第三話
昼飯を食べ終え、あれからもう一度夕方ごろ狩りに出た。今度は遠くなく、近くに鶏のような魔獣がいたのでその二匹を狩る。いやはや、近くにいて良かった。オーガの群れがいたから、ここいら一帯の獲物が少なくなるのではと少し不安だったからな。
時刻は既に夜である。夜空は雲ひとつ無く、満月が森を照らしていた。月明かりだけが差し込む洞窟の中で夕方に獲った鶏を夕食としておすわりの体勢で食べる。羽はもちろん骨などに気をつけながら食べていくと、口の周りに鶏の血がどうしてもついてしまった。
意識がはっきりした頃はあれほど葛藤したのに、気づけばこうして食べている。本当に慣れとは凄いものだ。
(食った食った、ご馳走様)
食べられないところだけが残された残骸に向けて小さく頭を垂れる。人間として生きていた頃には感じていなかった、本当に生きるために狩って食べるということ。それを今ではひしひしと感じている。加えてこの世界では常に命の危機が付きまとうのだ、特に俺のような魔獣は。
人は人同士で協力して生きていく、一方の魔獣は群れを成すとはいえ他の魔獣はもちろん冒険者に討伐されてしまう。特に冒険者、彼らはこっちが悪さをしていなくとも狩ってくる。他の個体が悪さをしたのだろうが、彼らからしたら俺もその個体も同じなのだろう。
前世の記憶を持ち人としての意識を持ってこうしている以上、少なからず死への恐怖がある。死にたくない、死んでたまるか、生きていたいのだ。
あぁ、これ以上考えたらどんどん悪い方向に考えがいきそうだ。思考を中断するように首を振るとのそりと起き上がって残骸を口に咥えて外へと持っていき、穴を掘って埋めていく。何往復かしてすべてを穴へ入れると、その上から後ろ足で土をかけていった。
ちらりと見上げた空に浮かぶ満月は前世見たのと瓜二つである。けれどこうして姿が違えば、考えるのは別なことだ。前は特に何も考えずに、ただ満月だなぁなんて考えながら見ていた気がする。今はここまで明るいと夜に活動する魔獣も多いだろうということだ。
(はぁ、寝よ……)
小さくため息をついたつもりが、グルルと口の端から鳴き声が漏れてしまう。明日の朝も早く起きて朝食分を狩らなければならない。
のそりのそりと洞窟へと戻り丸くなる。ちらりと浮かんだ冒険者の声、オーガの姿。少しでも命の危険を減らしたい、そのためにも――
(人間に、なりたいなぁ……)
魔獣というのは案外辛い。それは生活の面はもちろん、敵が多いという面でもだ。
うつらうつらとしながらも頭に浮かんだその考えは眠気で薄れ、意識は少しずつまどろんでいった。
* *
起きたのは突然洞窟の外から聞こえた轟音が聞こえたからである。驚いて跳ね起きると警戒しながら洞窟の外に歩み寄りながら外を睨んだ。
轟音はまるで何かが爆発したような音だった。魔獣ではない、漂ってくるのは複数の人間の匂いだ。
「おい、討伐対象のウルフは何処にいるんだよ」
「ちょっと待ってください。……います、近くです」
「数はどうなんだよ?」
「これは……一匹だけですね」
「お、それはラッキー」
昨日とは別の男性と女性の声が耳に入ってくる。どうやら二人組の冒険者のようだ。いや、冷静に分析している場合ではないだろう、俺。どんどん足音がこちらに近づいてくるじゃないか。
洞窟の中にいては追い込まれた時にどうしようもなくなってしまう、そう考えて洞窟から足音を立てずに駆け足で出る。そうこうしている間にも二人分の足音がこちらへと迫っていた。
とりあえず、急いでここを離れないと。ねぐらを失うかもしれないが、それは仕方が無い。また別のねぐらを探そう。ひとまず森へと逃げておこうか。
そう考えて森へと駆け出そうとした、その瞬間だった。
「いました!」
「よし、援護を頼むぞ!」
「はい!」
茂みを掻き分けて勢いよく飛び出してきたのは十代半ばの少年と少女の二人組だ。少年の方は防具を着て片手剣を携え、一方の少女は防具は少ないもののゆったりとした服に身長ほどもある杖を携えている。杖の先には陽の光を受けてきらめく小さな結晶があった。
冒険者の二人組、しかも片方は杖を持っていることからおそらく魔法らしきものを撃ってくる。心臓の鼓動が一つ、大きく高鳴ったのを感じた。
「頼む!」
「はい! ファイアーボール!」
二人の間で短く交わされる合図。少女は威勢良く答えると杖をこちらへと向けて魔法の名前を唱えた。瞬間、杖の先にある結晶から拳大より一回り大きい火の玉が現れてこちらへと飛んできた。
「グルォ!」
あ、危ない。横っ飛びで何とか火の玉を避けたが、小さな破裂音と共に着弾点には焦げ跡がついている。あ、当たったら危ない、逃げよう。
くるりと踵を返して後ろに注意を払いながらも森へと駆け出した。すると後ろで少年と少女の慌てたような声が耳に届く。
「おい、逃げるぞ!」
「分かってます、サンダーショット!」
火花の散る音がしたのでちらりと後ろを確認すると、剣を片手に少年がこちらへと走ってきていた。一方、少女の持つ杖の先の結晶で音を立てていたサンダーショットが放たれる。サンダーショットは少年を避けるようにして弧を描くと、こちらへと向かってきた。
慌てて左側に跳ぶようにしてサンダーショットの軌道から外れる。これなら大丈夫で……っ!?
横目に見た後ろではサンダーショットが軌道を変えてこちらへと迫ってくる。な、サンダーショットって追尾機能がついていたのかよ。
それならばとスピードを上げながらもまっすぐに走ることを止めてジグザグに走る。心臓の鼓動がうるさい、足がもつれそうになる。ハッ、ハッと息を切らせて走り続ける。
けれどサンダーショットのスピードとウルフである俺のスピードではこちらが不利だった。直撃ということは無かったが、サンダーショットが顔を掠って地面へとぶつかり消える。
痛い、そして怖い。恐怖で足が上手く動かず、スピードが出せない。おそらく左目の下なのだろう、そこがじくじくと痛みで疼いていた。つんと鼻を刺激する鉄の匂いと、草むらに垂れる血を見て傷から出血しているのだと分かる。
(と、とりあえず、あの少女を何とかしないことには……)
生きて逃げられない。痛みで混乱しかける思考で考えつき、近づく少年に対して姿勢を低くして唸り声を上げた。
「グルルゥ」
「何だよ、こいつ。低ランクの魔獣の癖に生意気だ」
「油断大敵です。援護します」
「おう、任せたぁ!」
少年は勢いよろしくこちらへと突っ込んでくる。横薙ぎに繰り出される片手剣、その軌道から外れるように後ろへと跳び退った。
「グルルァ!」
「うわぁっ!?」
その場に留まることなく、少年へと向かって唸り声を上げながら走る。驚いたのだろう、少年は少しばかり尻込み気味になった。けれど仮にも冒険者、剣を構え直そうとし始める。
空いた少年の脇、その一瞬を見逃すこと無く俺は少年を素通りして援護しようと杖を構える少女の方へと方向を変えた。
「そっちにいったぞ!」
「え? きゃあ!」
後ろから少女へと注意を促す少年の声が聞こえる。けれどそれは一歩遅く、少女は目の前の俺に驚いて悲鳴を上げた。発動しかけていた魔法はその驚きで霧散し、名残のように杖の先で小さな火の粉が散る。
呆然とした表情の少女を他所に、俺は跳びかかった。
「避けろぉ!」
「いやあぁ!」
少年と少女の悲鳴が森に木霊する。少女は上体をそらして何とか逃げようとするが、俺の狙いは少女ではない。
跳びかかった先にあるのは杖、その杖の先につけられた結晶である。おそらくこれを壊せば魔法みたいなものは発動できない、はず。確証は無いが。跳びかかった瞬間、鼻をくすぐるのは結晶独特の澄んだような匂いだった。
「グオッ!」
結晶に噛み付き、思いっきり顎に力を入れる。少しばかり抵抗していたその結晶はぱりん、というガラスが砕けたような小さい音を響かせた。粉々になった結晶の破片は口の中に入っていたが、それは自然と霧散して消えていく。
着地して杖を見ると、そこには結晶の無いただの杖があった。思わず手放してしまったのだろう、少女は杖を握らずしりもちをついて頭をかばっていた。
「おい、杖が!」
「え? あぁ、これじゃあすぐに魔法が撃てない!」
少年の声で我に返った少女が見たのは、先程俺が壊した結晶の無い杖。すぐに魔法が撃てないのであって、魔法は撃てるのかよ。少女はまだ魔法が撃てるということ、だよな。だったら逃げなければ。
一方、少女は慌てたようにただの杖を拾って少年の下へと駆け寄ると、共にこちらを鋭い瞳で見ていた。見るからに分かる、敵意むき出しの瞳だ。
「魔獣は思考が無いんじゃなかったのかよ!」
「た、たまたまですよ、たまたま。とりあえず少し時間かかるけどファイアーボールでけん制して――」
「待ってられるか!」
少女の言葉を途中で遮ると、少年は剣を振りかぶってこちらへと突進してくる。くっそ、これで諦めてくれないのか。
こっちだって致命傷ではないものの、顔に傷を負っている。出血の量は減ったが、結晶を壊そうと張り詰めた糸が緩んで痛みがぶり返していた。安静にしたい、今すぐに。この血を洗って匂いを落とさないと。
けれどこちらの事情を知る由も無く、少年はこちらへと突っ込んできた。ど、どうにかして攻撃できないようにしないと。
慌てて周りを見渡す。俺がいるのは崖側ではなく森側、後ろにあるのは太い幹の木である。……太い幹?そうだ、それならば。
どうにかして策を考え付くのと、少年が剣を縦に振ってきたのは同時だった。この大振りな攻撃なら、あるいは……!
足に力をこめて体を左の方向へと飛ばす。少し力を入れすぎてしまい、体で着地するもすぐに態勢を立て直した。途端に感じるわき腹の激痛、そちらへ視線をやれば自分の血で毛皮が赤黒く濡れている光景が映った。避け切れなかったのである。じくじくと痛みが襲ってくる。
「く、くっそ!」
痛みで顔をしかめながら先程俺がいた場所に視線をやると、そこには太い幹に剣を突き刺してしまっている少年の姿があった。あんな勢いよろしく大振りで振ったのだ、木の幹に深く刺さっているだろう。どうにかこうにか剣を抜こうとしていた。
さて、剣が抜くのを待つほど俺も馬鹿ではない。ここらで退散させてもらうとしようか。くるりと踵を返すと、二人に背を向けて俺は森へと逃げ出した。あまりスピードは出せない、出したら腹の傷に響いてしまう。
「待て、ウルフ! 魔法は!?」
「ま、間に合いません!」
後ろで聞こえる慌てるような少年と少女の声。それは森を進むたびに徐々に小さくなっていき、そして聞こえなくなっていった。
腹から訴えてくる傷の痛みに脂汗が出る。心臓の音がやけに大きく耳に響く中、必死に森を駆けていった。
あの後、近くにあった湖で血を洗い流した。傷口を水で綺麗にしたいし、血の匂いや跡を消したかったのである。
以前の住処よりも小さいが、湖近くにそびえていた巨大な木の洞で俺はうずくまっていた。苦く食えたものではないが薬草を飲み下し、どうにか傷が塞がるようにと祈る。顔の傷も痛いが、何より腹の傷が痛かった。
内臓までは達していないだろう、達していたらそもそも逃げられない。これでは狩りには出かけられない、食べる気力もわかない。
それではいけないのだろう、と分かっていても洞の中でうずくまる。出血が止まらない。このまま止まらなければどうなるか、そんなことが分からないわけではない。
まだ生きていたい、死にたくない、こんな最後は嫌だ、助けて。
生きたいのだ、どうしても。
このまま出血が続くのは駄目だ。完治とまではいかなくてもいい、どうにか血が止まるぐらいには。強くそう祈っていたのが原因だったのか、体の中から何かがすっと抜け出したかと思うとたちまち傷に薄っすらと膜が張ったのだ。
「グォッ!?」
沈みかけていた意識が浮上し、驚いて立ち上がると天井に頭をぶつけてしまう。い、痛い。
大人しく再び伏せると、傷へ視線を向けた。完治ではないが、血が出ないようにと薄っすらと膜が張っている。それにしても一体どうしてだろうか。これは魔法なのだろうか。
今まで使えなかった魔法がいきなり使えた、しかし理由が分からない。何だ、祈れば使えるというのか?
(ファイアーボール! サンダーショット!)
試しにと外に向けて魔法の名前を頭の中で唱える。杖を持っていた少女が使っていた魔法だ。
けれど一向にあの時のような現象は見られない。であるならば、一体何が原因だろうか。思い当たるとすれば……あ。
思い浮かんだのは俺が噛んで壊した杖の先端についていた結晶である。確かあの破片は口の中に入っていたが、気づけば霧散して消えてしまった。
もしかしてあれが原因だろうか。だとしたら何故、回復の魔法が使えたのか。
(あの冒険者が使っていた中に回復の魔法なんて無かったような……)
どれだけ思い出しても少女が回復の魔法らしき呪文を唱えていたことは思い出せない。となると発生条件は?
痛みと混乱ではっきりとしていない当時の状況をどうにかこうにか鮮明に思い出す。確かあの時はひたすら逃げることを考えていた。けれどそれは回復とは何も関係ない。
回復に関係があることとすれば、先程食べた苦い薬草と強く祈ったことだろうか。完治とまではいかないまでも、どうにか血が止まるぐらいにはって。
(あ……)
祈っていたことと起きた現象が一致する。あの結晶と強い祈りや願い、それが原因だったりするのだろうか。
そこまで考えて眠気が襲ってきた。無事逃げおおせて、痛みも和らいだ。それと安堵が襲って、それまで吹っ飛んでいた眠気がやってくる。
このままでは考えられるものも考えられない、今日は寝てしまおう。狭い洞の中でもぞもぞと体を動かして丸くなる。
体を丸めるとそのまま、意識は夢の中へと飛び立っていった。