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血縁より絆 ~家族より仮族~  作者: しろゆき
19/23

帰国

 ユリさんがアメリカに旅立ってから二週間後、私のスマホに「帰国する日が決まった」と電話があった。その日は貝岸のバス停まで迎えに来て欲しいとのことだった。飛行機の成田着の日付と時間を聞いて、到着時間に近い貝岸行きのバスの出発時間を調べて教えた。念の為、飛行機が遅れた場合を考えて、その後二本分のバスの出発時刻も伝えた。

「成田に着いたら、また連絡するから迎えに来てほしい」と言って電話は切れた。

 トミオさんとスミコさんにすぐに伝えた。

 二人は、ユリさんの様子を知りたそうだったが、電話の声は普通だったので、それだけ伝えた。


 二日後、ユリさんから「成田に着いて、無事予定していた貝岸行のバスに乗れた」と電話があった。

 私は、有給休暇を取って仕事を休み、バス停まで迎えに行った。スーツケース一つでユリさんは帰って来た。さすがに、疲れ顔だ。

「おかえりなさい」

「ただいま」

「どうだった?」

「いろいろあった。落ち着いたら後で話すよ」

「わかった。お腹空いてない?」

「空港で食べて来たから、あんまり空いてない。心配性のトミオさんとスミコさんが気が気じゃないだろうから、寄り道せずに帰ろう」

「そうだね」

車の中では何も話をしなかった。ユリさんは、無言のまま、車窓から貝岸の風景を懐かしそうに眺めていた。時折少し寂しそうな表情をしていた。カトウ家に着いた。

 その後、ユリさんは茶の間でトミオさんとスミコさんに報告をしている様だった。その日私は、ユリさんと話をせずに床に着いた。


 翌日の夜、ユリさんが私の部屋に来た。

 ユリさんは、淡々と話し初めた。

 アメリカの空港に着くと、弁護士が迎えに来ていた。娘を引き渡した時と同じ、あの弁護士だった。弁護士の車で滞在先のホテルに向かった。弁護士から娘さんと養育者夫婦について話があった。


 ユリさんから子供を引き離した後、養育者夫妻は娘さんを大切に育てた。

 四人の腹違いの兄弟たちがいて、歳の離れた妹の事情を受け入れ可愛がった。

 娘さんには、実の母親が日本人である事を告げて育てた。

 だが、どう言った経緯で母親が日本人で誰であるかは話していなかった。

 しかし、養母が実の娘と同じ様に大切に愛情を与えて育てたので、娘さんには、家庭への不満はなさそうだった。

 五年前に養母に乳がんが発見された。切除手術は成功したが、何度か再発を繰り返し、肺に転移した。今年の三月に、余命半年だと宣告された。養母は、現実を受け入れ身辺整理を始めた。養母が一番気がかりだったのは、まだ大人になりきれていない娘さんのことだった。自分が死ぬ前に、娘さんに出生の真実をすべて話す事にした。夫も同意した。真実を娘に話すために、養育者夫妻がユリさんを日本から呼び寄せたのだ。


 弁護士は、娘さんと対面して、出生の真実を養育者夫妻と三人で娘さんに話して欲しいと言った。裁判の結果は抜きにして、ユリさんから真実を言って良いとの事だった。虐待がなかったことは、娘の父親も認めているらしい。


 ユリさんは、純粋に娘さんがユリさんに会いたがっていると思っていたので、ショックを受けた。

 しかし、真実が娘さんに告げられ、虐待の無実を晴らすことはユリさんが一番願っていた事だったので、了承した。

 娘さんは、養母の入院している病院にいるらしい。ユリさんは弁護士が運転する車で病院に行った。


 病院に着き、病室に入った。

 ここはポスピスらしく、病室と言うより一般家庭の一室と言う感じだった。

 養母の金髪の女性は、げっそりとやせ細り、血の気がまったく感じられず、肌の色が透けている様だった。ベッドに上半身を起こしていたが、起き上がっているのも辛そうだった。命が残り少ない事は見ているだけでわかった。

 もしかしたら、娘さんに真実を伝えるために、気力だけで生きているのかも知れないと思った。

 ベッドの側に、かつて夫だと思っていた男がいた。男は、憔悴しきった顔をしていた。すっかり歳を重ねたためか、頭の天辺が禿げ上がっていた。その傍らには女の子……娘さんがいた。娘さんは、ユリさんにそっくりだった。

 弁護士が、娘さんにユリさんを実母だと紹介した。

 弁護士に促され、ユリさんの口からすべて真実を娘に告げた。


 ユリさんは、大学の語学留学の為に日本からアメリカに来た事。娘さんの父親とは、ホストファミリーのホームパーティーで知り合った。独身だと思っていたし、彼も既婚者であるとは言わなかった。すぐに恋人関係になり、娘さんを妊娠した。

妊娠を期に、大学を辞めて娘の父親が所有するマンションに引っ越した。娘さんが無事に生まれ、住み込みのメイドと四人で暮らしていた。とても幸せだった。

娘が一歳一カ月を過ぎた頃に、弁護士より父親が既婚者であり、妻の元に帰りたいと言っていると告げられ、強制的に別れさせられた。

 父親は娘の養育権を得るため、ユリさんに事実無根の虐待の罪で裁判を起こした。父親が娘さんの親権を得た。ユリさんには、養育者夫妻の許可が無いと娘さんに会ってはいけないとの処分が下った。

 ユリさんは、泣く泣く娘を弁護士に渡した。弁護士に「養育者夫妻は二度と娘さんと会わせるつもりはない」と言われ、アメリカにいる事が辛くなり、娘の父親に渡された手切れ金の百万円を持って日本に帰った。

 日本に帰っても、娘さんを奪われた心の傷が癒えず、去年までずっと引きこもっていた。すべてを話した。


 養育者夫妻も、ユリさんの語った事をすべて真実だと、娘の前で認めた。

 養母は、無理やりユリさんから娘を奪った事を詫びた。

「浮気された妻の意地で子供を奪ってしまった。ユリさんを苦しめ様と思って、子供を引き取った」と言った。

 余命宣告されたことにより、家族と死に別れる辛さを感じ、やっとユリさんから娘を奪った辛さがわかったらしい。

 かつて夫だと思っていた男も「私がすべて悪かった。本当にすまなかった」とユリさんに詫びた。

 ユリさんに既婚者で妻子持ちであることを隠していた事、臨時で雇っていたメイドを使い、無実の虐待裁判を起こした事を改めて認めたが

「どうか裁判で訴えないで欲しい。その代わり、精神的苦痛を受けた損害賠償として、弁護士と相談の上、裁判で下されるであろう賠償金額の二倍の謝罪金を支払う」と言った。


 すべて真実を告げられた娘さんは、ユリさんに言った。

「本当の事を話してくれてありがとう。私を産んでくれてありがとう。でも、私のママは私を育ててくれたママだけ。生みの母親でも、ママを苦しめたパパの浮気相手は好きになれない」と言って、養母に抱きついた。

 娘はユリさんを母親として受け入れなかった。娘は養母と実母以上の絆を持っているのだ。

 ユリさんは、養母に抱きついた娘を見て、すべて呆れ目がついた。

 ユリさんは、精一杯の力を振り絞り娘に言った

「優しい母親に育てて貰えて良かったね。しっかり最後まで母親を看病し、看取りなさい。あなたの記憶にはないだろうけれど、あなたが私のお腹にいた時から一歳半までは、あなたの母親でいられてとても幸せだった。産まれて来てくれてありがとう。二度と会えないと思っていたから、今日会えて顔を見せてもらえたこと、真実を伝えられたことに幸せを感じている。本当にありがとう」

 娘さんは頷いたが、養母に抱きついたまま離れようとしなかった。


 ユリさんがメールで受け取った「日本の欲しいものリスト」は、娘の父親が作ったものだった。

 しかし、娘さんは、本当にドラゴンボールとワンピースが大好きで、漫画やグッズの土産を渡したら目を輝かせて喜んだ。

自分が日本人の血を引く者とわかっていたので、日本のことにはとても興味がある様だが、アニメ以外の土産は「ありがとう」と言っただけだった。


 ユリさんは養母に言った。「浮気相手の子供なのに、大切に育ててくれてありがとう。あの娘に真実を話す機会を与えてくれたことは感謝します。でも、私はどんなに謝られてもあなたを許す事は無い。あなたが死ぬ事で罪が償われるとは思わない。だけど、天罰は下ります。もうすぐあなたも最愛の娘との別れが待っているのだから。人攫いをした悪人は天に裁かれて苦しみながら死んで行ってください。ご愁傷様です」

 養母は悲しそうな顔をしたが、何も言わなかった。

 そして、養育者夫妻の娘に言った。

「私の様に悪い男には引っかからない様に注意して。罪を犯した者は法律で裁かれなくても、ちゃんと天が見ていて後で大きな代償を払う事になるの。お金では解決できないことは沢山あるよ。あなたの両親の様に人を騙して罪を犯す様な大人にはならないで。私の様な世間知らずの馬鹿な女にもならないで」

 養母が顔を歪ませ涙を流した。娘さんが何かを言おうとしたが、父親がそれを制した。


 ユリさんは、夫だと思っていた男に、手切れ金の様にとして渡された百万円を殆ど使わず返した。この男は、金を受け取らなかった。それでも、金を無理やり受け取らせた。ユリさんは百万円ごときで、自分の人生を売りたくなかったそうだ。手切れ金と言う都合の良い言葉も嫌だった。

 全額返金しなかったのは、当時使った、成田行きの飛行機代と、成田空港近くに二泊したホテル代と食事代の分だ。その分は、すべて領収書を添えた。二十年前の領収書なので、文字が消えかかっているものもあった。

 娘は、茫然とそのやり取りを見ていた。

 すべてを語り終えたので、ユリさんは弁護士と病院を後にした。


 ユリさんは、弁護士に一つだけお願いをした。

「世話になっていた、住み込みのメイドに会いたい」と言った。弁護士は了承した。

メイドを探し出すのに、少し時間がかかった。弁護士に最後に知らされていた住所から転居していて、その後も何度か転居を繰り返していた。

 やっと探しだしたメイドはユリさんの事をしっかり覚えていた。弁護士が滞在先のホテルまで連れて来た。二人は抱き合って再会を喜んだ。

「ユリ、私は突然あなたと別れる事になったから、あなたのことがずっと心配だった。本当に会えてうれしい。あなたが元気ならそれでいいの。あなたは私のファミリーよ」と言って泣いて喜んだ。

 ユリさんも、メイドがこれほど自分の事を思っていてくれたとは思わなかったので、驚きと嬉しさで胸がいっぱいになった。

 メイドは、ハワイ出身の日系人で早くに夫を亡くし、メイドの仕事をしていた。

ユリさんにとって、メイドは赤ちゃんの抱き方、オムツの替え方など、子育てを一から教えてくれた母の様な存在だった。メイドにとっても、ユリさんは実の娘で、子供は孫の様な存在だと思っていたそうだ。メイドは本当に子供好きで、赤ちゃんは意味なく泣くわけではなく、ちゃんと理由があるから、それを理解するようにと、優しく教えてくれた。

 当時、日本ではあまり知られていなかった、ベビーサインの事も教えてくれた。

 いつかユリさんが作ってくれたカレーも、メイドさんに教えて貰ったレシピだそうだ。

 ユリさんは、メイドに娘が夫だと思っていた男に引き渡され、養母により温かい家庭で育った事を伝えた。メイドは、だまって頷き、それ以上は何も聞かなかった。たぶん、当時からすべての事情を知っていたのだろう。もう一度、ユリさんを強く抱きしめた。抱き合って別れを惜しんだ。


 これで、ユリさんのアメリカへの心残りは無くなった。すべての用事が済んだので、日本に帰る事にした。

「せっかくアメリカに来たのだから、観光して行ったらどうか?」と弁護士は言った。その費用も養育者夫妻が負担すると言っているらしい。

 ユリさんは、首を横に振り弁護士に言った「私はこの国で観光しても楽しめるはずないし、楽しい思い出も残したくないよ」

弁護士は無言のままだった。

「あの母親はずる賢い人だね。最後の最後で、あの娘を私から完全に引き離したよ。娘に真実を話しても、私を母親だと認めないことをわかっていたんだろうね」

「そうでしょうか。奥様は、純粋にエミさんに真実を伝えたかったのだと思いますが」

「冗談でしょう? 私は本当に馬鹿だった。前に留学で来た時はあの男に騙され子供を作って虐待の容疑をかけられて、犯罪者にされそうになったのに、今度は『娘に会わせてやる』と言われて最愛の娘との再会ができると信じてノコノコ来たら、完全に娘を奪い取られた。あの夫婦には散々にやられたよ」

「でも、奥様は本当に……」

「死ぬ前に自分のした悪事の罪滅ぼしをしたかったんじゃない? どっちにしてもあの女は本当に恐いわ。金持ちっていいね。なんでも金で解決して、欲しい物を全部手に入れるんだから。だけど、死ぬことだけはどうにもならないみたいだね。天罰って下るもんだね」

 弁護士は苦笑いした。

「あの女、あの様子じゃ、もうとっくに死んでいてもおかしくないでしょ? すでに人生のロスタイムに入っているんじゃない? でも、愛する娘のためなら気力で延命できるもんなんだね」

「確かに、余命宣告された期間は過ぎています。正直、あなたが来るまで生きられるかわからない状態でした」

「最愛の娘がいるから、大丈夫。もう少し生きられるよ。強い人だから、長いロスタイムでしぶとく生きて行くんじゃない? 悪人ほど長生きするっていうじゃん」

弁護士はまた苦笑いした。

「あんたが施設に手切れ金を私に来た時に『世の中を知らな過ぎる。日本に帰ってしっかり勉強しなさい』って言われたけど、私はまだ世の中を知らな過ぎた。日本に帰っても勉強しなかった。だから今回も、あのずる賢い家族に引っかかったよ」

「私は、顧客の悪口を言いたくありません。あなたはがずる賢い家族に引っかかったとは思えません。ですが、あなたなりに成長しています。以前とは比べ物にならないです」

「お世辞はいらない。早く日本に帰りたい。できるだけ早い時間の飛行機の予約を頼むよ」

弁護士は承諾した。


 ユリさんが日本に帰る日。ホテルから空港まで弁護士が送ってくれた。弁護士が、ユリさんに分厚い封筒を渡そうとした。

 中に何が入っているかは予想ができたので「封筒の中に入っているものは、受け取れない。後は、帰りの飛行機代だけ出してくれれば、それで充分だから」と言った。

 弁護士は、これは夫妻である顧客の希望だから受け取って貰わないと困ると言った。

 しかし、ユリさんは断固として受け取らなかった。弁護士は仕方なく、封筒を鞄にしまった。

 ユリさんは、見送りはしなくて良いと言って、弁護士を帰し、搭乗した。

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