三章 * その本質はどこにあるのか 2
「話ってなんですか?」
セリードはいつものように笑顔でマリオを見つめた。市の外れ、ひっそりとした教会の聖堂内で二人きり不自然な程の距離を取って向かい合う。
「単刀直入に聞く。オクトナは、聖獣だな?」
「そうですよ」
あっさりとセリードが答えたが、マリオは驚くこともなく、じっと彼を見つめる。
「オクトナについて、何を知りたいんですか?あまり話せないんですよ困ったことに」
「聖獣のことじゃない、お前のことだ」
「え?」
「お前は、一体何者だ」
セリードが驚いた顔をする。それでも動じずマリオは無表情でまっすぐ見つめる。すぐにセリードは笑顔で返した。
「何者だと言われても。困りますね? セリード・アルファロスとしか言えません。皆が知っているのがオレでは?」
「質問を変えよう。お前をそこまで変えたものはなんだ」
その問いかけにセリードが表情を変えた。笑顔ではない、表情の読めない無表情に。
「リオンの存在がお前を変えた。今までの知るセリード・アルファロスではない。全くの別人に変わったのは気のせいではないはず」
迷いのない、答えをすぐさま出した。
「そうですね、初めて会った瞬間からオレを変えたものはまちがいなくリオンです。理由は簡単ですよ、運命です」
そしてセリードはマリオから目をそらすとまた穏やかな微笑みをたたえ、腰から剣を抜きそれを斜め上に向け、その剣先を見つめる。
「わかりますか? オレの気持ちが」
「……なにがだ?」
「この世界は何かが狂い始めたのに、何も出来ず何も見つからない、その焦りと苛立ちに囚われていたんですよオレも。そしてリオンは現れた、苦しみを解放し、アルファロス家に光を射したんです。焦りと苛立ちが飛び散った瞬間でした。彼女が一つ、本当にたった一つ出来ることをするだけで、光が射すんです、無力だと、無知だと苦しむ彼女が光を」
マリオはただ無言で、セリードを見つめ次の言葉を待つ。
「目の前で光が射す瞬間をこの目で見たんです、感動以外ありません。今まで築き上げた知識や技術が、無意味になったのに、絶望しなかった。それだけ彼女の放つ光は神々しい。たとえ弱く不安定でもあの光は、オレを捕らえて離さなくなった」
剣先がステンドグラスから差し込む光を受けて輝く。
「そして、純粋な欲望と愛情があっという間にオレに生まれました。欲望と愛情は絡み合って強く固く一つの決心を生んだんですよ。守りたい。この手で、全てを。命をかけられる女に出会えたことを運命と言わず何を運命と?」
「運命が、お前を変えたと?」
「どうでしょう、それはわかりません。でも、はっきりと言えますよ、オレはリオンを愛している。一生に一度の激情で、これ程愛せる女は二度と現れません」
そこには、包み隠さず自分の想いを語る男の姿があった。
「オレが変わったというのならそれはリオンへの思いのせいでしょう。この手で全てを守ります。彼女が慈しむもの全てを。たとえオレがすべてを失っても構わないんですよ、守れたならそれが、その事実がオレの全てになる」
ゆっくりと剣を下ろしセリードはその剣をマリオに向ける。
「なぜあなたがオレにこんなことを聞いてきたのか真意はわからないし、興味もありません、ただ、ジャマさえしないでくれるならばそれでいいんです。あなたは色々と危険因子を抱えている、正直リオンに関わって欲しくないんですよ。でもリオンはあなたが言葉に耳を傾けることをうれしそうにする、それを止めたりしません、幸せそうにしているから。だから、この際いいます、この先リオンの進む道を邪魔することがあれば、その命貰います」
「宣戦布告か」
「いいえ? 宣戦布告ではありません、命を貰います間違いなく。戦うことにはなりませんよ、オレはあなたより強い。戦いなんて時間は無駄です、一瞬で済みます」
「……ジェスターを超えるという噂は真実か」
「困った噂ですね? 出所はリュウシャ様辺りでしょうか。……マリオ団長、リオンはティナさんの妊娠を、心から喜んで生まれてくるのを楽しみにしています。あなたもリオンの祝福を受けて生まれてくる子供に会い、一緒に生きていきたいでしょう?」
「オレを脅すか」
不愉快そうに顔を歪めるマリオに、セリードは変わらず笑顔を向ける。
「ええ、もちろん。リオンを守るためになら何だって出来ますよ。愛は人を盲目にする、本当ですね。オレの中に……狂気が目覚めた。眠っていたはずなのに」
その笑顔は、何を考えているのかわからない笑顔ではなかった。
まっすぐマリオを見るその瞳には揺らぎを知らない炎が灯っている。
決して消えることのない、だれにも消せない炎を灯す男。
「その狂気はお前を破滅に追い込むぞ、それでも良いと言うのか」
「その先にリオンの進むべき道があるのなら喜んで」
「それがお前の愛情だと?」
「人それぞれですよ、マリオ団長。優しくゆったりとしていても、甘ったるく稚拙でも、オレのようにたとえ人が認めない過激な激情でも。あなたはどれですか? 死と隣り合わせの騎士が、持てる愛情なんて限られていますよ」
そしてセリードはポケットに手を入れて何かを取り出し握りしめる。
「あなただって狂気を持ってるんですよ、騎士の力を持って生まれたその時に決まっていた。その狂気は一生ものです、手放せないんですよどうあがいたって。だったらその狂気と折り合いをつけて生きた方がいい。オレはリオンとの出会いで自分と向き合えたと思っています、リオンと出会う全ての人間がそうであればいいと本気で思います。……これを」
セリードはマリオに向かって握り締めていた物を投げつけた。掴んだマリオは手のひらの上のそれを一度だけ見て、不思議そうな目をセリードへ向け直した。
「これは?」
「持っていてください。リオンから預かったものです、その琥珀には高山菖蒲という花の香りがついています。ある特定の聖獣が好むもので、それに惹き付けられるそうです」
「聖獣を?」
驚くマリオに表情を押さえたセリードは頷いてみせた。
「もしもこの先、それによってあなたが聖獣と出会えたなら、渡してやってください。それだけです、他のことはしてはいけません。けれどそのことがあなたの価値観や世界観を変えます。必ず。何よりあなたは聖獣の姿や心や世界を知ることが出来ます、この世界に必要な知識を得るはずです。リオンが何を望み何を守ろうとしているのかオレもわかりません。けれどそれがその答えを見つけるきっかけになるはずですよ、あなたも見るべきです」
「なぜだ? 信用などしていないこの俺になぜこれを。」
「だからこそです。あなたは、オレを信用しないしオレも信用しない。でも、何が起きているのかをあなたは見続けなくてはならないんですよオレのように。オクトナがあなたは本来非常に情に深く、弱き者を分け隔てなく救うことができる性質だと教えてくれました。その力を正しく使える環境さえあればあなたは、あなたがかかえる葛藤から解放されると。……それはきっとリオンとの出会いが深く関係しています。でもあなたはその葛藤から逃れられない。だからその琥珀を。聖獣が答えをくれるかもしれません、葛藤から解放してくれるかもしれません。もしも解放されたら、きっとあなたはリオンの力になる。そう思うんですよ」
マリオは静かにただ、手のひらの琥珀を見つめる。
「お前の父親は」
「はい?」
「いつもいつも、俺の前を行っていた。追い付き追い越そうとしても、現役時代、一度も越えられなかった。それどころか、挑む度に格の違いを見せつけられて、俺はある時心が折れそうになった」
急に始まった過去の話に、セリードは静かに受け止めるように耳を澄ました。
「ハレイアとの国境で今さら騒ぎ立てる地域の制圧だった。好戦的で、国家間協定も無視の、一部の民族だ。話し合いは困難、ハレイアの中枢すら見捨てるような、そんな状況だった。お前の父親がな、『制圧以外はない、殲滅するからその準備を』って淡々とな……。心が折れそうな時期だった、色々迷って何もかもブレてるそんな時だったが、俺はそれは違うと反対した」
「そうでしょうね。いくらハレイアが見放した、といっても国家間協定のある国とのことです。民族なら……民間人も多かったでしょう、下手に手を出すわけにはいかないはずです」
「お前ならそうだな」
「え?」
「お前の父親に、どれだけの人間が意見出来ると思う?」
その言葉に、思案してからセリードは苦笑して肩を竦めた。
「無敗の騎士団の団長。ティルバ最上位の公爵。あの場で、あいつに反対したのは俺だけだった……合同遠征したサフィ団長とあの厄介ジジイのイワン団長すら、反対しなかった。同意見って訳じゃなかったのにな。同じ立場のはずなのに」
「その中で、あなたが反対したことは……大きな意味かある気がします」
「ああ、そうだ」
ぎゅっと琥珀を握ったマリオは、視線をセリードに移した。
「あいつが笑ったんだよ」
「笑った?」
―――やっぱり、私を止めてくれる、止められるのはマリオなんだな―――
マリオの口から語られたジェスターの言葉は、セリードにその光景を鮮明に想像させた。
きっとその時、父は笑っていた。心から喜びが溢れるそんな笑顔だったにちがいないと。
「父は、意見を変えたんですか?」
「ああ、アッサリな。思わず殴り倒したさ」
「……まぁ、あの人ならそれくらいのことされても仕方ないくらい人を振り回しますからね。自業自得です」
セリードが当然と言わんばかりの納得した顔をすると、突然マリオが笑いだした。
「ふ、はははっ!! 覚悟しておけ」
「?」
「止めるぞ、お前も。リオンの為になんでもするお前を、リオンが苦悩して後悔して傷つく前に俺が止めるぞ」
セリードは目を見開いた。