二章 * 火種 2
「お互い言いたいことは言ったのかな?」
バイエンがゆったりとした口調でそう問いかけた。ジェスターは無言で軽く一礼し、問いに答えた形だがブラインは違った。
「聞いてください、いいんですか? こんな現役を離れていたばかりか議員としてだって勤めていなかった男が言うことを真に受けて」
バイエンが政経院の意向として自分と同じ判断を初めに見せていたせいだろう、ブラインは余裕のある笑みを、この場で決して必要ない不敵な笑みを浮かべている事がバイエンを少しイラつかせた。
「ブライン、私は遠征の内容について聞きたい。ジェスターの意見に反対の理由を明確に言ってくれないか。聞いた限りでは‥‥ジェスターの意見に一理ある」
「バイエン様! あなただって先行隊を止めて討伐から支援に変更は反対でしょう!! 討伐を後回しにするようなことには賛同しがたいとおっしゃったじゃないですか!」
ジェスターとブラインのやり取りを聞いていて考えが変わったのがその言葉から感じ取れたのだろう。ブラインは瞬く間に笑みを消し去りバイエンを睨むような目つきだ。
「現状を把握しきれていなかった非を認めよう。それに‥‥私への情報が偏って届いていたのはなぜだろう?」
探るようなバイエンの視線に、ブラインは一瞬目をそらした。そんなブラインの目の前で呆れた顔をしてやりたい衝動を抑えつつバイエンが続ける。
「だからこそ、ジェスターの意見に反対の理由を私に教えてくれ。今のところジェスターの言ったことが審議の核心であり、道理にかなっていると私は納得した。私も暇な人間ではない、審議内容ではない、ジェスターの言動への批判については後日改めて問いただせばいいのではないか? 本人が罰を受けてもいいという覚悟でここに来ているのだからいるのだからそれでいいと思うが。私はとにかく、遠征で討伐最優先すべきか、人命優先の支援主体にすべきか、それを判断する意見以外は今全く必要ない」
これは明らかに牽制である。
「なっ! そんなバイエン様! それは最もな話ですかこの男は職権を越えた言動をしているんです! そんな男の言う事を聞いている暇はないはずです!!」
「なら、今審議している内容は君が言っている事より軽視されても構わないということか?」
「えっ、いや、そんなことではなく!!」
「ネグルマが危機的状況であることは事実、騎士団が一つ機能していないのも事実、そしてビスが魔物に襲われ救援要請してきたのも事実。それを一気に解決するためのお前の意見を聞かせてくれ。それ以外は後日だ、今は審議が先だ」
バイエンに牽制されたことが気に入らなかったのだろう、ブラインは音こそ出さなかったが顔を背けて舌打ちをするような口の動きをした。それを無表情で見つめてから、ジェスターはその視線をバイエンに向ける。つまり今のうちに何とか話を進めろ、とでも言いたいのだろう。
「陛下、今一度個々に審議内容について再考するのはどうでしょう。ジル隊、バノン隊への待機命令は継続されていますので、明日午前までに決議出来れば出立の遅延は発生いたしません」
バイエンの言葉に、クロードと共に沈黙を続けていたエルディオン四十はゆったりとした椅子から急に立ち上がり扉に向かって歩きだした。それに合わせて側近たちも動きだし、彼のために扉を開き一礼した。
「本日の審議はここまで」
扉の向こうに出てから一度立ち止まったエルディオン四十は背をむけたまま、振り向くことなくまた歩き出した。今度は少し大きな声だった。
「明日10時より再審議とする。そこで結論が一致しない場合、法に載っとり王家の権限で私が決定を下す。以上だ」
広く長く荘厳な廊下に、国王の声が響いた。
「ジェスター、話がある」
「私はありません。先に失礼します」
バイエンに作り笑いすらせずはっきりと言いきったジェスターは側近からマントを肩にかけられると首元のフックを緩めスタスタ歩き出すのを、追いかけることなくバイエンは後ろ姿を見つめる。
「議員に復職したんだ、領有院の最高議長を目指す気はないか?」
ジェスターの足が止まったが、振り向きはしない彼にバイエンが話を続ける。
「ブラインでは領有院をまとめられないのはわかっただろう? 皆お前が来年の議長選出投票に名乗り出るのを」
「ブラインでは」
大きな声だった。
「領有院をまとめられない?」
ジェスターは振り向いて皮肉たっぷりの笑顔を見せつけた。
「それを今まで野放しにしていたのはそちらの都合だろう? そう思うならその選出投票までにブラインの不信任案を出せばいい、そうすれば別の議員が手をあげる。やりたいやつは山ほどいるんだから」
「お前ほどの人物はそうそういないから言っている」
「私が議員権を凍結して騎士団団長になることを数名を除いてほぼ議会満場一致に近い形で賛成した光景、あれは私が見た夢だったのかな? 昔の話だから記憶もあやふやなのかもしれないな」
「‥‥あの頃は国がまだ」
「言い訳しないでもらいたい。私が邪魔だったと素直に認めればいいものを、今さら。公爵家二家が事実上実権を握って、事業の実績と経験から国の財務へ口出しするのが面白くないと影で言われていることくらい父から幼いころに教わっていた。私が国政に興味がないのはその頃からだ。能無しどもに陰口を叩かれる不愉快な環境を無理に作る気はない」
「国のためになるんだぞ」
「国政に直接携わる必要はない」
ジェスターは表情を消し、冷ややかな目でバイエンを見つめる。
「私には私のやり方がある」
「今日のようなやり方がいつまでも通用すると思うな。お前は上皇のお気に入りだがそれも永遠ではない」
「はははっ」
その渇いたわざとらしい笑い声はバイエンには耳障りのいいものではなかっただろう。
「そんなものを頼りにしていると? この私が? バカにしないでもらえるか。私には公爵としてのプライドがある、歴代の王に仕えるのは当然の義務であり名誉だ。そして王家繁栄のため存続のため尽力するのも努めだ、それがどんな手段であってもやり遂げる。あなたは違うのか? 最高議長として、尽力していないのか?」
「‥‥」
「私には私のやるべきことがある。他人に口出しされるような生温いことではない、最高議長という地位なんて邪魔なだけだ。それこそ一時の権力に過ぎない、固執するようなものではないんだよ」
「残念だよ。君ならばと、思ったのだが」
「社交辞令はいらないし、そっちの思惑に乗る気もない。私のことは諦めてくれ」
ジェスターはゆっくりと後ろ足で歩き出す。
「ああ、そうだ。あなたに忠告しておこう、ブラインは噂よりも厄介なことをしているから下手に関わって巻き込まれないように」
「何?」
「審議が決定したらあの男の身辺を調べることをお薦めする、騎士団の一部と結託しているだけじゃないらしい。詳しいことはいずれまたの機会に」
「ジェスター、まて!」
「では、失礼」
軽やかに身を翻し、颯爽と歩き出すジェスターの背をバイエンはただ見つめたけれど、ぐっと握り拳を作るとその手を開いて体の力を抜いて走り出しそうな勢いで歩き出した。
「待てと言っている!」
直ぐに追い付き腕を掴み振り向かせたが、その手をジェスターは拒絶するように加減もせずに払いのけた。
「あなたがこれからどう動くのか興味があります」
「なんだと?」
「表沙汰になる前に、あなたも知ることになるでしょう。前代未聞の王家の醜聞を。私はそれを日の当たらぬ形で終わらせても構わないと思っていますが、あなたならどうするのか、とても興味があるんですよ。‥‥前の領有院の最高議長が思いの外早く引退してからバランスを崩しつつあります、議会が」
「‥‥何が、言いたいんだ?」
ジェスターは鋭い目を向け、ほくそ笑んだ。
「立て直すなら今です。本来ある形に戻すことが、この国を今本格的に悩ませ始めた魔物のことを解決する手段の一つなんですよ。お話したはずです、あの娘が鍵になると」
「それがどう関係するというのだ」
「彼女は無力です。権力に対抗する力はありません。我々が守るにも限界があるかもしれません、だから今立て直しをするんです。私利私欲ばかりを追求する浅い者には、彼女は利用価値のある利権や金銭を生む道具に見えるでしょう。そういうものじゃないんですよ、彼女は」
「お前は、一体‥‥」
「二十三年前、私の人生が狂って闇に堕ちたのだと思った。けれど、再びあの娘が光を与えてくれた、それがどれほどのことか、あなたにはわかるまい」
笑みが消えた。鋭い眼孔は迷いなどなくバイエンを捕らえている。
「私は、この国に暗い時代が来るのを見たくない。あの娘がくだらぬ政権争いに巻き込まれるのを見たくない。そして、ただの魔物討伐では済まなくなる日がそこまで迫っている。‥‥くだらぬ政治をするバカを相手にしている暇なんて無くなる、だからさっさと膿を出すに限る」
そして再び彼は背を向けて歩き出した。
「だから期待している、あなたには。動向を読んでバランスを取ってなんてことはせずに正義を貫く政治家としてね。限りなく黒に近い正義で暗躍するのは私や極限られた人間だけでいいんだよ」
やっぱり、軽々しく手を上げた。
「ではご機嫌よう、バイエン様。明日の朝また会いましょう。決議がまとまることを祈りましょう、お互いに」




