二章 * 予定外 3
「え?! じゃあリュウシャ様でもわからないくらい小さい赤ちゃんをリオンは診ることができるってことですか?!」
フィオラの驚きは椅子から立ち上がってそう叫んで、そしてすぐに腰から崩れるように再び座って一瞬放心状態になってしまうだけのものだった。
「うそでしょ……だって、それ、ミオ様でも無理なはず」
「なんだって?」
セリードがピクリと眉をあげ、フィオラはよほどの衝撃なのだろう、そのまま口を閉ざしてしまった。代わりにリュウシャがゆっくりと話し出す
「魔導師でも、支援型で特に魔力が高いものだと妊娠しているかどうか判別できる能力を持つ者もいるのは知ってるね?」
「ええ、もちろん。リュウシャ様も、なによりオレは小さい頃からミオが王宮で働く女性の妊娠を判断して気遣っているのをよく見てましたから、支援型で特に医師のような役割を得意とするなら出来るものだと思ってますし、実際そういう姿をよく見ますね」
「そう、治癒を専門もしくは得意とする魔導師で魔力が高ければ……まあ、それでも二割にも満たないだろうが判断できるものではある。それ、どうやって判断するのかまで知ってるかなセリードは」
「ええ、まぁ。……ミオは音が聞こえるって言ってましたね、心臓の音が重なって聞こえてそれで判断出来るものだと。普段は人の心臓の音は聞こえないそうですが、妊娠している時だけ聞こえる特殊な音で、ある程度経過していれば意識しなくても聞こえると。」
「そう。私もだよ。でも聞こえなかった」
「おい、リュウシャそれって」
「そもそもあんなに離れていたら聞こえるわけがない。とても微弱な音なんだ、お腹が目立たない時は特に隣に行かなければ聞こえない。それに、さっきティナがすぐそばまで来たのに私は聞こえなかった。もしかしたら腕にでも触れば分かるかもしれないがね」
「え? それは」
「リオンは、音が聞こえないくらい小さな赤子さえ判断できるということになる」
「どうやってそんなことが?!」
「それがわかれば悩まないよガイア。もしかして音じゃなく、何か見えてるのかな。リオンは色々と特殊な能力があるわけだし……」
リュウシャは顎を指で撫でながら、目を閉じた。
「魔力があふれたあの瞬間……あの時にその能力が発動したのか、な?」
「大丈夫、お母さんが無理をしなければこの赤ちゃんは無事生まれますよ、保証します」
「ホント?」
「はい。とっても元気に育ってくれるみたい、お腹蹴られまくりですよ、覚悟してくださいね」
「せ、性別はわかるのか?!」
「分かりますよ、知りたいですか?」
「しりたい!! いや、まて、楽しみにして、でもどっちだ? いやいや、我慢!!」
「あんたはうるさい」
どっと笑いが起こり、リオンも一緒に笑う。
「それにしても驚きだ、よくわかったなぁ」
マリオのニヤケ顔が治まらないままの問いに特に隠す様子もないらしい。リオンはティナの前に座ったまま、ニコニコ。
「普段は絶対言いませんよ、これくらい小さいと残念な結果になることも多くて。でもティナさんの赤ちゃんは元気に育ってくれるのがわかったので。それに騎士団で活動する限り、母体はもちろん赤ちゃんにも負荷が大きすぎますから、いくら元気に育つのが分かっていても無理をしたら私はもちろん、どんなに強力な魔導師の治癒や再生でもどうにも出来ません、それが生命の理というものですからね」
「そうか、そうだな」
「それに……」
急に口ごもったリオンにマリンは前のめり。
「なんだ? なにか、あるのか?!」
「いやぁ、あの顔はちょっと……」
「顔?」
「リュウシャ様のあの顔は怖くて。何をするつもりだったのか……魔導師のあの顔は良くないですよ、ろくなことにならない。あの手の顔は知ってます、身近にいるので。絶対関与しちゃいけないことやらかす顔でした」
「……ああ、あれな」
「あれね」
夫婦揃って、貫禄ある頷き。そして囲んでいる団員たちもしみじみ頷いている光景。奇妙である。
「あの人が来た理由は明確だな。俺たちを止めるのに一番適してるから」
「え?」
「スゲーんだそ?魔力で俺たちを」
マリオは床に膝をつくとそのまま頭を垂れ下げて額を床にくっつけて、両手を頭に沿って伸ばして床にペッタリと手の平を付けた。
「俺とティナのどっちかが謝るまでこうやって拘束してくるんだ」
「うわぁ」
「最長三時間このままだったわよね」
「うーわぁ……」
「あの方の魔力を破れる魔導師なんてそうそういないからな。クロード様も助けてくれねえし聖女にも無視されるし」
「あのお二人も笑ってるわよ絶対。とりあえず屈辱的よね、いつも」
だったらケンカしなきゃいいのに、と思う心を口に出したりはしないので、リオンは苦笑いするしかないだろう。立ち上がったマリオはそんなリオンに笑って見せた。
「でもしばらくはそれも見られなくなるって事だな」
「そうみたいね」
ティナが嬉しそうにお腹をさすった。
リオンもやっぱり、嬉しそうに笑う。
「大事にしてくださいね、自分の体を。お母さんが元気じゃなきゃ、赤ちゃんだってきっと心配ですよ」
「ええ、そうするわ。戦ってばっかりの私にも産み出すことができるのね。この命に、感謝しなくては……」
ティナの言葉が、リオンに《過去の記憶》を思い出させる。
とても、重くて、けれど、美しい。言葉の重さと美しさ。その意味の深さが伝わる命に対する感謝の想い。
(誰だっけ、似たような事を言ってた)
聖域の扉である《トーラス》は静かに語った。
『あなたがこの世界にいてくれる奇跡に感謝しなくてはならない。
我々は生きることも死ぬことも当然の世界にいる。けれどあなたは違う、長い長い時を生き、死ぬのではなく眠りそして目覚めを繰り返す。
《クリスタル》、あなたから見れば我々の命などほんの一瞬で砂粒のように小さいものだろう。
だからこそ、生と死があるこの世界で生きていること、あなたに出会えたことは奇跡であり、私は死ぬその時までこの感動を忘れることはない。
戦いは何も産み出さない。もう、私は疲れていた。けれど、それでも生きているからこそこうして奇跡に出会えた。この世に誕生し、生きる喜びを思い出した気がする。
悪いことばかりではない、この世界も』
聖獣と聖域の扉であるひとりの人間。
森の中、静かに穏やかに語ったある日のこと。
「どうしたの?」
ぼうっとしていたのだろう。伺うようにティナに問いかけられてリオンは慌てて返した。
「すみません、似たようなことを話していた人がいたなと、思って」
「そう」
ティナは優しく微笑んだ。
「その人は何か沢山失ったのね」
「え?」
「あなたはまだ若いから。‥‥この年になるとね、命って簡単に奪えるのに簡単には生まれてこない。その事を嫌というほど考えさせられる事が多いの、喜びを感じるだけじゃない、感謝することも出来るようになる。あなたもいつかそういうときが来るかもしれないから、今のうちから命について、些細なことでいいから勉強しておきなさいね」
突き刺さった。
―――命って簡単に奪えるのに簡単には生まれてこない―――
リオンの心に。
《過去の記憶》で見る世界は、悲しい出来事が多い。
奪われる沢山の命。
それを見てきた、《聖域の扉》。
避けては通れないその事実と向き合って来た過去の《聖域の扉》たちのように、リオンもまた避けては通れないと分かってはいたけれど、覚悟は出来ていなかった。
まだ見ぬ我が子の未来を想い、幸福そうに笑う夫婦を前に、リオンも笑顔を見せる。
覚悟しなければ。
沢山の命が奪われる時代に生まれたこと。
命の尊さに心から感謝する日がくるかもしれないこと。
目の前で起こることから決して逃げず、受け止めること。
笑顔の下で、密かに覚悟した。
目の前で繰り広げられる凄惨な光景の最中、成すすべなく目の前で命が奪われる日が必ず訪れると。その光景に怯み、嘆き、立ち止まることは許されず、逃げることは許されず、立ち向かわなくてはならないことを。
主人公の特殊な能力、色々ありそうです。
ほとんどはどうしようもないものかもしれませんが。
そのどうしようもない能力をいつか書けたらなと思ってます。




