第二話
今思えばあの白い空間は転生のための空間だったのかもしれない。森の中、ねぐらである崖に出来た小さな洞穴の中で俺はそんなことをリラックスして体を横たえながら考えていた。
光に飲まれた後、生まれ落ちたのは昼間であるにも関わらず薄暗い森のかなり奥だった。生まれて以来活動場所は変えていないはずなので合ってはいるだろう。
大きく口を開けてふわぁと欠伸をする。意識がはっきりとして転生したのだと分かった頃、以前の人の体と今の体の違和感とで悩んでいたが今はしっくりと来ている。慣れとは怖いものだ。
今の俺の体は俗に言う犬である。灰色の毛並み、ピンと立つ耳、青の瞳を持つ中型犬だ。……いや、犬というよりも狼に近いかもしれないな。
それにしても驚いたのは、ここが以前と同じ世界ではないということである。というのも意識がはっきりとして転生したのだと分かった頃、親が狩りを教えてくれると言って狩ってきたのが前の世界のゲームやらで見たゴブリンだったのだ。あの時は驚いた、思わずキャインと鳴いてしまうほどには。
他にも森の中で見た剣や槍といった武器を持つ人々、魔法らしいものを使う魔獣や人を見かけた。ちらりと聞いた話の中で冒険者と言っていたので、彼らが冒険者なのだろう。とにもかくにもファンタジーな世界なのだ、この世界は。
(まぁ、それは良いとしても、随分と生き辛い世界だよなぁ……)
お座りの姿勢になり、耳の後ろをぽりぽりと後ろ足でかきながら内心ため息をついた。
何せこの世界では俺のような魔獣は武器を持った人々に討伐されるのである。こちらとしてはそっちに迷惑をかけないので討伐はごめんこうむりたい、というのが本音だ。
そりゃ死ぬのは怖い。そうでなければこうして森からなるべく出ずに過ごしてはいない。それでも危険が全く無いのかと言われれば、否定するしかないが。
そんなことを考えていると腹が空いてくる。そういえばそろそろ昼だった。
(さてと……そろそろ昼飯を食べるか)
のそりと体を起こして洞窟を出る。くんくんと匂いを嗅ぐと、少しばかり遠いが獣の匂いが風に乗って漂ってきた。今日の昼飯はこれにしよう、数が多かったら次いでに夕飯の分も狩ろう。
目標を定めるとそちらへと向けて駆け出す。足音を殺し、茂みを縫うようにして走った。木々や茂みがどんどん後ろへと流れるが、森ということもあり目の前の風景は大して変わらない。もし俺がウルフでなければ迷っていただろう。
暫く突き進んでいると獣の匂いが濃くなると共に水の匂いが漂い、耳は水が流れる音を拾う。そろそろ川に出るのか、ならば気をつけなければ。水があるところに魔獣もよくいるが、冒険者もたまにいるのだ。
(頼むからいないでくれよ……)
内心で祈りながら走りつつも匂いを嗅ぐ。人の匂いはしないし武器特有の金属の匂いもしない。人の話し声や足音も聞こえない。……よし、大丈夫だな。
人がいないことを確認すると、少しずつスピードを落として茂みから出る手前で立ち止まる。こちらは風下だし、相手に匂いは届かないだろう。
こっそりと音を立てずに茂みの隙間から様子を窺う。そこには川があり、名前は知らんがウサギ型の魔獣が四匹ほど水を飲んだり草を食んでいた。見た目普通のウサギだが、キック力やそれによる頭突きは侮れない。
果てさて、どう攻めたものか。二匹は確実に欲しいが……残り二匹が狩っている間に逃げそうなんだよな。
水を飲んでいるウサギの魔獣は二匹、草を食んでいるのは二匹。近さで言うのならば草を食んでいる二匹なのだが、互いに少し離れた位置にいる。一方で水を飲んでいる二匹はこちらから遠いがその代わりウサギの魔獣同士の距離は近い。
(これなら水を飲んでいる二匹を狩って、その後残りを狩ろう。二匹とも狩れたら良いけど、別の方向に逃げたら一匹に狙いを絞ったほうが良いな)
考えをまとめて、姿勢を低くした。鼓動の音が耳のすぐ傍で聞こえるようで、目の前の獲物に集中する。歯がむき出しになり、よだれが垂れそうになるのが自分でも分かった。
勝負は一瞬、後ろ足に力をこめる。まだウサギの魔獣は気づいておらず、こちらに振り向きもしていない。
葉が川に落ちた音か、それとも魚が跳ねた音か。ぴちょん、という音が耳に入ると同時に張り詰めていた糸が切れて思い切り駆け出した。狙うは水を飲んでいる二匹である。
「キュッ!」
「キュキュッ!」
草を食んでいた二匹が鳴き声を上げるが、もう遅い。急速に水を飲んでいた二匹との距離は縮むと一匹を牙で仕留め、もう一匹は前足で押さえつけた。
咥えている一匹はもう動かない、既に息が無いのだろう。ならばと逃げ出そうとしていたもう一匹の息の根を止めた。すまんな、これも生きるためなんだ。
仕留めた二匹を地面に置いて、残りの二匹へと視線をやる。案の定二匹はそれぞれ別方向へと逃げていた。一匹は森の方へ、そしてもう一匹は川に沿って上流へと向かっている。
これは一匹に絞ったほうが無難だろう、そう考えて森の方へと駆け出そうとすると鼻が二種類の匂いを捉えた。一つはウサギの魔獣とは別の新しい獣の匂い、そしもう一種類は人間の匂いである。しかも金属の匂いもするおまけ付きだ。
森の方は諦めた方が良いかもしれないな、ここで離れたら先程狩った獲物を横取りされるかもしれん。森の方から漂う魔獣の匂いに血の匂いが混じる。匂いからして新しい獣は俺と同じ種族かもな、それならばもう先程の逃げたウサギの魔獣は狩られているだろう。
視線を森の方へ向けていると、キンという金属独特の音が耳に届いた。勢いよくそちらへ首を振り耳をそばだてると、人の声が聞こえる。
仕留めた獲物二匹をどうにか口に咥え、そちらへ注意を向けた。
「これで終わりだ」
聞こえてきたのは野太い男性の声。それに頷くような響きを持って女性が明るい声を出した。
「本当に良かった良かった。この魔獣、すばしっこくて見つからないかなと思ったけど自分から飛び込んできたよ」
「おかげで早く依頼も終えたし、こりゃあ調子が良いかもな」
「私には、逃げているように見えたけど……」
声からして男性一人に女性二人のようである。良かったと続ける明るい声の女性に野太い声の男性も賛同するが、おとなしそうな声の女性が不思議そうな声で呟いた。その言葉に思わずこちらの心臓が一つ大きく高鳴る。冒険者だ、冒険者がいる。しかも三人だ。
ばれたか? もしかしてこちらに来るか? いつ駆け出しても良いように姿勢を低くして足に力をこめる。駆け出して偶然姿を見られる、なんて洒落にならんぞ。
「逃げているように? けどまぁ、俺達には関係無いじゃないか。依頼は終えたし、下手なことをして命取り、なんていやだぜ?」
「そうよ、冒険者成り立ては引き際が大切ってギルド長が言っていたじゃない」
「それも、そうね……。それじゃあこの魔獣を持って帰りましょうか」
野太い声の男性の言葉に明るい女性が乗り、おとなしそうな女性も二人の言葉に納得したように答えた。何やらごそごそと音がしたかと思うと、三人分の足音が徐々に小さくなり遠ざかっていく。
良かった、去ったようだ。鉢合わせたとしても戦闘なんてせず逃げるのだが、魔法を使う冒険者がいたらかなり厄介だ。彼らはバカスカ火の玉やら氷のつぶてを遠くに離れても撃ってくるのである。近距離だと辛いみたいだが、まず一人ではない。剣なり槍なり近接武器を持つ冒険者が傍にいるのだ。
(追われた時は本当に苦しかった、狼の丸焼けなんて洒落じゃない……)
偶然出会って追われた当時のことを思い出しながらも一路、住処である洞窟へと戻る。木々を避けながら帰路についていると、途中で魔獣の匂いを感じ取った。仕留められる獲物の匂いではない、これは遭遇を避けるべき魔獣の匂いだ。
遠く離れていても分かるほど漂ってくる悪臭はどこか酸っぱいような生理的嫌悪感を抱かせる。ずん、ずんと腹の底が震えるような足音が鼓膜を振るわせた。木々の間に葉の緑とは異なったどこか薄汚れた緑色の巨体が見える。
ゴブリンよりも大きい魔獣、さながらゲームのオーガと呼ばれるような見た目の魔獣だった。その群れが片手に握る棍棒を引きずったり肩に担いだりして森の中を進んでいる。
こちらの存在がばれたら下手をすれば彼らの胃袋に入ってしまいかねない。何よりこのままだと鼻がもげそうである。
(逃げよ……)
少しばかり遠回りだが、俺はオーガの群れに悟られないよう迂回して洞窟へと戻った。