親友の彼との対面
翌朝、早めに起きて朝食を済ませ、楽しみにしていたコインランドリーで洗濯をした。洗濯中にホテルの温かい部屋でリラックスしながら待てるのは贅沢だった。
チェックアウトを済ませ、十一時前にホテルグランドシャリルに向かった。
麻里から
∨彼とラウンジでコーヒー飲みながら待っています♪
とメールが送られて来た。
遅刻がちな麻里にしては珍しく、すでに到着しているらしい。
ラウンジに行くと、麻里と彼がいた。
彼は「森下豊」と名乗った。前にスマホの画像で見たより、実物の方がイケ面に見えた。
私も挨拶をして「麻里は、親友であり姉妹の様な存在です。麻里の事をよろしくお願いします」と言った。
森下さんは、まっすぐ私を見て大きく頷いた。
結婚式や披露宴の話で盛り上がった。このホテルグランシャリオでやりたいと二人とも言った。
麻里は、ブライダルパーティーで私に友人代表の祝辞を読んで欲しい、ブーケトスは指名制にして私に渡したいと言った。さらに、お色直しの前のエスコート役を、私にしようか母親にしようか迷ってしまうと言った。私は、さすがにお色直し前のエスコート役は、通常母親の役目だから麻里のお母さんが気を悪くするといけないので、遠慮させて頂くと言った。
「話には聞いていたけれど、本当に君たちは仲が良いんだね」と森下さんは感心したように言った。
それから、森下さんの仕事の話しになった。
「元旦からお客様との初詣なんて、仕事熱心ですね」
「ちょっとやっかいな客でね。旅行の予定もあったのに上得意先だから断れなくて、参りましたよ」
「森下さん、どちらにお勤めなんですか?」
「鶴谷産業です」
「鶴谷産業ですか。私も派遣で勤めていた事があったんですよ」驚いた。偶然だった。
「そうだったんですか。でも、社内でお会いした事はなかったですよね?」
「社員の人数が多いですし、私は一年しかいなかったから、すれ違っていてもわからないですよね」
「どこの部署にいたの?」
「経理課と庶務課を、行ったり来たりしていました」
「それなら、わからないだろうな。俺は営業一課だから」
「一課の部長は高橋部長ですか?」
「高橋は直属の上司です。ご存じでしたか?」
「ユニークな方ですよね。さばけていると言うか」
鶴谷産業は、元旦から得意先と初詣に行く会社様な、信心深い会社ではない。むしろ、宗教や信念にとらわれてないことを売りにしている。さらに、高橋部長は「良い仕事をするためには、休みをしっかり満喫するのも仕事のうちだ」と言って、客との接待はすべて自分が引き受け、部下には休日に仕事をさせない事でも有名だった。
森下さんの接待で初詣に行った話は、どこか変な気がした。
私の分のコーヒーが運ばれて来た。高級ホテル独特の上質で香りの良いコーヒーだ。
一口飲んだ。おかしな臭いがしていることに気が付いた。コーヒーから臭っているのではない。
卵が腐った様な臭い、硫黄臭がする。一瞬、私の鼻がおかしくなったのかと思った。気持ちの問題かもしれないと思い、気分を変えるため二人に断って、トイレに行った。
テーブルに戻った。確かに硫黄の臭いがする。トイレの往復では臭わなかった。
私は、発生元をどうしても確かめたくなった。
「旅行キャンセルになって残念でしたね。どこに行く予定だったんですか?」
「草津温泉」麻里が言った。
草津は硫黄泉だ。私は、やっぱりそうかと思った。
「今年の正月は、麻里とゆっくりしたかったんですけど、キャンセルすることになって本当に残念でした」と森下さんは言った。
私は、試すように聞いた。
「元旦から初詣に行かせるなんて、酷いお客さまですね。もしかして、やっかいだけど、上お得意様の真田技研ですか?」
「いや、棚瀬産廃ですよ」
私は愕然とした。
偶然だが私は、棚瀬産廃にも派遣で勤務した事があった。鶴谷産業の派遣契約が切れた後、すぐに棚瀬産廃に派遣されたのだ。
棚瀬産廃は鶴谷産業の得意先の一社だ。小さな会社だが、着実に業績を伸ばしている会社だった。
アットホームな会社で、毎年年末は社員全員が社長の自宅に集まりカウントダウンパーティーをして年越しをするのだ。カウントダウンの後、その流れで社長の実家の神社へ初詣に行く。全社員強制参加の毎年の恒例行事だと聞いていた。
今年は、カウントダウンパーティーをしなかったのだろうか。社長の実家の神社には行かず、取引先に接待をさせて初詣に行ったのだろうか?
「どうしたの? 急にだまっちゃって?」と 麻里が言った。
「ごめん。棚瀬産廃にも派遣で勤務したことがあったから、いろいろ思い出して、一人の世界に入っていたよ」と言って作り笑いをした。
「ランチの予約時間は何時から?」と聞いた。
「十二時なんだ。そろそろだね」と麻里が言った。
「それなら、私はお暇しようかな」
「ランチの前に、私もトイレに行きたい」麻里はトイレに行った。
森下さんと二人きりになった。
私は、どうしても森下さんに確かめたかった。
「森下さん、棚瀬産廃と一緒に初詣に行って温泉に入って来たんですか?」
「いや、商売繁盛を願っての初詣と、食事会です」
「おかしいな」
「どうかしましたか」
「棚瀬産廃の社長のご実家は神社です。毎年社員全員でカウントダウンパーティーをして、その流れで実家の神社に初詣に行っていたのに、今年はどこか遠くの神社に初詣に行かれた様ですね」
森下さんの顔が強張った。
私は確信した。森下さんは嘘ついている。接待で初詣には行っていない。
麻里と行くはずだった草津温泉に、誰かと行ったのだ。だから、硫黄の臭いがしたのだ。
さらに私は続けた。
「草津温泉は硫黄泉ですね。硫黄の臭いは、帰ってから丸一日くらいは取れないですよね」
森下は下を向いている。
「今日はなぜか、硫黄の臭いがするんです。おかしいですよね。麻里も森下さんも温泉には行けなかったのに」
森下の額から汗がにじんでいた。
「森下さん、あなたから硫黄の臭いがします。どうしてでしょうね」
森下は、何も言わない。
「麻里にはプロポーズしたんですよね? 結婚するんですよね? それなのに嘘をついて、誰かと温泉に行ったのですか? 麻里に嘘をついてまで一緒に温泉に行った人は、森下さんにとってどんな存在なんですか?」
森下は下を向いたまま、黙っている。
「森下さんは、二人で幸せになるために結婚を決めたんですよね?」
森下は、まだ黙ったままだった。
「森下さん、なんで黙ったままなんですか? あなたは、浮気をしたかも知れないと疑われているんですよ。否定しないと言う事は、浮気したと認めているのですか」
森下は横を向いた。ラウンジの外を見ているふりをしている。
私は、その後何も話さなかった。森下も横を向いたままだ。
麻里がトイレから戻って来た。
「お待たせしました」
「お帰り」
「二人で何を話していたの?」麻里が聞いた。
「私は、鶴谷産業も棚瀬産廃にも派遣で勤めたことがあったから、偶然でも世の中狭いですねって話し」
「本当に世の中狭いね」と嬉しそうに言った。
森下は何も言わなかった。
森下が会計を済ませ、三人でラウンジを出た。
私は、心の中が乱れていて「今日はありがとう。ランチ楽しんで来てね」と麻里に言うのが精一杯だった。
森下は黙って頷いた。私とは目を合わせなかった。
「これから下宿に帰るんでしょう。遠いから気を付けて帰ってね」と麻里が言った。
ありがとうと言ってホテルの駐車場へ向かい、麻里と森下が見ていないことを確かめてから、逃げる様にホテルを後にした。できるだけ早くホテルから遠くに行きたかった。
しばらく車を走らせ、目に着いたファミレスに入った。まともに車を運転できる精神状態ではない気がした。
森下は、私が言った事を肯定も否定もしなかった。
だが、麻里以外のだれかと、温泉に行ったと言う状況証拠は沢山出て来た。
真面目そうな人だが、結婚が決まったとたんに浮気したのだろうか。それとも、本気だとしたら……その方が恐ろしいと思った。
私は、これから自分がどうするべきか考えた。
麻里や両親にこの話をするべきか。黙ったままでいるか。
昨日の、麻里や両親うれしそうな顔を思い出すと、話す勇気が出なかった。
自分が麻里の立場だったら、どうして欲しいだろうか。自問自答した……私だったら、真実を知りたいと思う。麻里はどうだろうか。
とりあえず、今すぐではなくても、様子を見て、何れは話そうと決めた。
少し気持ちが落ち着いたので、エビグラタンとドリンクバーを注文した。
食事を終えて、このまま下宿に帰ろうと思った。ここでの用事は済んだから、帰れるべき場所に帰るのだ。そう思ったら、気持ちが少し楽になった。カトウ家に帰ろう。
落ち着いて考えたら私は、実家に帰ったことになっているのだった。
帰省から戻ったら、年始がてらお土産を持て行った方が良いだろう。
地元の名産品を持って行くのが常識なのだろうが、これと言う名産品がない。
ファミレスから元来た道を引き返して、この土地ではそれなりに有名な、ケーキ店の焼き菓子の詰め合わせを買いに行った。
年始渋滞にハマり、たっぷり三時間かけてカトウ家に着いた。
いつもの会社帰りの様に、インターホンを押す。
「ただいま帰りました」と言った。
スミコさんが迎えてくれた。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」と言った。
「あけましておめでとう。こちらこそ、今年もよろしくお願いします」とスミコさんが言った。
「こちら気持ですが」と言って、焼き菓子の詰め合わせを渡した。
「あら、ご両親が持たせてくれたの? お気遣い頂きありがとうございます。お休みは楽しめた?」
「はい。初詣に行って、友達に会って、地元でゆっくりしてきました」
「それは良かった。うちはね、遠出はしなかったのだけれど、裕樹が帰って来て盛り上がってさっき戻って行ったのよ」とスミコさんは、嬉しそうに言った。
「明日までお休みよね?」
「はい。明日はゆっくりします。地元より、こちらの生活に慣れたのでこちらの方が居心地いいです」と言ったら、スミコさんがほほ笑んだ。
下宿部屋に戻って気が付いた。
しまった、今日の夕食と明日の食事の事を考えていなかった。食事のことを考える余裕がなかった。
外食に慣れてしまったので、自炊することが面倒になってしまった。
そうだ! 年末にクリーニング店に制服を出していて、今日出来上がりの予定になっている。取りに行かねばならない。
スミコさんに「ちょっと買い物に行ってきます」と言って、出かけた。
まず、クリーニング店に行って、制服を受け取った。
外食して帰ろうと思ったが、年始休みでどこの店も家族連れで混んでいる。昼も ファミレスで食べたし、麻里の家で豪華なおせちを食べて疲れた胃腸を休めるため、夕食はスーパーの総菜にしようと思った。
スーパーに行き、生野菜サラダ、卯の花、ひじきの炒め煮、カボチャの甘煮を買った。米を炊くのが億劫になり、白飯も買った。
明日の食事はどうしようかな。冷蔵庫は年末に大掃除して空になっている。
私は疲れているのだろうか。食べたいものも思いつかないし、献立も考えられない。とりあえず、冷凍食品のレンジで温めて食べられるパスタを買った。冷凍うどんも二種類買った。料理をする気が起きない。胃腸を休めようと思っていたのに、冷凍食品にたよってしまっている。この矛盾した行動の理由はわかっている。
麻里に、森下のことを、いつどの様に話すか決めかねているからだ。少し様子を見て……と思っていたが、早い方が良い気がした。悪い話は、後になればなるほど言いにくくなるし、問題が大きくなる。すべてを話したら、麻里は相当傷つくだろう。
だが、このまま知らないでいたらもっと辛いことになると思った。
思い切って、夕食を食べたら麻里に連絡してみることにした。重要な話は、直接会って話した方が良いだろう。
白飯と惣菜で夕食を済ませた。洗い物がないので、洗面台に行って歯磨きをした。
麻里はまだ、森下と会っているのだろうか。
スマホの通信アプリで麻里を呼び出す。
麻里はすぐに出た。
「今、デート中?」と私は言った。
「家にいるよ。今日はありがとう。もう下宿に着いたの?」
「無事に着いたよ。こちらこそありがとう。ランチはどうだった?」
「豪華だったよ。フレンチのフルコース」
「よかったね。森下さんは、いつもあんな感じなの?」
「今日は、元気がなかったな。疲れていたみたいだったし、ランチだけして帰って来たよ」
私は、腹を決めた。
「麻里、あのね、私が今日森下さんに会って、思った事があるんだけど、言ってもいい?」
「どう思ったの? 聞きたい」麻里は嬉しそうに言った。森下の事を全く疑っていない様だ。
「電話だと、伝わりにくいこともあるから、明日またそっちに行って会って話したい」
「えっ、今日帰ったばかりでしょ? また明日こっちに来るの?」
「会って話した方がいいと思うくらい重要な話なんだ」
「…………」
「明日、午後そっちに行ってもいい?」
「そんなに重要な話なら、気になって明日まで待てない。今話して!!」
麻里は少しキレ気味に言った。
「わかった。今から話すね」
私は、深呼吸してから話した。
鶴谷産業は、元旦から得意先と初詣に行く会社様な、信心深い会社ではない事。
森下の直属の上司の高橋部長は、部下には休日に仕事をさせない事で有名な事。
棚瀬産廃は社員全員強制参加で、カウントダウンパーティーをして年越しをするのが好例で、その流れで社長の実家の神社へ初詣に行く事。
ホテルで硫黄の臭いがした事。
森下は麻里に嘘をついて、誰かと温泉に行ったのではないかと聞いたら、答えなかった事。
浮気を疑われているが、認めるのかと聞いても答えなかった事。
一気に話した。
しばらく麻里は無言だった。そして
「それ全部本当なの?」
「本当だよ。なんで嘘をつく必要があるの?」
「…………」
「悪いけど、私は森下さんを信用できない。悪い情報が揃い過ぎている」
「……私は硫黄の臭いは感じなかった。接待は、会社の特定の人と行ったかも知れないし、今日初めて会った人を疑うのは失礼だよ!!」麻里は怒っていた。
「そうだね。失礼だよね。でも、これは私が知っていることと、思ったことなんだ」
「…………」
「麻里が怒るのは当然だと思う。でも、森下さんはどうして浮気した事を否定しなかったのかな?」
「そんなのわからない。でも、豊さんは温泉に行ってない。勝手に決めつけないで!!」
「確かに決めつけだよね。森下さんが否定も肯定もしてくれなかったから、想像で話すしかない」
「だから、それが失礼なんだよ!!」
私は、麻里がパニックになってしまったので、あわてて謝った。
「わかったごめんね。変な話をしてごめん。話さない方が良かったよね」
「凄く嫌な気分。あんたに豊さんを会わせなければ良かった!! 初対面で失礼な事をされたから、今日は豊さん疲れていたんだ。もう私には連絡しないで!!」
通信が切れた。




