三章 * 熱帯夜 3
この季節、ここまで気温が上がるのはかなり珍しいらしい。市民も復興の進むなかで勘弁してくれと口々に文句を垂れている姿があちらこちらでみられる。
南方の冬は暖かい。だが、夜は半袖で出歩けるほどではなく、王都なら秋の始まりに冷えを防ぐ長袖にさらに一枚羽織るのと同じくらいの気温が普通らしい。なのにここ数日は昼間は猛暑に近く夜もほぼ熱帯夜。さすがの騎士団も疲れの色を隠せない。ここに来て二週間、いくら体力に自信があっても不休に近い体制で復興を進めることはさすがに負担が出始めた。
「仕方ねぇ、交代で休み取らすか。」
マリオがバノンとジル、そしてセリードと相談し、それぞれ複数人ずつ休みを組み込むことにした。そこでちょっとした問題が起こる。
それぞれの隊にはティナのように女性も少数ながらいる。女性たちは全員まとめて一番最初に休みを合わせてあげようという意見の一致まではよかったのだ。
「じゃあ、皆で海岸にある宿に泊まってきていい? 女同士は別に派閥ないし。皆リオンとフィオラと話してみたいと思ってるわ、いい機会だから男の目の届かないところで羽根を伸ばしたいわね」
同席していたティナが初めから考えていたことらしいその意見を言ったそのときから問題が発生したのである。
「各隊にはそれなりに機密情報があるだろ」
難しい顔をしてマリオがぼそりと呟くと、それに同意するよう目配せでバノンとジルも互いを確認してから遠慮がちではあるが頷く。
「機密漏らすバカはいないわよ。いたらどこの隊の女でも私がぶっ飛ばすし、口を軽くするお酒は飲まないし飲ませないわよ」
「そういう問題じゃ」
「だからね、結局派閥があるから嫌な訳よね? みんな。なんだかんだ言いつつこのメンバーも派閥ありだもの、他所の騎士団との交流は不安よねぇ?」
シレっとした顔でティナは堂々と言い放つ。するとそれに反応したのはセリードだ。
「少なくともオレたちは違うつもりですが? 派閥というものにそもそも興味はありませんし」
するとティナがふふっと意味深な笑い声をあげて、セリードたちをわざとらしくながめる。
「本気で言ってる? 見る人がみれば、あなたたちも立派な派閥よ?」
それにジルがピクッと片眉をあげる。
「どういう意味です?」
「中立ってね、単独なら中立だけど、複数集まったらその時点で中立派っていう派閥でしょ。まさかそれを知らぬ存ぜぬでやってないでしょ? 見る限り、その中立っていうのを上手くあんたたちは利用してるだけよね」
ニコッとティナは笑顔で余裕だ。
「余裕な顔してるけど、あなたは立派な派閥よセリード」
「違いますよ」
「違わない。アルファロスっていう巨大な名前が後ろにある時点でいざというとき、簡単に他を巻き込めるもの。もしかすると、派閥よりもタチ悪いかも。無派閥っていう仮面を被ったコワーイやつね」
一瞬で空気が張り詰める。
(なんでこんなことに)
マリオが頭が痛そうに項垂れ、ため息。
「ま、それは置いといて」
置いとくのか、と顔で訴える夫を無視してティナは続ける。
「私はねぇ、今回の件で嫌というほどリオンの存在が重要になってくるとわかったの。騎士団が、派閥で揉めるのは良くないわ、間違いなく彼女を巻き込む。少なくとも、身近な立場の私たちはそんなことで揉めるべきではないわよ?王宮はもっと凄いんだから」
「ばか、それ言うな……」
テーブルに額を打ちつけてついにマリオが顔をすっかり伏せてしまった。
「王子のことですか?」
セリードの問いにがばっとマリオは体を起こす。
「当たりました?」
「よく知ってるわね。もしかして、ジルもバノンも?」
「ええ、まぁ」
「それなりに」
「……出所は、ジェスター?」
「主に」
ジルの返答にマリオがピクリと眉を上げたが、ティナは全く気にする様子はない。
「あら、ほらやっぱり、立派な派閥。しかもすでに中立じゃない感じ。いいわね、今までにない派閥できそう。ジェスターも、リオンに近いって噂あったしね、ふふん、面白いじゃない、うん、面白くなってきた」
ティナは面白そうに笑い声をあげた。
「おもしろくなってきたじゃなーい!」
「おもしろくねぇ!!」
「なんで? 面白いわよ、セリード派でもバノン派でもジル派でもないのよ?」
「は?」
「リオン派」
あのあと。
「わかる! すっげーわかる!!」
と、バノン。
「ううーん、否定しがたいから困る……」
と、ジル。
「あ、それいいですね?」
と、セリード。そしてさらにそのあと。
「え、すっごい迷惑、なんですかこっちの都合無視のその一体感、本当に迷惑です」
と、リオン。
「だよね。言うと思った」
渋い顔をして言い放ち、すでに三杯目のパインジュースを飲むリオン。セリードは、面白そうに笑いながら彼女を見つめる。昨日の緊張感を感じさせない夜の時間。待ち合わせした時リオンはちょっと顔が強張ってしまったが、セリードはそんな彼女の心を知ってなにか飲みに行こうかと、二人きりにならないようにしてくれて、その気配りにリオンがすぐに顔を崩して心を開く。
「結局何が言いたかったんですか、ティナさんは。そんなことに何の意味が?」
「あの人、他の騎士団から移って来てるだろう? 前の仲間と今でも仲いいらしいけど、制限とか規律とか色々あって周りの顔色伺うようにしないと会うのも難しくなったのが嫌なんだって。せめて女同士はそういうのなくしていければいいって思ってるらしい」
「へえ、そうなんですね?」
「それで、とりあえず仲悪くないなら上手くやってこうじゃないか、ってね。それで変な派閥作るくらいならリオンにすれば? って。上皇とクロード様ももれなく付いてくるし。マリオ団長とバノンも文句言わないし。オレも正直これはアリだな、とね」
「超迷惑!!」
ものすごい嫌そうな顔をしたのでセリードは肩を震わせて笑う。
「ウケる……」
「そこ、ウケるじゃないですよ」
「いや、ごめん、笑える」
「じゃ、リオン派に入る条件」
「うん?」
「聖獣と仲良くなる。異論は認めない」
「……厳しすぎるよ」
「それ以外は認めませーん」
一瞬の間があり、二人は同じに楽しげに笑う。
「しかし飲むね、気に入った?」
「気に入ってしまいました!!」
リオンはふざけて自分の顔近くまでグラスを持ち上げる。セリードは嬉しそうに頷く。
「パインおいしいです、南方のフルーツは馴染みがなかったですけど、結構好きかも」
「女は皆好きだよね母もタチアナもミオも取り寄せると喜ぶ」
「取り寄せ、贅沢ですねー」
「リオンの所にも今度分けてあげるよ」
「やった」
ヘラっと笑いながらリオンは一口また飲んだ。
「セリード様は、苦手なんですよね?」
「甘いものが嫌いな訳じゃないんだけどフルーツはね。特に南国フルーツは苦手な部類になってしまうなぁ」
「損してますよ美味しいのに」
「それ母も言うよ」
「人生損してますよ。楽しみが一つ減った感じしません?」
一瞬の間があった。
リオンにはそれが何故なのか分からなかった。
ただ、セリードにとってはそれが『きっかけ』になった。
微かに残っていた、『言葉』を抑えておく細い糸のような何かを切ってしまうきっかけに。
「あははは!」
「え?!」
「いや、ごめん、そこまで一緒じゃなくていいから!」
「ええ?!」
「母も俺の顔見てしみじみ言うから」
そしてセリードは嬉しそうに、にっこり。
「父がリオンを気に入ってる理由がわかった気がする」
「なぜそんなに笑われるんですかね?」
ムウーッとするリオンを硬直させる一言。
「母に似てるんだ、思ってることを話してくれる。飾ったりしないんだよね、喜怒哀楽が分かりやすくて、こっちもつい心を許す。女の趣味は父に似たらしい」
「え?」
「似たよ、父に」
甘ったるい、そんな目付きだ。
「一人の女に執着なんてしたことがなかった。なかったけど、しないわけじゃないって分かってたよ。この血は厄介だ、一度本気になると収まりがつかなくなる。一度執着するとその執着を捨てられない。それがアルファロスの男達だ、きっとね。そしてその執着を向ける相手が今目の前にいる」