一章 * 始動 4
3月20日 一部修正しました(前半の会話部分)。
その場の空気が和んで会話が世間話になって少し立ってから、テーブルに広がる資料や地図を眺めてセリードは不満げな表情を浮かべはじめて黙り込んでしまった。
「どうかしたか?」
「今度の遠征先は確実にここだとオレは思ってたんだけど」
「違うのか」
「びっくりだろ? 一部の団長達も納得してない。急激に被害や目撃が増えたネグルマに行くべきだって議会に掛け合おうとしてるやつもいたし」
リオンも気になったのだろう、甘くて美味しくてついつい手が止まらなくなっていた果物の砂糖漬を取る手をピタリと止めた。
「陛下は結局どこに?」
「ルブルデン」
「‥‥聖獣と思われる目撃は今のことろないな。というか、被害らしい被害なんて出てないんだが」
「王都から一番近い中核都市だし、各院の議員からの要望がかなり多かったから無下にはできなかったんだろう、この前の魔物の出没騒ぎが隣接する町だったのが一番の理由。議会が揉めに揉めたのもそのせいだ」
わざとらしいため息と共にセリードはガックリとうなだれる。
「王都が魔物に襲われるかもしれないと考えれば保身に走るのも分からなくはないけど、さすがになぁ。もっと国全体の現実見て欲しい」
セリードたちがブツブツと不満や意見を語り合い始めた側でリオンは黙って一人思案する。
ビートと魔物や聖獣、記憶について調べ始めたころすぐに実感として分かったのはリオンは魔物に襲われない、と言うことだ。おそらく聖獣が関係しているのだろう。この王都に来ることになるまで与えられる記憶から複数の人物に会いに行っているが、その旅路でリオンたちが魔物に遭遇しても襲われない、というよりも無視されているようだった。ただ、本当に襲われないのかどうか確認する機会がなく、不用意に近づくなとビートとジェナにきつく言われたこともあり今まで確かめることはできていない。
今回ジェスターを苦しめていた《シン》のことから元は聖獣である魔物ならば話が通じる可能性が高くなってきた。ビートのときも、ジェスターのときも、過去の記憶をリオンに与えて関わる人物に言葉を残すのだから、今問題になっている乾燥地帯にいる魔物が本当に元は聖獣であったなら今回同様過去の記憶を与えてくれたり誰かに言葉を残す期待を持ってもいい。
「ネグルマ乾燥地帯、か」
リオンはぼそりと独り言を漏らす。
ここに来たときは《シン》に会うべきだとずっと一つの思いに駆られてきた。《シン》に出会ったことがあらゆることを一気に知るきっかけとなったからだ。しかしその《シン》が出没する場所に行くには王都からだと馬車や馬でも二週間以上かかる上、ティルバのなかでも冬の到来が早いその一帯はすでに北風が高い山々から吹き下ろし、雪が降り始めているだろう。旅先として選ぶには適さない時期に突入している。
しかし、ここで選択肢が増えたのだ。地図をみれば王都から《シン》のいるところへいくよりも近いその乾燥地帯。乾燥地帯特有の夜の冷え込みさえ対策すれば王都よりも南よりにあるので今の時期でも旅自体も苦にはならない。そしてなにより、《シン》のような存在に出会えるかもしれない可能性がある。
「ここなら‥‥」
「行きたいの?」
「えっ?!」
彼女は黙々と考えていてわからなかったが、セリードは地図上のネグルマへ続く道や平地を指でなぞっていることに気がついていたらしい。声に出したわけではないのに心を読まれていたことにビックリしてひょいっと顔を上げて目を向けるとセリードがちょっと面白そうに笑っている。
「人の心を読めるミオじゃなくても、分かるくらい分かりやすく顔に出てるから」
「あー、それ、よく言われます」
「そんな感じ」
サイラスも一緒に笑うので少々恥ずかしくてうなだれたが、そんな彼女の顔をセリードはすぐに上げてくれる提案をしてくれた。
「行ってみる? まだ確定ではないけど、個人で動けるかもしれない。案内してやれるかもしれないから」
「ほんとですか?!」
「うちの騎士団が遠征から外されたのはそれなりの理由があるはず。こういうとき、騎士団は王都の守りを中心にするんだけど、その際団長は陛下から単独行動で任務を請け負うこともあるんだ。しかも今回は複数の騎士団も王都待機だからオレが外に出ても問題ない」
「でも、陛下の任務でなきゃだめですよね?」
「だから父が動いてる。君の護衛を兼ねてオレが一緒に自由に動けると何かと便利だから父と相談していた、個人なら騎士団を動かすことはないだろう? アクレスが団長代理を勤めるから騎士団の機能は通常通りだし、オレはオレで陛下からの単独任務を請け負うことになれば騎士団の規則による制限が緩むしね。かなり動きやすい。陛下も賛同してくれるはずだ。というかすでに話を擦り合わせてオレの騎士団を遠征から外したのかも」
「え、えぇぇぇ?!」
驚くリオンを二人で面白そうに笑う。
「陛下に私会ったこともないですけど?! そんな女のために騎士団動かすってあります?!」
「それだけ、事態は深刻だ。陛下も父からの進言に耳を貸さないような狭い心の持ち主ではないよ。そのためにもリオンは父のようにあと二人、救ってもらうことになるけど。それが出来ればまず間違いなくリオンの力になってくださるお方だ」
「セリードの言うとおり」
サイラスは地図を手に取りじっと見つめ、所々気になっているらしい箇所をなぞる。
「ネグルマだけじゃない、他にも魔物が急増してる場所はいくつもある。同じ現象なのか、まったく別の影響なのか、それすらも分かっていないのに騎士団だけむやみやたら動かしてもね。それだけティルバは混迷し始めているんだ。軍力も政治の基本方針も軌道修正するなら早い方がいい」
《混迷し始めている》
その言葉はリオンを少しだけ強張らせた。
「どうした?」
セリードの、優しくて穏やかな問いかけに我に返って笑ってみせたけれど、すぐにその表情の崩れる様に二人が何かを察してじっと見つめた。リオンは黙っていても仕方ないと思ったのだろう、少しだけ間をあけてゆっくりと口を開きはじめた。
「そういえば、今ふと思い出して‥‥。ビートと一緒に《シン》と出会ってから、何人かと会った話、しましたよね? 《シン》からは私には代償を受けた人達の痛みを取り除く力があること、《過去の記憶》から色々と知ることが出来ること、とか」
「それはもちろん。多分リオンが思う以上にオレたちはそのことが今後重要になると思っているくらいだし」
セリードのその迷いない言葉に頷いてみせて、リオンは額に指をあてがう。
「ジェスター様に会ってから、ちょっと気になる《過去の記憶》を見たんです。3番目に会ったヤザント地区で領主さんの護衛をしていた人と会った時に‥‥。《シン》は」
必ず混迷の時代を再びこの大地は迎える
不可避の混迷となるだろう
幾度となく繰り返されるのだ。
「って。その時、《再び》ってことは、過去にも何度も同じようなことが起こっていたことを知ったし、実際その断片的な記憶は見たりもしたんです、魔物の姿を確認もしました。そして、今回は新しい《過去の記憶》だった、今までとは全く違うもので、どう関係しているのかわからなくて。ただ、気になるんです。その‥‥どうして、聖獣がそこにいるのか」
「どういうこと?」
サイラスの問に言いにくそうにうつむいてリオンは呟くようにまた口を開いた。
「人々の戦いの中に、いるんです。聖獣が。そこはたしかに戦場で激しい争いの場所だけど、聖獣と人が共に戦ってるんです」
「えっと?」
サイラスの不思議そうな問いかけはセリードも理解できた。もちろん、リオンにも。
「人と聖獣が、一緒に戦ってるんです。同じ戦場で、助け合って、同じものを守るために」
兄弟は真顔で固まる。
「聖獣の背に股がって剣を振る人、聖獣と一緒に盾のようになって人々を逃がす人。お互いがお互いを信頼して助け合ってるんです」
セリードはのちにこの意味をリオンと共に直接知ることになるのだが、それはまだ先の話である。
リオンを前に男二人は考え込むような険しい難しい顔になるとしばらく黙り混んだ。
今はまだ、たどり着けない。
リオンの話してくれる《過去の記憶》はどういう意味を持っているのか?
そして。
人間は、魔物に怯えず暮らせる日が来るのか?
まだ誰も、それらにたどり着く道を知らない。
ただ、確かにその道はリオンの歩く前方にあるのだと、それだけはサイラスとセリードにはこの瞬間、再確認できた。