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血縁より絆 ~家族より仮族~  作者: しろゆき
18/23

旅立ちと小さなユリちゃんのお話

 ユリさんがアメリカに旅立つ日。

 私は、貝岸市内の成田空港行きのバス停まで送って行った。

「あんたが送ってくれて助かったよ。うちの両親じゃ、心配し過ぎて車の中がお通夜みたいになっちゃって、幸先悪くなりそうだから」ユリさんは笑いながら言った。

「本当に一人で大丈夫?」

「うん。あっちに着いたら迎えも来るし、成田にたどり着ければ心配いらないよ」

「大変なこともあると思うけれど、ユリさんの思いをすべて話して、すっきりして来て」

「サンキュー。そうさせて頂くよ」

 ユリさんのスーツケースは、予定通り自分用が一つと、土産用が二つ。私は、バスのトランクルームに乗せるのを手伝った。

 バス停でユリさんを見送り、手を振った。ユリさんは嬉しそうに笑って手を振り返した。

 カトウ家に戻り、スミコさんとトミオさんに、ユリさんを無事バス停に送り届けた事を報告した。

 スミコさんに、一緒にお茶を飲まないかと誘われた。

 茶の間で大福とお茶を頂いた。三人で何も話さず黙々と食べた。

 私は、ユリさんがこの家にいないと言う事が、とても不思議な気がしていた。

 突然、トミオさんが言った「本当は、ユリをアメリカに行かせたくなかった。また留学した時と同じ様に、ボロボロになって帰って来るのではないかと思い不安でたまらない」

 スミコさんが泣きだした。泣きながら話した。


 ユリさんが四歳の時に、裕樹君が生まれた。ユリさんを授かってから、次の子供になかなか恵まず、諦めていたのでとてもうれしかった。

 無事に男の子が生まれた。スミコさんはうれしさの反面、こころは虚脱状態になった。産後の体調が思わしくなく、二ケ月程実家で静養した。

 カトウ家に戻ってからも、二人の子育てを負担に感じた。

 乳児の息子にばかりかかりきりになり、ユリさんを一人にしてしまうことが多くなった。

 ユリさんは弟が生まれるまで、両親の愛情を独占して我がままを言う事が多かったが、五歳になる直前だったのでそろそろ自立の頃だろうと思い、自分の子育ての負担を軽減するためにも、甘えたがるユリさんを突き放してしまった。

 ユリさんは弟ができた事を喜び、スミコさんの調子が思わしくない事を察して、家事の手伝いを良くしてくれた。

ユリさんが小学校に入学してスミコさんの体調が良くなっても、裕樹君がまだ手が掛かる時期であったので、ユリさんに手を掛けられなかった。

 それでも、ユリさんは、文句を言わずに学校から帰ると自ら宿題をやって、弟の様子を見に行ってあやしたり、時にはオムツを替えたりと世話をする様になった。外遊びが苦手でほとんど友達と遊ぶことはなかったが、自宅で絵本を読み、一人遊びができる子であった。成績は普通より少し上くらいだった。

 小学校一年生の秋に、ユリさんの担任の先生から学校に呼び出しがあった。

 ユリさんは学校で「いじめに遭っている」とのことだった。殆どのクラスメートから無視されているらしい。露骨ないじわるもされているとのことだった。

 今なら「いじめ」と言うと大問題になるのだろうが、当時の先生からは「友達のつくれない厄介な子」と言う目で見られてしまい、「ご家庭で友達を作る様に指導して欲しい」と言われたそうだ。

 スミコさんは、ショックを受けたが、子育ての知識は学校からの情報しか得られなかったので、学校で先生に言われた通り、ユリさんに「友達を作らなくてはいけない」ときつく叱った。

 ユリさんは大泣きして暫く泣きやまなかった。我慢していたいじめや、友達が出来ない辛さが一気に噴き出た様だった。

 スミコさんは、自分もパニックになってしまったので「泣いているからいじめられるのよ。いじめっ子なんか泣かずにいじめ返せ!!」と言ってまた叱った。

 それから、ユリさんは弟の世話をしなくなった。スミコさんとも話をしたがらず、学校から帰ると自分の部屋に閉じこもる様になった。

 ユリさんへのいじめは、二年生になっても収まらなかった。教師からも問題児扱いされ、更に、同級生の兄弟、つまり上級生からもいじめられるようになってしまった。

 スミコさんは常々「いじめられていないか?」とユリさんに問いただし、ただ泣くだけのユリさんに「泣くからいじめられるのだ、負けずにやり返せ」と繰り返し言って叱った。

 いじめはなくならなかった。どうにもならなくなって、トミオさんの知り合いの伝手を頼っていじめ問題にくわしい人に相談できることになった。その方は曰く「子供はズルイから、物でツルと良いよ。珍しい鉛筆とか消しゴムとか配ってみたら? すぐにいじめは収まると思うよ」との事だった。

 トミオさんが東京の大きな文房具店に行って、珍しい香りが付いている消しゴムを大量に買って来た。スミコさんが自ら学校に持って行き、ユリさんの同級生と上級生のクラスの子供一人ひとりに配った。

 それから、いじめはなくなった。ユリさんに「いじめられていないか?」と問うと、スミコさんの目をしっかり見て「いない」と応える様になった。

 だが、相変わらず友達はできなかった。いつも一人で過ごしていた。

 ユリさんは何でも一人でやる、自立心の強い子になったが、友達との距離感が上手く掴めていない様だった。

 しかし、スミコさんがどう手助けをしてあげたら良いかわからず、そのまま見守ることしかできなかった。

 三年生になり、やっと一緒に遊べる友達が一人できた。

 一人でも友達ができた事にほっとして、スミコさんはまた裕樹君に掛かりきりになってしまった。

 ユリさんは裕樹君の世話はしなかったが、代わりに家事を良く手伝う様になった。

 米とぎは当然、簡単な料理はスミコさんを真似て作る様になった。

 ユリさんは、ときどきスミコさんに甘える様なそぶりをみせたが、甘えさせると、またいじめられる弱い子になってしまうのではないかと思って「あなたは、お姉ちゃんなのだから」とユリさんを突き放してしまった。

「私が、ユリに手を掛けてやれなかったから、いじめに遭ってしまった。いじめられている事は悪いことだと、家庭でも叱っていじめてしまい、ユリの居場所を学校からも家庭からも奪い、追いつめてしまったのだ」と言った。

「だから、アメリカでも家庭で上手くいかなかったのではないか。すべては私の子育ての失敗からユリの人生を狂わせしまったのだ」とスミコさんがここまで一気に話して嗚咽した。

「私がもっと家庭を省みればよかった。あの頃は、子育てをすべて家内に任せて、いじめに遭っているユリの事をどうしていいかわからなくなり、伝手を頼ってアドバイス通りに物を買いに行くだけで、自分は仕事に逃げてしまったのだ。さらに、ユリがアメリカから帰って来た時に、馬鹿娘!! と怒鳴ってしまったことでユリを傷つけ、私が引きこもりにさせてしまったのだ」とうなだれながらトミオさんが言った。


 しばらく沈黙した。私は何と言葉を掛けてあげたらよいかわからなかった。小さなユリちゃんが傷ついたこと、大人になったユリさんが傷つけられ耐えたこと、それを両親が自分のことのように思い、傷つき自分たちを責めていること。

 どんな、なぐさめのことばをかければよいか。どうしたら、ユリさんの両親の心が救われるだろうか。

 そして、私は言った「ユリさんは賢い人です。だから、お二人が子供の頃に、ユリさんに手を掛けて上げられなかった事情をキチンと理解していると思います。トミオさんが怒鳴ったことだけで引きこもりになったわけではないでしょう。そして今、ユリさんは自分の力で、自分の過去と娘さんの事を処理しようとしています。私が下宿人としてこちらの家に迎えて頂いた時とは、別人の様です。ここまで、ご自分の力でやっているのだから、温かく見守ってあげましょう。今回は、一番良い選択をして帰って来てくれると思います。前回の様に、引きこもりに戻る事はないはずです。ユリさんを信じ、ユリさんの選択を受け入れましょう」

 スミコさんは、泣きながら頷いた。

 トミオさんが「君が、ユリを東京に買い物に連れて行ってくれた時、やっとアメリカ行きを許そうと思ったんだ。二人でお揃いのスーツケースを持って帰って来た時の、あんなに嬉しそうにしているユリの顔はアメリカから帰って来て以来、見た事が無かったからね。だから、君がいなかったら、俺はアメリカ行きを止めたかも知れない。俺は弱い父親だ」と言った。

「娘さんのことを心配するのは、親として悪いことではないと思います。むしろ、両親に心配されない私はうらやましいくらいです。過去の事を考えると心配される気持ちはよくわかります。ですが、過剰な心配は、お二人の心身にも良くないと思います。良い報告を貰えると願って、落ち着いて待ちましょう」

 トミオさんは、ゆっくり頷いた。 スミコさんも「そうね」と言った。


 それから、ユリさんがいないカトウ家は、火が消えた……とまでは言わないが、重い雰囲気が漂っていた。トミオさんもスミコさんも五歳は老けてしまった様に見えた。

 先日私が話した「ユリさんを信じて待ちましょう」の言葉は、二人の心に届かなかった様だ。娘に、二十年近く引きこもり生活を余儀なくされた親なら当然かもしれないと思ったが、自分の無力さを実感し、私自身もへこんでしまった。ますます、カトウ家の雰囲気は重くなった。それから数日、私もカトウ夫妻も鬱々とした日々を過ごした。


 週末、貝岸営業所に出張に来た裕樹君が泊まりに来た。

 相変わらずの親バカぶり全開で、息子の画像を見ては成長ぶりを自慢していた。

 その様子を見て、トミオさんとスミコさんが元気になった。私は少し、安心した。私自身も心が落ち着いている事を実感した。

 その日の夜遅く、裕樹君から「話をしたいので、茶の間に来るように」と言われた。

カトウ夫妻は、寝てしまった様だ。


「君は本当に変わりものだね」と裕樹君が言った。

「確かに変わりものだと思います。裕樹さんはどうして、そう思いますか?」

「親父もお袋も、姉貴をアメリカに行かせたくなくて『どうしていいかわからないから助けてくれ』って、俺のところにしょっちゅう電話して来たんだ。俺だってわからないから正直参ったよ。だけど、君だけは姉貴に協力していたみだいだって聞いてさ」

「協力したと言っても、東京にお土産の買出しに付き合ったのと、成田空港行きのバス停まで送って行っただけですが」

「それは充分協力しているよ。君がいなかったら、姉貴はアメリカに行けなかったんじゃないかな?」

「それはないと思います。みんなユリさんがご自分で決めて動いていたんですよ。東京に行ったのも、ユリさんから誘われて、私がついて行っただけですし」

「姉貴は、うちの両親がアメリカ行きに反対しているのを知っていたんだよ。でも、君だけはわかってくれると思っていた。だから姉貴にとってはアメリカ行きを理解してくれている君がいたから動けたんだよ。一人でも理解者がいるのは心強いもんだよ」

「そうでしょうか。私はご両親が反対していたことは、ユリさんがアメリカに行ってから聞きました。確かに、ご両親としては心配ですよね」

「とても心配してるよ。心配し過ぎて死にそうだよ」

「……」

「でも君、引きこもっている人と同じ屋根の下にいて嫌じゃなかった?」

「私は精神的におかしな両親に育てられたから、ユリさんが嫌だとは思わなかったです」

「ふーん。そうなんだ。姉貴が、君は変わっているけど面白い奴だって言ってた。姉貴が話し掛けると喜ぶんだって。普通、引きこもりに話しかけられたら嫌がるでしょう? なのに、君は寂しがり屋の犬が主人に話しかけてもらえたみたいに喜ぶんだって。姉貴はそれが嬉しかったみたい」

「そんなこと言っていたんですね。確かに私は、ユリさんに話しかけてもらえるのは本当にうれしかったです」

「やっぱりそうだったんだ。姉貴も君もお互い好き合っていたんだね。俺は君の事、よくこの家で下宿しているなって感心していたんだけどね。俺だったら引きこもりがいる家なんて気持ち悪いから、すぐに別のところを探して出て行くね」

「裕樹さんは、ユリさんが引きこもっていた事を、気持ち悪いと思っていたのですか?」

「さすがに、姉貴だから気味が悪いとは思わなかったけど、別れた男と子供のことなんて、さっさと忘れて引きこもりなんて辞めちまえって思っていた。男なんていくらでもいるんだからさ」

「それ、ユリさんに言った事ありました?」

「言ったよ。言ったら姉貴を泣かせちゃったよ。そのときは姉貴の為に言ったのに、なんで泣くのかなって思ったんだけど……今ならわかる。俺も息子が生まれてわかった。息子と離れ離れにされたら、たぶん俺も引きこもりたくなる。考えるだけで胸が張り裂けそうだ。姉貴には悪い事言っちゃったって思って反省しているよ」

「裕樹さんも親になって、ユリさんの気持ちがわかったんですね」

「うん。帰国したらちゃんと謝ろうと思っているよ」

「そうですか……」

「うちの両親は、姉貴の事にはかなりナーバスになってて、どうしたら良いかわからないだ。でも、俺は姉貴の人生なんだから、両親のことは気にせずに姉貴の好きな様に生きたら良いと思う」

「私もそう思います。ユリさんの人生ですからユリさんが思う通りにしたら良いと思います」

「そうなんだよな。それを両親が理解してくれたらいいんだけどね」

「心配しているが故に難しいかもしれないですね」

「でも君さ、姉貴に似てる気がする」

「私がですか?」

「顔とかスタイルとかは、ぜんぜんだけど、性格は同じ系統だと思う」

「それは、ユリさんが辛い経験をされたのと、私は両親のことで性格に影があるので、そこが似ていると感じたのではないですか?」

「そう言われれば、そうかもね。でも、似てるよ。弟の俺よりね」

「そうでしょうか」

「そうだよ。でもやっぱり、君は変わっているけど良い人だ。うちに来てくれてありがたいと思っているよ。これから、帰国してどうなるかわからないけど、姉貴の事よろしく頼むよ。君は唯一姉貴が胸の内を語れる人だし、うち救世主なのかも知れないよ」

「そんな大げさな者ではないです」

「いや、君が来てから、このうちは変わったよ。良い刺激になっているんだろうね。ありがとう」

「こちらこそありがとうございます。ユリさんとはこれからもっと仲良くさせて頂きます」と言って茶の間を後にした。

本当に、私がカトウ家にとって良い刺激になっているなら嬉しいと思ったし、ユリさんと話をしていると、誰よりも私自身が素直になれるのはわかっていたので、裕樹君から「よろしく」と言って貰えたことはとてもうれしかった。


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