三章 * 暖かな冬、夜は 3
(どうしよう)
うれしい。
こうして並んで雨の中を歩くだけで。
きっと、髪はくずれてる。
足元は泥だらけ。
本当なら見てほしくない姿なのに。
彼の服が、どんどん重くなっていくのに。
剥いでしまえば楽なのに。
この重さが離せない。
(どうしよう。やっぱり)
この人が好きだ。
さりげなく腰に降れる手。
雨でへばりつく髪をどけてくれる指。
楽しそうな顔。
明るい笑い声。
凄く、好きだなぁ。
南方の人々は当然のように雨の中を歩き、男たちは上半身裸で仕事までしているひともいる。子供たちは泥だらけになりながら鬼ごっこ。
「冷えない?大丈夫?」
「全然平気です。不思議ですね?雨が冷たくないんですよ?」
「今の王都でこれやったら凍死だな」
「その前に出来ませんよ。」
「ははっ!確かに。オレもやらない。やだ」
「あはは!ですよね!」
周りの風景に溶け込む二人。
雨が次第に弱まり、太陽が顔を出す。赤い夕方の太陽。二人で立ち止まり空を見上げる。
「晴れてきましたね?」
「ああ、どう?どしゃ降りの雨は」
「ふふっ、あはは」
「うん?」
「凄く楽しかったです」
あなたと一緒だから。
その言葉は心の中に置いたまま、リオンはとびきりの笑顔で答えていた。
二人の姿を見て宿の従業員が慣れたようすでタオルを持ってきてくれた。
「お風呂が先ですね、お腹すいたけど」
「このままはさすがに冷えるしな」
「服、ありがとございました」
「そのまま洗濯に出しといてくれる?」
「はい。もちろん」
ボタボタと水が垂れるセリードの公務服を脱いだリオンはタオルを肩から被った。
へばりついた服のせいで、リオンの肩がわずかに透けて見えた。腰の細さが浮き立ったのが一瞬見えて、セリードは苦笑いでごまかした。
(まいったな、ほんとに)
欲しくなる。
素直な思い。今は他の女の体を見たってこんな風にならないと自信が持てる。
タオルで豪快に頭を拭いて、手櫛で髪をかきあげて、肩にタオルをかぶせた。逞しいその体を目の前で見ていることが恥ずかしい。
(……触ってみたい、かも)
甘い恋心だけではない好奇心がこんな時にリオンをそそのかしそうになって、そんな心の欠片すら見られたくなくて彼女は顔を拭くふりをしてタオルで覆った。
この人に触れたい。
邪な女の気持ちとリオンは戦い、とりあえずなんとか勝利した。
これからこんな感情と戦うのか、と結構げんなりしつつ、心の中で苦笑する。
「あの二人、くっつきますよ」
フィオラの特別気持ちのこもっていない、他愛もない会話をするような言い方にティナが面白そうにニヤリとほくそ笑む。
「やっぱり?」
「二人でいると気が高揚するのがわかりますからね。おまけにセリード様に至っては安定もするんです」
夕方びしょ濡れで楽しそうに帰って来た二人に遭遇したティナがフィオラを呼び出して屋台に誘っていた。
二階の広間で魔導師たちと話し合いをしてい時に、雨が止んできたので何気なく外を見たら二人の笑い声が聞こえて下を覗きこんだティナが、見たもの。
「そうなのよね、完全にリオンを信頼しているからこそのあの安定」
「それにセリード様って、リオンに対して初めからなんですよね」
「何が?」
「距離がないっていうか、自分の領域に入るのを許してて。リオンの特殊性を除いてもセリード様はリオンを特別扱いしてるんですよ」
「……運命の女、といったところかしらねぇ。あの男が執着するくらいだから、ただの恋心なんて言葉じゃ済まない気がするわね」
まるで恋人同士のようだった。
騎士団団長の公務服を羽織るリオンの腰に手を回すセリード。
体は寄り添うように近くて、そのままリオンは彼を見上げ、セリードは彼女を見おろし、屈託のない笑顔で笑い合う。
見ている側が感動するほど幸せそうな二人。
ティナはその光景がやけに鮮明に記憶に残る気がしたのだ。幸せな記憶として。
「でも、リオンに壁があるみたいで」
フィオラが悩ましげに唸り首を傾げる。
「必死だものね、目の前のことに」
「彼女からは踏み込まないと思います。その代わりセリード様がそろそろ限界かな。気持ちを抑えなくなってきたのが見てるだけでわかりますから」
「そうなの?」
「昨日、ジル団長とバノン団長も一緒に酒場に行ったんですけどね? リオンの隣に陣取って動かないんですよ」
「あらあら」
「しかも自分が口をつけたコップのお酒を平然とリオンに勧めてみたり。あんなセリード様って初めて見ましたよ。あれはあれでお互いにお互いを追い込んでる気がしますね、意識しあってるんだからちょっとしたことで動揺とか混乱しますよ」
ティナはふふっと笑う。
「若いっていいわぁ」
「ほんとに久しぶりにきゅんきゅんする恋愛劇見てます。
二人は面白そうに笑う。
「ビスにいる間に展開あるかしら?」
「セリード様が展開させるんじゃないですか?もはや理性の限界ですからね」
「手まで出しちゃうってこと?」
「それは、ないですね」
「どうして?」
「リオンのことが大切だから、ここでは出さないですよ。出すとしたら王都に戻ったら。自分の中の領域に連れ込んで閉じ込めちゃう」
「あっはっは!! やらしいわぁ、セリード」
「計算高いですよ、あの人は。まだ出会い含めて数ヶ月なんですけど、リオンのことなら何でも知っておきたいんでしょうね、好みの食べ物はもちろん、色や読む本の傾向、服や小物の好み、得意なこと、不得意なことなんでも知ってますからね。会話からさりげなく聞き出すテクニックとか凄いですから」
「……気持ち悪いわ、あの顔で」
ティナはニヤッとした悪い笑顔でわざとらしくため息をつく。
「色男がすることじゃないてすからねぇ」
「ま、それだけ本気なんでしょうね」
「せいぜい頑張ってもらいますよ、リオンの守護者としても」
二人は肩をふるわせて笑った。
「それに、いいことだと思うわよ?」
「何がですか?」
「王女が勝手に言いふらしてるじゃない、自分がセリードと結婚するって。あれを黙らせるにはセリードが本気で誰かに惚れる必要があったと思うわよ」
「ああ、たしかに」
呆れた顔をしてフィオラは項垂れる。
「嫉妬してリオンに手を出すまでは出来ないわよさすがの王女だって。そんなことしたらセリードどころかアルファロスを敵に回すことになるんでしょ?理由は知らないけどジェスターも奥さんのマティオ夫人もリオンを気に入ってる噂は私だって知ってるもの。世界有数の資産を保有する公爵家を敵に回す王家じゃないわ、王女がどんなにワガママを言っても今までセリードが独身だったのは王家が公爵家を敵に回さない証明でもあったからね」
「その辺落ち着くとセリード様も大分王宮で動きやすくなりますよね?王女のご機嫌とりしなくてよくなりますもん」
「勢力図が変わるわよ」
「え?」
「それだけ、あの家の存在は大きいの。たとえ次男だとしても、セリードがご機嫌とりをしなくなくて済むということは、公爵家自体が王女の存在を気にしなくていいのよ、そもそもあの家は王家に仕えてるの、意味わかる?」
「どういうことですか?」
「王家直系、つまり、王位を継承する者に仕えてきたのよ。結婚と同時にフォルクセス姓を捨てる王子や王女たちに仕えたりしないのよ」
「あ、そういうこと……」
「徹底して王位継承者を守ってきた親王家であり、王位継承者に仕えてきた実績は凄まじいのよ、国王の命令ならば王家の一族にも平気で手をかけてきたともいわれてるんだから。絶対の信頼を王家も置いてるわ、だから公爵家なのよ。王家は王女と公爵家を天秤にかけたりしないわ、間違いなく公爵家の意思を尊重する。今回間違いなく影響は出るわよ。恐らく、二人に進展がなくてもあの男はリオンへの誠意っていう形で堂々と王女を拒絶するわ、そうなれば二人の結婚を望んでいる派閥なんかは……今頃戦々恐々でしょうね。アルファロスの巨大な財力と影響力の恩恵を受けられないことが決定的だもの。今後どうするかしばらく混乱する貴族や有力者は多いでしょうね」
「怖すぎる」
「怖いわよ?」
ふふん、とティナは笑いフィオラは苦々しい顔をした。
「リオンにはちょうどいいわよ、あれくらいの男じゃなきゃね」
自信満々にティナはいい放つ。そして、もうひとつ。
「リオンを支えられる男なんてそうそういないわよ。並みの男なんてあの特別な力に、存在に押し潰されて終わるわよ間違いなく」
と。
少し、リオンとセリードの関係が変わったと思います。意識するって大事な変化のプロセスだと思う訳です。
それを表現したかったんですが、いやはや難しいですね。