二章 * 忍び寄る影 4
腕でぐっと涙をぬぐいリオンはリュウシャとフィオラの後ろにたつ。
「リュウシャ様、その傷は聖獣がつけたもので間違いありません」
「そうか‥‥」
「リュウシャ様どころか、たとえミオ様でも‥‥治すことは不可能です。そして、今の私にも出来ません。魔力が全く出てくる気配がないんです。たぶん、《オアシス》と私が話し合わなくては、いけないんだと思います。根拠はありません、ただ、何となくそう感じています。《シン》が、ジェスター様たちを解放するのを許してくれたように、《オアシス》の許しがなければ、たとえ魔力が出ても治す自信が私には‥‥ありません」
「だそうだ、どうする? 男」
リュウシャが立ち上がるとフィオラも腰を上げて後ろへ下がる。
「この子の言うことは聞いておくといいぞ? まだ若い、人の話に耳を傾けるのも勉強になるんじゃないかな?」
そしてリオンはスッと手を上げ、迷うことなく男の後方を指差した。
「持ってるでしょ、あなたの後ろにある。私には透視の力はないけど、それは見えるから。《オアシス》の目を返して早く」
「お前一体、何者だ」
「返して早く。怒ってるのよ」
「あ?」
「‥‥早く、だして。聖獣が怒ってるの、何をしでかすかわからないわよ。体が無いから、止めることは出来ないから、何が起こっても知らないから。私は止められない、今の私にはその力がないから」
「リオン、それは」
険しい顔つきのリュウシャに、リオンは視線だけ一度向けたが、すぐに男にその視線を戻す。
「結構、危険ですよ今。頭の上、ビリビリするんです。これ、シンが怒りを表に出すときに似てます。ルシアの怒りがここに入ってからどんどん大きくなってるんです。体は置いてきたとはいってますが、これでは‥‥姿を現したら本当にどうなるか」
「おい、だからお前」
男が言いかけてピタリと言葉を切った。
「出してもらうぞハルク」
セリードとガイアがいつの間にか音も立てずに剣を抜いて立っている。
「お前はハルク・ローマーだろ?」
ガイアが静かに問いかけた。
「暗くてよくわからなかったが、その頬の二本の傷で思い出した。‥‥なにか因縁でもあるのかな? セリード。こんなところで、こんな時にお前がこの男と会うのは」
ガイアは穏やかで優しい笑顔。それにセリードは答えるような同じような笑顔を見せた。
「父上がつけたそうですね、あの傷。名前を聞いたことがあります」
「お前、あの男の息子かっ‥‥!」
キリッと音がしそうなほど強く歯を噛みきしませて男はドンと勢いよく床に座り込むと、自分の後ろにある袋を引き寄せた。中に手を突っ込んで直ぐに引き出して、男は何かをリュウシャに投げつける。受け取ったリュウシャの手にはひもが巻かれた黒い布。
「あ、アニキ!?」
「せっかく手にいれたのに!!」
「ばか野郎‥‥俺はこいつらとやりあうつもりはねぇ。んなことしたら一瞬であの世行きになっちまう。‥‥持っていけ、そしてさっさと消えろ」
リュウシャが紐をほどく。そして現れたもの。
「綺麗‥‥」
ほわっと柔らかな声でついフィオラがそんな言葉を漏らしたし、手に乗せているリュウシャも、剣を構えているガイアとセリードもその輝きに目を奪われた。
青白い光を自ら発し、手のひらになんとか乗る大きさの一つの球体。真っ青で、表面は揺らめきみずみずしく潤っているかのようだ。光の加減で銀色の筋が流れ星のように走って消える。
そこにいる盗賊たちも一度は見ているはずなのにそれでもやはり目を奪われ小声でおぉっと抑えきれない感情を漏らしたものもいた。
―――人が惹かれる美しさ。惹き付けられ強欲を掻き立てる神秘さ―――
リオンは寂しげにその玉を見つめた。
きっとこの美しさを求める人がいるのだろう、そのために《オアシス》は傷つけられたのだろう。宝石よりも稀少なものとして、人間が地位やプライドを誇示するために利用されることもあるだろう。
リオンには、目を抉られ苦痛に苛まれ、憎しみと怒りに心を蝕まれた聖獣の無念さが滲み出ているように見えてしまって、美しいはずのその玉が霞んで見えた。
「リュウシャ様、もらっても?」
「あ、あぁ」
見とれていた自分に慌てて声が少しだけ裏返ったリュウシャが、玉をリオンの手にそっと乗せた。リオンはその玉を見ることもなく、握ると振り向いてそのまま空き家を出てしまう。
慌てて追いかけて外に出たセリードたちがみたもの。
「ごめんね、ルシア」
『お前がなぜ謝る。協力に感謝する。我では怒りに任せこの辺り一帯を人間もろとも灰にしていただろう』
「私はなにも出来なかったけど」
『お前があそこを通らなければ私はこやつらを今頃殺していた。お前がこうして我々のために動き出してくれたことに感謝するのは当然のこと』
「通っただけ。それに、ジェスター様たちのように助けられなかったから意味ないでしょ。たとえそれが、盗賊でもね」
『お前は進むことに意味がある。《聖域の扉》は皆そうして成長し、その役目の意味を知っていくのだ、助けた数が正義ではない。‥‥裏切りを働いた人間までも救おうとするのは、《聖域の扉》らしくて、私は嫌いではない。そんなお前に免じて今日限り私があの二人を救う。ただし、代償の苦痛のみ、傷は《オアシス》の痛みとして。当分は苦しむだろうがそれだけのことをしたのだと思い知るためにも置いてゆく』
「ありがと。傷はそのうち治るから‥‥」
しなやかな肢体、青銀色の体毛、銀色の爪と牙、そして金色の目をした豹のような生命体。長い尾を振ると銀色の粉のような光を全身から散らす。その光が地面に落ちるとその地面と雑草も同じ輝きを弾き、キラキラと乱反射するその輝きで生命体の周囲は眩しいほどだ。
リオンはその生命体の前に進み、抱きつき首もとに顔を埋め、その生命体は目を細めて彼女の肩に顔を刷り寄せた。
「あなた綺麗ね。きっと《オアシス》も綺麗なのね」
『肉体に意味はない。この世界に存在するのに必要なだけだ、だが、傷つけば我らとて、痛みを感じる。怒りを覚える』
「うん、そうだよね、うん。わかってる。‥‥《オアシス》に返すね。ごめんね、それしかいえないけど、本当にごめん‥‥」
『無事戻った、私はこれ以上なにも言うことはない。これで少しは《オアシス》の怒りも軽減される』
そしてその生命体は顔をあの男に向けた。
『《オアシス》はお前達を許さんと。聖獣の底なしの怒りに怯えて生きてゆけ』
盗賊たちがざわめき男はグッと唇を噛む。
『目が戻った、目覚めた時に怒りも少しは収まっていようが、お前たちに二度と会うことはない。何故目を抉り奪ったのかの理由に、私は興味はないが、もし同じ事を繰り返すつもりでいるならば、覚悟は出来ているか? 死より辛い人生が待っていることになる、覚えておけ愚かな人間』
「あ‥‥」
リオンが握りしめていた玉がきらきら光だし、手を開くと薄れてぼやけてゆく。
『お前が触れたことでオアシスの目が自ら本体を目指して聖域に戻れるのだ。そのためにおまえの中を通るだけだ安心しろ』
「そうなんだ‥‥」
『では行くとする。私はこの世界に執着はなく、ほとんど聖域にいるから』
「いくの?」
『またお前に会いに来てもいい』
「うん、待ってるからね」
『寂しくなったら呼ぶがいい、おまえの声はどこに居ようと私に届く。ではな』
尾を大きく一振りすると銀色の光が辺り一面に飛び散るように広がって、言葉を失ったまま全員が辺りを見渡す。リオンはニコッと笑って生命体に向かって手を振った。
「またね、ルシア。」
無数の銀の光の粒がつむじ風に巻き上げられるようにしながら聖獣ルシアの周りで飛び交う。次第に光の中にいるルシアの体が透けてゆき、更に光の粒が増え、輝き、ルシアの姿が埋もれて行く。そしてそのつむじ風は輝きながらリオンの頭上に向かうよう突如形を変えて、銀の光がリオンに降り注ぐ。
光はぼんやりと薄れてゆく。それに合わせてつむじ風も次第に弱まり、最後の銀の光の一粒がリオンの手に落ちると同時につむじ風も消え去った。
聖獣ルシアの姿も消えていた。
「あれが、聖獣‥‥」
ぼそりと呟きセリードは髪をかき上げ、息を止めてから大きく吐き出した。
「参った‥‥君は凄すぎる」




