砂浜
今年のゴールデンウイークは、曜日の並びが良く大型連休になる。
下宿部屋でゆっくり過ごしたかったのだが、長い休みに下宿人がいると、カトウ家の皆さんが窮屈に感じるだろうと思い、旅行に行く事にした。
温泉に入って、美味しい物を食べゆっくりしたいが、余りお金は掛けたくない。 大型連休ではどこに行っても激込みだろう。ネットで調べてみたが、ホテル代も通常より高くなっている。それでも、宿の空室は殆どない。
いつものピクサルホテルに泊まろうかとも思ったが、麻里は三田君と、両家の両親と初めての家族旅行に行くそうだ。私と会っている暇はないだろう。
それに、世の中が大型連休で旅行に行こうと言うムードで浮かれているのだから、ビジネスホテルで時間を潰すのは、なんだか寂しい気がした。私だってたまには浮かれてみたい。
年末年始の道路渋滞に懲りたので、今回は電車で動く事にした。
貝岸駅から電車で二時間の所に、海辺の大衆温泉施設があった。
宿の一室が、ビジネスホテル並みの値段で泊まれる事がわかった。キャンセル待ちをしていたら、空室が出た。ゴールデンウイーク直前にやっと予約が取れて、予定が決まった。
貝岸駅には、カトウ家からゆっくり歩いて、十分もかからなかった。
貝岸駅から電車に乗るのは初めてだった。とても新鮮な気持ちになった。
普段の移動手段は自分で車を運転しているので、電車は人が運転してくれるから車窓の風景を楽しめる。乗り心地は快適だった。
降車駅に着いた。ここからは、送迎バスが待っていて宿まで連れて行ってくれた。
大衆温泉施設は、沸かし湯ではなく温泉だった。温度が低めで入り易かった。
アカスリ、エステ、足裏マッサージと一通りの設備があり、大広間では子供向けのイベントをやっていた。
宿の部屋は、さすがにお値段が安いだけあって、部屋にトイレと洗面台はあったが、風呂はなく、ドライヤーもなかった。内線電話も、各階に一つだけの様だ。
かろうじて歯ブラシセットだけはあったが、通常ビジネスホテルには置いてある、アメニティーのT字型のカミソリやコットンや綿棒はなかった。それらは、温泉の浴室や脱衣所に置いてあるから、支障はなかったのだが少し寂しい気がした。
だが、温泉施設が充実しているのだから、部屋にアメニティーがなくても仕方がないと納得できた。
夕食は、温泉施設の中に入っている大衆食堂で、地元特産の魚を使った海鮮丼を食べた。
私は、余り生魚は好きではないのだが、この海鮮丼はとても美味しく感じた。
ぬるめの温泉がとても気に入って、何度も入りに行った。少し火照った体を冷まそうと、足だけ湯につかり、露天風呂の淵に座った。五月の風が心地良かった。
翌朝、朝風呂に入り、大広間で朝食を食べた。朝粥に味噌汁、鮭の塩焼き、厚焼き卵、わかめサラダ、フルーツの盛り合わせだった。特に、不味いと感じる物はなかった。
チェックアウトを済ませ、送迎バスで駅まで送って貰った。
このまま下宿に帰るには少し早過ぎる。せっかく遠くまで来たのだから、近くの海辺を散策することにした。
五月の日差しは、既に真夏と同じだった。肌にじりじりと容赦なく照りつける。
顔とデコルテ部分に、SPFの高い日焼け止めを塗っておいて良かった。腕にも、もう一度日焼け止めを塗り直した。
潮風に当たったら、夏を感じている様で開放的な気分になった。波打ち際まで行って、貝殻を拾った。淡いピンク色の貝で可愛い。
サンダルを履いていたので、砂浜に足がハマってしまった。足に沢山砂が付いて歩く度にジャリジャリしたが、そんな体験も楽しかった。
家族連れが波打ち際ではしゃいでいた。幼い子供が打ち寄せる波から逃げようと走っていたら、転んでしまい、波に打たれ大泣きしていた。母親が、砂を払いながら笑っている。父親も「仕方がないな」と言いながら笑っいあっていた。
この時、私は自分の幼い頃の記憶を思い出した。
たぶん、四歳くらいの事だったと思う。両親と一緒に海水浴に行った。
どこの海であったかは全く覚えていないが、砂浜で両親と一緒に砂山を作った。山の真ん中にトンネルを作って、通過したら母親と除きあって笑った。父親にビニールのボートに乗せて貰い、波に乗ってはしゃいだ。父親も楽しそうに笑っていた。その後、海辺の店で三人でいちご味のかき氷を食べた。
今まで、この記憶は無かったし思い出したこともなかった。海辺を歩き、家族連れを見た事で、思い出したのだろうか。
あの海水浴での楽しかった思い出の様な家族関係が続いていたら、私は〝まとも〟な世界の人間になれたのかも知れない。そう思ったら切なくなった。
虐待された両親と絶縁することは、私にとって最良の選択だったと思っているし、その思いは今後も変わらないだろう。
虐待する両親と親子関係を続け、怒り、憎み、嫌う感情を持って、生きるよりましだ。
大人になっても、娘に虐待し続ける両親と一緒にいることは、自ら傷つけられに行っている様なものだ。自虐の道を歩んで行くことになる。私は、自ら自虐の道を歩む程馬鹿ではない。
だから、両親と絶縁することは、私にとって必要な選択だった。血のつながった家族であるのに、酷い人間たち。
しかし、虐待されていたとは言え両親を切り捨てることは、自分の心の一部を切り捨てる事と同じだ。私自身も心を切り捨てる痛みを伴い、辛かった。
でも私はその痛みに耐えた。両親と絶縁し、家族としての絆を持つことを諦めたのだ。諦めるまではかなりの葛藤があった。私はこの葛藤を乗り越えるために、沢山の時間と、もしかしたら〝まとも〟な家族として家族関係を築き直せるのではないかと、両親の気を引くためのむなしい努力を沢山した。
しかし、何一つとして良い結果は得られなかったのだ。
だから、両親との楽しかった記憶が蘇っても、諦めがついているから今後の関係は変わらないだろう。
いろいろ考えたら、自分の存在が惨めに思えてとても悲しくなった。
一人で強く生きて行こうと決めていたのに、幼い頃の楽しかった記憶を思い出した今日の私は、少し心が弱ってしまった様だ。涙が出て来た。
人に見られない様に、そっとハンドタオルで涙を拭った。
泣いても現実はなにも変わらないが、心は少し軽くなった。
気を取り直して、美味しい昼飯を食べに行こうと思った。
土産店を見て回るのも楽しいかもしれない。
海岸沿いの土産店に向かって歩いて行った。
土産店で、部屋着用にヤシの木模様のTシャツを三枚買った。
ハイビスカス模様のコースターと、おなじ柄のボックスティッシュのケースも買った。
今年の夏は、下宿部屋でこれを使えば、夏気分を満喫できそうだ。
カトウ家と営業所への土産は、エビせんべいを一箱ずつ買った。
昼飯は、土産店で大盛りの焼きそばとたこ焼きを食べた。昔ながらのラムネも飲んだ。
土産店の水道で、砂だらけになった足を洗わせてもらった。土産品の安いフェイスタオルを一枚買って砂が落ちてスッキリした足を拭いた。
お腹も心もいっぱいになり、土産店を後にして貝岸行きの電車に乗った。
電車の向かいの席に、母親と幼い女の子の親子連れが座っていた。母親と女の子は童謡を歌っていた。歌い終わると、女の子は母親に頬を寄せ、うれしそうに笑った。母親も笑って女の子を抱きしめた。
〝まとも〟な世界の人には、なんでもない他愛もない光景なのだろう。
しかし、私には味わった事のない光景だ。私は、女の子の立場にはなれないし、母親の立場にもなれないだろう。親子のかけがえのない愛情関係。私が一番欲しかった物が目の前にある。どうしても欲しいが私の手に入らないものだ。どう頑張っても手に入らない……頑張ったが手に入らなかった……〝まとも〟な人は生まれた時からあたりまえに持っているのに……私はどうして〝まとも〟な家庭に生まれてこなかったのだろうか?
また少しだけ泣いた。
何を思っても現実は変わらないのに、自分がとても惨めに感じた。いつも惨めだと思っても泣く事は無かったのに……今日は本当に心が弱っている……。
心が弱っているからであるが、もしかしたら今まで…両親と完全に絶縁するまでは、泣いて心を軽くする余裕がなかったのかもしれない。
私は少し心の成長ができたのだろうか。
下宿生活を始めてから、はじめての一人旅はたくさん思うことがあった。
私の居心地の良い場所はカトウ家の下宿部屋だと言う事を改めて強く感じた。安心して帰れるところがあるのは、ありがたい。早く下宿部屋に帰りたくなった。あと数駅で貝岸駅に到着するのだが、ほんの数十分がとても長く感じた。
また少しだけ涙が出た。




