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二章 * 二十三年前の、真相 3

 騎士達は剣に手をかけた。

 魔導師は手に力を込めた。

 皆、町に向かってゆっくりと足を動かした。

 ただ、誰も走ることは出来なかった。

 異様な光景に近づくにつれ、中央にある《なにか》が恐ろしくて、自然と歩みが鈍る。

 ひとり、またひとりと、動けなくなり、声も出せずただ立ち尽くすだけ。

 中央にいるものがはっきりと確認出来る所まで来て、歩を進めていたのはジェスター、クロード、そして上皇の三人だけだった。


「うそ、だ。」

 クロードが唸るように声を出した。

 《なにか》が盛り上がるようにして姿を現したが、一瞬三人は理解できないし信じたくないという気持ちでただ、呆然と眺めた。


 漆黒の何か。


 魔物だろう。

 だが、何かが違った。

 見た目だけではない何かなのだが、何が違うのかはっきりとしない。

 それでも、町を覆い尽くす魔物たちとは違う『別格』『特別』という言葉を連想させる。


 三人は同様に足が震えて立っているのがやっとだった。

 町で一番高い建物である教会の鐘をゆうに越える高さと建物を隠してしまえるだろう大きさ。そして《その姿》は犬や狼を思わせた。漆黒の眼孔。漆黒の牙。全てが黒い魔物と同じ生命を感じさせない異質な姿。小さな建物なら飲み込みそうな大きな口にはもはや身元の判別ができなくなっているだろう血まみれで歪に折れ曲がった人の体がいくつも咥えられていた。《なにか》は黒いヨダレと人々の血を滴らせた口を目一杯開いたとたん、勢いよく閉じて咀嚼し始めた。ボタボタと血と肉体の一部がこぼれ落ちるのを気にもとめず、今度は頭を上げ再び口を開けると首を振りながら人々を喉の奥に落とし込んでそのまま口を勢いよく閉じて一気に飲み込んだ。


 人間が喰われ飲みこまれる光景に茫然自失になりかけながら、それを見ているだけだった三人はある時突然意識が呼び戻された。

 三人はそれぞれ《なにか》と目が合った気がしたのだ。本能で戦ってはいけない、けれど戦わなくてはならないことを悟った気がして三人は自分を奮い立たせ、構え、ようやく走り出そうとしたその時。


 (おびただ)しい血と黒いヨダレを口から滴らせながら、《なにか》が不気味に笑う。


 口元がそう見えて、なにより、《なにか》は三人の目を見て笑ったように感じて息が止まりそうになり再び足が動かなくなっていた。

 足元が一瞬ぐらついて、気がそれたその時。震えるような不思議な風が吹き付けて、体がビリビリと音をたてるようにその風に揺さぶられ、異常な不快感に体を庇うようにして屈みこむしかできない状態に飛び込んで来た悲鳴は、三人の後ろからだった。


 苦痛に顔を歪めながら三人が見たのは。


 一人が全身から血を吹き出し首、手足、そして胴体が複数に切断され地面に崩れると、恐怖のあまり立ち尽くすもの、這いつくばりながら逃げるもの、必死に走り出すものたちが同様に次々と血を吹き出し人間としてあるべき姿を失っていく。

 あの揺さぶられるような風が波のように何度も起きて、騎士と魔導師達の体を切り刻む。

 紙を破り捨てるようにいとも簡単に切り刻まれる人間の体はその場に肉片と成り果て転がる。

 駆け寄る間もなかった。どうすることもできなくて、三人は立ち上がることもできなくなっていた。


思考が追い付かない。


 木や建物が大きな音を立てて倒れ続け、みるみる町としての形を失って行く。動物の奇声や無数の虫の羽音などはそれらをさらに上回り三人の耳に突き刺さるようだった。

 誰かの、人間の悲鳴は聞こえなくなってただ黒く、黒く、町が《なにか》によって崩壊されられてゆくのを何とかしなければと、上皇は剣を杖がわりに体を支え前を見据えた。それを見て、ジェスターとクロードも自らを再び奮い立たせてしっかりと大地を踏みしめると《なにか》を睨む。


 戦う決心をした。

 戦うしかなかった。

 逃げる、その選択は死を意味していると悟ったのかもしれない。


『来い、無知な者たちよ。』


 予想だにしない、崇高で清廉さを感じさせる低く重みのある声が三人に向けられた。


『その剣で刺すがいい。その手で魔力をぶつけるがいい。愚者どもよ。』


 笑っているようにしか見えない《なにか》の口元が、突然変化して閉じた。

「何物かわからぬが、無力なもの達を死に追いやることは決して許さん!」

 上皇は怯むことなく真っ直ぐ前を見つめ叫んだあと、剣を《なにか》に向けた。

「町ひとつが形成されるまでとれほどの人々が尽力したか、そなたにはわかるまい。幸せを奪われた人々の魂を侮辱する行為を許すわけにはいかぬ!」

 その瞬間だった。


『愚かなり! 愚かなり! 愚かなり!! 侮辱とはなにか! 幸せとはなにか!! 知らぬはきさまら人であろう!! 我を侮辱とは底知れぬ無知以外の何者でもない!許さんぞ!! そしてその血は過去の過ちを再び犯すのか! 真実を知ろうともせず剣を向けるとは愚かな生き物よ!!』

 怒り。

 その怒りは骨も筋肉もバラバラにしてしまいそうな強烈な振動と共に三人の耳に飛び込み体の芯まで響く。


『死ぬまでその愚かさを悔いるがいい!! 恨むがいい!! 死より惨めな一生を!!』

 その怒りはどこから生まれてくるのか、どうしてそんな事を言われているのか、そんなことを三人が考え付く余裕なんてなかったし、その時は何一つ理解も納得も出来なかった。

 例え無様でも。

 何も出来ないと悟っても。

 ジェスターと上皇は剣を振るった。

 クロードは魔力を込めて杖をかざした。


 たった一振りが、重い代償となった。



 日々体と思考を支配する苦痛に悩まされ、一寸の先すら見通せぬ暗闇のようなあの日の出来事に光が差し込むまでかかった時間は二十三年以上。気付けばそれほどの年月が流れていた。


 それでも、疑問の答えはまだ、出ていない。





「大丈夫か。バノン」

 瞬きもせず、バノンがうつむき自分の手元を見つめている様子が気になり、ジルが肩に手を乗せるとビクリと体を強ばらせつつも勢いよく姿勢を真っ直ぐに正したバノンは、ジェスターと目が合ったけれど直ぐに反らしてうつむいた。

「あ、あぁ。それで、その後は‥‥」

 ジルが問いかけるとジェスターは淡々と話の続きを話はじめた。

「たった一撃を当てただけで、我々はその黒い《なにか》に尾で振り払われ、大きすぎる代償を背負うことになったんだ。上皇は瀕死の状態に、クロード様も歩くことはできなかった。私がなんとか剣を杖にして足を引きずって歩ける程度。‥‥《なにか》はそんな我々を蔑むような目で見て笑っていたと、今でも思っている。動かせない上皇とクロード様を残し私は戻って来るであろう部下が二人を見つけることを想定して、宿がなく立ち寄る予定のなかった一番近い小さな町にとにかく行って可能な限りの救援を頼もうと歩きだした。残していく二人が心配で振り向いたとき、そこに溢れていた魔物などはいなくなっていたし《なにか》も忽然と消えていた‥‥。町が後かたもなく消え去って、誰1人いなかった。動物と虫の一匹もいないただの荒野には上皇とクロード様しかいなかった‥‥。今でも鮮明に覚えている。シンと静まり返っていて、しばらく、歩くことも忘れて眺めていた」


 沈黙が一瞬支配して、息をするのも苦しく感じたかもしれない。

「駆けつける途中だった副長と部下が直接対峙しなかったのにそれでも気を失い守護隊に発見されるまで意識が戻らず大地に倒れていたし、かなりの広範囲に影響がでて、同じルートや近くを通っていた旅人までも犠牲になった。あれを目撃して、生き延びたのは本当に我々三人だけだ」

 ジェスターは話をする際、随分言葉を選んで注意深く、そして丁寧に説明した。誤解を生まないようにしたのかもしれない。

「後のことは‥‥知っているだろ。クロード様以外我々は事実上、表舞台から去った。騎士団も解散し闇に葬ったんだ、真相を」

「なぜ、公表しなかったんです?」

「誰も説明しようがなかった。あの頃、どう話せばいいのか、君なら出来たか?」

 ジルは答えられず口を閉ざす。

「説明しようがないものを公表して混乱を招く訳にはいかなかった。それはいまでも変わらない、リオンのおかげで分かったことも多いが、それでも余りにも無知なんだよ、《なにか》つまり《シン》が言ったように、我々は無知で無能だ。私でさえ‥‥あの日の清算に二十三年もかかり、なにが出来るのか今も模索している」


 そして、ジェスターはうつむくバノンをみつめた。

「君の父親がどうやって亡くなったのか話さなかったのは、どう説明しても納得してもらえないからだった」

「それに、親父ですね」

 バノンの声は少し震えていた。

「風読みをした魔導師は、親父ですね」

 ジルも気づいていて言えなかったことだった。

「親父が、帰り道を変えさせて、先に進むことに賛同したんですね」

「そうだ。」

「それさえなければ」

「勘違いしないでもらえるか」

 ジェスターの声は落ち着いていた。

「上皇が責任を持つと言って、私と副長が最終的に賛成し許可した。クロード様も他の者たちも、誰1人反対を最後までつらぬいた者はいなかった。全員が納得の結果だ、死んだ仲間に責任を押し付ける気はないし、誰がどう悪かったのかと今さら言っても誰も戻ってこない、もしも責任があるとしても、それは君が口を出すことではない」

「けど、親父が!」

 勢いよくバノンが顔を上げた。そこには果物の皮を剥くための美しい細工が施されたナイフを彼の目の前に向けるジェスターがいた。

「君が責任を感じてどうする? 父親のことを背景を知らないまま責め続けるつもりか? 無責任だな、コールの息子とは思えん。あの男はたとえ生き残っていてもそんなことはしない、生きていたなら、我々と共に亡くなった者たちのためにも何が起き、何に巻き込まれたのかを死に物狂いで追求していたはず。その目で真実を見てからでも遅くはない、父親を責めるべきかどうかはこの国に起きていることを見極めてからに、しなさい。‥‥それが無理なら、君は息子の足手まといになるだろうからここで腕の一本でも貰っておくよ」


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