二章 * 二十三年前の、真相 2
夜は冷え込んだが皆との会話、進む食事、少しのお酒の力を借りて睡眠は心地よく迎え、皆朝は気分よく起床した。夜営の撤収もスムーズに進んだ。
夜に寝ずに警備にあたった騎士団副長と騎士1人は先行して次の宿泊予定の町ハワックに向かい宿を確保して一足先に休息をとる。こういったことはよくあることで、腕の立つ、早馬をもつ者が一時的に離脱し物資を調達したり情報収集したりすることもある。これは土地勘や経験豊富でないとなかなか務まるものではないのでジェスター隊の場合、副長がその役割を担当することが多い。もちろんこのときも副長が、そして同じだけ経験のある騎士が当然のようにその役割を担った。
(‥‥これは)
先行した副長達をゆっくりとした速度で追う一行。ある時ふいにクロードは妙な感覚に襲われて、周りには気づかれないように眉をひそめた。
妙な感覚。
この感覚は良くない、という不明瞭なくせに全身が鳥肌で覆われるこの不快感を魔導師としての力が幼い頃に出た時から知っている。クロードは子供の時にはこれがなんなのかわからなかったが、大人になり魔導師として魔導院であらゆる知識を身につけて知ることが出来た。
―――誰かが死ぬ直前の予兆―――
クロードの内臓や骨を揺さぶられるような、不快極まりない波のようなものが体を突き抜ける。ただただ不快なだけのそれを感じないよう普段は意識して魔法を弾く結界を張るようにしている。魔法ではないので完全に防げるものではないがそれでもないより断然マシだという。けれどこうして外交などで遠征するときは危険を察知する手段の一つとして結界をかけずに活用することにしている。
それが今複数、それ以上の把握しきれないたくさんの波動が押し寄せてくる。
その圧迫感でクロードは全身に力を入れわずかに背を丸め一瞬息を詰まらせた。吐き気が込み上げる程の不快感は初めてのことだ。
(ばかな、そんな)
クロードはごくりと唾を飲み込こんでから、体を大きくねじるようにして周囲を見渡す。
「クロード様、どうしました?」
彼の異変に直ぐに反応したジェスターは手綱を引き馬を止め、周りもすぐに反応して彼を囲むように集まり始めた。
「どうした、クロード。緊急事態か」
険しい顔の上皇の問いに、答えられる程余裕はなくなっていた。
(我々から波動が!! ばかな、ばかな!! それになんだ!? もっと、多い。どんどん、押し寄せる、どこから!!)
「‥‥ジェスター、なにか‥‥どこか。お前は、わかるか?」
それが、精一杯だった。
呼吸を否定するような吐き気と戦いクロードは言葉を絞り出した。
ジェスターは直ぐに目を凝らして注意深く一帯を観察する。彼は戦場で遠方を確認し、直前に戦術変更や戦況の見極めなどに活かせる程に極めて視力がよい。そしてその目が捉えたもの。
「なん、だ?」
連峰の麓、その位置と町の雰囲気、周囲の景色から山越えの一つの山道が通る宿場町だとわかった。普段なら後方には緑豊かな山脈らしい美しい光景が広がっている《はずだった》。
「黒い、霧?」
そう見えた。初めは。
その霧らしきものは町の中から発生して次第に濃くなっていく。どんどん膨れ上がり、町をみるみるうちに飲み込んでいく。凝らしていたはずの目を見開き、ジェスターは叫んだ。
「非戦闘員は今すぐ南方へ退避を!!」
全身が総毛立つ。怒鳴るようにジェスターが叫んだ。それが何なのかその時まだわからなかった。ただ確実に、生命を脅かすものということだけは直感で判断出来た。
騒然とするその場で毅然とした態度を保つジェスターは声を張り上げる。
「止まらず全速力で! いけ!! エミーナ! お前が指揮を取り早くここを去れ! 上皇を頼む! 決して止まらず行くんだぞ!!」
「は、はい!心して!!」
「もしも荷が邪魔なら捨てて構わない。退避優先、この先のハワックでフェルドと合流しろ。そこで私が二時間待っても来ない場合はフェルドに偵察に出てもらってくれ。ただしあそこの町の手前にある農地の端までと。絶対に足を踏み込むなと伝えろ。‥‥ロクなものではない、私が戻らない場合は最悪の事態と思え。」
女騎士が強く頷き手綱を操り直ぐに馬を歩かせながら手を上げ、文官や使用人達を自分の所に集めさせる。しかし、上皇は手綱を動かさなかった。
「上皇! こちらへ!! 早く!!」
エミーナの呼び掛けに上皇はそっと手を手を上げて言葉を制するようなしぐさをした。
「私はよい」
「上皇!!!」
クロードとジェスターが同時に叫んでいた。
「私は非戦闘員ではない」
「な、何を言ってるんです!!」
「ジェスター、私は騎士の力が出た珍しい王族だ。何のために今まで外交をしてきた」
「行って下さい!!」
「己の身を守る術を持つのだ! 王族の一人としあらゆることをこの目で見極め! 今でも国のために出来ることがあると自負がある!! 何のために息子に王位を譲ったと思っている!! 平穏な老後のためではない。‥‥何が起こっているのかこの目で見ずに私の存在意義はない。国王、そして幼き皇太子の代りに私がこの目で見て伝えるのだ。そして、私が戦う術のない者たちの盾にならずして王族などと名乗れはしない」
「上皇!! お願いですこちらへ!!」
女騎士エミーナが叫んだ。上皇はそんな彼女を真っ直ぐ見つめ大きく息を吸い込んだ。
「これは命令だ!! エミーナ! 皆を出来るだけ遠くに退避させよ!! 緊急事態のようだ、よいか、少し遠いが万が一の時はネヘラス市に行け、元政経院議員をしていた男が市長をしている。私の名前を出せば力になってくれる。直ぐに王都へ遣いを出し、人手も貸してくれるだろう。行け! 時間を無駄にするな! 行け、エミーナ!! この私の命令だ!!」
「‥‥頼んだ、エミーナ」
「団長?!」
「頼む」
ジェスターの覚悟を決めた顔つきに、エミーナが頷いた。
「‥‥御武運を!!」
唇を噛みしめ、苦しげに顔を歪めた女騎士が手綱を強く操った。
「ジェスター、状況がよく見えるお前に先導をお願いしよう」
上皇は躊躇いもなく落ち着いた声でそう言った。
残ったのは、エルディオン上皇、ジェスターを含む騎士が十六名、クロード含む魔導師八名、そして彼の警護を担当している元騎士団員二名と元魔導院魔導師の二名、そして王家直属の護衛であり側近としても仕える精鋭騎士の集まりの王室護衛部隊、別名『梟』から二名の三十一名。
少なくともこの時までは、上皇はもちろんクロードもそしてジェスターも幸運だと思っていた。
王族が外交に出るときは騎士団は実績、経験共に優れたところが警護につくし、同じ理由で魔導院からも魔導師として実力のある者が精鋭として選ばれる。『梟』も全員が騎士団団長クラスの実力者。足手まといになる者たちはすでに離脱し、精鋭のみの集団、なにが起きているかわからない現場に踏み込んだとしてもそれなりに対処出来るだろうと。
「行くぞ」
ジェスターは先頭に立ち、彼らを引き連れ動き出す。
「魔導師は後ろへ。そしてこればかりはお聞きください上皇、我々の後ろへ、そしてクロード様の隣を決して離れず」
「隊列等、全ての判断は任せる。命令してくれてよい」
「ありがとうございます。クロード様と上皇は後方中央から出ないようお願いします、隊列はお守りください。クロード様、上皇に防御の結界をお願いできますか? 一番強固なものを」
「了解した」
『黒い霧』らしいものは町を飲み込んでいた。近づいていけばいくほど、その異様さはジェスター以外も把握できるようになっていた。
「なんだ、これは」
人の悲鳴が聞こえる。
けれど町中至るところから、というわけではなくなぜか時々何かに埋もれた中から突然聞こえ突然消えるという不可解な悲鳴だった。
かなり町に近づいて、それは黒い霧ではないことに初めて気がついた。
大量の虫や動物が縦横無尽に町の中から沸き出すように溢れて暴れ狂い飛び交っている。それらは《皆、真っ黒》だった。そしてそれらに埋もれることなく、いる。忌み嫌われ、恐怖の存在である《それ》が。
魔物が。
おびただしい数の魔物。
「なにが起きている」
建物が黒い動物や虫たちと魔物に覆われ飲み込まれるようにして次々倒れていく。ドオオン!! と、大きな建物が倒れる音は虫の羽音や動物の奇声と激しく動きまわって出る地鳴りに埋もれて消えてゆく。
ジェスターは、ただ、自問自答するように呟いていた。
いつの間にか、馬の足が止まっていた。止めたわけではない、勝手に止まっていた。それに気がついてジェスターは愛馬から降りると馬の正面にまわり、頬を撫でた。
「ご苦労様、お前は王都へ帰るんだ。‥‥お前には《あんな姿》になってほしくない。帰りを待っていてくれ。必ず、帰る」
馬の尻を叩き、走らせた。
上皇やクロードたちも次々馬を降り、手綱を離し見送った。全員が、振り向いてその現実に向き合った。
町ごと全てが漆黒に覆われる、人も動物もそして虫までもが元の姿を失い歪な奇異な魔物のように姿を変え、それらはそこにある全てを破壊し食らい尽くそうとしている光景だった。
誰も見たことのない光景だった。
後に『闇色』と呼ばれるようになるその黒色は、ジェスターたちの心を蝕むように恐怖を植え付けていった。




