鉄板焼きパーティ
ユリさんを夕食に誘ってみた。
「今夜は、お好み焼きと焼きそば作るんだけど食べに来ない?」
「あんたの部屋でやるの? 鉄板焼きパーティ? 面白いじゃん。行かせてもらうよ」ユリさんはうれしそうに言った。
「今夜七時からで良いかな?」
「オッケーオッケー」ユリさんはおどけながら言った「今夜は鉄板焼きパーティの予定を入れておきますわ。お誘いありがとうごさいますう」
「お待ちしております。ご期待下さい」と言って私も笑った。
この部屋での、最初で最後のパーティだ。
早速、買い出しに出かけた。いつものショッピングモールで焼きそばに使う野菜炒め用の野菜パックを1袋買い、焼きそば麺、焼きそば用の肉と、お好み焼きの元の粉、キャベツを1/4玉。お好み焼きに入れるイカとエビも買った。海鮮お好み焼きを作るのだ。
飲み物は、ミネラルウォーターとウーロン茶とビール六缶入りを一つ。
バーベキューみたいに、トウモロコシやウインナーを焼いても楽しいかな。
思いついた物をどんどん買い込んだ。女性二人なのだから、そんなに食べきれないことは分かっているのだが、ユリさんとパーティできると思うと、うれしくて多めに買い込んでしまった。
一応、ガールズトークタイムの事を考えて、ポテトチップとチョコレートも購入する。
やっぱり買い過ぎな気がしたが、それを楽しんでいる私がいた。
パーティは買出しから、楽しめるものだと知った。
そうだ、今まで部屋に人を招いた事がなかったので、グラスも皿もフォークも一人分しかない。慌てて、グラスと、皿とフォークを買い足す。
今後、アパート住まいになったら、人が来る機会があるだろう。そのためにも、今回は買っておく良い機会なのかも知れない。
帰りがけに、バナームに寄ってミルクレープを二つ買った。
カトウ家に帰り、仕込みを始めた。
キッチンを借りて、イカを一口サイズに切って、エビ空を剥いて背ワタを取った。焼きそば用の肉も食べやすいサイズに切る。トウモロコシを芯の部分近くまで切り落とす。
お好み焼き用のキャベツを洗って、甘みが出る様に細かく切った。お好み焼きの元を容量通りの水で溶いた。お好み焼きの種の出来上がり。
飲み物用のグラスと取り皿を洗う。
下宿部屋に戻り、ケーキ用の皿とフォークを冷蔵庫に冷やした。
もちろん、飲み物類は買出しからに帰ってすぐに冷やし始めていた。
テーブルを拭いて、ホットプレートを準備する。
割り箸と、取り皿とグラスをセッティング。
鰹節と、お好み焼きソースとマヨネーズもスタンバイ。それだけで、小さなテーブルはいっぱいになってしまった。
私の席の近くの床に、お盆に載せたお好み焼きの種とトウモロコシとウインナーを準備。
トウモロコシは、焼きトウモロコシにしたいので予め電子レンジで温めた。
焼きそばのセットは焼く直前に冷蔵庫から出してくれば良いだろう。
七時ぴったりに、ユリさんがやって来た。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」私はおどけて言った。
「お招きありがとうございます。レディ」とユリさんがおどけて返す。二人であははと声を上げて笑った。
さっそくテーブルについてもらう。
「準備バッチリだね。お好み焼きから始めるの? うわあートウモロコシもあるウインナーも。なんか本格的っぽいね」
「パーティだからね。飲み物、ビールとウーロン茶と水があるけど、どうする?」
「今日はがっつり食べたい気分だから、ウーロン茶にしようかな。ビールだとおつまみになっちゃうからね」
「オッケーウーロン茶ね。でも、ビール飲みたくなったら言ってね」
「すげー気が利くじゃん。それじゃあ遠慮なしに、後ほどビール頂こうかな」ユリさんは凄くうれしそうだ。
お好み焼きを焼き始める。
「これイカ入れるの? エビもだ。海鮮お好み焼きか。マジ本格的だね」
「うん。今日は絶対美味しく焼きたくて、気合い入っちゃった」
焼き上がったお好み焼きを食べた。
「美味しい!!」ユリさんが嬉しそうに言った。
「まだまだ種はあるから、沢山食べてね」
「うん。でもその前に、トウモロコシ食べたい」
「はいはい。焼きますよー」いちいち突っ込みしあいながら、笑いながら食べた。 こんなにたくさん本気で笑い合いながら食事をしたのは久しぶりだ。
焼いたトウモロコシは甘くておいしかった。
お好み焼きも焼きそばもあっという間に平らげてしまった。
「ふーさすがにお腹いっぱいだね。美味かったよ。ありがとう」
「実は、デザートもあるんだ」
「マジで、何?」
「バナームのミルクレープ」
「食べたい!! だけどお腹いっぱいだから、今は無理。食休みしてからにしない?」ユリさんはお腹をさすりながら言った。
「私も無理だよ。ちょっとガールズトークして食休みしよっか」
「ガールズトークだって。フフフフフ」ユリさんは不敵な笑いを浮かべた。
「ガールズねえ。今は六十代でも平気でガールズって言うもんね。私たちでも十分ガールズだよね」
「大丈夫。十分ガールズだよ」
「でもさ、あんたもうすぐ出てっちゃうんだよね。なんか実感わかない」
「うん、でもアパートの契約したり、同僚に報告したり現実的なことやっていると、出て行くんだよなって、実感させられる」
「あんたがここに来たのって、二年前だったよね」
「もう二年も経つんだ。正社員になって、突然引っ越しすることになって、小林さんとこで部屋探ししていたら、カトウ家を紹介されたんだ」
「あのときうちは、裕樹がデキ婚することになって、最初は親戚中で跡取りができたって大喜びだったんだけど、嫁の親たちに私の事どう説明するか、マジ深刻な顔して相談していてバカみたいだった」
「それで、小林さんの案で、ユリさんは表向き小林さんの店を手伝っていて、シェアハウス開設修業のため、手始めに下宿を始めたことになっていたんだっけ?」
「うん。そんな感じだったと思う。小林のじじーには二十年以上会ってなかったのに、そんなことになってやんの。なんだか笑えた」
「それで、結婚式にはインフルエンザで欠席したんだったよね」
「そうそう、でもさ、私は結婚式行くつもりだったんだよ」
「そうだったの?!」
「たった一人の弟だからね。だけど母親が『インフルエンザに掛かったってことにしておくから』って言って勝手に欠席にされたんだよ。私の意志も聞かずにね」
「そうだったんだ……」
「うん。あの時は『行かなくてもいいから』って言われて、行きたくてもそれに反発する力がなかったんだ」
「わかる気がする。自分の意思とか意見とか言ってはいけない雰囲気なんでしょう」
「そうそう『あなたには触わらないから大丈夫よ』って感じ。でも意見も意思も聞いてもらえないの」
「勝手に決めつけるんだよね。あの娘はこう思っているに違いないって」
「そう! しかも、考え方が一通りしかないと思っているの。人間だから、その場で感情は変わるっつーの!! それがわかんないんだよね、あの人たち」
「決めつけに関しては、うちの親も同じだったかな……。決めつけって言うか親の思い込みって言った方が近いかな」
「思い込み!! 思い込み!! 決めつけより勝手に思い込んでいるって言う方がしっくり来る」
「やっぱりそうなんだ。その思い込みで子育てされたから、私は〝まとも〟な大人として育たなかった気がするんだ」
「それはあるね。思い込みで動くってことは、脳が一つの行動しか受け入れられないから、ある意味、知的な障害的の分類になるんじゃないかと思う」
「ユリさんそこまで分析できているなんて凄いね」私は本当に感心していた。
「ははははは。分析する時間は湯水のごとくあったからね。いろんな本を読んだりネットで調べたりしたよ」
私は、デザートの準備をした。
「おお、出たバナームのミルクレープ」
「一気に話したら、ちょっとお腹落ち着いて、食べられそうな気がして来た」
「うん。デザートは別腹って言えるくらい落ち着いた」
私たちはケーキを食べながら、話を続けた。
「でもさ、小林のじじーってさ」ユリさんがニヤリと笑って言った。
「ものすげー女好きで浮気性なんだよ」
「マジで?」そんな感じに見えなかったので、驚いた。
「知っていると思うけど、小林のじじーの奥さんがうちの親父の妹なんだけど、あの夫婦には子供ができなかったんだ。どうやら、じじーの方に問題があるらしいんだけど、それを良い事に何度も浮気したみたい。お客に手を出しちゃったこともあったよ。その度に、叔母さんがうちに来て泣いてた」
「そんなに浮気性なのに、よく離婚しなかったね」
「じじーはなかなかのイケメンだし、叔母さんがそうとう惚れこんで結婚したらしいよ。だから、子供ができなくても文句も言わないし、浮気されても強く言わないみたい。うちに来る時は『離婚する!!』って毎回言ってたけどね」
「私だったら堪えられないな。トミオさんとスミコさんは何も言わなかったの?」
「親父は何度か強く注意したみたいだけど、浮気は病気だからしかたがないって呆れて諦めたみたい。母親は叔母さんを事慰める役に徹してた。義理の弟でも、浮気性な男は嫌みたいね。本音は関わりたくなかったんだと思う」
「浮気は病気か……確かにそうかもね」
「しかも、この病気は不治の病だから歳をとっても治らないらしくて、未だにお客が来ると狙っているよ」
「マジで?」
「最初にあんた見たとき、よく狙われなかったと思ったよ」
「私は、浮気性な男に引っかかる程、心に隙も余裕もありませんから」
「それはあるよね。私もだけど。あんたも家族の事で苦労したから、恋愛できるレベルまで心が成長してないんだよね」
「すっごい同感!! 家族愛をちゃんと受けて育たないと、恋愛も結婚もしようと思えないんだ」
「生きる事で精一杯で、恋愛とか結婚なんて無理難題なんだよ」
ここまで話して、二人ともケーキを食べ終えていた。
「なんかさ、まだまだ今日は話せそうな気がする。朝まで話し続けたい気分。付き合ってくれるよね?」ユリさんが言った。
「いいよ。もちろん付き合うよ。私もまだまだ話したい」
「それじゃあ、ビールちょうだい」
「甘いケーキ食べた後だけど、大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。今は何でもジャンジャン腹に入っちゃう感じ」
私は、グラスを洗いに洗面台に行った。ユリさんもトイレに行った。
部屋に戻り、おつまみのポテトチップを開けた。ユリさんはまだ戻って来ない。
もう一品おつまみを作ろうと、焼き残してしまったウインナーをホットプレートで焼いた。
ユリさんが戻って来た。ワインと一口サイズのチーズを抱えている。
「ワイン? どうしたの?」
「キッチンから失敬して来た。いいじゃん、安い物だし。今日は沢山飲みたい気分なんだ」まだ飲んでいないのに、酔っぱらったみたいにご機嫌だ。胸の内を吐きだしてハイな状態なのだろう。
「おや、おつまみがある。ポテチにウインナーかい。あんた気が利くね。良い奥さんになるよ」ユリさんは、またご機嫌でな調子で言った。
「なんだか、飲んでないのにもう酔っぱらっているみたいだよ。大丈夫?」
「あんたがグラス洗っている間に、一杯飲んだよ。まだ酔っぱらってはいないと思うけど」
「ええーフライングしたの? ずるいよ~」
「ははははは。味見だよ。お先に失礼しました。仕切り直して飲もうよ」
「そのワインから飲む?」
「いや、冷えてないから、ビールがいい。ワインは冷やしてから飲む」
ワインを受け取って、冷蔵庫に入れ、ビールを二缶取り出す。
グラスに注いで、ユリさんに言った。
「ねえ、乾杯しない?」
「いいね、乾杯。なんの乾杯にしよっかな~」
「私たち、いろいろあったから一つにまとまんないね」
「それだ!! 人生まとまらない二人の明るい前途を祝して、カンパーイ」とユリさんは言った。
「なんかそれ、縁起が良いんだが悪いんだかわからないよ」
「良いんだよ。縁起なんて良いと思えば良くなるの。じゃもういっかいやるよ。人生まとまらない二人の明るい前途を祝して」
「カンパーイ」
二人で、カトウ家に響き渡る程大きな声で、乾杯を言った。
冷えたビールが美味かった。
「くぅぅぅー喉と心に染み渡るね」
「ユリさん、すっかり親父キャラになっているよ」
「いいんだよ。私が親父キャラで誰か迷惑すると思う?」
「しないと思う。むしろ良いかも」
「そうでしょ。二十年近く温め続けて来たキャラなんだから、ここで解禁だよ」
「そうなんだ。そんなに温めてきたんだね。だから、作りのない完璧な親父キャラに見える」
「ふふふふふん」ユリさんは得意げに笑った。
ドアをノックする音がした。スミコさんだった。
「ずいぶん楽しそうね。ユリ、ご迷惑かけてない?」
「四十になる大人なんだから大丈夫だよ。いくつになっても母親は心配性だよね。心配症があんたの病気だよ。自分ちなんだから大丈夫、大丈夫。心配いりませーん」
「はいはい。わかりました。楽しくやってちょうだい。でも、騒ぎ過ぎてご近所さんには迷惑かけない様にね」スミコさんは笑いながら言った。
「了解でーす。それから、ワイン一本失敬しました」
「キッチンにあったものね? どうぞ、飲んでください。安物ですけど」
「許可が下りたよ。これで思い存分飲めるね」
「お風呂は空いていますからね。好きな時に入ってね」
「はいはい。わかりましたお母様。ではね~」
スミコさんが笑顔でドアを閉めた。
「あいつら、アメリカに行く前から、私がまた前みたいに引きこもりに戻るんじゃないかって超心配してやんの。もう大丈夫だってゆーのにさ」
「ユリさんのこと心配している気持ちはわかるけど、ちょっと過剰だね。でもトミオさんもスミコさんも自分たちが納得するまで心配続けるだろうね」
「うん。たぶんね。気が済むまで心配して貰おうと思うよ。それが気が重いってなると、私また引きこもりたくなるよ。あの人たちは、そういう人だと割り切るよ」
「すごい、わかってんじゃん。でも、ユリさんがアメリカに行った日に、トミオさんとスミコさんから、小学生の時のいじめの話と、裕樹くんが生まれてから手を掛けてあげられなかったし、心配が故にユリさんにキツイ言葉を言って居場所をなくしちゃったって、二人とも物凄く後悔しているって話をきいたよ。それに、トミオさんはユリさんが最初にアメリカから帰ってきたときに、自分が怒鳴ったから引きこもりになっちゃったと思っているみたい」
「いじめね。そんなことがあったね。小学生のときか……。実はさ、いじめって多少はあったんだけど、二人が思っているほどひどいもんではなかったんだ。私は、根っからお一人様タイプで、野次馬根性もないからみんなと校庭で仲良く遊ぶとか、連れションとか嫌だったんだよね。自分から一人でいたのに、単に群れないだけで、担任の教師が誤解して『クラスメートから仲間外れにされてる』って大げさに母親に連絡されちゃったんだ」
「そうだったの」
「うん。陰湿ないじめとかはそんなになかった。あの時代は、クラスで一人でいるだけで、変人扱いして陰口叩かれたりはしたけど、私は面倒だから相手にしなかったから、まわりもそのうち何もしなくなった。担任の言う通り友達は一人もいなかったけどね」
「確かに、私たちが子供の頃って友達と仲良くできない子は問題児扱いされたよね。担任の教師って、日常業務で手が一杯でいじめ問題なんてやっかいなことは起こさないでくれ!!自分で処理しろ!!て感じだった」
「うん。そんな感じだったね。だから、うちの母親に電話して自宅で指導しろって言ったんだよ」
「でも、スミコさんにはなんでいじめられてないって言わなかったの?」
「あのころは、うちの母親は育児でメンタルやられてるのわかってたから、反論して納得させるのが面倒になっちゃったんだ『一人でいるのが好きだ』って言っても、無理やり友達作れって言われそうだったし……すべてが面倒だった。それと、初めて母親から大声で叱られたから、声の大きさに驚いて泣いた記憶はある」
「そっか。それで、好きで一人でいたのに、いじめられていることにしちゃったんだ」
「そう。父親がいじめの対策として、消しゴムを東京まで買い出し行って、みんなに配っているとこ見たら、さすがに申し訳ないと思って、一人話し相手を作るようにはしたけど……」
「そうだったんだ。でも、トミオさんもスミコさんもいじめのことが原因でアメリカでの生活が上手くいかなかったって、気にしていたから今からでも本当のことを話した方がいいと思うよ」
「その話はした。この間、アメリカから帰ってきた日にね。いじめのことも、母親の育児のことも、怒鳴られたこともみんなね。父親に怒鳴られなくても、一才半の娘奪われたんだから、引きこもりたくなるって、父親がすべての原因じゃないってちゃんと言ったよ」
「そうだったの」
「うん。二人とも妙に納得したり、ショックを受けたりしていたけどね。彼らなりに受け止めてくれたらしい。アメリカの孫娘のことは、初めから会えないと諦めていたみたいだし」
「そっか。さすがユリさん。みんな解決済みだったんだ」
「まあ、解決できているかどうかは、わからないけど二人には、真相を話した。あんたには、うちの重い話を聞かせて嫌な思いをさせちゃって、本当にすまなかった。でもありがとう。あんたがいてくれたから、あの二人も今回のアメリカ行きを許してくれたし、昔の話をして胸のつかえを取る機会をつくってくれた」
「そんな大層なもんじゃないよ」
「いや、大層なもんだ。昔の話もそうだけど、アメリカ行きも、二人にとことん反対されてたら、私は行けなかったよ。あんたはわかってくれると思っていたから、行けたんだ。一人でも理解してくれる人がいるって心強いよ」
「そう思ってくれていたんだ。うれしい。確かに、ユリさんのことは理解してた」
「そうでしょ!! 」
「それとね、裕樹くんに言われたんだけど、ユリさんと私は性格が似てるんだって」
「裕樹がそんなこと言ってたの? そうかね。」
「うん。私も小学生の頃から群れるの好きじゃなくて、友達殆どいなかったし、お一人様なところは似てるよ」
「そうかもね」
「でも、トミオさんとスミコさんの心配性は異常だね。心配し過ぎて体壊さないか、こっちが心配になるよ」
「ご心配頂いてありがとう。でもあれが、あの人たちのやり方だからそっとしておいてやって。体を壊すことはないよ。壊すんだったら、心配し過ぎてもうトックに死んでるよ」
「そっか。そうだよね。さすがユリさんだ」
「ダテニ、二十年近くも引きこもっていたわけじゃないからね。よくよく承知しています。それで、どこまで話したっけ? 小林のじじーの話について」
「恋愛と結婚はちゃんと家族愛を受けて育たないと心に余裕がなくて、しようと思えないってとこ」
「その辺だったね。それで、小林のじじーは裕樹の結婚の話を聞いて、親戚中で喜んでいたから、自分で子供が作れない負い目にやっと気付いたみたい」
「それまで、気がつかなかったの?」
「浮気で忙しいから先々のことなんて考えてなかったんじゃないの? わかんないけど。それで、裕樹の嫁さんちへの私の言い訳を考えたんだろうね。浮気者だから、人への言い訳考えるのは得意なんだよ。あの言い訳、嫁さんの親戚みんな信じたみたいだよ」
「浮気症が意外なところで役に立ったね」
「うん。初めてあのじじーが役にたったよ。うちの両親に下宿人の雇い方教えたのもあのじじーだし。今回ばかりは、真面目にやっていたな」
「それで私が紹介されて、そのまま家見に行って、即契約になった。普通、部屋借りるときは保証人とか証明とか必要なのに何もなかった」
「下宿人を見つける事が最優先だったからね。ある意味あんたカモだったんだよ」
「そうなんだ。事情がわからなかったら人間不信になりそうだね」
「それで、あんたが家族のことで苦労していた人だったから、不幸な家庭独特の臭いがして、うちの家族と同調したんだろうね」
「独特の臭いって言うのは、私も感じた。だから、ここで下宿生活続けていられたかも知れない。普通の幸せな家庭だったら、幸せの臭いで気持ち悪くなって、すぐに出ちゃったと思う」
「類は友を呼ぶだね。あのじじー浮気させてくれそうな女に限らず、不幸な家族の臭いを嗅ぎ分ける能力もあるのかね」
「そうかもね。これからは、そっちの路線でお客さん捌いたら?」
「変な客ばっかり来そうで恐いよ」と言ってユリさんは、わははと笑った。
二人とも、一缶目のビールはすっかりのみ終わっていた。私は冷蔵庫から二缶出してユリさんに一缶渡した。ユリさんは、グラスに注いで一気に半分以上飲んでしまった。
「でも、小林さんの作った言い訳が、現実になったよね。ユリさんは、小林さんの店手伝い始めたし、宅建に合格して本当に後継ぎになろうとしている。有言実行になったんだ」
「結果オーライの部類だろうね。私が宅建に受かったのは、ボーダーラインぎりぎりだったと思うし、手伝っているって言っても、今はまだ書類の整理と、最近やっと接客できる様になったくらいだからね」
「でも、書類の整理ができれば、十分仕事してるじゃん」
「うん。でも、私がやっているのは、もう一つ大事な任務があるんだ」
「そうなの。何?」
「じじーが浮気しない様に見張り番」
二人とも声をあげて大笑いした。
「それって、超重要任務じゃん。小林さんはユリさんが見張っていたら、さすがにお客さんには手が出せないだろうね」
「そうみたい。叔母さんが店にいても、平気で浮気相手探していたみたいだから、叔母さんから超喜ばれているよ。書類整理より簡単だしね」
「仕事っていろんな役目があるんだね」
「うん。どんな職種でも仕事は、自分で探せばいろいろ転がっているんだと思うよ」
「あんたの引っ越し先のアパートなんだけど」
「えっなんかあるの? 実はいわくつきとか?」
「違うよ。あそこの住人は女性ばっかりなんだよ」
「そうなの。それは安心かも、でもそれが何か問題なの? 変な押し売りに狙われやすいとか?」
「違う。実は昔、アパートの住人全員じじーの浮気相手だったんだって」
「やだー。いわくついてんじゃん!!」
「はははは。私が学生アルバイトをしていた時の話しだからね。その後じじーの女たちは全員出て行って、何度かリフォームしているから、大丈夫だよ。それに、じじーの思い入れがあるから、セキュリティ面は他のアパートよりかなりしっかりしているからね。マンション並みだよ」
「確かに、家賃のわりにセキュリティはしっかりしていたよね。本当に超お得物件だと思った」
「今は、女子学生さんとあんたみたいな一人身の女性とおばあちゃんだったかな」
「小林さんもさすがに、女子学生とおばあちゃんには手をださないでしょう」
「私が見張っているからね。それは大丈夫。そして、女子学生さんなんだけど来年の春、学校を卒業するんだって。関西の子みたいだから、卒業したら関西に帰ってに就職して実家に戻るか、アパートを探すつもりみたい。次の契約は更新しない事になっている」
「そうなんだ。春からは、一部屋空き部屋になるってことね」
「うん。あんたの部屋の隣なんだ。それで、その部屋に私が引っ越そうと思っている」
「マジで? 裕樹君が建てる二世帯住宅に住むんじゃないの?」
「裕樹は私の部屋も考えてくれているけど、流石に弟が建てた家に住むのはちょっとね。うちの両親は良いとしても、私は小姑になるから気が引けるよ」
「弟にローン背負わせるのは気が引けるの?」
「うん。弟に奢られる感じでなんか嫌なんだよね。二世帯と言っても、義理の妹も甥っ子もいるしね」
「兄弟でも、お金の問題だとそう思うんだ」
「だから、私も一人暮らしするよ。それに、もう親から離れた方がいいと思う。裕樹たちが来たら、私また子供の頃みたいに良い姉演じて、潰れそうな気がして恐いんだ。もう一人になろうと思う」
「よくそこまで決心出来たね」
「それは、なんだかんだ言って、小林のじじーのとこで給料貰えるようになったからかな。自力で稼げるんだから、自分の居場所は自分で作ろうと思えた」
「それって、自立だね。凄いじゃん」
「自立って言うか、脱皮な気がする」
「脱皮って蛇みたい。でも気持ちはわかる。リセットとリニューアルの間みたいな」
「なにそれ、そっちの方が分かり難いよ!! だから脱皮。成長だよ成長」
「そうか、成長ね。……ユリさんは半年後に私のお隣さんになるんだ」
「今もお隣さんでしょ。またお隣さんになるんだよ。一時的に離れるけどね。あんた大丈夫? 酔っぱらって来た?」
このとき、既に三缶目のビールを飲み終えるところだった。
「そうかそうか。また半年後にお隣さんになるんだね。超うれしい。なんか引っ越しの寂しさがなくなったよ。ユリさんがまたお隣さんなんだね。よかった。マジでうれしい!!」
「あんた、完全に酔っぱらっているよね? 大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。浮かれているだけ。だって、引っ越ししてカトウ家とお別れかだと思っていたから、不安が一気に解消して腰が抜けそうなのと嬉しいのとで、どうしようって感じ」
「そんなにうれしい?」
「うれしいよ。本当は、カトウ家から出て行くの凄く寂しかったんだから」
私は言いながら泣いてしまった。
「あんたは、うちの家族だよ。血の繋がりなんて関係ない。間違いなく、私のかわいい妹だ。あの人たちだって、娘同然に思っているんだから、いいじゃん家族だよ。戸籍もなんも関係ない。あんたはカトウ家の次女だ」
私は涙が止まらなくなった。私は、初めてユリさんと姉妹として絆を築いたのだ。お酒の席の話しだから、ノリで言っているのかもしれないが、それでもうれしかった。
「あんたが下宿人として来たお陰で、私は刺激を受けて引きこもりから卒業できた。おかしな子育てをして後悔していた両親を元気づけた。裕樹の嫁さんのために、私が引きこもりだって言うことを隠すための言い訳のネタになったからね。カトウ家にはなくてはならない人でしょう」
「私も、世の中で信用できるのは、カトウ家の人しかいない。両親とは絶縁したし、友達は結婚して遠くに行っちゃうし」
「いいじゃん。ここに家族がいるんだからさ」
「うん。最高の家族!!」
「うちが最高の家族ねぇ……あははは。確かにあんたがいれば最高に面白くなるな。それでさ、もうひとつお願いなんだけど」
「何? お姉ちゃん」
「ははは、あんたにお姉ちゃんて呼ばれるとなんかくすぐったい感じ。ユリ姉とか姉貴が良いな。裕樹も姉貴って呼んでるし。私はさ、まだ世の中の距離感がわからなくて人とコミュニケーションが上手く取れないことがある。これがいつどこまで回復できるかは、わからない。でも、仕事はこれからもっと頑張りたいし、あの不動産屋は潰したくない」
「不安はあるけど、小林さんの後継ぎの話を本気で考えているってことね」
「そうなんだ。やり始めたからには、頂点極めたい。そのためには、あんたの力が必要なんだ。あんたとなら、最高のビジネスパートナーになれる気がする。だから、私がもっと、不動産の勉強をして、資格も沢山取って、小林のじじーからいろいろ引き継いだら、あんたも店の仕事を手伝ってくれないかな。あんたに助けて欲しい」
突然のユリさんのお願いに驚いた。そこまでユリさんはきちんと将来を見据えていたのだ。
「私でいいの?」
「あんたがいいんだよ」
「絶対やるよ!! 私はカトウ家の次女で、ユリさんの妹で、最高のビジネスパートナーになる!!」
「よろしく頼むよ。私は引きこもりから完全に復活で来ているわけではないと思うから、その辺のサポートもよろしく」
「うん。わかってる」
「じゃあ、ワインで乾杯しよっか」
「するする。グラス洗ってこようか?」
「いいよ。このまま飲んじゃえ。早くワイン出して」
冷えたワインをグラスに注いだ。
ユリさんがまた乾杯の音頭を取った。
「私たちカトウ家姉妹の明るい未来を祝福してカンパーイ」
「カンパーイ」
今まで飲んだワインの中で、一番美味しく感じた。ユリさん曰く、スーパーで買った四百九十八円らしいが……。
それから、今後の事を淡々と話した。私がカトウ家を出てから裕樹君たちが来るまでのトミオさんとスミコさんがどう適応できるか……と言った話しや、甥っ子が来ると騒がしいが、やっぱりなんだかんだ言って可愛いと思っていること、スミコさんの心配性の話しなど、深刻に討論したり、しんみりとなったり、他にも、他愛もない話しを語りつくした。
ユリさんが、キッチンからもう一本ワインを失敬して来た。もちろん二人で空にした。ユリさんもすっかり酔いがまわったようだ。足元がふら付いている
「それじゃあよろしくたのむよ。かわいい妹ちゃんおやすみ~♪」
「うん。よろしくね。お姉ちゃん、おやすみなさい」
ユリさんは、自分の部屋に帰った。ベッドに倒れ込む音が聞こえた。おそらくそのまま寝てしまったのだろう。
私も、充分過ぎるほど酒が回っている。時間を掛けたとはいえ、こんなに大量に飲んだのは初めてだ。片づけをしても、はかどらないし転んだり、食器を落として怪我をしそうな気がした。このまま寝てしまうおう。




