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菫の花に祝福を  作者: 夏野ゆき
本編
6/35

6

 わいわいと賑やかだった大広間が、そっと静まっていく。その空気にジェラルドは息をのんだ。

 見たこともない婚約者が登場すると知っていたから。

 事前にリピチアに教えられた手順では、大広間の中央にまでリピチアとエリシアがニルチェニアを連れて行き、そこからはジェラルドのエスコートで大広間に設えた卓に二人で席に着くと。


 緊張こそしていないものの、押し寄せる罪悪感にジェラルドは小さく息をついて、それから笑みを形作った。

 多分、この場の誰もがジェラルドの本当の目的には気付いていないはずだ。ニルチェニアも、エリシアも、ルティカルも。


 一族の誰もが、“あれ”からジェラルドは立ち直ったのだと思っているはずだ。後輩の妹を救うためとはいえ、婚約を結ぶと宣言したのだから。


 ――ごめん。


 誰に謝ったのかはジェラルドにもわからない。それはルティカルなのか、ウォルター家の皆なのか、ニルチェニアなのか。それとも。


 ――リラ。


 脳裏に描くのは銀髪に紫色の瞳を持った女性。誰よりも愛しかったあの人。

 

 リピチアが満面の笑みで、エリシアは緩やかな笑みを浮かべて。瞳を開けていなくとも緊張しているのが分かる表情で、しずしずとやってくる娘を連れてくる。

 その娘のドレスが深緑色で、自分の纏う礼服に合わせて選ばれたものだと言うことを理解して、ジェラルドはますます申し訳なくなったけれど――それをひた隠して、リピチアとエリシアからニルチェニアの手を託される。


 不安そうな顔だ、と小さな背のニルチェニアを見た。必死に隠してはいるけれど、不安で不安でたまらないのだろう。白い長手袋に包まれた手を取って、ジェラルドは恭しくそれに口づけた。瞬間、かっと顔を赤くしたニルチェニアは、何をされたか理解したらしい。手への口づけで盛大に顔を赤らめたニルチェニアに、ジェラルドは微笑んでしまった。微笑ましい。


「綺麗だ」

「えっ」


 エリシアに言われていたからそう口にしたわけではない。本当に心からこの娘が綺麗だと思えた。

 見たことも、話をしたこともないけれど、きっとこの娘は中身まで綺麗なのだと思う。自分とはきっと正反対で。


 褒められてあわあわと慌て出すニルチェニアに吹き出して、ジェラルドはエリシアに言われたとおりにいつもよりも丁寧に席までニルチェニアをエスコートした。晴れの席では俯けないからと、赤くなった顔を懸命に持ち上げているのがいじらしい。

 優しく席にまで誘導し、椅子を引いて座らせる。それを見守る一族の面々の眼差しがやわらかい。ジェラルドが仕事に殺されそうになっている間、リピチアがちょくちょくウォルター家にニルチェニアを招いたと聞いていたが、ニルチェニアはすっかり歓迎されていたようだった。


「ありがとうございます」

「いや、気にすんな」


 律儀に頭を下げるニルチェニアに微笑んで、ジェラルドも席に着く。

 二人が席に着いたタイミングで、金髪の男と銀髪の男が前に出た。

 二人とも、ジェラルドが良く知る人物だ。金髪の男は自らの兄――ウォルター家の当主であるエメリス・ウォルターだし、銀髪の男はジェラルドの部下であり、メイラー家の当主であるルティカル・メイラーだ。

 二人ともが朗々と両家を代表して祝福を述べ、そうして席に着く。


 二人が席に着いたところでジェラルドがニルチェニアに杯を持たせた。持たせ終わった後に自分も杯をもち、良く通る声で宣言する。


「私たちの祝福をして下さるみなさまに、また、私の伴侶となるニルチェニアに、また、すばらしき出会いに」


 乾杯。

 

 ジェラルドの音頭とともに高く突き上げられた参加者の杯からは、きらきらと黄金の酒の雫が舞った。


 乾杯のあとは杯を一息に飲み干し、大広間はわいわいと騒がしくなる。こうなると婚約を交わした二人の事なんて見えてこなくなるやつが増えるので――ジェラルドはふっと息をついた。

 隣にいる少女に目をやる。


「平気か?」


 緊張しっぱなしだったニルチェニアだ。気分でも悪くしてはいないかと声をかければ、ぎこちないほほえみとともに「だいじょうぶです」と返ってくる。

 そのあどけなさに一瞬見入ってしまったが、ニルチェニアはきゅっと唇を引き結んだ。あんまりだいじょうぶではないのだろう。


 わいわいとし始める大広間、気遣わしげに妹を見ていたルティカルに目を合わせて、ジェラルドはちょいちょいとルティカルを呼ぶ。それに合わせてルティカルと――なぜだか、自分の兄であるエメリスまでがやってきた。

 

「ニルチェニア」

「お兄様?」


 突然聞こえてくる兄の声に驚いたのか、ニルチェニアはきょろきょろと頭を回す。ここにいる、という言葉とともにニルチェニアの手を握ったルティカルに、ニルチェニアはひどく安心した顔をした。ルティカルのほうも、表情がゆるんでいる。いつも仏頂面な彼にしては珍しいと思ったが、たぶんこれは妹の前でしか見せない表情なのだろう。


「蒼玉卿ほどの信頼は勝ち得ていないみたいだな、ジェラルド?」

「……兄上」


 蒼玉卿、とはメイラー家の当主につけられるあだ名のようなものだ。七大公爵家は、当主の目の色から取ったそれで呼ばれることが多々ある。ウォルター家なら大抵緑の瞳を持つから、エメリスは翠玉卿と呼ばれている。言いにくいよなこれ――とジェラルドは常日頃から思っているのだが、変わる様子はない。


「仲はこれから深めていけばいいよ、うん。初めまして、ニルチェニアさん」

「初めまして、エメリス・ウォルター様」

「ジェラルドときたらこんなに可愛らしいお嬢さんを……ふふ、嫌だったらいつでも断ってしまって構わないからね」

「いえ、そのようなことは。本当に感謝しています。婚約を申し出て下さったジェラルドさまにも、それを了承して下さったエメリスさまにも。わたくしには何から何まで、勿体ないです」

「謙虚なんだねえ。――ランテリウスの娘と聞いたから、どれほど変わった子かと思っていたけれど。君は良い意味で変わっているね」

「悪いな兄上、婚約者そっちのけで話に花を咲かせないでくれ」

「おっと。これは悪かったね」


 ジェラルドと同じ緑の瞳をゆるませて、エメリスはニルチェニアの手を握った。ぴくりとニルチェニアは肩を跳ね上げたけれど、それから柔らかくほほえみを浮かべて、「これからよろしくお願い致します」と桜色の唇で紡ぐ。それにとんでもなく優しいほほえみを浮かべて、エメリスは金髪を揺らして席へと戻った。


 メイラー家の先代当主のランテリウスとエメリスはとても仲が良かったし、エメリスはちょくちょく友人の息子であるルティカルと、自分の息子達を遊ばせていたくらいだ。亡き友の忘れ形見であるニルチェニアに、思うところがあるのかもしれない。エメリスには娘はいないから。


「少将。この度は」

「ルティカル、こういう席でそういう堅苦しいのはやめてくれ」


 ここは軍じゃないし、可愛いお姫様もいるだろ。

 いつもの調子を取り戻したジェラルドに、ルティカルが愉快そうに薄く笑った。ええ、本当に、と微笑んだルティカルはニルチェニアを優しい眼差しで見つめている。


「俺は君に幸せになって貰いたいんだ、ニルチェニア」

「――お兄様」

「だから、やれることは何でもする」


 きゅっとニルチェニアの手を握りしめたルティカルに、ニルチェニアがエメリスに握られていた手のひらを重ねる。


「ありがとう、お兄様」


 ちょっと目が潤んでいたのは、ニルチェニアもルティカルも一緒だ。纏う雰囲気は違うけれど、確かにこの二人は兄妹なのだと確信して、ジェラルドはちょっと笑った。


 上品に“夜会”と銘打ったそれは、提案者のリピチアのせいか、賑やかな“宴会”へと変わっている。

 下手に気負う必要のない空気に、ニルチェニアの表情もほぐれてきた。


 下手したら娘と言っても差し支えないような少女を傍らに、ジェラルドは宴会の喧噪に身を委ねる。

 

 愛しい人によく似た色を持った少女は、もうウォルター家から歓迎されていた。それにほっと息をつき、ジェラルドはルティカルに目配せをする。

 こくりと小さく頷いたルティカルは、ニルチェニアの頭をそっと撫でてから席へと戻る。


 再び緊張した顔になってしまったニルチェニアの表情をゆるめられるように、ジェラルドは少しずつ話しかける。

 話しかければかけるほど、少女のもつ雰囲気の柔らかさに和まされる自分がいることに気付いたが――それと同時に、ひどく苦しかった。


 ――代わりになるかもしれないなんて、思うんじゃなかった。


 溢れてくる苦い思いと罪悪感に蓋をして、ジェラルドは白髪の娘と微笑みを交わす。その髪が銀髪なら、“あの人”だったなら――そう思わずにはいられなかったが、思えば思うほど、目の前の愛らしい娘に申し訳なくなるのだった。

 

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