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菫の花に祝福を  作者: 夏野ゆき
本編
1/35

 納得がいかない。

 

 そう口にしても、まだ年若い自分にはどうにも出来ないことだというのも理解していた。いくら先代から継いで当主になった身とは云え、周りの爺や婆のいうことにはすぐには逆らえない。

 そういう家だからだ。“しきたり”なんていう埃臭い鎖に縛られるのを好むような家だったじゃないか。


「――くそったれッ!」


 怒りに身を任せて机を殴れば、机の上に置いたままのインク瓶が跳ねて転がる。ふたが開いてしまった。瓶から解放されたインクがさらさらと机から滴り落ちて、青の絨毯を黒く染め上げたが――ルティカルにはどうでも良いことだった。


「あの子を――ニルチェニアを捨てさせはしない!」


 獣の慟哭じみた声だ。聞きようによっては悲鳴だろう。

 貴族の青年が発して良い声ではなかったし――それが、国の中でも有数の貴族である、メイラー家の当主のものだとするなら尚更だ。

 ルティカルの銀髪が揺れ、青い瞳には憤怒の光が灯る。ふと夜空を映す窓に目をやってから、窓に映し出された自らの青い瞳を睨みつけた。


「目の色が何だっ」


 咆哮。

 インク瓶は絨毯に受け止められた。



 メイラー家。

 “花の国”フロリアにおける七大貴族の一つ。元はいにしえの戦いで勲功をあげた軍人の家柄だ。元が軍人であっただけあって、しきたりと伝統を重んじる。

 勲功をあげた軍人が成る貴族としては異例の公爵家。元が元だけに現在でも数多くの優秀な軍人を輩出している。その点では由緒正しい、といっても差し支えはないだろう。


 その“由緒正しき”メイラー家に属するものは皆、青い瞳に銀の髪を持たねばならなかった。

 それは嫁入りする娘も同じ。銀髪青目以外のものはメイラー家として認めない。それが彼らの持つ“伝統”だ。


 そのメイラー家には、一人だけ別の色を持つ娘がいた。


 名を、ニルチェニア・メイラーという。現当主ルティカルを実の兄とし、先代当主であったランテリウス・メイラーの愛娘である。彼女は生まれつき、人よりも色素が少ない。だから、肌は日を知らぬかのような雪色だし、その髪は銀を通り越してもはや白く、その青に染まるはずだった瞳は血を透かしたのか紫色だ。その瞳も、色素が少なすぎるために普段は閉じられている。ニルチェニアいわく、「外の光はまぶしすぎる」から。眩しさに負けて閉じられる瞳は、盲目と大差ない。事実、彼女にはほとんどのものが見えていないのだから。


 その彼女はもちろん、“しきたり”にそってメイラー家から排除される予定だった。青の瞳を持たずして産まれたというのは、メイラー家の者たちには知れ渡っている。それでも彼女が十六という齢までメイラー家に存在できたのは、当時メイラー家の当主であった父のおかげだろう。


 メイラー家の当主でありながら一族随一の変わり者であったランテリウス・メイラー。

 彼もまた優秀な軍人であり、最終的には大将という地位にまで登り詰めている。

 柔和な微笑みと冷酷な判断、そして何より、命を大事にする人であった――と、彼の亡き今、そう語り継がれている。


 そのランテリウスはメイラー家にありながら“しきたり”をよしとしなかった。メイラー家のしきたりは伝統ではなく、ただの因習でしかないと。

 正当な理由で守られる伝統ならまだしも、髪の色と目の色に拘るだけでは何の意味もないと彼は言いはなっているし、やれ公爵だの何だのとお高くとまるのも気に食わないと堂々と宣言した人間でもある。

 それは、貴族と言うにしても高慢な者の多いメイラー家にとっては、当主でありながら目の上のこぶだった。

 メイラー家は伝統を誇りに思うが余りにしばしば他の貴族に対しても高圧的だったし、閉鎖的だった。貴族でも何でもない相手というなら尚更だ。メイラー家の大半は一般民を見下していたから。


 そこに風穴ぶち開けてやる、と笑顔で言いはなったのがランテリウスであり――彼はもうこの世にいない。

 若い頃に軍で無茶をしたのがたたったのか、四十六という若さでこの世を去ったのだ。

 

 そしてランテリウスの息子であるルティカルが、二十四歳の夏に当主を継ぎ、彼も父のような人間になろうと決めていた矢先――ニルチェニアに関しての問題が持ち上がった。


 父であるランテリウスが生きていた頃は、まわりの親戚もニルチェニアに対する直接的なことを吐ける状態になかった。それはひとえにランテリウスを恐れていたからであり、ランテリウスがそれを知った上で自分の娘を守っていたからだ。

 人よりも遙かに弱く生まれついた娘を、命を。小さなそれを護ることに力を費やしていた。


 その父が亡き後、ニルチェニアに“メイラー家を出て行け”という言葉が投げかけられるようになったのは当然といえば当然だろう。父を追うようにして亡くなった彼らの母、サーリャ・メイラーはニルチェニアのことを最後まで心配して逝った。


 ルティカルもニルチェニアを護ることに精一杯力をさいた。けれど、年若い当主に御すことができるほど、彼らの血縁は甘くなかった。

 ルティカルもランテリウスもサーリャも隠してきた、彼女に向かう不条理な要求は、ある日何も知らなかった彼女にいきなり突きつけられることとなったのだ。



 ――たった二人でとることとなった、母の葬儀を終えた後の晩餐。


 いつも通りに食が細いニルチェニアを心配していたルティカルの元に、無礼な来客――ルティカルにとっては従兄弟に当たる青年――が、酒をひっかけながら、使用人の制止も意にも介さずやってきて、ルティカルの目の前で食事をとっていたニルチェニアの頭に葡萄酒をぶちまけたのだ。


 ――“いつ出て行くんだ、面汚しめ”。


 白い髪からぽたぽたと落ちる赤い滴。

 目の見えないニルチェニアには何が起こったのかは理解しがたかったようだが、罵声は聞き取れていた。ニルチェニアの戸惑った顔が、ひどく悲しそうな顔が、それを物語っていたから。


 怒ったルティカルが青年を捕らえ、無礼を働いた罰として地下にある部屋に蹴り入れ、妹の元に戻ってきたときには――ニルチェニアは、何かを決意していたようで。


 ――“お兄さま、どうか詳しくお話をお聞かせ願えませんか”。


 真摯な声に優しい嘘をつけるほどルティカルは器用ではなかったから、毒を飲む思いですべてをニルチェニアに伝えた。

 話し終わった後、ニルチェニアは微笑んでいたようにルティカルには見えて、それがどうしようもなく切なかった。

 令嬢として産まれたにも関わらず、同じ一族には虐げられ――けれど、令嬢としての矜持をわすれることなく、鷹揚に微笑む妹。護ってやれなかったことを後悔した。


 ――“それなら私は、この家を出ることに致しましょう”。


 何の問題もないという風に微笑んだ妹を抱きしめ、それだけはやめてくれと懇願した。目の見えぬ公爵家の令嬢が、屋敷を出てどうやって生きていくというのか。

 必ず俺が何とかするからとニルチェニアを説き伏せたルティカルは、それでもどうすることも出来ずに日々を過ごしていた――のだが。



 救いはいつも突然に現れるものだと彼の母はよく笑っていた。

 貴族の令嬢であったはずの母は乗馬に長け、弓術なら隣に並ぶものなし、とにかく令嬢らしくない女性だった。

 けれどいつも凛としていて、そんな彼女の言葉だからこそルティカルは信じ、また行動に移すことも出来たのだ。


 ――辛いときは一番頼りになる人に相談なさい。自分を偽ることなく話しなさい。護りたいものがあるなら、身を挺して護りなさい。



 ある日その言葉をふと思い出したルティカルは、自分が一番頼れる人――ルティカルの上官に当たるジェラルド・ウォルターに相談をしてみようと思い立った。


 ジェラルド・ウォルターはメイラー家とならぶ名門、ウォルター家の次男であり、学者を多く輩出するウォルター家にしては珍しく軍人になった変わり者である。

 自ら軍に志願しただけあってその才は他とは頭一つ以上抜きんでていたのだろう。三十六という若さながら、フロリア軍の少将を務めている。ルティカルはまだ中佐だ。ルティカルの若さで中佐というのも異例だが、ジェラルドの少将というのも異例中の異例だろう。彼は元々文官だったのだし。


 相談に乗っては貰えないかとルティカルがジェラルドに話を持ちかければ、ジェラルドはそれを二つ返事で了承した。


 ――だから、ルティカルは今、ジェラルドに与えられた執務室の前にいる。


 若さの割に仕事を数多く押しつけられ――もとい、担っているジェラルドは多忙を極めた軍人でもある。

 昼休憩の時になら少し話せると思う、とジェラルドはルティカルに告げて、「お前が話す気になってくれてよかったよ」とその時に笑ったのだ。


 とんとんと軽く扉を叩き、ルティカルは「入れ」というジェラルドの声と共に執務室へと入る。

 煙草臭いのはジェラルドがヘビースモーカーだからだろう。彼についている補佐官が「ヤニ臭くなるからやめてくれ」と泣きついていたのを覚えているが、彼はそれを改めていないらしい。


「よォ。――おっと、悪いな。食いながらだが」

「いえ。――お忙しいところ、申し訳ありません」


 机には書類と山盛りのサンドイッチが乗った皿。

 「腹が減ってたら食えよ」と気軽に進められたそれに苦笑いして、ルティカルは一つだけそれを手に取った。


「で、何があった? ――最近ランテリウス大将がご逝去されたとは聞いたが――それにしたって思い詰めてるだろ、お前」

「……すみません」

「謝る必要はねェだろ。心配はしてたんだけどな、なかなか時間もとれなくて。――不幸続きで気が鬱ぐのも分かるしな。家督継ぐのも大変だろうし」


 少将という立場にありながら、ジェラルドは軍人にあるまじき陽気さと、気軽さを持ち合わせていた。型に縛られないその性格に救われている部下も多いと聞く。


「――その、とても個人的なことなんですが」

「気にすんな気にすんな。年収についての話以外なら聞いてやるから」


 からかうような言葉を口にした後に、ジェラルドの顔は真剣そのものになる。

 だから、自分はこの人を選んだのだろうとルティカルは心の中で息をついた。

 面倒見も良く、この人は本当に人を想ってくれるから。


「俺に……妹がいることをご存じでしょうか」

「……いたのか?」


 ジェラルドの驚きも無理はない。ニルチェニアはメイラー家にありながらメイラー家として認められてこなかった娘だから。

 紫色の瞳を、メイラー家は屋敷という名の箱庭に封じ込めてきたのだから。


「――いるんです。……その妹が、今――」


 メイラー家の“伝統”とニルチェニアの瞳の色。

 それを洗いざらい話した後に、ルティカルはぐったりと頭を垂れた。話した後で思ったところで無駄なことだったかもしれないが――こんなこと、人に話して何になるというのか。ジェラルドだって困るだろう。


「――で、お前んとこのは妹さんを家から追い出そうと? 目が見えない女の子をか」

「――そうなんです」


 諦めたように息をつき、ルティカルは「すみませんでした」と力なく微笑んだ。


「――いや、謝ることはねェよ。……そうだな、確かにそれは――ああ、何だ簡単なことじゃねェか」


 ――伝統としきたり、誇り、か。


 にんまりとジェラルドが笑うのを、ルティカルは目を丸くして見ていた。俺が解決してやると余裕たっぷりに笑ったジェラルドは、文官時代に“知恵の暴力者”と呼ばれていた頃を彷彿とさせる。


「“誇り”。利用してやろうぜ――なあ、ルティカル」


 ジェラルドはにっこりと笑う。


「その妹さん、俺の婚約者にしてくれ」


 へっ? と、普段のルティカルからは考えられないほど間抜けな声を出してしまったのは、仕方のないことだろう。


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