「ミオ様は見えたんですね?」

「ええ、やはり関係しているの? あの《聖獣》が」

 セリードがピタリと立ち止まってそんな彼にミオがぶつかりそうになった。

「危ないわ」

「《聖獣》だって?」

 振り向いたセリードの顔は驚きを隠すこともなくミオに向けられた。

「セリード、話ながらでも歩けるわ。おじ様がお茶を用意してくださっているのでしょ? ゆっくり座って頂きたいの、さっさといきましょう」

 穏やかな優しいミオの声に、また皆でゆっくりと歩き出していた。

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