三章 * 偏り 3
王宮の異様な高揚感に、マティオは冷ややかな視線を向けて優雅に回廊を進む。
「奥様、旦那様の仰っていた状況がお分かりになりましたか?」
ジェスターの側近の囁くような問に彼女はため息を小さくついてみせた。
「……まだ成果も出していないのにこの有り様というわけ?」
呆れてしまってマティオはまたため息。
アリーシャがまだ現れない。
すでに席はほぼ埋まっている。
王族を待たせてはならない暗黙のルール上、この茶会の場合はすでに彼女も席についていなければならない。マティオはアリーシャに会ったことがないがこの茶会に呼ばれることになっている女性はアリーシャ以外面識があるため、彼女の顔を知らずとも現在この場にいないことは明確だ。
「はい。ブライン最高議長が煽るような発言を繰り返しており。今では王子と王女も彼女をご自身の茶会に招待したりと、時の人といった扱いを」
「下らない。すべきはそういうことではないでしょうに。彼女を中枢に食い込ませたいのなら早い段階で王宮内で務める人間として相応しいあらゆる知識を叩き込むべきだわ。お茶会にも最低限のルールがある、それを無視したら後でどうなるか、そういうことは教わっていないのかしらね?」
「最高議長と男爵が彼女の社交界や貴族社会の立ち回りを教育していると聞いていますが」
「……本当に? 大丈夫かしらね?」
素っ気なくマティオがつぶやいた。
「つまらない御茶会にならなければいいけれど」
先日十九歳の誕生を祝ったばかりの王女エレノーワはその時の晩餐会に気分を良くして再びこうして誕生を祝う会を兼ねた御茶会を開催した。きらびやかな大広間は金縁の食器で統一され、この季節には高価になる生花をふんだんに飾り付け、有り余るほどの菓子と果物を並べ自分の立場を誇張するかのような飾り付け。
(いつも思うのだけど、楽しいのかしらこういう御茶会ばかりなさって)
マティオは公爵夫人である。
彼女の御茶会に呼ばれることは最高の名誉と言われる。
それは豪華で優雅だからではない。マティオは元々商家出身、そういった御茶会は馴染みもなければ興味もなくて、どうせなら人のためになる御茶会をと考えて彼女の御茶会は独特な世界観がある。
年に数回だけの御茶会。その御茶会の主役はマティオではない。歴史学者や植物学者、他国の文化学者などだ。彼らを招き、彼らの知識を学ぶのだ。お茶や菓子を楽しみながら学者の話に耳を傾けそして質問をし、皆で勉強をする。帰りに渡す手土産の菓子の代わりにその日の勉強したことをあらかじめまとめておいた小さいけれどきちんと本に仕上げられた資料が渡される。
家柄の自慢やドレスや宝石の値段を隠れて競争することもない。皆で同じ事を同じだけ学んで会話を楽しみながら御茶会をする。
だからそんな茶会をする彼女にはこういう茶会は他の爵位のある家の夫人たちの茶会だけでお腹一杯だ。
(つまらないのよ、普通の御茶会って。噂話と自慢話ばかりで)
席に案内され、後ろに控えた側近に椅子を引かれ席についたマティオは扇子で口を覆って僅かに後ろを向いた。
「帰りたいわ」
「ご辛抱を。まだ始まってもおりませんよ」
側近がクスッと笑い、マティオはため息。
マティオの推測は王女がエレノーワを伴って入場ということだった。
それは想像に難くないことだったので、実際にそれを見たとき驚きもせず、彼女は静観した。
が。
次の行動で会場の空気がガラリと変わる。
全員がその光景を見て、驚いたのをマティオが冷静に見つめる。
(そうよね、私も久しぶりにむせそうになったわ。明日にはこの事が王都に広まってるのでしょうねぇ)
「あなたは私の隣よ」
エレノーワ王女のワガママっぷりと自己流のマナーを強要してくることは王家の悩みの種だと影で囁かれる理由を久しぶりに目の当たりにして、マティオはあまりのその暴挙に呆れる気持ちを通り越して笑いが込み上げてしまう。
(執事も困ってますわよ王女)
王族の主催の御茶会はもちろん、晩餐会などでは厳しいマナーがある。
その一つであり、マナーと言うよりは立場や位といったものを明確にするとても大事なものがある。席順だ。
「よろしいんですか? 私が、王女の隣だなんて」
「いいのよ、いらっしゃい」
「では失礼致します」
(ああぁぁぁ、座っちゃうのね。嘘でしょう? その席は本来私の席なのだけど)
マティオは頭を抱えたくなった。
王宮で催される茶会や晩餐会では、厳格に席順が決まっている。今回のは非公式で王女主催の茶会だ。それでも最大限のルールはここでも有効だ。女性だけ、しかも王妃を含む王族がいないこの茶会ならば、王女の次に位の高い身分は公爵夫人二人となる。
ただ、マティオとメルティオス公爵夫人は今回席を別人に譲っている。
自分たちが煙たがられているのを知っているし、王女も年齢が近い女性が隣の方が気が楽だろうという配慮だ。非公式ゆえ可能なことで事前に王宮とのやり取りで決めたことである。
マティオの代わりにその席にはある侯爵家の令嬢が座ることになっていた。
しかし。
その侯爵令嬢がなかなか姿を現さないことを疑問には思っていたが、どうやら王女の独断で『欠席させた』らしい。ちなみにその侯爵令嬢とは品行方正で非常に素性のよい、こういう場に必要な若い令嬢たちの手本になるような令嬢だ。これではその令嬢の教育の行き届いた言動が気に入らないんだな、と要らぬ憶測をこの場にいる女たちにさせてしまう。
王宮で行われるお茶会がたとえ非公式でも、余程の理由がなければ一度招待状を出した相手を欠席させるなんてことは本来あり得ない。ましてや侯爵家となれば国への出資や寄付などは多大だ、国王でもそう簡単に蔑ろにすることはない。だから、王女が独断で欠席させたというこの事実は社交界では異例のこと、いや、異常なことだ。
それだけ非常識なことをしているのである。
そして今その席に座ろうとしているのが、アリーシャである。
彼女はこの王宮に出入りするようになってまだ日は浅いが、最低限のルールは強制的に教えられているはずであるが。
しかし。
(彼女が、アリーシャ)
戸惑いつつ、誇らしげにも見える優しい微笑みを浮かべたアリーシャが言われるがまま、席についた。
(ミオが見ていなくて良かった。怒り狂ってこの大広間を破壊してたわね)
おとなしそうな雰囲気は華奢で可愛らしいアリーシャにぴったりで、きっと既に王宮では彼女に好意を寄せる男はいるだろうなんてことをマティオは思いながら歓談の時間を静かに過ごす、つもりだった。
「セリードはいつもどるのかしら?」
「申し訳ありません、私は息子の公務には関与しておりませんからお答えできないのです」
「今度帰ったらまた御茶会をするつもりよ、その時にご招待するつもりでいるの」
「さようでございますか。しかし遠征から戻りますと事務的公務に追われますから王女のご希望に添えかねることもございます」
「セリードは熱いお茶が好きなのよね?」
(話が、噛み合わない)
さすがにアリーシャが王女とマティオの会話を聞いて不思議そうにしている。当然だ、王女はまるでセリードが自分と親しいかのように話しているからだ。
「セリードはまだ結婚を考えていないのかしら? 彼のような男性は良い家柄の女性でなければいけないもの。お父様の許可さえ頂ければいつでも私はアルファロス家へ嫁ぐ覚悟はあるつもりよ?」
「王女は公爵家ご子息と婚約されてるのですか?」
悪気のないアリーシャの質問とはいえ、マティオは顔がひきつりそうになっている。
「約束はないわ。でも私以外はなかなか釣り合う身分はいないのよ」
「そうなんですか。さすが公爵家ですね」
マティオはあまりにも軽率な発言をする王女にもうなにも答えたくなくなってしまった。
「公爵夫人は威厳がありますね、少し怖かったです」
アリーシャの苦笑に王女が軽やかに笑う。
「なんてことないわ、普通の人よ。お洒落より勉強のほうが好きな変人」
「変人、ですか」
「とても頭のいい人でね、平民出身だけど勉強の出来ない人を見下したりするそうなの。つまらないのよ、あの人の御茶会。勉強するのよ?」
「ええっ?! そうなんですか?!」
「信じられないでしょ?非常識なのよ、あれでセリードの母親なんだから怖いわ」
アリーシャが少し戸惑っている。
「その、セリード、様とは素敵な方なんですか?」
その問に王女はふふん、鼻をならしそうな陽気さを見せる。
「優しくて落ち着いていて頭もいいし、騎士団の団長をしているの。公爵家の次男だけど明るくて気さくで王宮の大半の女は必ず彼に一度は惹かれるのよ?背が高くて手足も長くて、凄くハンサム。女性のエスコートも最高よ」
エリザベートは手を合わせてにこやかに軽やかな口調で続ける。
「今度会わせてあげるわ、特別よ。あなたらないいわ、話すことくらい許してあげる」
そのおどけた言い方がよかったのだろう。アリーシャが軽やかに笑った。
「楽しみです。是非会わせてください」
妻のぐったりとした姿を見てジェスターは先日の上皇とのため息を思いだし、面白そうに声をたてて笑う。
「あはははは」
「笑い事じゃありません、ジェスター」
「放っておけばいい。我々は無関係、助けを求められれば助けないこともないが、彼女はすでに後ろ楯を持っている、そこに食い込んでいくほど無神経なことはしないよ」
「しかし、あのままではいずれあの子は問題を起こすか利用されるだけになりますよ? それはきっと……リオンも望まないはず」
妻の心配をよそに、ジェスターはやはり笑うのだ。
「マティオ、そんな先のことを今悩んでも仕方ない」
「……そうかもしれませんけど」
「それに、リオンが望まなくともその時はその時、二人の接点をなくすよう手を回すのみ」
その言葉に、マティオはハッとして目を見開いた。
「リオンを守る。それが、我がアルファロス家の後ろ楯としての役目だ。全く違う思想や価値観の二人だろう、その二人を同時に同じように守ることなど不可能だと私は思うよ。それに私は、リオンを守りたい。あの子さえよければ養子に迎えてもいいと思えるほどに私はすでにリオンに肩入れしている自覚がある。そんな私がアリーシャにしてやれることなど……すでにほとんどないと思うよ」
「ジェスター……」
「アリーシャも、あの様子を見る限り我が家との縁は望んでいない。恐らく我々が他の貴族とは違う態度であることに、多少の不安や不満を持っているだろう。アルファロス一族とは縁が紡がれることはない、そういうことだ。願わくば、リオンを介して融和的関係になれればいいとは思うが、それもまた縁があればの話、今は、我々がアリーシャにしてやれることなどない」
幕のはじめにも書きましたがアリーシャの存在がすでにおかしな方向に向かっていて、モヤッとすることになったのはご容赦ください。悪役ではないのですが、色々ある人です。
彼女については未だ作者も扱いかねている難しい存在なので、キャラがぶれる可能性もあります。
がんばります。
そしてメルティオス公爵夫人はいずれちゃんと登場させたいなぁ、と。
すでにキャラが定まっている方なので出しやすいはずですが、その場面がなく。
物語が進まなくなるのを覚悟で登場させるかもしれません、そのうち。