三章 * 熱帯夜 5
何ともあっけらかんとした笑顔での告白だった。
そのあまりにも流れるような淀みない告白に、リオンの涙が止まって、意味がわからずポカンと口を開けた表情が、激変する。
「あの、えっ?」
「答えは急がないよ」
真っ赤になって狼狽えるリオンの目の前で、セリードは穏やかな笑顔だ。
照れもせず、本当に穏やかな落ち着いた笑顔はまっすぐリオンに向けられている。
「今は、自分のやりたいことに集中するんだ。リオンにしか出来ないことだ、それを邪魔しないと約束する。進んでいい、真っ直ぐ迷わず前だけ見てくれ。オレが後ろで全てを受け止めるから。迷いも苦しみも悲しみも、後悔も全部まとめて一緒に引き受ける」
「そん、な、急に……」
リオンは戸惑い、悲しそうにも見える表情をした。
「だから、今は答えはいらない。いつか答えを出すまで待つから」
「だめです、そんなこと。私はたぶん一生このまま悩み続けて」
「それでいい」
「え?」
「それが、リオンだと思う。誰も代わることが出来ないものを背負っていることを誇らしく思うよ、たとえ悩み続けて一生を終えるとしても、それが優しさとか真面目さの現れなだけだ。オレはそんなリオンを守りたい。抱えるもの全部を共に背負いたい。……オレが好きになったのは、ありのままのリオンだ。わがままを言えば、他の男と比べたりしないでオレを見てほしい。オレ一人と向き合って答えを出してほしい」
この男の優しさと強さに、いつか想いをよせるときが来る予感はあった。でも、それがとても早くて、目をそらしていたのにこんなにも簡単に、あっけなく自分の中の『切実な想いと葛藤』なんて言葉より激しい熱を帯びた言葉が支配してゆく。
「私も」
誰かを想う『情熱』という言葉。
「あなたが、好きです」
込み上げて、溢れて、抑えられない。
「好きに、なってた。……止められなくて、どうにもならなくて、いつの間にか……いつもセリード様の姿を追っていました。そのことから目をそらしていたのに、それでも、私は、その姿を追っていました」
込み上げて溢れる『好き』という想いが涙も一緒に大量に溢れさせた。
「でも、その先にあるものは望みません。ごめんなさい、望めないんです」
涙といっしょに溢れる情熱の消しかたなんて、リオンは知らない。
「望んだら、そこから二度と動けなくなる。それではダメなんです」
情熱に押されて想いを言葉にしてしまったことにいつか必ず後悔する。
「だから、私は、あなたの優しさに、何も返せないんです。何も……してあげられない。ごめんなさい」
「リオン」
それでもいい、この気持ちはいまさら隠すことも消すことも、そして逃げ出すこともできないとわかったのだから。
「ごめんなさい、私はっ……どうすることも出来ないんです」
「リオン、言葉をくれればいい」
両手の親指でセリードはリオンの涙を拭い、そのまま頬を包み込む。
「他は望まない」
「セリード様……」
「今みたいに、好きと言ってくれるなら、それだけでいい」
「でもっ」
「時々振り向いて、オレに言葉をくれないか? それがオレの力になるから、誰よりも強くなれるから。リオンを守る源はリオン、君自身だ。……愛してる。リオンを愛してる。何度でも言う、オレは何度でも言うよ、だから同じように言ってくれ」
無防備な、子供のような泣き方は、きっとひどい顔になっているだろうと思うのに、恥ずかしくて逃げてしまいたいのにリオンは頬を包むセリードの手を払えない。これ以上心の距離が近づくのは自分の背負う運命に立ち向かう信念や決心を弱めてしまいそうでとても怖いのに、それでも心の距離が近づくことを望むリオンがいる。もう自分の気持ちを偽り目をそらすこは出来ないところに、セリードがいる。
それならば。
ありのままでいいと言ってくれるなら。
未来の幸せを望まないことすら受け入れてくれるのなら。
自分も受け入れる。
リオンもそんな彼と共にあることを決心する。
「隣に、いてくださいっ。後ろなんて似合いません!」
愛してる。
なんて言われて誤魔化せるほど、抑えられるほど自分の感情もちっぽけなものではないと今さらリオンも思い知らされて、その大きさに恥じらいと迷いと不安が押し潰されて消え失せる。
「私だって、愛してる。……きっと、同じだけ、あなたが好きなんです」
「……うん」
「でもっ、ホントに、なにもしてあげられないんです、だから……せめて、隣で一緒に進んでください」
「君の望むように。オレと君は、これから並んで歩く。二人で一つだ。全てを分かち合う。自分たちがどういう関係か、そんなことを悩む必要なんてない、一緒にいればいい、それでいいんだよ」
「はい」
「もし悩んでも、一緒に並んで歩いているんだ、必ず二人で解決できる。乗り越えて行ける……一緒に、進もう。二人で」
リオンは静に頷いた。
額に感じた柔らかな感触。
不思議と照れも恥じらいもなく、リオンはセリードの唇の温かさを受け入れられた。そしてその額にセリードは自分の額を寄せる。
触れる、と、触れ合う。その違いの大きさを知った気がした。許しを必要としない接触は残っていた後ろめたさや迷いを優しく溶いてくれる。
自然と、頬を包むセリードの手にリオンは手を伸ばして指先を握って目を閉じて申し訳なさそうに弱々しい笑みを浮かべた。
「こんなことに、なるなんて……思ってもみなかったから……まだ、信じられなくて。ごめんなさい、気持ちが、追い付いていないかもしれません」
「後悔しないし、させないから」
「……私も、心からそう言えるようにがんばります」
セリードが額を離して一瞬見つめ合ってから、フッと二人で息を漏らすような笑いを溢した。
「うん。……じゃあ、行こうか」
「え?」
「海。今日までみたいだ、熱帯夜。明日からはいつもの気温に落ち着くみたいだから。そうすると少し海も荒れ始めるし、夜の海は見納めだ」
「そうなんですね」
「行こう、歩きながら話そう。これからのことじゃなく、お互いのこと。リオンのことをもっと知りたい」
「……私も、セリード様のこともっと沢山知りたいです」
「そう? 同じ?」
「はい」
お互い手を離した。少し体が離れて、セリードが先に歩き出す。無言で振り向いて手を差し出した。リオンはそんな彼を真っ直ぐ見つめて差し伸べられた手を迷わず握って隣に並んで歩き始めた。涙を拭おうと右手をあげで、ちょっと雑に右目を擦ったら、左目はセリードが優しく指先で撫でるように拭ったので、照れくさかったけれど目を細めて嬉しそうに彼を見つめた。彼も優しく穏やかな表情をして、そんなリオンを見つめてから、前を向き直す。
「そうだ、言っておかないといけないことが」
「なんですか?」
「昨日夜出掛けるところ見てたヤツがいたみたいだ、騎士団のなかでたぶんそれなりの噂になってるだろうから、覚悟して」
「……ああ、そういうこと」
雰囲気ぶち壊しの、遠い目をしたリオンを見てセリードは首を傾げる。
「うん?」
「バノン隊の女性騎士さんに、今日何回も、確認したいことが……って言われたんですけど、それだけしか言ってくれなくて何のことなのかさっぱり。ただただひたすら、妙な笑顔で」
「あはは、そうなんだ? まぁ、聞かれたら適当に好きに言ってくれていいよ」
「え?! 適当って!! 責任重大!!」
「あははは」
握りあった手が熱い。
心が近づいて、肌も鼓動も近くなる。恥ずかしさから来る熱は熱帯夜のせいで余計に握り合う手の体温を上げている気がした。
砂浜を歩く。
「リオン。」
「はい?」
「風の噂で聞いたんだけど、リオンの好きな顔のタイプがイオタっていうの、あれ本当?」
「……うわぁ、その情報どこから」
「どうなの?」
「えぇ?」
「どうなの?」
「……」
「……」
「そ」
「そ?」
「それとこれとは別、ってことありません?」
「……つまり、そういうことか。なるほど」
「イオタ団長は観賞用です」
「オレが観賞用になったことは?」
「なくはないですよ。第一印象はカッコいい人だなぁってちゃんと思いましたから」
「ふーん。そうか」
「なんですか」
「これからは観賞用含めて見るのはオレ一人にするように」
「‥‥それ、言われても直るものではないですけどね」
「他の男はダメだよ」
「私にそれを強要して自分はどうなんだって、聞くのは間違いですか?」
「え、オレは観賞もリオンだけど?」
「は?」
「他の女は最近は顔が同じに見えることがあって判別出来ない時があるんだよ。だから観賞もリオンだけ」
「うわ、結構最低なこと言ってますよ。喜んでいいのか悪いのか微妙な……」
「でもオレのこと好きだろう?」
「えっ、はい、そう、ですけど。いや、でもどうかと思いますよ? 人には必ず個性というものがあるんですから、同じに見えるなんてことはないはずですよ?」
「それをいうならオレとしても悔しいけどねぇ? よりによってイオタって」
「セリード様だって好みの顔は私ではないですよね? 今までお付き合いした女性に私に似た人なんていないと思いますけど」
「え? リオンだけど?」
「は?」
「オレもともとリオンのこと可愛いと思ってたし。あ、この子オレの好みだって初めて認識したのがリオンだけど?」
「変わってる、って、言われません?」
「言われたことないけど?」
妙な会話が始まって、気づけば海を散歩し手を繋いで宿に戻ったのは夜中。
当然、翌日リオンは女性陣から尋問を受ける羽目になるのである。
ビスでの出来事。
二人の関係が変わった瞬間。
この事が後の【闇色の聖獣】、【聖域の扉】、そしてこの国に大きな影響を及ぼすことを、二人はまだ知るよしもない。
恋愛を書くのがこんなにも大変だとは思いもよらず、遅筆になってしまいました。
当初の宣言通り、しばらくは悩みながらの執筆になると思いますので更新ペースは今回ほど遅れないにしてもゆっくりとなりそうです。