三章 * 暖かな冬 4
セリードとの約束に、フィオラも快く送り出してくれた。
彼女の本来の目的は 《聖域の扉》として出来ることを見つけること、魔物から人々を少しでも守ること、そして聖獣と魔物と人間の共生の可能性を探し続けること。
リオンは本当に騎士団での活動が自分のすることだといつの間にか思っていたことに戸惑う。
居心地がいいのだ。誰かとなにかを共有して行動するということは今までビートとジェナとだけだった。それが王都に来てから少しだけその枠が広がってそしてここで大きく広がった。一人で何かをするよりずっと気持ちが楽になる感覚を体が知ってしまった。
フィオラに送り出してもらったとき、一緒に雑務をしないことへの罪悪感よりも寂しさが込み上げて、苦笑いをするしかなかった。
「じゃあ行こうか」
セリードの優しい声に、彼の心遣いにもちょっとだけ罪悪感を感じつつ、笑顔でそれを隠して頷いた。
「はい、どこに行くんですか?」
「半分はリオンの仕事の話をするためで半分は息抜きできるところに行くと言えばいいか」
日差しが照りつける南の大地は、今ごろ王都は雪が降っているかもしれないそんな寒さが少しだけ恋しいと思わせる反面、セリードと馬を並走させて熱帯の鮮やかな木々の間を駆け抜ける心地よさと嬉しさを温めて膨らませてくれる。
「え、すごい、うわっ! 綺麗なところ!!」
大河の支流がさらに細かく分岐した細い小川は水を引くために整備したものらしい。石が土手を形成し、木々やその場の景観をわずかに人工的にしてあることがわかる。穏やかで緩やかで細い小川は色とりどりの花が咲き乱れるその空間の中を通っている。
「色々見てるときにここを見つけたんだ。森の中だし小川もあるから気温が少しだけ低めで過ごしやすいだろう?」
「はい!! 日差しを避ければ凄い快適!」
「ここでちょっとのんびりしたらいいよ」
「はー、嬉しい!!」
「ついでに、ちょっと父から来た手紙で気になることがあってね、話しておこうと」
馬を降りてリオンは靴を脱ぎ石に腰かけて小川に足をつける。その隣でセリードは同じように石に腰かけたが足を水に触れさせることはなくゆったりと伸ばした足を別の石に乗せている。
「バノンたちが王都を出てすぐだそうだ」
「ジェスター達が注意人物として見ている人が連れてきた魔物に詳しい女性、ですか。……その人には怪しい点はあるんですか?」
「今のところはそこまではわからない。すぐに手紙を書いて送って来ただろうから。ただ、身元は証明されていて聖獣の観察記録と日記を書いた魔導師の子孫であることは間違いないそうだ。ミオは魔物討伐は避けては通れないことだし、なによりその女性を政治利用させるわけにはいかないと危惧している、議会でも影で問題視すべき点がある人物が連れてきたからリオンが王都に戻ったとき何かしらの影響があるだろうと心配しているらしい」
セリードの口から語られたことと、ジェスターの手紙に書かれていたのはアリーシャのことだった。真剣な眼差しで手紙を読んだあと、リオンはふとその顔を緩めた。
「ミオ様が? ありがたいですね」
彼女が照れくさそうに笑ったのでセリードは穏やかに微笑み返す。
「大丈夫です、きっと」
「そう?」
「だって、そもそも違います」
「なにが?」
「私は魔物を討伐する知識は持っていません、したことがないんですよ。討伐出来ないんですよね私の知識では」
その一言はセリードの頭に強い衝撃を与える感覚だった。
「沢山の人に絶対に必要な知識なのに、私はなにも知りません、あくまでも私が出来るのはどうしても避けられない魔物との接触をどう乗り切るか。理性のない魔物と遭遇した時、私だけが助かる方法は誰のためにもなりません、絶対に必要なんです、確実な討伐方法は。この手紙の……その人の方法がもし本当に有効なのであれば、今の現状を大きく変えられます」
「リオン……」
「セリード様、私ね?」
リオンは穏やかな笑顔。
「私の力は人を救わないんですよ、魔物とそれを生み出す聖獣だけを救う力なんです。間接的に人を守ることにはなってるけど、今回の遠征でその事を嫌と言うほど思い知ったんです。でも、それでいいかな、って思うんです」
「……なぜ?」
「私はランプです、太陽の光じゃありません、それが私の在り方なんです。間接的でいい、少しでも誰かの役に立つならそれでいいって。それに、全ての人が魔物と戦えるわけじゃないから、魔物から逃げられる可能性をもつ知識がゆっくりでいいから広まればいいと思えるようになりました。……スピルに、言われたんです」
「何を?」
「……お前は特別だって」
そう言ったリオンの顔は寂しさのようなものを滲ませている。ただ悲しみは感じない。
「そうか……」
「嬉しくなかった。特別なんて言われても、ただの足枷でしかなくて。でも……逃げられないんですよね、もう、生まれたときから。これから一生私はその言葉から逃げられない。その言葉で、私の人生を縛られたくないと思っても、もう逃げ出せないんです。だから、諦めました、逃げようとすること」
「なぜ?」
「皆一生懸命で、凄く生き生きしてみえるんです。私だけモタモタして、過去の嫌な思い出のせいにして逃げるのが恥ずかしくなってきたんだと思います。でも、ここ最近騎士団の人たちが私の言う言葉を聞いてくれる、それだけで嬉しいって気づくことが出来て。だから私も出来ることをちゃんとしようって」
「そうか……」
「それにいま、ホッとしてます。魔物討伐の知識は私にはないし、《過去の記憶》もこれからも与えてくれることはないんです。私はその期待に答えられないから、ずっと怖かった。知らないのか、出来ないのかって責められる時がくるんじゃないかって。だから……ほんとに今ホッとしてます」
「責めないよ、誰も」
「え?」
「少なくともいまビスにいるメンバーは誰も君を責めたりしない。それに責められたとしても胸を張っていい、そもそも誰にも今までどうすることも出来なかったんだ、責める権利なんて誰にもないし、意味はない。そんなことで傷ついたりしないでくれ」
「……はい。」
照れくさそうにリオンが笑う。
衝撃を与える言葉だった。
魔物を討伐する知識がない。
したことがない。
そう言う彼女はこのビスを守りきったのだ。
彼女はそれを特別な事とは思っていない。
だが、セリードはそれこそが特別以外の何物でもないと知る。
なに一つ傷つけずなにかを守ることは不可能だ、現実として魔物化した虫や小動物は必ず襲ってくる事が今回のことで分かったし、聖獣の制御がなければそもそも人を簡単に襲って食いつくすのが魔物。酷ければ草木も建物もかじりついて糧とする。
だが、それでも被害は最小限、限りなく無いに等しい結果をリオンが生み出した。
何も出来ないと、知らないという彼女がそれでも自分の知識で、経験で、人を守った。
大きな市一つの人命が彼女の 《出来ることをする》という思いで救われた。
魔物討伐の知識をもつ者。
優れた知識と技術は多くの人を救うだろう。
しかしセリードはその限界を既に知っている。
聖獣の知能と能力を、人は超えられない。
人は聖獣の裁きから逃れられない。罪を犯したとき、人は必ずその力にひれ伏す。
それを、オクトナという聖獣との約束、そして共に有ることで五感でセリードは知り、実感した。【闇色に染まった聖獣】との対話で次元の違う圧倒的な能力や知能を再認識させられることになった。
だから、衝撃を受けた。
何も出来ないという目の前の女はそれらを凌駕して聖獣の許しを、慈悲を、聖獣に代わり人に与えられる。
君は、特別だよ。
その言葉を飲み込んだ。
彼女が嫌うその言葉を。
「少しゆっくりしていこう、いいところだろう?」
「はい、凄く綺麗だし、静かだし、とても気に入りました」
「また連れて来てあげるよ」
「はい」
本当に、特別な人だ。
この女は、特別。
そうだ、なによりも。
オレにとって、彼女の全てが、特別。
いいんだ、命を奪う戦いなんてしなくて。
それがリオンだ。
リオンにはリオンにしか出来ない戦いがある。
奪うのではなく、共に有る事。
それがどれ程困難であるか。
人間同士でも上手くいかない事を、彼女は異次元の存在とそれを成そうとしている。
守ろう。
必ず。
命にかえても。
全てを失っても。
オレは彼女を守るために生まれてきた。
この世の全ての存在にとって、特別な彼女を。
このオレが。
守る。
リオンの邪魔をするやつは、許さない。
絶対に。
『おやおや、穏やかじゃない』
他人事のように、オクトナは笑う。
『全く、面白い男だ。笑っている、物騒な事を考えながら笑っているな。あれが本性か? いやはやリオンよ、とんでもない男と縁を紡いだものだ。まぁ、お前なら簡単にセリードの手綱を操るだろうがな。くくくっ……さぁ、人間たちよ、どうする? 生きた凶器がリオンの守護者となったぞ? あの血筋はどうにもこうにも他人の死への情が欠落しやすい。例に漏れず、セリードもそうだしな。さて、過ちを犯して虐殺されるか? それとも……すぐそばに凶器があると知らず生き延びられるか? 楽しみな事だ』
飼い主は物騒、でもその飼われてるのはもっと物騒なこと考えてる。
オクトナはたぶんこれからもこんな感じで自由な発言しかしないと思います。しかも独り言。