第六話
先日の山肌辺りへ来て茂みから出ないようにしながら鼻をひくつかせるも、冒険者らしい匂いはしない。そっと茂みから出て辺りを窺うも、それらしい姿は無かった。
そのことを確認して山肌へと出ると、そこは昨日と全く変わっていない。いやぁ、良かった。あの人達が結晶を見つけていれば、何かしら荒らされていたりしていただろう。杖に使われていたぐらいだし、需要はあるはずなのだ。
そんなことを考えながらも、昨日ようやく結晶を見つけた場所へと戻る。えっと、確かここのはずだ。あの石独特の澄んだ匂いが濃い、掘った後もある、まずここだろう。
もう少し掘ればまだ結晶が見つかるかもしれない、そんな考えを抱きつつ掘っていた穴を覗き込もうとした時だった。
自身のようなウルフのものではない、ましてや小動物のものでもない足音を耳が拾う。それは人間のものではない、そう、馬のような足音だ。その音が急速にこちらに迫ってきているのである。
(どれだけ速いんだよ、先程まで匂いなんてしなかったぞ……!)
腰が浮きつつ、焦燥が襲ってくる。慌ててその場から跳ぶようにして逃げ出すと木の茂みへと飛び込んだ。視界を葉が埋め尽くす。
次の瞬間、聞こえていた足音を遮るものが無くなりはっきりと聞こえた。それは付近に木々が生えていない山肌付近へと来たのだと聴覚だけで訴えている。
馬のいななきが聞こえる、それと共に血の匂いが漂ってきた。もしかしたら、先程見た男女は山肌にいる馬の魔獣に殺されてしまったのではないか。
茂みの隙間から確認したその姿は、鋼色の馬だった。体は金属独特の光沢を放っており、辛うじて背中のたてがみ辺りが茶色と一般に知る馬の体表である。瞳は赤く、爛々と輝くそれは草食獣のものではない。明らかに肉食獣のものだ。
その鋼色の馬は何かを探すような仕草をしながら山肌をうろうろすると、一つの岩の手前で止まる。そして大きく前足を上げたかと思うと、思い切り良くその岩へと振り下ろした。
普通の馬型魔獣ならば無理だろうが、その鋼色の馬型魔獣は岩を割った。轟音が森に響く。ごろんと真っ二つになった岩は転がるのだが、その割れた面が陽の光を受けて煌いた。
(あれって……)
思わず目を見張ってしまう。この匂い、それに目でも確認できた。あの切断面にあるのは俺が探していた結晶だ。昨日俺が見つけた結晶なんぞ比ではない、多くの結晶が岩の中にあったのである。
鋼色の馬型魔獣は割った片方の岩に向き直ると、砕くようにして結晶を取り出しそれを咀嚼していった。俺と同じ考えか分からないが、同じことをしている魔獣がいる。
それは自分の中で考えた仮説が強くなると共に、あれが手に入ればという微かな希望を抱かせた。
俺にはあのような岩を割るような力は手に入らない。けれどあの魔獣が見つけたものをどうにか、少しでも手に入ることができれば。けれどそれは馬型魔獣と戦闘する可能性が高くなることを示している。
(どうしようか)
険しい顔つきになりながらも考える。命は大切だが、目標を思うと目の前にある大量の結晶は魅惑的だ。どうにかおこぼれに預かれないだろうか。
(夜になればあの魔獣も寝床に帰るなりするだろう。それを狙うか)
夜ならば、という可能性にかけて茂みから馬型魔獣の様子を探る。片方の岩にそこそこ結晶があったのだろう、馬型魔獣は砕くようにしてまた地面に落ちた結晶を口に含もうとした。しかし下げていた首を突如勢いよく上げると、ぐるりと回りを見渡し始める。
鼻や耳で確かめるも辺りに人や強い魔獣の存在は察知できない。一体あの馬型魔獣は何を察知したのだろうか。
瞬間、そんな疑問が頭に浮かんでいる俺と辺りを見回していた馬型魔獣の視線があう。まっすぐにこちらを見据える獰猛さが窺える赤い瞳。気のせいではない、あの魔獣は俺の存在を察知した。
ぞわりと背中の毛が悪寒で逆立つのと、馬型の魔獣が前足を振り上げながら嘶きを森に轟かせたのは同時である。
何も考えていない、おこぼれなんてもう頭にはない。この場から逃げる、それだけが頭を支配する。いつもより速い感覚を受けながらも踵を返して逃げ出した。
けれど鋼色の馬型魔獣の方が速かったらしい。
「ッ!」
体のすぐ傍で轟音がすると共に、脇腹が激痛を訴える。声も出ない程の痛みとはこのことかと、頭の片隅でぼんやりとそう考えていた。
急速に強くなる鉄の匂いと共に、足に力を入れようと思っても入らない。どうにかこうにか震えながら足を踏ん張ってちらりと視線を音のした方へ向けると、そこには冷たい瞳でこちらを見下ろす鋼色の馬型魔獣の姿があった。
ものすごい勢いで振り下ろされたのだろう、蹄が地面に食い込んでいる。直撃ではないものの、それでも脇腹がえぐられてしまった。
(回復……っ!)
念じると体の中から何かがすっと抜ける。薄い膜は張ったのだろうが、痛みは消えない。もし無理をすれば傷が再び開きかねない。
逃げよう、そう思って震える足に力を入れ右へと走りだそうとするもその考えは打ち破られた。
素早く回り込んだ鋼色の馬型魔獣にぶつかってしまう。さながら金属にぶつかったかのようだ。おそらく、鋼色の部分は本当に鋼なのだろう。
魔獣の視線はまっすぐ、俺の胸元へと注がれている。ぞっとした、こいつの狙いは俺の胸部にある結晶なのだ。
先程砕かれた岩と、自身の姿が重なる。俺もあぁなってしまうのか。
嫌だ、死にたくない、こんなところで。恐怖に混乱しそうになる頭で馬型魔獣から少しでも離れようと逃げ始めた。
けれどそのたびに邪魔され、そして方向を変えて逃げていく。気づけばあのむき出しの山肌へとやってきてしまった。恐怖に引き攣る思考がどうにかこうにか訴えてくる、誘導されたのだ、この場所に。何の障害も無いこの場所に。
「ヒヒィーンッ!」
馬の嘶きが聞こえた瞬間、今度は先程よりも深く脇腹を蹄がえぐった。口の端からごふりと血が出てくる。視界が白く瞬き、一瞬失いそうだった意識は痛みで戻ってきた。それが良かったことなのかどうかは分からないが。
先程の衝撃で傷も開いてしまった。それでも生きたいと、死にたくないと血を吐き出しながらも逃げ続ける。
「ガッ!?」
途端、何かにつまずくようにして転んでしまった。上手く受身をとることができず土ぼこりを上げながら転がるようにして倒れた視界に映ったのは、昨日俺が掘った跡だった。
あぁ、なんて間抜けなんだ。最後の最後に自分の掘った穴でつまずくなんて。おかしさに口の端を皮肉気に笑うよう引き上げるが、ごぽりと音を立てて出てきたのは赤黒い自分の血だった。
霞む視界に鋼色の馬型魔獣がこちらに近づいてくるのが分かる。その悠々とした足取りは強者の余裕のようで、そして俺への当て付けのようにも思えた。近くに転がる俺では出来ない割れた岩、そして散らばる結晶が更にそれを増幅させてくる。
(なんとも……皮肉だなぁ……)
涙が出そうだ。人になりたかった、それだけなのに。痛みで意識が飛んでしまいそうである。
もう顔の片側は自分の血で赤黒く染まり、肺が自分の血の匂いで満たされる。自分もあの男女のように死んでしまうのだろうか。あの時の死体を自分の姿に置き換えるのは、容易かった。
「ガァ……ッ!」
それでも簡単に死ぬのは嫌で、ここまで来たらタダで死んでやるもの癪で、首を伸ばして馬型魔獣がとっておいたであろう比較的大きな結晶を口にくわえる。
瞬間、鋼色の馬型魔獣の殺気が膨れ、威嚇するような声をそいつは漏らした。
口にくわえた結晶を見せ付けるようにして、鋼色の魔獣の目の前で噛み砕いてやる。ぱりんと耳に心地よい音が鳴った瞬間、その破片は霧散していった。
それと同時に鋼色の馬型魔獣が怒りの咆哮を上げる。それはびりびりと鼓膜を震わせ、森に響き渡った。
怒りを露にする鋼色の馬型魔獣へ、にやりと口の端を歪める。笑えているだろうか、けれどこれだけはどうか届けてほしい。
「ガフッ……」
(ざまぁみろ……)
届いたのだろう、そいつは怒りを更に増しながら前足を振り上げた。
あぁ、ここで死ぬのか。なんとも短かった。最後に意趣返しが出来て良かったなぁ、と感慨深げに思う。
本を読みたかった、ふかふかの布団で寝たかった、おいしい料理を食べたかった、したいことなんていくらでもあった。
瞳に感じる熱さは血か、それとも涙か分からない。
……本当は死にたい訳なんて無い、生きていたい。けどもう起き上がる力もない。
スローモーションのように、あの魔獣が蹄を振り下ろすのが見える。死まであと少し、こんなところで死んでしまうのか。
……もし、自分にあの蹄を受け止めることが出来るほどの硬さがあれば。そうすれば生きていられるかもしれないのに。
微かな願いはむなしく、鋼色の蹄は勢いよく俺へと振り下ろされた。
視界がぶれる程の衝撃が、腹だけでなく全身を襲った。
(……?)
確かに衝撃を感じた、けれど意識がまだある。一体どういうことだ。
視線を馬型魔獣へと向ければ、そこには困惑したようにこちらを見るそいつの姿があった。その視線はまっすぐ振り下ろしているであろう蹄のほうへと向けられている。
その視線を追うようにして自身の体を見ると、俺の体毛が変化していた。
(な……)
こちらも驚きで目を見開いてしまう。灰のようだった俺の体毛、けれど今それは金属独特の光沢を放ちながら馬型魔獣の蹄を受け止めていた。
金属化した影響だろうか、血の勢いが先程よりも少ないような気がする。
(回復……!)
馬型の魔獣が驚いているのを良いことに回復を念じる。これで何とか大丈夫のはずだ、傷が開かないためにももう一発くらわないことが前提だが。
もう一度、とばかりに馬型魔獣が蹄を振り上げたのを狙って転がるようにして避ける。踏ん張って何とか立ち上がると後ずさった。
気づけば毛は元に戻っている、常時金属ではなく硬くしようというときに金属へと変わる金属化のようだ。
空振りしてしまった馬型魔獣はもう一度仕留めればいいとでも思ったのか、こちらを殺気の宿った瞳で見つめてくる。
逃げたい、が先程の様子からしてパワーはもちろんスピードでもこちらが負けているのは確実だ。ここでどうにかしなければこいつは追ってくる、そして殺されてしまう。
(どうにかって……どうするんだよ……)
じりじりと距離を維持しながら考える。
こっちはなけなしの回復と蹄を受け止める金属の毛皮がある。けれどあちらの蹄による攻撃は防げるが、金属化していない時を狙われればまずい。けれどあの硬い体に牙や爪をたてたところで、下手をすればこちらの牙や爪が折れてしまいかねん。
こちらが思案しているのを他所に馬型魔獣は突進してきた。それをよろけそうになる足でどうにか避ける。硬化したあの体でぶつかられたらたまったもんじゃない。って、ん?
あの金属独特の光沢を放つ体が見た通りに硬いのであれば、たてがみ付近の茶色い皮膚も見た目どおりだったりするのだろうか?
……もしかして、体全体が鋼というわけではない?いちかばちか、あそこを狙ってみるしかない。
じりじりと後退して、山肌に半分埋もれかけた大きな岩の傍へとにじり寄る。相手の目にそれが瀕死の魔獣は攻撃できない、逃げるのではと捉えたのか蹄を鳴らしてこちらへと再び突進してきた。
そのまま突進かと思いきや、突如途中で止まると前足を振り上げてくる。今度は大振りではない、威力よりもスピードを重視したのだ。
(きた……!)
鋼色の馬型魔獣が止まった時には震えそうな足に鞭を打ち、巨大な岩へと回り込むようにして山肌を伝って登る。岩の上の高さは丁度、馬型魔獣の背と平行である。
「グルァッ!」
「ッ!」
後ろ足に力を入れて、牙をむき出しにしながら飛び掛る。馬型の魔獣は俺が何を考えているか悟ったのか、背中へと飛び移った俺を振り払おうと飛び跳ね始めた。
くっそ、ずり落ちそうだ。片方の前足を見慣れた茶色の体表の部分へと爪を立てると、金属らしい硬さはなく食い込ませることができた。推測はあっているのだが、これは危ない……。
馬型の魔獣が飛び跳ねるたびに体が同じように跳ねる。あと少し、あと少し首を伸ばせば届く距離なのにそれが難しい。
どうにか首を伸ばそうとしていると、横から強い衝撃を感じた。視界が激しくぶれ、一瞬ちかちかと瞬く。
「ガァッ!」
どうにか振り落とそうとしている馬型の魔獣は飛び跳ねるだけでなく、今度は岩へ俺をぶつけ始める。金属化でどうにか衝撃を和らげるがぶつかるたびに強い衝撃が全身を揺さぶり、八度目で応急処置していた傷口が開いてしまったのを感じた。。
硬くなった毛の隙間から漏れ出て、岩へと付着する血の色がどんどんと色を濃くしていく。このままではまずい、せっかくの機会を失ってしまう。せっかくこうして生き残る可能性を見つけたのだ、その可能性を逃がしてたまるか。
こっちだって、こっちだって生きたいんだよ。
幾度もの衝撃を、痛みを耐える。
(あと少しだ、あと少しで届くんだ!)
瞬間、ぶつけようと馬型の魔獣が体を引いた。その動きに合わせて片方の前足が外れてこちらの体がふわりと浮かび上がり丁度背の真上へと移動する。
(今だ……!)
この機会を逃せばもう次が無いかもしれない。
外れた片足を今度はしっかりと茶色の肌へと食い込ませ、思い切り体を引き寄せる。そしてそのまま馬の首筋へと牙を立てた。
瞬間、上がる馬の魔獣の咆哮。そして動きは更に激しくなる。振り落とされないように全身に力を入れ、爪を立てて牙を更に食い込ませた。
たびたび岩に体がぶつかるも口を離さない。牙によって付けられた傷口から馬型の魔獣の血が溢れ、それが魔獣の背に垂れていく自分の血と混ざり合っていく。馬型の魔獣は背を、俺は腹から血を流す様はまさしく血みどろの戦いだ。
より深く牙を食い込ませ、持久戦へと持ち込んでいく。馬型の魔獣の動きが鈍くなってきた、こちらも辛いが相手も辛いのだ。ここで諦めてなるもんか。
どれほど時間が経ったのかは分からない。暴れていた馬型の魔獣は徐々にその力を弱め、小さく嘶きを上げたかと思うとどさりとその体は横たわるようにして土ぼこりをあげ地へ倒れた。
「グルゥッ!」
馬型の魔獣が倒れ伏した瞬間、俺の体は投げ飛ばされて強かに地面へ打ちつけられる。思わず口の端から血がこぼれてしまうが、震える足でどうにか立ち上がった。
(勝った、生きてる、よかったぁ……)
安堵を感じると共に腰が抜けてしまう。あぁ、その前に傷口を塞がないと。回復と念じると薄っすらと傷口に膜が張った、暫く先程のような動きをしなければ開くことはないだろう。
よろよろとした足取りながら、既に息のない馬型魔獣の傍へと近寄った。首から溢れ出る血は少なくなり、既に出ていた血は赤黒く固まっている。
こちらも顔の片側が血で染まっているのだ、もう乾燥しているかもしれないので洗い落としたとしても元の色に戻るかどうか……。
何にせよ、勝つことが出来た。無事、生き残ることが出来たのだ。その嬉しさを人知れず噛み締める。
空を見上げれば既に陽は暮れかけ、茜色と空の青が混ざっていた。もうこんな時間だ、どれほど戦っていたのだろう。
山の端に隠れようとする陽が俺と馬型の魔獣を照らした。金属独特の光沢を放つその魔獣の体表には微かに茜色が混じって反射される。
そちらから視線を上げれば、そこには馬型魔獣が割った岩が鎮座していた。割れた表面には結晶がある、俺が手に入れたものよりも大きい結晶もあるだろう。
そしてその割れた表面にある結晶は、まるで勝利を称えるかのように夕暮れの陽の光に照らされ赤く輝いていた。