一章 * 音が高まる時 4
リオンがアルファロス家を出て、2日。
タチアナが母リエッタとそのお付き二人に対してブチキレた。
「出ていって!! 早く!!」
「タチアナ、落ち着いて」
「いい加減にして!! いつになったらそういうことを止めるの?! 馬鹿馬鹿しいっ、何が男爵家として当然の心配よ、見当違いなその発言恥ずかしくないの?!」
「もういいって、いいから」
「リオンは公爵の恩人なの! この家の当主の恩人!! 公爵がそういうんだからそれは絶対覆しちゃいけないのよ! たかが男爵家の私たちが口にしていいことじゃない、お母様もあなた達もそんなことすら分からないの? そんな恥さらしなこと二度としないで!!」
歯止めが効かない怒りを露にしたタチアナを何とか宥めようと、サイラスが冷静に抑えた声をかけているそばで、普段は余程のことがない限り狼狽えたりしないマティオもサイラスに加勢してタチアナを制することも忘れてオロオロしている。
母リエッタは、初めは言い訳をしたものの、娘からまさかこんなにも責められるとは思っていなかったのか顔面蒼白で言葉を失い微かに震えていたし、付き人に至っては震えながらただただ申し訳ありませんと泣きながら必死に頭を下げ続けた。
何を言い争っているんだ?と、王宮から戻ったセリードが離れたところで首を傾げる。
「何があった?」
「タチアナ様が男爵夫人に少々‥‥」
囁くように遠慮がちに言い、セリードのマントを受け取った執事に彼は驚きとは違う妙な顔をして凝視する。
「思い当たることがあるんだけど、オレの気のせい?」
「その推測に間違いないかと」
「あのリオンの噂?」
「はい」
「ああ、だよな、それだよな」
セリードがため息をつく理由。
父からリオンがこの家の中でリエッタに中傷されたことを聞かされたとき、その理由を聞いて男爵夫人とは思えない思慮のなさに
「馬鹿なの?」
と、つい口走ってしまったのは仕方ない。
リオンが公爵家の、息子二人を誘惑している。
そんな噂があったという。
そもそもリオンの存在はほとんど外に漏れていなかった。公爵家に仕える者たちがそんな噂を外に漏らすことはない。それでも念のためその噂の出所をサイラスが調べてみるとなんとそれは男爵家の使用人たちが勝手な憶測をしてリエッタに吹き込んだことであったのだ。
正体不明の若い女が公爵家の中で厚遇され生活をしている事を気にしていたリエッタのご機嫌を取るためだったとか、爵位もない女が親しげに公爵家の人々と話している姿に嫉妬したとか、色んな理由があったらしい。
「あれ、解決してなかったんだ?父上に諌められて大人しくなったんじゃなかった?」
「タチアナ様がその事を知ってしまいまして」
「ん? なんで?」
それは意外そうで、彼は座ったソファーの上で再び首を傾げる。
「本日男爵夫人があちら様の付き人二人を伴いお越しでしたが、その時にタチアナ様の前でどうやらあの女がいなくなりましたね、などといったことを小声ではありましたがその付き人と嬉々として話したそうで。私はその場にはおりませんでしたが、お茶を用意しておりました者がさすがに唖然としてしまいお茶を溢しそうになったと」
「そりゃ、溢しそうにもなるな。何のためにタチアナの耳に入らないようにしたんだろーな? こちらの苦労が水の泡だ。それで?」
「はい、タチアナ様がそれはどういうことだと問い詰めたそうです」
「正義感強いから。‥‥あそこは父親がいずれ嫁に出ることを考えてちゃんとタチアナを教育したんだ、けど母親がな。視点がずれているというか。兄さんと喧嘩して一時期距離を置いたときに兄さんがダメならオレでもいいじゃないかって言うような母親だし。その時にもタチアナと喧嘩になって随分懲りたと思ってたんだけど」
「そんなこともございましたか」
セリードはまたつきたくもないため息をついた。
「それこそ自分がどんな立場にいるのか分かってないな、男爵夫人がそれでよく務まるよ。根拠のない噂で簡単に卑下したり侮辱したり。挙げ句この公爵家の中で公爵家の客を罵るとか、あり得ない。無教養どころじゃないな、ただの無知だ。タチアナに同情するよ」
無造作に髪を掻き乱して不機嫌そうに俯いた。
「本当に馬鹿馬鹿しい。話す気にもなれないな。‥‥人の価値なんて不必要に口にするものじゃない。それに見合う行いをしてなきゃ必ず自分に返ってくるんだから。ましてやリオンのことを‥‥」
「ふー、一段落」
部屋の片付けがほとんど終わり、雑巾掛けをするために軽やかな足取りで一階に雑巾を取りに降りて行くと、店先にビートとジェナが立っているのが見えた。誰かと話しているらしい。それに気がついて黙って店の奥の居間に向かおうとすると、ビートが振り向いた。
「おいリオン、セリードが来たぞ」
「えっ」
勢いよく振り向くと、騎士団団長の公務服姿のセリードが店の軒先からニコニコしながら手を振ってきた。
「おはようございます。どうしたんですか?」
「おはよ」
「凄いのよ、今晩はご馳走よ!!」
ジェナが鼻息荒く興奮した様子で両手で抱えるカゴをリオンに見せる。中には秋の味覚で希少なキノコや大粒で艶の良い栗、そして布に包まれた何かの肉らしい大きな塊が隙間なく綺麗に収められている。
「あ! 冬待ちキノコ!? 高級品!!」
「そう! しかも王宮御用達の牛のホホ肉ですって!!」
「おおっ?!」
「すげーだろ?」
「肉はうちで卸してるから。キノコと栗は領地から送られて来たのをおすそわけ」
「ホホ肉のワイン煮込み!!」
「冬待ちキノコはアスパラとバター炒めなんてどう?!」
「それ最高!! ジェナ、栗は?!」
「ワイン煮込みにアクセントに少しだけ使ったら残りはもちろんタルトでしょ!!」
「今夜はもちろんワインだよな?」
女二人が興奮して、ビートが夜のご馳走を想像してよだれが垂れそうな顔。
「‥‥物凄くその食卓、一緒につきたいんだけど?」
「おっ?! 来い来い!!」
「あ、いいんだ? じゃあついでにアクレスもいいかな? ホホ肉の煮込み好きなんだ。」
「いいいわよぉ、もちろん!!」
「じゃあワインも何本か、王宮の帰りに持ってくるよ。」
「わーい!! アルファロスのおいしいやつですよねー!!」
「白と赤どっちがいい?」
「セリード様にお任せしますよぉ」
「だとオレは白しか持ってこないよ」
「あ、ですよね」
軽やかで明るい会話。
(あ、本当に楽しいんだ)
彼の顔を見ながらリオンは心の中でそう呟いて口元が自然と緩んでしまう。
この男は本心を隠すのがとても上手だ。顔に浮かぶ感情を時々読めてしまうリオンから見るととくにそう思えるのは、笑っているけれど何を考えているのか分からない目をしながら会話をしている姿をよく見かけたからだ。
職業や立場の影響が大きいのかもしれないが、自分の騎士団団員を紹介してくれたときも、ニコニコしているけれど、リオンに対して不必要、不都合な質問が出てこないように注意していたのかとても鋭い目をしていた。心を許すべき相手である家族を見る目ですら、時々自分を隠しているこの男が、こうして目の前で屈託のない笑顔を見せてくれるとリオンは何だか気持ちが勝手に浮上する。
ふわふわ、ゆらゆら、心が暖かい何かに包まれているような。
「今晩は」
「今晩は、お邪魔いたします」
ランプが煌々と灯る室内、セリードがアクレスと共にやって来た。
「いらっしゃい! どうぞー!!」
「せまくてごめんな!! 椅子それでいいか?」
「もうすぐできるわよー!!」
「すみません、お言葉に甘えて私まで。これ良ければどうぞ」
「え、なんですか?」
渡された包みを開けてリオンは驚愕。その顔にセリードとアクレスがつい吹き出すように笑ってしまう。
「それ、ロンディーヌの王室御用達のチョコレートです、こちらに帰化してからは父が毎年今の時期に送ってくるんですよ。リオン好きでしょ?」
「おわぁぁ!! 王室御用達ってなに!!」
「アルファロス家に負けませんよ、アーモンドとピスタチオが入っていてカリカリした食感もいいですよ」
「おいしいよ、オレも保証する」
賑やかで隔たりのない会話に花が咲く。ジェナお手製の美味しい夕飯とワインとチョコレート。ごくありふれた一般家庭の食卓がいつになく豪華で会話をさらに弾ませてくれる。
リオンはセリードの隣。
狭くて近い距離にいることで時々互いの腕が接触する。
(ちょっと、緊張するかな)
「この前、嫌な思いさせたって父が申し訳なさそうにしてたよ」
「え?」
「ほら、タチアナの母親」
「あ、えっと、もう済んだことですよ」
リオンは笑う。
「面白い話も聞かせてもらえたので結果オーライですね」
「面白い話?」
「昔ミオ様のお母様とジェスター様が王宮で凄まじい取っ組み合いの喧嘩をした話を」
「‥‥何がどうなってその話になった?」
しかめっ面のセリードは首を傾げる。
「あはは」
彼が気にすることでもないのに、それでもこうして気にかけてくれたことに心がほっこりして、リオンの緊張が少しだけほぐれた。
時折接触する肩や腕。
ドキ、ドキと心臓がいつもよりうるさくなる瞬間がある。
それでもリオンはこの一時が楽しくて、嬉しくて、恥ずかしいこの距離感も悪くないかな?なんて考えがよぎって、まだ難しい顔をしている彼をやっぱり笑った。
ほんのり恋愛?の幕でした。
次、恋愛要素ありの幕に到達したらもう少し進展させたいものです。




