より良い結末の贈り方
最後に言い残すことはあるか。その問いに、シンリー=メルガンは笑った。風が緩くうねった黒髪をたなびかせる。緑の瞳が強く輝く。
「皆様ごきげんよう。どうか良い明日を。この国を愛しておりますわ!」
そうして、毒婦と呼ばれた女の首は落ちた。
__これで、よかったのだ。
シンリーは満ち足りた気分だった。気がつくと真っ白な空間に浮かんでいた。ここは、あの世だろうか。
「シンリーよ」
まばゆい光が浮かんでいる。これが、神だろうか。それは一人の壮年の男へと姿を変える。
「お前は、あの結末で本当によかったのか?」
彼は悲しそうな顔をして言葉を紡ぐ。
「私にはあの方法しか思いつきませんでした」
彼女は、生前思いつく限りの非道をつくした。学生時代には、当時はまだ王子だった現王の愛した後ろ盾のない少女をいじめ、女公爵となると、実家の行っていた国費横領や危険薬物の取引などをことさら派手に行った。
今頃はシンリーの邸宅に家宅捜索が入っているに違いない。
そして__シンリーは思いをはせる。彼は最後の手紙を読んでくれただろうか。それだけが、心残りだ。
「シンリーよ。お前は自分の死後、国がどうなったか知りたいのではないかな?」
まるで心を読んだかのように、神は口を開く。
「私は、お前に少しばかりの時間をあげようと思う。何しろ、結末はまだ完成していない」
彼は意味深なことを言う。
「最後の欠片をはめておいで」
その言葉とともにシンリーの意識は白く染まった。
次に気がつくとシンリーは自宅にいた。扉を開けようとした手がすり抜け、つんのめる。シンリーは扉を突き抜け宙空に浮いていた。
これは__
「私、幽霊になってしまったのかしら」
邸宅は泥棒でも入ったかのような有様でどこもかしこもひっきまわされていた。なるほど、これならシンリーを処刑するのに必要な情報はふんだんに見つかったことだろう。
使用人たちはシンリーが捕まる前に解雇してしまったし、ここはもう何も得るものがないだろう。街の様子を見つつ王城にでも行ってみようかしら。
そう思って窓から出た時だった。かすかにすすり泣きが聞こえてきた。
「シンリー、……シンリー。私たちが悪かった。許しておくれ」
「もう神に誓って悪いことはしない、だからどうかあの子を地獄にはやらないでおくれ……」
それはシンリーの両親だった。彼女は彼らの前に舞い降りる。どうやら彼女の姿は見えないようで、泣き続ける彼らに胸が痛くなる。
「お父様、お母様……」
「シンリー?」
聞こえないだろうと思って呟いた言葉は、どうやら届いたようだ。
「親不孝をお許しください。どうかお元気で、長生きして下さいませ」
それだけ告げて王城へ向け飛んでいく。
街はいつもと変わらないな。見下ろして思う。活気のある王都、そこに息づく民の暮らし。シンリーがもっとも愛し、そして虐げて来たもの。
王城につくと中庭までぬける。そこに王と王妃の姿があった。シンリーという壁を乗り越えて結ばれた彼らは、仲睦まじそうだ。これなら世継ぎも安泰だろうと街では言われていた。
シンリーは飛ぶ。最後に目指すは彼のところだ。彼女は、自分が死んだら送って欲しいと信頼できる使用人に手紙を託していた。彼は読んでくれただろうか。
彼とは、氷の宰相と謳われるイザーグ=ノックスのことである。銀糸の髪、青い瞳を持ち、公平で迅速な手腕には誰もが舌を巻く。その私情を挟まない仕事ぶりとその容姿からついたのが、氷の宰相という通り名である。
彼とシンリーはまるで水と油のようだった。学生時代には互いに成績を競いあい、その性質上、派閥は真っ向から対立し、ほとんど言葉を交わしたことがなかった。
唯一、彼と言葉を交わしたのは学園の長い人気のない廊下だった。
「何を考えている?」
彼は言った。
「お前の本質がわからない。お前の本質は、何、だ?」
彼女は答えなかった。
「私は、この国を愛しているのですわ」
ただ、それだけの会話だった。けれど、その日からシンリーの心には彼が強く焼きつき、ひっそりと思いを寄せるようになったのだ。
ひとつ深呼吸をする。彼はおそらくここにいる。シンリーは緊張しながら執務室の扉をくぐった。
__ああ。よかった。彼の机には彼女の送った最後の手紙が置いてあった。
もっとも内容は色めいたものではない。彼女が知るかぎりの共に悪の限りをつくした者たちの名前リストである。
イザーグは窓際に立っていて、こちらに背を向けて、そこに親の仇でもいるかのように、空を睨みあげていた。
__こちらを向いてくださらないかしら。
シンリーはどうしても彼の顔が見たかった。届かないと知りながら、彼の腕にそっと触れる。
触れる?シンリーの手はすり抜けなかった。
彼は驚いたようにこちらを振り返る。
「シンリー?」
その唇が自身の名前を形取るのを、シンリーは呆然として見ていた。
「私が、見えるのですか?」
「シンリー、本当にシンリーか? 私は夢を見ているんだろうか」
夢を見ているのはこちらだ。シンリーは思った。
「イザーグ様……」
「今、お前のことを考えていた。いやお前は忘れているかもしれないが、あの学園で言葉を交わした時から、ずっとお前のことを考えていた」
「お前の本質。それは何度考えても私には悪には見えなかった。だから徹底的に調べた。それなのに私は」
__間に合わなかったんだ。
「あの断頭台での言葉を聞いて確信した。しかし、証拠がなかった。私情で刑を止めることは出来なかった」
彼は心底悔しそうに言った。
「なぜ、なぜ今になって手紙を送ってきたんだっ。この手紙さえあればお前を救えたのに」
血を吐くような叫びだった。
「イザーグ様、これで良かったのです。私はそのお言葉だけで救われましたわ」
シンリーは微笑む。
「私が実家の悪事を知ったのはちょうど学園に上がった時です。どうせ裁かれるならと、その時にこの結末を思い描きました。この国の膿を出すには、絶対悪が必要だと思ったからです」
「私は、ずっと__あなた様にあこがれていました。イザーグ様のように清廉に生きられたらと、自分の身では許されないと知りながらも、出来るなら言葉を交わしてみたい、その瞳に映してほしいと浅ましく願ったのです。」
「その願いは、こんな形でありながらも叶いました。私は神に感謝いたしますわ」
「シンリー……」
シンリーはイザーグの手にそっと触れる。
「イザーグ様、私の願いを聞いてくださいませんか? この国の膿を出すのを、私の命をかけた最後の願いを叶えてくださいませんか?」
その手をぎゅっと包み込むように握り返して、彼は何度も頷く。
「きっと、きっと叶えてみせる。私の一生をかけて。私はこの国を愛そう」
真剣な瞳だった。
そしてふっと自嘲するように笑って続ける。
「叶わないことだとわかっていても、か。私はずっとお前を眺めることしかできなかった。その手をとることも、共に歩むことも、救いになることも、できなかった」
「お前はもう、行ってしまうのか?」
シンリーはもう思い残すことはない。おそらくは、と頷く。
彼は引き止めるかのように手に力を入れ、まっすぐに瞳を合わせた。
「シンリー、約束をしよう。私はこの国を、絶対に良くしてみせる。王を支え、お前の意思を継ぎ、膿を出す。だから」
「100年後に__また会おう。想像してみるんだ、今よりずっと良くなった国でお前と私は、また別の形で出会うんだ」
「100年後……」
シンリーの身体が白く輝き出す。
「100年後、お前に言いたいことがある。約束だ。また__会おう」
それが、シンリー=ヒューストンの前世の記憶である。シンリーは今生もシンリーという名前で生まれた。清廉潔白を絵に描いたような両親に生まれ、育ち、そして今年、学園に入学する。
「深窓の白百合の君じゃないか」
からかうように声をかけられ、振り返る。
「イザーグ、様……」
「100年後の約束を果たしに来た。シンリー」
あの日と同じ姿、同じ人気のない廊下であの日と同じ問いを彼は投げかける。
「お前の本質は何だ? 私は知りたい。お前のことを。」
彼女はやっぱり答えない。代わりに__
「イザーグ様、面白い話をしてさしあげますわ。前世の私は、あなた様をお慕いしておりましたの」
彼は眉を跳ね上げ笑った。
「奇遇だな。私もだ」
「この国は良くなったか?」
シンリーは言った。
「はい。でも、もっともっと良くなりますわ。ここに国を愛するものが二人もおりますもの。今度は同じ道を歩ませていただけますか?」
「もちろんだ。私は一生をかけ、お前の本質を見定めよう」
「口説き文句みたいですわね」
「ああ__そのつもりだ」