三章 * 彼女の過去 3
今思えば、リオンの母親と姉はお金や地位というものに執着を見せる性質だったのだろう。
母親と姉はリオンが魔導師としての才能が開花しない、能力持ちとして成長しないことを残念に思いその心の底では『そのままでいい』と願っていた。
そう、心のどこかで二人は見下していたのだ。才能のない娘を可哀想、妹は守ってあげなくては、と思うことで自尊心を守っていた。
血の繋がる実の家族に対してそんな事を思うのかと批判する人間の数は圧倒的だろう。それでも、彼女たちはそうだった、としか言えない。
幼いリオンが時の人となったとき、守ることを放棄したし、支えることもしなかった。自分達がいた場所にリオンが入って来ることを認められず拒絶した。
特に、《特別な力》を持った事が何より許せなかったのかもしれない。
どんな経緯と理由にせよ。
母親と姉にとって、リオンが邪魔な子供になったことは変えようのない事実である。
数日後、母親と姉はリオンとライドを捨てて町を出た。訳が分からずただ呆然とその後ろ姿を見送ったのをリオンは今でも覚えている。後日、母親の親戚がいるという隣国に渡ったと誰かがライドに話しているのをリオンは扉越しに聞いて泣いた。当時の幼いリオンには泣くことしか出来なかった。
それ以降、騒ぎを抑えるためにもライドは知人を頼りしばらくの間リオンを預け、その間にリオンの不思議な力について任せられる人物を手当たり次第に探している。
リオンを私利私欲で利用しないこと、子供のように大切に育ててくれること、そして何より、力について相談に乗って、彼女の力ごと受け入れてくれること。
その条件を満たす人はそう簡単には見つからないと思っていたのに、予想外にあっという間に見つかった。それが子供のいないビートとジェナだった。
ライドは泣く泣くリオンを養子に出している。ここにいては、この狭い閉塞感が垣間見える田舎町ではリオンが縛られ苦しむことになるからと。
幸せになってもらうために。
「二度と、戻って来てはダメだよ。幸せになるために」
ライドのその言葉の重さを慮りながら、あえてビートたちはリオンを何度かライドに会わせに行っている。彼女は間違いなく愛されていたと教えるために。
それでも。
母親と姉の豹変、そして酷い仕打ち。
短い期間でリオンは母親と姉から疎まれ、虐待された経験がしばらくの間影響した。
約一年、リオンは笑わなくなったのだ。
力のことについてなにも話さなかったし、母親と姉のことも話さなかった。そして父親の元に帰りたいとも言わなかった。
八歳とは思えない落ち着きと諦めが、悲しいほどにリオンの心の傷を物語っていた。
それ以降、リオンは
《特別な力を持っている》
ということを否定し続ける。
与えられたもので、いつかは消えるものだとずっと信じている。
自分のものではないと。
特別であるということが、リオンの幸せを激変させ、そしてたくさんのものを奪った事実にいまだに向き合えずにいる。
こんな力、いらない。
何度も泣いて、何度も叫んだ。
どうして、私なの?
こんな力、いらないのに。
どうしたら解放されるの?
そして成長と共に少しずつ与えられる 《過去の記憶》で、自分の中の役割をなんとなく見いだして初めて少しだけ特別ということを受け止められるようになったのは、十八歳で行った旅で出会った【闇色に染まった】シンの存在だった。
人を憎み、人を恨む、その姿をなんとかしてあげたいと思って心が強く動いた。
―――進んでみよう―――
いつか普通の人として生きれる道が見つけられる気がして、この力を受け入れ進むことで何かが変わる気がして、心がざわついた。
聖獣と魔物のことをもっと知り、そして自分のことも知りたい、いつか望む自分になれる道筋が見えるかもしれない、と。
それなのに。
特別。
生まれた時から。
生をまっとうするまで。
その言葉から逃れられない運命だと、知ってしまった。
もう後戻りどころか、立ち止まることすら出来ない道に立っていると知ってしまった。
リオンは今でも自分を苦しめる言葉がこんなにも奥深くまで突き刺さっていることに、どうすることも出来ず、吐き気すら込み上げる嫌悪感に体を支配されて、慣れない南国の環境と緊迫した状況に気力も体力も奪われた。
全部、夢ならいいのに。
気を失う瞬間、叶わぬ願いを呟こうとした口は、気力と体力を奪われた体には重すぎて、声を出すことは叶わなかった。
「だいぶ疲れてたようね。体力も落ちてる、気を失って当然よ」
リオンの状態を視たティナは、リオンに言い聞かせるように彼女の顔を見ながらそう言って、優しく頭を撫でてあげた。
「疲れてるところすみません」
「平気よ、私は周りが凄く気を使ってくれるからむしろあの大混乱で人手が足りずに駆り出されて体を動かしたから調子がいいくらい」
ティナは椅子から立ち上がると、頭を下げたフィオラの肩をかるく叩く。
「大丈夫、すぐ良くなるわ。ただ熱があるから起きたらたくさん水分取らせてあげて。あとこの薬草、私が調合したものだから安心して飲ませて」
「はい」
「熱冷ましと痛み止めの効能があるから、少し多目に持ってるといいわよ。リオンは南部初めてなんでしょ?」
「そう聞いてます。ずっと北の方にいたみたいだし王都も涼しくなってから来たので」
「体が慣れるまで時間がかかる人もいるから、また体調不良になるかもしれないわ、それでなくても……リオンは色々抱えてるんでしょうから、気をつけてあげてね。」
リオンが倒れたと聞いて皆が心配して駆けつけたのをセリードとマリオが制して、リオンは今ベッドの上で目を閉じている。熱があり、少しうなされている姿が痛々しく見えるのはティナが言ったようにリオンが抱えるものの大きさを改めて認識したからだろう。
「じゃあ、後は頼んだわね」
ティナに合わせてずっと沈黙していたマリオが部屋の隅にあった椅子から立ち上がる。
「リオンが起きてもせめて体力が回復するまでおとなしくしてるように言ってくれ」
「わかりました」
「市内も大分落ち着いてきた、ここからは俺らの仕事だからお前は少しのらりくらりしてろって付け加えてくれよ」
セリードが頷きつつも苦笑いをしてみせた。
「それが出来たら本人も苦労してないんでしょうけどね」
「ふん、病人面でウロウロされても迷惑なんだよって必ず言えよ」
「了解です」
フィオラも同じ気持ちらしい、しみじみ頷きため息をつく。
マリオとティナが部屋を後にすると、セリードとフィオラは同時に大きなため息をついた。
「ちょっと、焦りました」
「オレも」
「リオンに何かあったらって思ったら、もう、落ち着かなくて」
「それだけ、オレたちはリオンの重要性を認識してるって証だ」
「ですよね。……はぁ、しんどい」
フィオラはリオンが眠るベッドのそばの椅子の上でのけ反った。
「フィオラも休め、オレがついてるから」
「あ、違います。しんどいってのは、そういう意味じゃないですよ」
「……どういうことだ?」
「依存してることが、しんどいんですよ。リオンが倒れたことに、私動揺してます。リオンになにかあったらこの先程どうなるんだろうって、恐くて。リオンなしでこの先なんて考えられないですよ」
フィオラの言葉はセリードも同じで、もはやリオンの存在はなくてはならないものになっている。
きっと少しずつそういう人が増えていくだろう。色んな思惑を抱えながら、良くも悪くもリオンを必要とする人が。
顔色の優れない、そしてなにかを思い詰めた様子だったリオンを二人はただじっと見つめる。
夢でもみているのだろうか、リオンの表情が熱にうなされているだけではない苦しさを滲ませている。
「お薬飲めるといいんだけど」
フィオラは優しく冷たい水で濡らしたタオルをリオンの額に当ててそっと撫でる。
「暑いな」
「今年は気温が下がらないってここの人たちも言ってました、ここまでこの季節暑いの珍しいみたいですよ」
「そうだな。ビスは初めてだが、以前この季節に他の海岸線に行ってたときはもっと過ごしやすかった」
「台所借りて、私氷作ってきますね」
「そっか、冷気を操れたっけ」
「おかげさまで。どうせなら大量に作っておきます、あれば皆使うでしょうから。この辺りだと買うと高いですし」
セリードが部屋を出ていくフィオラを見送って、彼女が座っていた椅子に腰かける。
「リオン」
小さな、小さな、呼び掛けだった。額のタオルを乗せ直して心配そうに名前を呼んだその声に、うっすらとリオンが目を開く。セリードは顔を覗き込んで頬を撫でる。
「ごめん、うるさかった?」
「……私」
「うん?」
「嫌、です、特別……なんて」
「え?」
「そんなの、一度も……望んでない」
「リオン?」
「どうして……私……」
弱々しい、消えそうな声。何を指して言っているのか分からないけれどリオンの心の中にある、彼女が抱える何かを指していることだけはセリードにも分かる。
「……夢でも見た? 疲れてるんだよ少し休んで」
「……セリード、様?」
意識がほんの少し浮上したリオンが視線を向けると穏やかに優しく微笑みセリードは頬をまた撫でる。
「熱があるから少し辛いのが続く。……もう少し気楽にやってみるといい、リオンは、自分で思ってる以上に頑張ってるから」
「こめん、なさい、私……迷惑かけちゃった、こんなつもりじゃ……」
「迷惑なんて思ってないよ」
「でも、皆が」
「そうだな、皆が頑張ってる。でも今頑張れてるのはリオンのお陰だ」
「私、の……?」
「怪我一つなく、疲労も少なく、こんなに楽な遠征は初めてだって、リオンのおかげだって、皆が驚いて喜んでた。それをリオンに否定されると、じゃあ誰のお陰だ? って皆首傾げることになる、リオンのお陰だ、間違いなく。胸をはっていい」
リオンは目を閉じて大きく気だるそうな息をはいた。
「それなら、いい、かな……」