第四話
(ひとまず、朝はこれでいいか)
木の洞の前で、先程狩ってきたウサギ型の魔獣、そして近くにあった薬草や果実を平らげる。薬草ばっかりは果実の甘みで舌を騙しながら飲み下した。あまり良い味ではないが、体力を回復させるために薬草は必要だしな。
空いていた腹を満たすと、昨日考えていた回復魔法らしきものについて考えを巡らせた。結局、最後に考えていたのは杖の先にあった結晶と強い祈りや願いか何かが合わさって回復の魔法が使えたのではないか。確かそこまで考えたはずだ。
魔法、というのが今まで使えなかった分どうして今俺が使えているのか。やはり、あの結晶を噛み砕いてしまったのが原因だろうか……。
そんなことを考えながらも耳の裏を後ろ足で掻こうと少しばかり頭を下げた時だった。視界に入ったのは見慣れた自身のウルフである胸部。けれどそこには見慣れないものが付いていた。
「グォッ!?」
驚愕で少しばかり飛び上がりながら声を漏らしてしまう。毛に埋もれるようにして小さな石、いや結晶といったほうが正しいか。日の光を受けて煌いている拳大より一回りほど小さい結晶がそこにあった。その形や透明さといい、昨日噛み砕いた杖の先の結晶を思わせた。
もしかして……取り込んだ?え、何、あれって取り込めるものなの?何だよあの石、魔石とかそんな類のものなのだろうか?
とりあえず、あの結晶を取り込み強く回復したいと願ったから魔法が使えたのかもしれない。
(はっきりとしたことが分からない以上、とりあえずそう仮定しておこう。それよりも、だ……)
今回のことではっきりとした。魔獣である俺でも魔法が使えたように、成長することが出来るのだ。
時が経って成長することではない。何か条件を当てはめることができたなら、魔法なり何なり技能が手に入るのではないだろうか。そしてその先は、もしも、もしかしたら。
(人間になることだって、夢じゃないかもしれない……!)
強い魔獣は人の姿をとることがあると冒険者が話していたのを聞いたことがあるから、条件はあるが可能性は小さく無いだろう。
人に見かけられたら襲われる、自分よりも巨体の魔獣に襲われたら餌になる危機、同じ種族のウルフでもこれまた難しい。それから抜け出せるかもしれないのだ。
転生前が人間であったから、というのも否定できない。そりゃあ、生だけじゃなく煮込んだり調理した料理だって食いたいさ。本だって読みたいさ。いつねぐらが襲われるのではと怯えることなく屋根のある部屋でベッドの上で寝たいさ。
今までなんとなしに生きていた日々は、けれど可能性が見えたらそれがどうしてもちらついてしまう。もしも、偶然でも、もしかしたら、そんな曖昧な言葉でしか表現できない可能性だ。狼から人間になることができるなんて、そこまでファンタジーじゃないかもしれないけれど……。
(人間になれる可能性があるならば……!)
頑張ってみようじゃないか。
そう決心する俺の視界には、そのもしもを与えてくれた胸の結晶が小さく煌いていた。
はてさて、人間になるという目標は出来たもののどうしたものか。
今のところ考えられるのはあの結晶である。あれを噛み砕き、強く人間になりたいと願ってみる。昨日はわずかでもいいから回復したい、という願いが叶ったのだ。今回もそうしてみれば叶うかもしれない。
けれど問題はあの結晶をどうやって手に入れるかだ。少なくとも俺の知っている範囲では見たことがない。となると残るは昨日のように冒険者か……それはつまり魔法を使う冒険者との戦闘は避けられないということなんだよなぁ。
(はぁ……相手によっては俺、丸焦げとかあるんじゃないか……)
内心、小さくため息をついてしまう。あの冒険者は何とかなったかもしれないが、次もそうなるとは限らない。下手すれば強い冒険者にかち合うかもしれないのだ。それでは命が足りない。
となるとどうするべきか……。結晶なのだからどこかに発掘できたりするところはないだろうか。こう、武器に取り付けられたりと細工しているのだからその前の原石の状態である結晶の採掘地があるはずだ。何も品質が良いものでなくても構わない。
(あの結晶の匂いは覚えている。どうにかしてあの匂いを拾って採掘地なりある場所を探そう)
結晶を噛み砕いた時に匂ったあの澄んだ香り、おそらくあれがあの結晶の匂いだろう。この点はウルフのよく利く鼻が利点である、人間の状態だったらまず無理だ。
餌は道中獲っていくことにして……新しく見つけたこの場所も捨てることになるだろう。少なくとも森の中で知っている範囲から出なければならないのだから。
わずかに心惜しくなりながらも、木の洞を後にする。定期的に鼻をひくつかせながら、俺は結晶を探そうと歩き始めた。
* *
あれからどれほど経っただろう、森を出るまでに一週間が経ったのは確実だ。
採掘地ということも考えて遠目に見えた山の一つを目指す。あるかどうかは分からないけれど、少なくとも山にならばあるだろう。
強い魔獣や冒険者との鉢合わせを避けながら進む。道なんてものはない、ただ木々の隙間から見える山を頼りに進みつつも鼻をひくつかせた。まだ、あの結晶の匂いはしない。いい加減匂わないのだろうか。
陽も高く、木漏れ日の差す森の中を進んでいく。木々の間に吹く風で葉が擦れて音を立て、その風は風上にいるであろう魔獣の匂いを運んできた。鳥の鳴き声はもちろん、時折人の話し声や金属の匂い、そして武器のカチャカチャと鳴る小さな音が耳に届く。
山まで随分と近くなったその時、覚えのある匂いが鼻を掠めた。ぴんと尻尾が立つ、間違いない。
(あの結晶の匂いだ……!)
結晶の澄んだ匂い、それが風に乗ってこちらへと漂っているのだ。その風の先には例の山がある。
狼の顔で笑顔が浮かべられるのか、それは自分では分からない。けれどもし人間であったなら今俺は笑顔を浮かべていることだろう。ようやく見つけた、見つけたのだ!
感極まりそうになる気分を何とか抑えて、歩みを再開する。落ち着け、目だ、目で確認してから喜ぼう。
はやる気持ちをどうにか抑えて進む。気のせいだろうか、先程よりも流れる風景のスピードが速くなった気がした。風の向きが変わるたびに匂ったり匂わなかったりするが、どうにかこうにか結晶の匂いを捉えながら進んでいく。
最後にいたっては駆け足気味になりながら走っていると、平だった地面は傾斜になった。見上げるようにすると木々の茂る山がある。匂いを嗅ぎながら何処から匂ってくるか探しつつ山を登っていると、木々が生えておらず山肌がむき出しになった辺りで微かにその匂いが強くなった。
すん、と再び鼻を引くつかせる。確かにあの結晶の匂いが匂った。間違いない、目の前の山肌にあの結晶があるのだ。
それにしても、と辺りを見回す。
(もしかして人が近くにいたり、とか……? あの結晶、少なくとも冒険者には需要がありそうだからここも採掘地にされていたり……)
そう考えて耳や鼻を駆使しながら辺りを警戒するも、何も無い。山肌には採掘に必要な道具らしいものは見当たらず、手付かずだということがよく分かった。
これならば大丈夫だろう。
(さてと……)
ひとまず思考を落ち着けてむき出しの山肌を見やる。どうやって結晶を手に入れるか、それが問題だ。
人のように道具を使って、とはいかない。掘るといってもむき出しの山肌はかなり広い、それに所々岩も見られた。狼の足では掘れないようなところもあるだろう。
うろうろとその場を行ったり来たりしながらも、山肌から視線を外さない。どこか他よりも柔らかいところがあるはずだ、そこを探せばいい。
山肌へと近づいて掘ってみる。ここは駄目だ、固すぎる。では次……。
少しずつ移動しながら掘る、を繰り返していくと、柔らかいところを見つけた。これなら何とか狼の足でも掘ることが出来るだろう。……まぁ、もし血が出たら応急処置として回復の魔法を使えばいいし。
(そうとなれば、後は掘るのみだ)
ハッハッと息を吐きながら穴を掘っていく。匂いはまだ強くならない、確かに匂ってはいても結晶はまだ奥深くにあるのだろう。
一心不乱に掘り進めて行く、気づけば背後で既に陽は暮れていた。
翌朝、近くの手ごろな木の洞の中で朝食をとる。朝食と言っても近くで獲ったウサギ型の魔獣と果物なのだが。
一日置いてみると、随分と根気の必要な方法を選んだものだと思う。
それにしても魔獣というのは前の世界の犬や狼よりも比較的力が強いのかもしれない。ゴブリンとか運が本当に良ければ一般人を倒せるし。そうでなければこうやって作業は出来ないだろう、いやぁ、感謝感謝。
一方で採石場などを狙った方が良いのでは、という疑問が思い浮かぶ。けれど人が開いた採掘地を狙うのはリスクが高すぎた。
こんな森の中で作業をするのだ、魔獣の危険だって考えているはずだ。ならば護衛として冒険者を雇っているかもしれない。
冒険者でなくてもいい、何かしら魔獣に対抗する手段を持っていると考えたほうがいいのだ。そんな人々を相手にして俺が無事生きて帰れるのか、そんな保障なんてない。
偶然人々と出会いました、腹が裂かれて丸こげだ、なんて洒落にならない。本当に。薄っすらと浮かんだその想像にぶるりと体を震わせる。
(はぁ、掘ろう……)
逸れていく思考をどうにか切り替える。
食べ終えた骨などの残りを洞から出て少し離れた場所に埋めると、むき出しの山肌へと向かう。水場は朝食を狩りに行く際に確認してある、ここから一時間近くかかるが。とりあえず衣食住は完璧だ。……あぁ、狼だから衣はいいか。
そんなことをぼんやりと考えていると、昨日途中で中断した場所へとたどり着く。結晶を探していたのだと、少しへこんだ地面が物語っていた。
「ハッ、ハッ」
忙しなく前足を動かし、時折休憩をとりながら結晶がないか注視しつつ掘っていく。固い岩やら地盤にぶつかったら柔らかい方へと方向を変えて再び掘り進めるのだ。無いと分かれば穴を埋め、爪で掘ったと印をつけて別の場所へと移動する。
少しでも気が緩めばこのまま何も見つからないままここで命を終えてしまうのではないか、そんな思いが頭を過ぎる。それを振り払うように無心になって掘るのだ。
「ハッ、ハッ」
自分の犬らしい息遣いだけが静かな山に響く。匂いはしても見つからないが、幸いに時間はある。前世のように会社に出勤だのなんだのとすることはないのだ。最低限のことをすれば時間は以前よりもかなりある。
どこからか聞こえた鳥の声が山に響くが、それは土を削っていく音によって消し去られた。