三章 * 黒い境界線 3
午前3時。
夜明前の時刻を知らせる静かな鐘の音をとらえてセリードは辺りを見渡す。
魔物が少しずつ後ろに下がり、そして数が減ってきている。
長期戦になる、そう呟いたリオンの一言で三人は近くの倒れた大木にリオンを真ん中にして並んで腰かけている。
『よく耐えたではないか?』
オクトナの声に驚いて上を見上げたリオンとフィオラだが、セリードは驚いたりはせず、むしろ不愉快そうにため息をつく。
「お、オクトナ?」
「えっ!これが例のオクトナ?!」
「さっきから気配だけ、いるよ。ルシアの時みたいに体はどこかに置いてきてるらしい」
あまりのことに、ポカンとする2人のそばで、セリードはやっぱり、ため息。
「ほんとうになにもしないんだな、お前は」
『しないさ、私が干渉するのはお前とリオンだけ、他の不特定多数の人間に干渉する聖獣とはちがう。それに今は器を作り変えている、器がなくてはそもそも干渉の、しようがない』
「今は選定の、力は必要ないからな」
『そういうことさ。さてリオン』
「なに?」
『スピルから試された、そしてお前はスピルの思いに答えられた』
「え?」
『これでいい、これが、お前の答えで穢れを負った我が同胞の望みだ』
「それってやっぱり、何もしない?」
『それぞれ、違いはあるだろう。しかし根元は何かをこれで少し理解できたのではないか?なぜなにもしないのがいいのか、なぜなにもしなければ魔物は襲ってこないのか。……考えてみるといい、おのずと答えはお前自身でみつけられるようになる』
「そう、かな。そんな日が来るならいいけど」
彼女の憂いを含んだ苦笑い。
「でもやってみるわ、立ち止まるのは性にあわないから」
前向きに考えることが出来る彼女の性格に、セリードもフィオラも感謝せずにはいられない。
必ず何とかなると必死でもがく彼女がいるから自分達も立ち止まることなく今こうして色んなことを見て、知って、考えることが出来るようになった。世界が広がった。
だから、やっぱり、守らなくてはならないと強く思うようになっている。
「落ち着いてきたと判断してもいいか?」
暗闇に夜明を知らせるわずかな東の空の変化を感じ始める頃、マリオがそうリオンに問いかける。リオンは頷き、空を見上げた。
「このまま、何も起こさなければ夜明けと同時に魔物は引くはずです。エールもスピルも、怒りを出していませんから、乗り越えたと思いますよビスは」
「そうか……」
いつの間にか魔物は少しずつ少しずつ距離を空けて、森の中闇に溶け込むように減っていく。
「……しばらくはこういう緊迫したことは起こると思いますが、決して手を出さないことで強い魔物は自然と減るはずです。エールの怒りがこの地を左右します、怒りを沈めた状態が続けば穢れを落とさなくなって、魔物も弱体化する……。ただし時間はかかるでしょう。ここまで凶暴化させてしまった代償です、ここからが、本番ですね、試され続けるんです私たち人間は」
「そうだな」
ジルが静かに森を見つめながら頷いた。
夜が空け、太陽が上る頃、嘘のように森は元通りに美しい緑豊かな熱帯雨林による戻っていた。リオンの周りに集まった騎士団は、森をしばらくの間静かにみつめていた。
「どういった基準なのかな」
「何が?」
「魔物との距離だよ。ずっと考えていたんだ、リオンがいたから、っていうわけではなさそうだなと」
市民の大混乱はまだ続いていたが、セリードはジルと共に本来の目的であるリオンの護衛として彼女の近くにいる。
バノンやマリオたちに市内のことは任せ、セリードとジルはジルの隊の魔導師二人を引き連れて魔物が三人の男を飲み込んだ場所に立っている。
リオンとフィオラは大混乱の市内に戻るよりはここにいたほうが安全だろうと一緒にいるが、さすがに疲れの色は隠せず、大木に腰かけたまま、二人で静かに会話をするだけだ。
「聖獣が操っているからだと思いますよ」
疲れた顔をしながらも、会話を聞いていたリオンが答える。
「理性のない魔物を押さえ込める距離だと。にたような記憶がありますから。あれ以上近いと理性のない魔物は常に飢えているから襲ってくるんです、あれは聖獣の力が関係していて、私がいるいないは無関係。試していた、ということから考えても聖獣の意思ですよ」
「なるほど」
「境界線は私たちが作っているのではなく、聖獣と魔物が作っていると思ってたら良さそうね?」
「うん。……エールは人がここに住み着く前からこの地を守ってきてた。この地の環境や成り立ちが好きで守ってきてたの。それを私たちが私たちの都合で変えて。でもそれだけならよかった、共存してたのよ、それでもずっと。なのに、何かがどこかで狂ったの。エールを魔物化させるほどの何かがあった。それでも、守ってくれていたのをさらになにか別の何かが狂わせて、いつの間にか魔物を増やして」
リオンは疲れた顔だが、まっすぐ森を見つめる。
「フィオラの言った通り、境界線がある。そこに踏み込むのはいつも人間で、聖獣や魔物じゃない。越えて怒りや憎しみを生み出してしまう。やっぱり……」
「なに?」
「〔フォルサ〕が鍵だと思うの」
「〔フォルサ〕か」
セリードが難しい顔をした。
「王都の別名にもなった女の名前か。王家の古い文献にすらその理由が残されていない、ティルバ最大の謎だ。だが、聖獣たちはその名前を知っている。」
「はい。そして、もう一人……若くしてなくなった〔シルビス〕という女性。このふたりについて知ることが出来ればかなり聖獣と魔物について分かってくると思うんです。」
「〔シルビス〕については亡くなってまだ数十年、情報は手に入るかも知れないが」
「問題は〔フォルサ〕だな」
ジルもどうしたらいいのかと首をわずかに傾げて難しい顔をする。
「王家とは別の古い文献をアルファロスなら持っているんじゃないのか? お前の家もかなり古くて王都が出来る前からこの地にいたことがわかってるだろう?」
セリードはふうっとため息をつく。
「爵位家になる前から確かに中央にいたし、アルファロスの名前が創立する前のこともわかってるがうちの家系図や歴史書が作られたのは王都で王家と関わるようになってからと聞いているから恐らくないよ。もちろん、帰り次第調べてみるけどね。……あ」
何かを思い出してセリードは顎をなでる。
「メルティオスならもしかするとうちより可能性があるな」
「メルティオス公爵か。」
「ああ、あそこはうちより早く爵位を貰っているし、なによりフォルクセス王家がティルバ建国を宣言した時に既に王家に関わっている。うちよりは何かしら出てくるかもしれない。何せあの家は〔情報〕で財を成した」
「〔情報〕ですか?」
リオンが不思議そうにして、セリードは穏やかな顔をした。
「そう、〔情報〕を集める、些細なことから国家機密クラスのものまで様々。そしてその情報収集能力が国力の拡大にも影響した諜報員を作り出した」
「凄い、レオン様の家ってそんなに古くて重要な役割をしてたんですね?」
「うちが王家に関わる前からだから、同じ親王家でも永世親王家と呼ばれる由縁だ、あそここそ由緒正しい公爵家だよ」
「だとしたら、些細なことでも何か手掛かりが出てくる可能性はありますよね」
フィオラが少しだけ期待を込めた目をした。
「私の〔過去の記憶〕は正直いつ出てくるのか分からないから、ほんの少しでも分かれば助かります」
「父に手紙を出しておくよ、帰った時に少しでも手間が省ければこちらも楽だし」
「よし、これからが本番だな。色々とな」
ジルのはっきりとした言葉が、響き渡るようだった。
(そう簡単には見つからないだろう)
セリードは一人心のなかで呟く。
長い歴史の中で王家の成り立ちについて色んな議論がされてきた。
王家の誕生に繋がる歴史が見つかっていないのだ。『フォルクセス家』というのが初代王の歴史書にでてくるが、そこに至る経緯が一つも記されていない。そのまま現代まで続くフォルクセス王家の他には、不自然なことがいくつかある。その代表が王都を 《フォルサ》と呼ぶことで、これには今までこの女性の名前が由来となって『フォルクセス』という性が誕生したのではと言われているもののそれも推測でしかない。
そして。
『アルファロスとメルティオス』。
この侯爵家の二家の成り立ちも、実は不明である。王家よりあとに創立した家である、とは言われているが、それについても何も残っておらず、初代アルファロス当主がメルティオス初代当主を追うように家を創立したらしいことだけがなぜかどちらの家の歴史書にも書かれている。
それだけなのだ。
(……不思議な国だ)
始まりがわからない。
そんな国はこのティルバだけである。
そして、セリードが気になるのはそこから少しずれた所にある。
リオンの与えられる 《過去の記憶》。
フォルサ。
国の成り立ちに関わるであろうその女性の記憶を、リオンは見るかもしれないのだ。
リオンを介して知るこの国の歴史が、今のこの国の憂いを晴らすかもしれない。
ただ、それは果たして喜ぶべきことなのかセリードには判断がつかない。
なぜなら。
その内容が公開出来ないものであればただリオンの心の負担でしかなくなるのだから。